![]() 『山中智恵子全歌集』の『星肆』より 虚数世界に生くるものらのやさしくて植物のごとき手足をひらく 「虚数世界に生くるものら」、これは、これこそ、無力なる者(chez小泉義之)の姿ではないか。 小泉さんの論に感じる一つの違和感は、(虚数世界に生きるゆえに)見えてない者たちをどう語るかという問題が問われていないこと、 それゆえ「同胞」をfabricateしているようなところがどこまでもつきまとう、という印象がすることだ。 酷な批評だとは思うが。 推測ではこれは水沢病院の患者たちの姿だ。山中さん自身を含めて。 病いの哲学
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小泉義之『「負け組」の哲学』 III 「無力な者に(代わって)訴える」
小泉義之『「負け組」の哲学』 III 「無力な者に(代わって)訴える」 やっと読み終えた。 小泉さんがやろうとしていることが少しわかってきた。 その核心のひとつは、無力な者、あるいは最弱者の側に立って思考してゆこうということに違いない。 「反省したい者はいつまでもやっているがいい。しかし、銘記すべきは、いつの時代にも、革命を必要としている人間、革命なくしては自由に生きてゆけない人間、革命を命がけで求めている人間がいるということだ」(p.60)。 これはわかる。だが???は残... ...続きを見る |
「世界という大きな書物」 中路正恒ブロ... 2007/06/17 02:20 |
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グーグーパンダの語る人生の目的 2007/06/23 09:42 |
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