アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「2017スイス旅行」のブログ記事

みんなの「2017スイス旅行」ブログ


《ゲーテを援用すること》

2017/09/05 23:53
瀬谷こけし
Hotel Maria
画像



 海外旅行の大きな楽しみのひとつは、はじめて出会った人と話をすることだ。今回のスイス旅行ではそれが少なかったのが残念だが(*。リゾート地のホテルでは夕食時にウェイターやウェイトレスが、客同士話をしやすいように繋いでくれることが多いが、今年はそんなことは一回だけだった。去年は私の方から「Brennnesselって知ってるか?」と近くのテーブルのドイツ人夫婦に話しかけたりしたものだが、今年はそんなことはしなかった。そもそもレストランでの食事をあまりしなかったせいかもしれない。だが一回だけ、シルス・マリーアのホテルの初日、アラカルトのレストランに行くと、一つ空けた隣の席の女性が、ちょっと試してみないかとワインを分けてくれたことがあった。それをいただくと、「どうか?」と尋ねられる。「優しい感じのワインですね」と答えると、「強くなくって…」と話を繋いでくれる。それで少し話していたのだが、彼女はルツェルンから来たと言っていたと思う。そうこうするうちに、間のテーブルに私と同年ぐらいの男女が座った。それでそれから4人で話すようになった。彼はケルンから来たと言っていた。そして連れの女性は声楽家だと言っていた。それで話が絵画の話になったが、彼は絵画は描く前には思い浮かべられていない細部を描きこんでゆくところに面白みがあると主張していた。それはそれで意味のある主張だと思うのだが、--ゲーテはエッカーマンとの『対話』のどこかで、画家は描く前にその細部まで思い浮かべることができなければならないと主張していた。ゲーテの言うことはもっともで、第一級の画家のほとんどはそれができていると思う。わたしはそんなことをそのケルンから来た男性に言った。---もちろん彼は気分を悪くした。彼はもう一度自説を主張し、わたしはもう一度ゲーテの考えを紹介した。---これは非常によくない事だっただろう。あるいはボッティチエリはモデルの腹部の虫刺され跡をそのモデルの亡くなった8年後にも正確に思い出して描いている、というような話をすればもっとよかったのだ。わたしがよく理解していなかったのは、ゲーテの権威の大きさだった。ゲーテの権威は今日でもなおあまりに大きいのだ。だから、ゲーテの名のもとに何かを言うと、ほとんど反論の口を塞いでしまうことになるのだ。
 それでその後は「ケルンからは何でいらしたんですか?」とか尋ねて、「車を運転して来た」「何の車で?」「BMWだ」「それはいいですね」とか、別の話題に切り替えた。スイスは何処がいいとか、ドイツはどこがいいとか。わたしは「どうしてシルス・マリーアに来たのか?」と尋ねられた。もちろんニーチェの名を出して答える。それには当然のように納得して、ドイツ文化の話になってくる。ヘッセとニーチェとどっちが上か、というような話も出てくる。それから、ドイツ音楽の話になる。「ドイツの音楽家で誰が好きか?」と尋ねられる。わたしが去年ライプチヒで買ったバッハのトートバッグを持っていたので、そちらに話が行ったのだろう。バッハ、ベートーヴェン、ブラームスはもちろんだけど、今はシューマンとシュトックハウゼンが好きだ、と答える。シュトックハウゼンはケルンの音楽家だと彼は自慢げに言う。シュトックハウゼンを自慢してくれるのがわたしにはうれしかった。そして最近はマルクス・シュトックハウゼンが大変有名なのだと教えてくれる。「マルクスは素晴らしい。日本で聴いたことがある。トランペットでフルートのように柔らかな音を演奏することもできて」等々話が進む。連れの女性はシューマンについて、「美しいけれど難しい」と言っていた。その「難しい」はなかなか説明も難しいようだった。---こんな風に、話がいくらか和やかになったが、彼の方はいくらか不満も残ったことだろう。ややあって、わたしの方が先に席を立って、またお会いしてお話をお聞きしたいものですとあいさつして、別れた。最初に話していた女性は、それより先に席を立っていたが、学校の先生で、学校ではとても厳しい先生だということだった。非常に聡明な印象のひとだった。
 ドイツ文化圏でゲーテを援用してものを語るのはやめた方がよさそうだ。


 * とはいえ、今年はシルスのニーチェ・ハウスでまったく偶然に学生時代の友人と会い、とても有意義な交流ができたということを付け加えておこう。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《コルヴァッチ山 2》

2017/08/26 23:21
瀬谷こけし

 8月7日、コルヴァッチ(Corvatsch)山ロープウェイの中間駅で下りて、こうしてピラミッド石を一つ発見したのだが、それからどうしようかというのが次の問題だった。と言うのも、次にしたかったことは最初に尋ねた女性たちの教えに従って(多分別の)ピラミッド石を探すことだったからだ。だからロープウェイの谷駅まで戻らなければならない。既に中間駅から200mほど下りているので、それをまた登るのはしんどい。このところ足をまったく鍛えていないわたしにとってはむしろ下る方が楽に思えたのだ。それで谷駅に向かって下りて行くことにした。だがそんな道はコースにはなく、パノラマ道を外れてショートカットしてゆく他はなかった。
 はじめは軽快である。苔亀石とか、ウサギよりも大きそうな生き物を見つけたりして順調だったのだが、すぐに限界に来た。何と10mほどの崖に出たのだ。ここは下りれない。左手は崖が更に高くなっている。右手はだんだん崖が低くなって見える範囲ではまだ3mはある。だからその先まで行けば崖がなくなっているかもしれない。---そうして100mほど右手に進んだが、崖こそなくなっていたものの滑落した石や岩だらけの山肌で下りて行けそうにもない。---ここはあきらめてパノラマ道まで戻ることにした。戻るのは上り道になるのでかなりこたえる。小さな峠を一つ越えて、カウベルの音が聞こえてきた時はすごくうれしかった。ハイカーたちの姿も見える。しかし、今は使われていない古いロープウェイの下を越えて更に南にゆくと、谷駅からは遠ざかるばかりだった。しかしともかくパノラマ道には復帰した。やがてスーレイ行きという道案内があったが、それが谷駅方面に行く道がどうかわからず、しかも道が踏み分け跡すらはっきりしていないところなので、見過ごし更に南に進む。だがこれではらちが開かないと思い、あるパーティーの人たちに尋ねた。どうすれば谷駅に行けるのだろうかと。そのグループのリーダーとみえる女性が地図を出してルートを検討してくれた。わたしは観光用の鳥瞰図しか持っていなかったのだ。その人が言うには、さっきやり過ごしたスーレイ行きの道を行くのが一番確実だ。だがこの草原をショートカットして行けるのならそうやってあそこの建物まで行けば後は行けるだろうと。わたしは草地の斜面をショートカットして行くことにしてそのグループと別れた。
  行くと、草地とは言え相当難ものだった。草地とはいえ、その下は崩れ落ちてきた角の立った石や岩だった。石の上には短い芝のような草が生え、石と石の間には背の高い草が生え、その間の空隙がどうなっているのかは見通しようがなかった。短い草の上だけを踏んで行かなければならない。そうやって北へ向かって下って行くと、この先へゆくなとばかりに、杭が打たれ二本のロープが張られていた。ロープの直径は6mm。これなら足を踏み外した時にも身体を支えられる。だが手袋がない。そこで手ぬぐいを出して右手に巻き、それでロープを掴むようにしていった。その冊の先は水が流れ、岩の落差も大きかった。こうして建物近くの太い道まで出た。太い車が通る道だ。
  その太い道を少し下へ辿ると、今度は幅15mほどの土石流の跡と思える土石道が下に続いていた(この土石流の上方、標高2300mあたりのところで先ほどブルドーザー二台が工事をしていたが、その工事の音が止まった。さっきのい岩雪崩のせいだろうか? 谷筋は違うのだが)。そこの土石流跡に乾いた牛のフンらしきものが一つだけ落ちていた。これはとても励ましになった。四つ足が歩けるなら人間も歩ける。こうしてわたしは道を外れ、土石流の跡らしきものの上を歩いていった。約1km程だろうか、掴まる木も草も岩もないので、自分が滑落しないように十分注意しながら下りた。下りた先には人が集まっていて、飲食を提供してくれそうな家が見えた。後で聞いたのだがここがアルプ・シュレイ(Alp Surlej)というところだった。

遠望者
画像

画像
これもピラミッド岩。
画像
苔石。
画像
四足動物。
画像
岩雪崩。

画像
この上のところまで引き返す。
画像
この草地をショートカットして下の道まで下りれるか?
画像
張られた6mmのロープで身を支えながら下りる。
画像
土石流の残した道?
画像
アルプ・シュレイの店。このヌス・クーヘン(Nuss Kuchen)はとても美味しかった。






記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《コルヴァッチ山》

2017/08/26 22:57
瀬谷こけし


画像



 8月7日の話。わたしがコルヴァッチ山に行ったのはそもそもニーチェのピラミッド石を探してのことだった。ニーチェ・クロニークの1881年のところに掲載されているピラミッド石を地元の人に見てもらって、この石を探しているんだがどう行ったらいいんだろうと二人目の人がコルヴァッチ山ロープウェイの谷駅の係りの人だったことによる。最初に尋ねたのはその谷駅のすぐ下の大きなレストランで開店準備の掃除をしているおねえさんだった。だがその人は自分の一存で答える自信はなく、店の奥へ行って、コンピュータの前で仕事をしている別の女性にそのプリントを持っていって更に尋ねてくれたのだった。そのデスクで仕事をしている女性は今度はPCを使って慎重にいろいろと調べてくれていた。その最初の結論は、あのロープウェイの建物に入って、そこから散歩道に通じる出口があるから、その道をシルス・マリーアの方に歩いていったらいい、ということだった。わたしはこの他人にいい加減な情報を与えてはいけないとして、最大限正しい情報を伝えようとしてくれたこの女性達の仕事をとても正しく、また有り難い仕事と考え、その情報に従って探さなければならないと考え、実行しようとしていたのだ。今から思うとこの女性たちの教えてくれた岩は、いわゆる「ニーチェ石」と言われているものだと思う。結局その道を辿ってその石を確認することは出来なかったのだが、多分滝の隣の道を下りてくる道だったろうと思う。
 だがわたしには尋ねた女性の答を完全に聞き取れた自信がなく、それでその理解を確認すべく、ロープウェイハウスで仕事をしていた若い男性に尋ねたのだった。その答が、前にも言ったロープウェイの中間駅からパノラマ道をシルス方面に行ったところにある、という答だった。その指示に従って見つけたピラミッド石の写真はすでに補足的に紹介した。---これで尋ねた二番目の人の教えに対する義務は果たしたのだ。そしてこの二番目の情報に基づいて発見したピラミッド石は、ニーチェがこんな標高2500mものところまで歩いてきた可能性は少ないのではないかというのが目下のところのわたしの判断だが、ニーチェのトリープシェンでの行動計画などを読んでいると、ニーチェが山登りに意外と強い足腰を持っていた可能性があることはは否めない。しかしそれでもコルウ゛ァッチ中腹2500mのこの石が『この人を見よ』に言われる「ピラミッド状の塊」だとは考えにくいと思う。だが『ニーチェクロニーク』に掲載されている石の写真がこの石かどうかは、実際掲載写真の先鋭度から言って目下のところ何とも言えない。二番目のに受けた教示に正当性がないとはとても言えない。それが今語って置きたいことの一つだ。



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《2017.8.7コルヴァッチの岩雪崩》

2017/08/08 16:32
瀬谷こけし

一度目の岩雪崩 13時43分撮影
画像


二度目の岩雪崩の走り 14時15分撮影
画像



 8月7日はほぼ一日中コルヴァッチの山中にいて実にいろいろな経験をしたが、わたしにとって最も驚いたのは、岩雪崩を見たことだった。それも雪崩の下の方にいて、もしこれが途中で止まらなければ、雪崩の流線の外に出るべく必死に動かなければならないと思いながら見たのだった。岩雪崩が起こったのは現地時間13時43分ごろ。急峻なコルヴァッチ山(3451m)の9合目あたりで、轟音とともに大きな岩が、もんどりを打ったように飛び出してきて、それに続いて続々と大小の岩や石や土が流れ落ちてきてやがて土煙が舞い上がって、谷筋を降りてきたのだった。それをビデオや写真に撮っていたりしたのだが、その流れ落ちる音が止まるまで安心ができなかった。岩雪崩は10分以上続いた。

 そんなことで、あ、終わったかと思いひと安心して再びパノラマ道を歩いていると今度は14時15分ごろまた大きな音がして、同じ谷筋を先行して大きな岩が暴れ飛び散りながら流れ落ちて来るのが見えた。続いてその岩のせいでバランスを失って落ちて来る岩屋や石、そして舞い上がりながら落ちて来る土煙。今回はさっきより小規模のようだったが、落下した岩がどっちへどうぶつかるかで、岩雪崩の規模も方向も変わってくるので、ともかくよく見ておかなければならない。今回も途中までで止まって、急いで逃げるような必要はなかったが、山のガレ場がどうしてできるのか、そして下まで落ちて来る大岩がどんな風にして落ちて来るのか、そんなことがわかるようになった。こういうことは、奥飛騨の方でも起こっておかしくないことなのだろう。
 何でこんな光景を見ることになったかというと、ニーチェのいう「ピラミッド型のブロック」を探していて、ニーチェクロニックに乗っている写真と記事を見せながら人に尋ねていたのだが、ある人からは、コルヴァッチのロープウェーの中間駅からパノラマ道をシルスの方に向かって歩いてゆくとこれがあるという風に言われ、それでもってロープウェーに乗り、標高2700m地点の中間駅まで来たが、終点のステーション駅までゆけば標高3303mの展望台までゆけることを知って、この高さはわがしがまだ行ったことのない高さだったので、安易なやり方ではあるが、行ってみたくなったのである。

 上の展望台では、左手近くに大きな氷河が見え、そして全周360度のアルプスのパノラマは、まったく素晴らしく、これがアルプスなのかと驚きとともに実感できたのであった。展望台では、モンテ・ローザ方向表示もあり、この日はとてもよく晴れていたので、多分あれがモンテ・ローザだと思える小さなちいさな白雪の山塊をみつけたが、それがそうだったかは確認できない。宿に戻って受付のおねえさんにモンテ・ローザの話をするとすぐに眉に唾をつけてまともに取り合ってくれないが(岩雪崩のビデオは感心してくれた)、去年イタリアのオルタの方からモンテ・ローザの形はしっかり覚えたので、多分あれだろう、と弁明はしておいた。

 帰路はロープウェーを中間駅で降りて、一応アドバイスされたように探してみようと思って下のコルヴァッチ・タールステイション(谷駅)まで、自分に行けるかどうかの見当をつけた。標高1900mぐらいまでの800mぐらいの比高差なので、比叡山から下まで下りるのとそう変わらない。このところずっと山歩きをしていないとはいえ、下りだから行けないことはないだろうと考えたのだった。そして道も、パノラマ道として整備され、そう無理な道ではなかった。まずはピラミッド岩までと思って歩き出したが、中間駅から離れれば離れるほど、今度は戻ってゆくための体力が心配になる。だが結局歩いて下まで(スールレイまで)行ってしまうことにした。そうすればシルヴァープラーナ湖の湖周の散歩道にも出られ、そこからならニーチェのピラミッド石にも出会えるだろうと思ったのだった。失敗と言うなら、はじめに谷駅に来た時、近くにあった店でパンとアップルショルレでも買っておくのを不要だと思ったことだった。実際買っておけばずっと楽だったろう。実際コルヴァッチ山中にはピラミッド型の石ならいくらでもある。そしてニーチェが中間駅近くまでの標高差を上ったはずがないのは明らかで、ただ写真の石の所在をアドバイスしてくれたひとに従ってみようと思ったのだった。

 その後、下り道の苦労は続くが、京都の滝谷山周辺、、滋賀の権現山周辺、そして津軽の岩木山での経験が活きて、そして下山の山中で尋ねた二人のひとのアドヴァイスのおかげで、疲れ果てたということを除けば、無事に下まで、シルヴァープラーナまで、下りて来れたのだった。

写真は一度目と二度目。どちらも走り始めは小さい。


=== 2017.8.18 写真二枚追加 =========

モンテ・ローザ?
矢印の山がモンテ・ローザではないだろうか? 
コルヴァッチ山ロープウェーの山駅展望台から撮影
画像


コルヴァッチ山腹のピラミッド岩。
(標高2500mほど)
ロープウェー受付の人が(私が持参した)ニーチェ・クロニークの写真を見て、
これじゃないかと教えてくれた「ピラミッド状の塊」はこれのことだと思う。
 後ろに見える湖はシルス湖(シルヴァープラーナ湖ではない)。
画像

記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《2017.8.5午前 チューリッヒ、明日の切符》

2017/08/06 05:24
瀬谷こけし

 明日はシルス・マリーアに発つ。そのためにどんな切符を調達したらいいのか知らず、ガイドブックを見てもよくわからなかった。それで中央駅に行った。赤い玉子のようなインフォメーションがあって、まずはそこで尋ねたが、頭注まで列車、それからバスということしかわからなかった。これで駅の構内の方に行くと、ライゼビーロー(旅行そこで会社)のようなものがあったのでそこに並んだ。
 州都のChur(クーアと詠むのかヒューアとよむのか知らない)まで列車(ICE)で行って、そこでサン・モリッツ行きに乗り換えて、そこからバスということのようだ。一枚のティケット、そして一枚の行程表を作ってくれた。84.60スイスフラン。一万円弱だ。途中帰りの切符のことを聞かれた。わたしは往復はいらない。片道だけで、戻ってこないとと伝えた。しかし彼はそれでも不安があるようで尋ねる。そこでスルスマリーアには6日いて、それからバーゼルに行くのだと伝えた。それで納得してティケットを作ってくれたのだ。
 こうして明日の準備はできた。
 そこでビューローを出たのだが、行程表を見ると、日付が今日になっている。それで戻って、これは正しいのかと尋ねた。行くのは明日だということを伝えて。もちろんチケットの方は明日の日付になっている。行程は同じなのだがと言いながら、彼は先の行程表を破棄して、新しいものを作ってくれた。作る前に何時ぐらいの列車がいいかと尋ねてくれて。わたしはだいたい10時ごろと答える。---それで新たに作ってくれた行程表は、先のものと内容では全く同じだった。しかし彼としては出発希望時間を尋ねずにさきのものを作ってしまっていたので、お互いにとても納得してティケット類を発行してもらうことができたのだ。そういうやり取りのあとは気持ちがいい。彼にしても「正しいか?」(richtich?)と聞かれたことは気持ちよかったようだ。正しい仕事を相手の確認の上でし終えたときは、普通の場合以上に気持ちがよくなるものだ。これは一般にドイツ人でも同じなのだが。そういう性格をわたしはとても好ましいものだと思う。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《2017.8.5 チューリッヒ夕方》

2017/08/06 05:15
瀬谷こけし

 夕方、仮眠から覚めて、かねてから探していたマウスを買いに出かけた。そのためには誰かから情報をもらわなくてはならない。お値打ちの(preiswert)にPC用のマウスを買えるところはないか? 教えてくれとお願いしたのは、宿の受付のおねえさんだ。コンゴの出身だということを昨日誰かと話していたひとだ。ここの受付のおねえさんはみな友好的で感じがいい。昨日さいしょに応対してくれて、荷物を預かってくれたおねえさんも、英語もドイツ語もうらやましくなるほど達者な、アラブ系かな思えるような褐色の肌のひとだった。そのひともとても親切だった。
 コンゴ出身のおねえさんは、中央駅構内のS10電車を降りて上がってすぐの向かい側にある店だとして「Interdiscount!」という店を教えてくれた。わたしが中央駅で降りるときはいつも「アジアの食べ物、持ち帰り」と銘を打ったケバブの店の前に出るので、その電子関係お値打ちの店には気づいたことがなかった。出かけて、言われたとおりにエスカレーターを上ると、左手に、今度は確かに「Interdiscount!」という店があった。カメラもあり、いろいろな電子機器を割安に売っているありがたい店だった。そこでUSBのコード付きの一番安いマウスを買った。店の人は、ほんとならもっといいものがあるので勧めたかったようで、「旅行者なのか?」とわたしに尋ねた。旅行者だと答えると、それならこれでいいと納得して売ってくれた。実際親切な人だ。今回はブルートゥースのマウスをたまたま荷物に入れ忘れて、これまでずいぶん苦労してパソコンを使っていたのだ。その苦労からこれからは解放される! 
 宿のおねえさんは、もう一軒「Medimarket!」」という店も安くて大規模でいいが、チューリッヒの郊外に行かないとないのだということだった。結局は先の店で用事がすんで、「Medimarket!」まで行く必要はなかったのだが。
 そこで早速用事がすんだので、夕方の時間、ペスタロッチ公園まで行った。そこで写真を撮って、芝生に座ったり、ベンチに座ったりして、ゆっくりと沈んで行く太陽と、やっと吹き始めた涼しい爽やかな風を、長く楽しんでいた。ドイツの夏の夕方というのも、とても気持ちのいい時間だったが、チューリッヒでもこの時間はとても素晴らしい時間で、この刻を逃さずに味わうために多くの人が屋外に出てくるようだった。通りにテーブルを並べただけのレストランや喫茶店で、何するともなく、通りを見流している人々も、ただこの刻を、この爽やかな風を味わうためだけに出てきて、コーヒーなりビールなりをテーブルに置いてもらっているようだった。
 ドイツでもそうだったが、夏は夜8時ごろまで、外が気持ちよい。激しかった一日を回顧するための心地よい時間なのだ。

記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


トップへ | みんなの「2017スイス旅行」ブログ

特集

「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ 2017スイス旅行のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる