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zoom RSS 《お水取りの十一面観音悔過》

<<   作成日時 : 2017/03/11 16:31   >>

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瀬谷こけし


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 招待してくれる人があってお水取りに行ってきた(3月10日)。最近はお水取りの「行」の部分に関して、厳しくするようになったようだ。見学に来る人の乱れや安易さに、別当になられた佐川普文さんがたまらなくなったようだ。今日は、見学者の人数も少なく、会式の内容も非常にはっきりと感じることができた。初夜と中夜だけ見て、(早めに)引き上げたが、十分以上に学ぶことがあった。
 初夜の行が「十一面観音悔過」から始まるのも初めてだった。その五体投地。板に身を投げる音が響く。---いや、それは重く激しく響くのだが、それ以上に床板の振動として、伝わってくる。今まさに何が行われているか、が。五体投地は懺悔の行だ。懺悔すべきことがあるのだ。自分にも、世のためにも。その僧侶の行。強く激しい。だが痛ましくはない。わたしが思ったのは、『ツァラトゥストラ』の「大いなる軽蔑の時」にも懺悔の行があるべきだ、ということだった。昨日書いた《『ツァラトゥストラ』の超人論(1)》を読んでくださった方には容易に理解がゆくと思いうが、「大いなる軽蔑の時」の強度は、五体投地のような激しい行によって、表現される形式を伴うべきなのだ。---これはわたしが『ツァラトゥストラ』を越えるための要点のひとつになるだろう。今日は何よりもそれを学んだ。
 もう一つ。直観音楽の演奏としてみれば、わたしたちIMAの演奏は「お水取り」に優っていると思う。奏せられ発せられる様々な音の意味を全力で聴いていたが、その上での判断だ。だが、その最高強度や、その印された最高強度から生まれてくる「ゆとり」という点では、もしかしたらわたしたちの方が負けているかもしれない。---そうではない、と思うが、しかし実際にやって見なければわからない。---それほどに、今日の五体投地は実質があった。右ひざを上げて、その右ひざに全体重がかかるように、体の塊を持って行くようにするのだ。---わたしの見たところでは、ほんとうにそれができたのは、ただ一回だった。7回目にもう一歩のところまできて、8回目に完成した。---ここにお水取り=十一面観音悔過の最も重要なところがある。
 ますます東大寺が好きになった。




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