![]() >「ただ、茫漠と広がっている。それが空間だとすると、その空間の一部を切り取って、囲い込んで、そこに人々の記憶がたくさん埋もれて堆積していって、物語が生まれ、名づけが施される、そのとき、その何もないのっぺりとした空間は場所になる。場所がそこに生まれてくる、という風に考えています」 赤坂憲雄「記憶を掘り起こし、名付け、物語を創造して空間が場所になる」『津軽学』3号。 よくわかる。きちんとした思索がここにあると思う。そしてわたしも(いますこしだけ受け入れてもらっている)黒田村で、物語を探して見ようと思う。 だが何が物語になるのか? 黒田村で、ある女性が、今は某大学の倉庫になっている建物のところにきて、「この建物が昔は染色工場で、ここで働いていたんだよー」と言っていた。何度も。 この女性の語っていたことこそが物語ではないのか? カッパも山人も登場しないこの語りが、物語ではないのか? とても貴重な。 「昔この建物は染色工場で、そこでわたしは働いていた」 この語りが。 いとおしい記憶がこの語りの中にある。 そしてもう一つ。「空間の一部を切り取って、囲い込」むこと。その時に切り取られた空間は、標識を立てることによって初めて「領土(=われらが場所)」になるのではないか。 その標識立てとしての「藝術」、とりわけ「歌」と「詩作」に注目しなければならない。 津軽学―歩く見る聞く津軽 (1号(2005))
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