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みんなの「喜多弘樹」ブログ


《さくら咲くゆふべの別れ》

2017/03/25 02:28
瀬谷こけし


《さくら咲くゆふべの別れ》
 ---喜多弘樹の論「樹木みな」にまなびつつ---


 『短歌研究』誌2017年4月号巻頭の「12ヶ月の歌」は喜多弘樹が前登志夫の歌三首を取り上げて吉野の桜を論じる。それについて論じてみよう。


引かれる三首の歌は以下だ。

>杉山にとだえもなしにさくら花流るるひと日ひと日を生くる 『樹下集』
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

 前の歌にはある程度親しんでいたつもりだが、こうして桜歌三首を示されると、とても自然に桜を迎えていた歌人の姿が見えて来る。それは西行の、身と心が添わなくなるような浮かれとはまた少し違うものだ。
 一首目の歌は桜の花の流れるさまを歌うが、私は杉山の中にではなく、それをやや距離を取って眺めやる場所にいるようだ。花は流れ来るのではなく流れつづける、とだえもなしに流れつづけるのだ。喜多が「いったい、どこから花が流れてくるのか」と問うのは正しい。その木々の姿が見えずに花だけが杉山に流れつづけるさまはとても不思議だ。花は風の道を流れてゆくのだ。だからかえって普段は見えない風の道が今はどこにあるのかを桜の花は教えてくれるのだ。だから喜多が「現世から他界へと流れていく一筋の〔…〕河だ」と説くのはとても正しい。普段は見えない道を花は流れてゆく。壮麗な景だ。
 だが、ここまで読んでくると、下の句の措辞がとても気になってくる。僭越を承知で言えば、わたしなら「流るるひと日この日を生くる」とするだろう。つまり、とだえもなしにさくらの花が流れる日は、一日しかない、いや、一日もつづかない、と思うからだ。だから前の「ひと日ひと日を生くる」とは、日ごと日ごとを生きるということではないか。毎日を、日々を生きるということでは。「流るる」の連体形は上の方の「ひと日」にかかるが、言ってみればここまでが非常に長い序詞で、その、この上なく壮麗な一日として、毎日を私は生きる、と、そのような生きる決意を歌った歌ではないだろうか。そのひと日のさくら花の流れつづける光景は、日々こころの奥にあって私を生かせると。
 「流るる」の連体形と「ひと日ひと日」の複数性との間の措辞の破綻をしっかりと受け止める必要があるだろう。それによって、歌は毎日毎日とだえもなしに流れる生死の川を壮麗な現実の日々のまことの姿として見せてくれるのである。

 二首目の歌を再掲しよう。
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』

 この歌の解釈の要点、あるいは難点は「行きゆきて」にあるだろう。どこかに原一男監督の映画《ゆきゆきて 神軍》への連想をさそう措辞だが、この歌では花びらの流れてわたってゆく距離の遠さ、はるかさが言い示されているであろう。なべての樹々がゆらぐほど激しい風の吹くある日のことである。その日はじめて桜の花びらは乞食の掌(て)にまで届く。やっと届くのである。そしてそのことによってはじめて桜の花が荘厳される。桜の花を聖化するのはまさにこの乞食なのである。乞食の掌にいっぱいの花びらが盛られることによって、つまり彼が花たちを美(よ)しとすることによって、桜の花は聖化されるのである。そのような乞食が山の奥のおくのどこかにいる。芭蕉が「こもをきてたれ人います花のはる」と元禄三年の歳旦に問うた問いの、これは前の答えでもあろう。

 三首目は、
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

である。これはどのような夕べだったのだろう。桜咲く春の季節といっても、西の空が美しく夕焼けに染まることもある。そんなときでも、夕焼けののちに陽が沈んで、光が雲のみを照らし空があわく透明な水色に変わり、さらに色が薄れ沈んでいって、暗くなってゆくことがある。わたしはその夕焼けののちの透明な水いろの空がとても好きなのだが、その暗くなってゆく時の間はそんなに短いものではない。「まで」と区切られる時は、ともあれひとつの死に別れの時だ。そして「まで」と時を区切るのは歌人自身だ。思いを死なしめるのは歌人自らだということだ。その思われびとはすでに歌人のところから去っている。だから歌人がみずから思いを止めるとき、その時ひとつの死が成就する。さくら咲くゆふべの別れと言えるだろうか。鎮魂はこののちは暗くなった空そのものが引き受けてくれるだろう。わたしもこの作を前登志夫のもっとも美しい歌の一つに数えたい。



画像
二月堂から大仏殿方面 2017年3月10日



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喜多弘樹の歌は解放する

2013/05/25 23:58
瀬谷こけし
 喜多弘樹の歌は解放する。こんな歌:

> くノ一に見張られをらむかすかなる衣擦れの音聴きて眠れず
> 緊縛師、ストリッパーと飲み終へてわれは銀河へ飛び込みにゆく
> 仕切られしネットカフェの暗がりにわれ思ふゆゑあれ居眠る
> 風俗嬢の手首に疵のありしこと今宵の銀河死者を渡せり
> 淋病をあたへたまひしこれの世の普賢菩薩のしなやかな指
> 林檎剥きし匂ひかすかに残りたるナイフに星座したたりやまず
> 羞ぢらひて大根白き脛さらす露店の灯火やさしかりけり
> 騙されてもくやしみならずぼろぼろの袈裟をまとひて冬の樹々立つ
> 酒、博打、女のいづれ好むやと問ひたまひける冬の御仏
> 一枚のおち葉とわれの手のひらが溶け合ひてゆくほのぼのとせり
   (『井氷鹿の泉』より)

 相変わらずの無頼派振りだが、天稟といい作風と言い、高校生の時と変わらない。わたしにとって、それは決して誉め言葉ではない。
 しかし、喜多の歌が、大いにひとの小さなこだわりを解放する歌であることは認める。だがそれでは五十年に一人の歌人にとどまるだろう。わたしはそれを惜しむ。

===補足=====

 これらの歌の中で、ただ「くノ一」の歌一首だけが五七調であることの気づかれたであろうか。彼も概ね七五調に囚われているのだ。そしてそのことの根本的な反省があるようにも見えない。(2013.5.25)

 わたしはというと、今日も4時間をかけて4本のレポートを添削した。この形で、わたしは学生と正面から対峙している。





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喜多弘樹は

2013/05/20 12:04
瀬谷こけし
 宮沢賢治というと、まず不思議な縁を感じる。大学生の頃、『春と修羅』は読み、『風の又三郎』などそれなりに読み、それなりに好印象はもっていたが、しかしそれほどの関心を持っていたわけではなかった。それで、京大短歌会のある後輩から、彼は宮沢賢治に傾倒している、ということを聞いた時、特異な感じがしたのを覚えている。彼とは、喜多弘樹のことだ。彼のことは彼が高校生の時の短歌を見て驚嘆した。翳らふ蘭のやうな奢りと、馨りと、誇りと、熱気と、闇とが、詩人でしかありえないひとつの運命を予感させたのだ。

 その後一度彼の家を訪ねた。近鉄の平城の駅から途中に一軒の家もない闇の中の道を30分近くも歩いただろうか。往路復路とも送ってくれた。彼が大学に入る直前のころのことだったと思う。東京からの帰りの夜行バスが事故を起し、自分の手前の席までつぶれて、死者も出た。彼自身は左足に骨折にいたらないケガをしただけで済んだと言っていたか。いや、骨折だけですんだと言っていた気もする。もう40年以上昔の話だ。体にも精神にも強靭なものが感じられた。

 当時から前登志夫の「山繭」に参加していた。前が彼のことを「五十年にひとりの天才歌人」と言っていたことをわたしは友人から聞いた。前の評価にわたしは何の異論もなかった。彼が今「山繭」の中心メンバーのひとりであろうことは想像がつく。だが、世の短歌界がなぜ喜多弘樹の時代になっていないのかをわたしは訝る。喜多弘樹の名前が、関西のごく少数の歌人の間でしか知られていないのは、なぜなのだろうか?

 わたしは、彼から、今宮沢賢治をどう考えているか、それも聞きたい気がする。


========追加===============

喜多弘樹の歌二首:

  稲妻の夜に撃たれしわが腕は若木となりてみどりしたたる

  夜ごと来るひかりの素足にせもののわれの言葉を踏みしだき去る

http://members3.jcom.home.ne.jp/seifujii/kita/2010/odai/20107utatane.html


 わたしもまた何かを記さなければならない、とだけ記しておこう。(2013.5.21)


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