![]() 「如来寿量品」において、我(われ)は秘密を語る。 今からする語りを信ぜよ(如来の誠諦の語を信解すべきし)と語り、 そこに集まった者たちに、それを説いて下さい、われらはそれを信じます(唯願はくば之を説きたまへ。我等當に、佛の語を信受したてまつるべし)と請われて、 その秘密は語られる。 その秘密をひとことで言えば、 我は、常在にして不滅だ(我成佛してより已来、……常在にして滅せず)、ということだ。 宮沢賢治はこの言葉を心の中心に持っている。それはつまり、 この「我は常在なり」と語る者に対して、常に語りかけ、対話をし、問答をしているということである。 賢治はこの如来の誠諦を信受しているのである。 この点を見失うと賢治の思想の真意は理解できないだろう。 何度目か島地大等の訓読を読んで、今日ははじめてその思想の緊密に驚嘆した。グレン・グールドの最も孤独な解釈に聞き入るように。賢治の体験もこのようなものだっただろう。 最も感動的だったところは、ここだ。 >我(われ)成佛してより已来(このかた)……、是より来(このかた)我常に此の娑婆世界に在りて、説法教化す。 この一句だ。 そういう我(われ)が在る。 これが秘密だ。秘密の中の秘密だ。 *島地大等の『漢和対照妙法蓮華経』は下の『天台宗聖典』に収められています。 島地訓の『法華経』は稀代の名訳だと思います。 きわめて緊密な思考のリズムがあり、流れがあり、整合性があり、喜びがあります。 宮沢賢治を知るためにも必読です。 |
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