「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ

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help リーダーに追加 RSS はじめて「民俗学」の授業をした: 晴れ晴れと (民俗学講義1)

<<   作成日時 : 2008/07/28 00:46   >>

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瀬谷こけし
今年、2008年の前期、はじめて「民俗学」の授業を受け持った。わたし自身民俗学に近いところで仕事をしているが、しかし自分の仕事を民俗学と呼んだことはない。あくまで宗教哲学者として仕事をしており、その仕事の今の狙いを示す時には「地域学」という名称を使うことがある。だからいつも民俗学とは少し距離を取っている。
 ともあれ今年は「民俗学」の授業をした。そして、最終回七月二十二日の授業を除けばまずまず面白い授業ができたと思う。といってもわたしに常用している民俗学の定義があるわけではない。授業ではその定義から探してゆかなけれならなかった。

 わたしは授業を柳田国男の「雪国の春」からはじめた。この論文にはつつけば面白いところがたくさんある。遊動と定住の問題、広域近畿地方と東北地方の問題、中央と地方の問題、暦と季節感の問題、同胞と同胞ならぬものの問題等、いろいろな問題を引き出すことが出来る。民俗学の定義ないしは狙いは何かという問題もこの論文から引き出すことが許されるだろう。この大正七年五月の論文公刊の時点での柳田の考えを読み取ろうとするのである。そこでわたしが見出したのは第二節の中ごろで言われているこの文言である。「だから我々だけは子供らしいと笑われてもよい。あんな傾向からはわざと離反しようとするのである。そうして歴史家たちに疎んぜられている歴史を捜して、もう少し楽々とした地方地方の文芸の、成長する余地を見つけたいと思うのであ」。この「歴史家たちに疎んぜられている歴史」こそ、「民俗学」と呼ばれるべきものと言えるだろう。歴史学の一種ではあるが、中央の政治経済史に収斂されるような歴史とはことなり、また研究方法として文献のみを信奉する文献史学ともことなる歴史、それは方法としては伝承者からの聞書きを基礎とし、そこから聞取られる伝承されている民間の生活の歴史を内容とするような学問だ。「雪国の春」から民俗学の輪郭をさぐりだせば、おおおよそそのような輪郭の学問が出てくるであろう。

 しかしわたしはここで既に二つの問題点を指摘しておきたい。ひとつは「いかなる血筋の人類でも、こういう好い土地に来て悦んで永く留まらぬ者はあるまい」(第二節)という主張である。柳田はここで瀬戸内海を囲む平地を念頭に置いているのであるが、こういう断定は、山間の地を狩猟採集のための好適地と考える(縄文系の)人々の存在を切り捨てていることになるだろう。
 そして第二は、第一のことを密接に結びつくが、「閇伊や男鹿島の荒蝦夷の住んだ国にも、入れ代わって我々の神を敬する同胞が、早い昔から邑里を構え満天の風雪を物の数ともせず、伊勢の暦が春を告ぐるごとに、出でて古式を繰り返して歳の神に仕えていた名残である」(第六節)という東北観である。前に別のところでも言ったが、この「入れ代わって」とは何なのだ。そこの、先住民はどうなったのか。殺されたのか、移住させられたのか、さらに北に追いやられたのか。柳田はこのいずれとも答えようとしない。切り捨てて顧みようとしないのである。先住民の問題である。柳田は「民俗学」の対象を「我々の神を敬する同胞」の民俗学に限ろうと、あらかじめ決めてしまっているのである。

 この問題に対して、われわれはみなひとりひとり遺伝子の底の底まで孤独であること、そしてまたみながみなその血に何の正当性ももたない混血者であること、このことをわれわれは民俗についての学問の根底に置いておかねばならないと、わたしは言っておきたい。このような前提条件を課すことによって、民俗学は、晴れ晴れと、「常民の民俗学」を脱することができるだろう。

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