「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 「超人」の教えは「大いなる軽蔑」を含む (ツァラ・ゼミ13)

<<   作成日時 : 2008/07/23 09:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

瀬谷こけし
京都造形芸術大学(通学部)の「総合演習・ツァラトゥストラを読む」の授業が昨日で終わった。演習で学生たちと議論を交わしていると、どんな風な語りをすれば話が通じやすくなるか、問題が共有されるようになるかということが少しずつわかってきて、わたしにとってもおおいに勉強になる。もちろん、『ツァラトゥストラはこう言った』の中でニーチェが何を言っているか、何を語っているかを読み解く授業であるから、「語りかた」といっても、テキストを離れた議論ではない。テキストのここのところをきちんとアクセントをつけて読めば理解できるようになる、というポイントを示してやるだけだ。そして若干別の概念で照らしてみる、という試みをすることだ。昨日は「序説4」を検討していた。

 「序説4」は人間を、「動物と超人とのあいだに張りわたされた一本の綱」として示し、人間に「偉大さ」があるとすれば、それは人間が「橋」であって、「自己目的」ではないところであり、また人間に「愛されるべきところ」があるとすれば、それは人間が「移りゆき」であり、「没落」であるところなのだと語る。この語りから見て、われわれはこの「序説4」においても、「序説2」の「わたしは人間を愛するのです」という、その後すぐにツァラトゥストラ自身によって修正されることになる言明が問題にされ、ここにおいても一貫してその言明の明確化がめざされていることを理解する。人間は、その「移りゆき」において、より明確には「没落」において、愛されるのである。「没落」は端的には自己破壊の歩みである。だがこの自己破壊は、前節「序説3」で言われた「大いなる軽蔑(の時)」と密接に結びつく。「人間(あなたがた)が体験できる最大のもの」として説かれる「大きなる軽蔑(の時)」とは、ひとがみずからの「幸福」「理性」「徳」の、さらには「正義」「同情」「罪」のなどのけちくささに吐き気をもよおす時のことであり、そういう自己否定ないしは自己嫌悪の時のことである。この自己否定が徹底される時、ひとは橋を渡り、そしておのれの没落を欲するのである。

 このような連関のなかで、ツァラトゥストラは自分の愛する人間の像を示してゆく。それは端的に言えば、人間の上にかかる暗雲の中から、個別にひとつぶひとつぶ落ちてくる重たい雨滴のような人々、ということである。そのようなひとびとは、稲妻が来る、ということを知らせてくれる。そしてその知らせをもたらす者として、告知者(Verkündiger)として、破滅する(zu Grunde gehn)のである。ちなみにツァラトゥストラ自身がみずからをこの稲妻の告知者であると語り、そして超人とはこの稲妻にほかならない、と語るのである。いわば、この雨滴の自己破滅によってその到来が予示される者、雨滴自身にとっては、その自己破滅のただ中において感得され、みずからの破滅がそれとのつながりの中にあるとして了解される者、そういう存在である。彼(=雨滴)にとっては超人は知られる者であり、自分の破滅にも意味を与える「大地の意味」として知られるものであるが、いまだ実在する(existieren)ものではない。超人の実在は稲妻という形を取るであろう。

 ところでこの「序説4」では、「わたしが愛するのは……である」"Ich liebe…" という言い回しが18回なされている。注意されるべきは、この言い回しが三とおりに分類されるだろうということである。それを@〜Qとしておくと、それは以下の通りである。
1.「わたしが愛するのは……の者たちである」"Ich liebe Die, welche …(die …)" という言い回し(@AB)。この言い回しでは愛される対象は「者たち」と複数になっており、この言い回しでは愛される「理由」が、その根拠が、上位の概念として示されているのである(@:没落する他の生き方を知らない者たち、「向こうへ行く者たち」"die Hinübergehenden"。A:「大いに軽蔑する者たち」" die grossen Verachtenden"。彼らは「大いに尊敬する者たち」"die grossen Verehrenden"でもあり、向こう岸へ飛んでゆく「憧れの矢」"Pfeile der Sehnsucht" でもある。B:大地がいつか超人的なものになるようにと、大地に身を捧げる("die sich der Erde opfern, dass die Erde einst des Übermenschen werde")者たち)。
2.「わたしが愛するのは……の者である」"Ich leibe Den, welcher …(dessen…, der …)"と単数で示される言い回し(C〜P)。ここでは愛される者が個別の形で、つまり個別の概念として示されているのである。この言い回しでは、その者が愛される理由として上位の概念への示唆がなされている(C〜Pがそれぞれ@ABのどれに強く関わるかご自分で検討していただければ幸いである)。
3.「わたしが愛するのは……のような人々すべてである」"ich liebe alle Die, welche …" という言い回し(Q)。ここではすべてを総括した「愛される理由」が語られるのである。その理由こそ、上述した「超人の到来を告知する重たい雨滴のような者たちだ」ということである。

 以上の説明で、「序説4」の論理構造が多少は読みやすくなったのではないだろうか。「ニーチェの超人論」がより正しく理解されるようになれば幸いである。





Friedrich Nietzsche - Samtliche Werke
Walter de Gruyter & Co

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

特集