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《『ツァラトゥストラ』の超人論(1) 大地と没落機械》

2017/03/10 03:05
瀬谷こけし


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   はじめに: 「国家の外」という問題

 先にわれわれは『ツァラトゥストラ』の「国家=新しい偶像」論を一通り見た。そこでも国家の「外」というものが考えられていたのだった。その「外」は「大地」に拠りどころを持ちつつ、大地の上のどこかの座(Sitz)において、空を仰ぎ、そこに虹を見出し、そして超人への促しに目覚めさせられるべき場所だった。しかしその時、その「国家の外」の場所において超人はどのように働くべきものなのだろうか? 超人の概念が導入され、その要点が説かれるのは『ツァラトゥストラ』の「序説」の三と四においてである。そこで超人は人間の存在を綱渡り見る把握と関連させられつつ、「超人は大地の意味である」(der Übermensch ist der Sinn der Erde )とか、「超人はあなたがたの大いなる軽蔑がそのなかに没することのできる大海である」(… der(=der Übermensch) ist diess Meer, in ihm kann eure grosse Verachtung untergehn)とか言われている。これらの言い方において注目すべきことは、超人が人間の没落(untergehn)との関連において語られていることである。人間は、自己目的ではなく、橋であり(eine Brücke und kein Zweck ist)、過渡であり、没落することこそ本来的なこととされているのである。「人間とは、一本の綱であり、[…]一個の危険な途上なのである」(Der Mensch ist ein Seil, [...], ein gefährliches Auf-dem-Wege)。
 『ツァラトゥストラ』」の超人論において、人間の存在はいわばインテルメッツォ、間奏曲である。そしてこの間奏曲性において、人間は国家の外にあり、没落に本来的に隣しているのである。そして、このようなツァラトゥストラの教えが人間にとって避けることのできないある必然的な強制力を捉えているとすれば、われわれはその教説を「没落機械」として分析することができるだろう。


1.大いなる軽蔑の時

 それではこの「没落機械」はどのように作動するのだろうか? それを説明するために『ツァラトゥストラ』は「大いなる軽蔑の時」(die Stunde der grossen Verachtung)、という概念を導入する。

> あなたがたが体験できる最大のものは、何であろうか? それは「大いなる軽蔑」の時である。あなたがたがあなたがたの幸福に対して嫌悪をおぼえ、同様に、あなたがたの理性にも、あなたがたの徳にも嘔吐をもよおす時である。(『ツァラトゥストラはこう言った』第一部、「ツァラトゥストラの序説」3、氷上英廣訳、岩波文庫。以下同じ。「序説」4も参照のこと)
> Was ist das Grösste, das ihr erleben könnt? Das ist die Stunde der grossen Verachtung. Die Stunde, in der euch auch euer Glück zum Ekel wird und ebenso eure Vernunft und eure Tugend. (『Also sprach Zarathustra (German Edition)』Kindle。以下同じ)

おのれの幸福に対して嘔吐をもよおし、おのれの理性に対しても、またおのれの徳に対しても嘔吐をもよおす時、それが「大いなる軽蔑の時」と呼ばれる「時」である。それは耐えがたい嘔吐感によってすさまじい自己嫌悪に苦しめられる恐るべき時である。その時ひとはおのれの幸福やおのれの理性、おのれの徳など、おのれの誇りにするものの貧弱さ(Armuth)、不潔さ(Schmutz)、満足のみじめさ(ein erbärmliches Behagen)に耐え難くなるのである。

> あなたがたがこう言う時である、「わたしの幸福は何だろう! それは貧弱であり、不潔であり、みじめな安逸であるにすぎない。わたしの幸福は、人間の存在そのものを肯定し、是認するものとならねばならない!」
> Die Stunde, wo ihr sagt: "Was liegt an meinem Glücke! Es ist Armuth und Schmutz, und ein erbärmliches Behagen. Aber mein Glück sollte das Dasein selber rechtfertigen!"

 すぐに見て取れることだが、ひとは「おのれの幸福」のこのようなみじめさに嘔吐をもよおすとき、同時に「幸福」の本来のありようを、本来の姿として、はっきりと自覚的に把握しているのである。わたしの幸福は、本来、現実の存在(Dasein)そのものを是認する(rechtfertigen)ものであるべきなのである。おのれの満足への軽蔑とおのれの本来性への目覚めとが、この「大いなる軽蔑の時」においては同時に生じる。「自己への軽蔑」と「自己の本来性への目覚め」という相異なる二つの方向性が、一体で分かつことのできないものとして、この「大いなる軽蔑の時」というステージにおいて、同時に生じるのである。この経緯は、「おのれの幸福」のみではなく、「おのれの理性」「おのれの徳や善悪」「おのれの正義」「おのれの同情」についても同じである。これらの小ささ、貧しさ、不潔さ、みじめさなどの、自己軽蔑の対象となる咎は「罪」ないしは「罪過」として(ドイツ語で「Sünde」として)概念化されるが、しかしそうした「罪」が自覚され、「罪」そのものが声を上げることは稀である。

> あなたの罪が天の審(さば)きを求めて大声をあげているのではない。叫んでいるのはむしろあなたがたの自己満足だ。あなたがたの罪のけちくささそのものだ!
> Nicht eure Sünde - eure Genügsamkeit schreit gen Himmel, euer Geiz selbst in eurer Sünde schreit gen Himmel!

 おのれの罪が天へと叫びを上げるということは稀で、ひとびとが天へと叫びをあげる時ですらその叫びを発しているのはおのれの自己満足であり、おのれの罪のなかにあるケチ根性そのものなのである。

 こうしてツァラトゥストラの「大いなる軽蔑の時」という教えは深刻な危機に直面する。「大いなる軽蔑」を行う者がまれであり、「大いなる軽蔑の時」という高いステージに達するまで自分を追い詰める者がきわめて稀なのである。その激しさに達するためにはほとんど稲妻に打たれるような強さが必要であり、狂気に突き動かされる激しさが必要なのである。そのような稲妻はどこにある? そのような狂気はどこにある? それこそが問題になるのである。

> だが、その舌であなたがたをやきほろぼすような稲妻はどこにあるのか? あなたがたに植えつけられなければならない狂気はどこにあるのか?
> Wo ist doch der Blitz, der euch mit seiner Zunge lecke? Wo ist der Wahnsinn, mit dem ihr geimpft werden müsstet?

 その答えが超人である。

> 見よ、わたしはあなたがたに超人を教えよう。超人こそ、この稲妻、この狂気なのだ!---
> Seht, ich lehre euch den Übermenschen: der ist dieser Blitz, der ist dieser Wahnsinn! –

 必ずしも明瞭に述べられているわけではないが、「大いなる軽蔑の時」というひとが体験できる最大のものに達するために、それに必要とされる強度をひとが受け取りうるために、超人が将来され、呼び出されているように見える。しかし、稲妻に打たれることは、人間にはなかなか難しいことであるように見える。しかしそれは、人間に可能な経験として幾たびか語られてきたことである。こうして稲妻=超人という最高度の強度的契機を導入することによって、少なくとも成立可能なひとつの経験領域として、「大いなる軽蔑の時」が持ち来たらされたと見ることができるだろう。だが、超人という強度的な装置が、国家の外で作動する没落機械の中にどのように(組み立ての)変化をもたらすのか、われわれはまだほとんど何も理解していない





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