![]() 昨年(2008年)9月23日、宮沢賢治学会で発表をした後、午後から高橋美雄さんご夫婦に高村山荘を中心に、花巻の山村地域を案内してもらった。旧湯口村のあたりだ。 はじめに円萬寺観音山にちょっと寄って、そこから花巻市の広い眺望を楽しんだ。田んぼが広がる。そして浄水場も見える。 そのあたりの田は、豊沢ダムのおかげで田に開かれたところで、それ以前は雑木や潅木の広がる地帯だったようだ。 円萬寺の奥手には「湯口地区戦没者慰霊塔」があり、そこには太平洋戦争の戦没者として豊沢集落の方十二名の名前があった。高橋さんはその豊沢集落の出身である。 次には高村山荘。先に民俗資料館にも寄った。そして高村記念館にも行った。この記念館では案内の女性から聞いて、光太郎が炭を買って使っていたということを知った。あさよさんが尋ねてくれたのだ。お金はあっての山籠りだったのだ。そして光太郎と親交のあった花巻の医師、名をもらしてしまったが、その方もあさよさんのよくご存知の方だそうだ。あさよさんは光太郎と関わるひとたちと縁が深く、ちなみに高村記念館はあさよさんのお兄さんが設計されたものだという。近くには親戚の家もあって、あさよさんを通してこのあたりの人の繋がりが感じられてくるのだ。光太郎もその人々のつながりの中に迎えられて生を営んでいたはずだ。 それから行ったのは「音羽山清水寺」と号する清水観音。ここには八月九日に例祭前日の宵宮があって、多くの男女が出かけていったそうだ。あさよさんもその中学生のころの思い出を、わたしに聞えるともなく、ご主人と話していた。美雄さんももちろん宵宮に出かけていっている。鉛まで電車があったので、そう遠くはなかったのだ。 稗の田を見たのはそこからの帰り道だった。もちろん稲田もある。減反政策のために考えたものらしい。また、今日ではかえって稗の方が高く売れることもあるのかもしれない。こんなに一面に広がる稗田を見たのは初めてだった。稗田は色が暗い。だがその稗に太陽の光が差していた。 何か新しい未来が少し見えた気がした。この光の注ぐ稗田から。 |
| << 前記事(2008/12/31) | トップへ | 後記事(2009/01/06)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/12/31) | トップへ | 後記事(2009/01/06)>> |