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みんなの「雑記」ブログ


《試験問題を作った》

2017/07/25 19:38
瀬谷こけし

 明日期末試験を実施するのだが、その問題を作り、大学へ行って印刷をし、そして問題・解答用紙を大学に預けてきた。これでずいぶんとほっとした。
 今まで前日に問題の印刷を終えたようなことは一度もなく、いつも徹夜に近い作業で当日に間に合うように問題を作成し、当日の朝大学の印刷機で印刷をしていた。今年はなぜそうしなかったかというと、明日返してやることにしている宿題の採点と記帳が結構重たいから。それと問題作りとを一晩でこなせる自信がない。問題作りは、結構練度のいる仕事で、問題形式を前年度と同じにする場合も個々の問題はすべて作り直している。授業でこれは覚えておけと言った問題はやっぱり出題してやるし、このくらいの問題はできてほしいと思う問題はずいぶんと工夫して作る。同じドイツ語の三科目の授業だが、それだけでほぼ丸一日かかる。担当している「応用」の一科目は、「訳して鑑賞せよ」という問題形式に決めているので、要は出題する一篇の詩を何にするかという選択と決定だけで、あとはあまり手がかからない。「入門」の二科目は30問のすべてを、どれも一題一題、考えて作る。そうやって作っても期待以上にできてくれたことはほとんどない。まあともあれこれで一段落。明日試験を担当して、それから採点し、評価し、成績評価を出すことだけだ。これでほっとした。そして終わってみると、このためにいろんなことを後回しにしていたのだということが分かってくる。返信やいろいろなお礼もそうだが、スイス旅行の最後の二日の(リルケの「秋の日」のようだ)宿の予約も、やっとこれから手を付けることができる。まあ明日は6時過ぎまで大学にいることになるので、動き出せるのは明後日から。それでも、これでやっと肩の荷が下りた。半分だけ。---採点と評価も結構手間も時間もかかるのだ。
 そして明後日から一週間後にはチューリッヒに向けて出発。
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《シューマン》

2017/05/13 15:39
瀬谷こけし

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 音の響きを確かめたくて、そしてできるならシューマンのこころを探りたくて、何十年ぶりかにピアノを開けた。郡山で子どもたちのために買ったピアノだが、子どもたちも触らなくなって久しい。
 弾きたかったのは《早朝の歌》Op.133。シューマン自身が出版した最後の曲だという。そして、わたしの感じでは、早朝の霧のそよぎに、宇宙の動き、宇宙のリズムを感じ取っている曲だ。鍵盤を押してみて初めて分かったのは霧の重なり、霧の波の重なりを音符で示す非常に簡単で巧妙な作り方。最初の四小節だけ、ともあれたどれるようになった。
 ヘルダーリンが存在の全一性として語っていることと、非常によく呼応していると思う。これがシューマンの最高の曲ではないだろうか。チェロ協奏曲(Op.129)は、悲しみの場所(I)、この世からの別れの場所(=脱領土化)(II)、まではよいのだが(III)宇宙的な自然の力との呼応のところで、模索にとどまっていると思う。宇宙(自然)との一体性は、この《早朝の歌》のなかでもっともよくとらえられているのではないだろうか。和音のひとつひとつ、そしてその動きに、美を感じる。ヘルダーリン(たとえば『ヒュペーリオン』)の言う美も、このようなものだと思う。

> …そしてわれわれは歌(Gensang)となる。 (ヘルダーリン「平和の祝い」)


Schumann- Gesänge der Frühe, Op. 133: I. Im ruhigen Tempo
ピアノはアンデルシェフスキ。

https://youtu.be/Warv9woLZvY




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《三日月》

2014/09/27 22:57
瀬谷こけし
 イズミヤにバック(デイパック)を買いに行ってきた。往復とも歩いて。簡易な歩数計によれば9126歩。ちょっと少ない気がする。一万歩は歩いた感じだったから。あ、そう言えば左右の足首にそれぞれ1kgのアンクル・ウェイトを着けていた。だから余計に歩いたと感じたのかもしれない。目下リハビリ中。できれば毎日1時間は歩くようにしたい。
 それで、今日は三日月。後の月の十三夜は10月6日のはずだ。その日には先のお月見会のことを思い出してほしいと、久高のお月見仲間に伝えなくては。

 買ったバックは聞いたことのないブランドのもの(Mobby's)。20リットルぐらいの、軽めでポケットの多いものを探していたが、まずまず希望のものが見つかった。それにしても以前ユニクロで見つけて買った今使っているやつは使いやすく、驚くほど丈夫で長持ち。どこと言って悪い所はないのだが薄汚れてしまった。まずは一度洗濯してやろうと思っている。


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《わたしの幸福》

2014/05/02 00:51
瀬谷こけし
 昼、家で昼食というほどもない昼食をとって(腐らないようにと今日が期限の豆腐で)、その後、お茶を沸かし、袋入りのかりんとうを出して、一本、二本と食べ始めると、床にすわっていた娘がやってきて、テーブルにすわり、それに手を伸ばして食べはじめた。
 わたしも娘も、たくさん食べたというわけではない。少し大きめのものではあるが、二本か三本ぐらいのこと。
 「これ、この甘さ、何て言ったらいいんだろう、強いね」
 「かりんとうだし、黒糖の…」
 「そうだね。たっぷり甘いね」
 そんな会話をしていた。

 わたしにとっていちばん幸せを感じるのは、娘とのこんなひとときなのだ。
 わたしの人生に、こんな娘がいてよかった、とつくづく思う。



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2003年の花札

2012/10/22 23:00
瀬谷こけし
 メモリーを整理していたら出てきた。2003年の年末の写真。このころ花札をして遊んでいたことをすっかり忘れていた。もう久しくやっていない。役もやり方ももう忘れてしまった。楽しかった日々だったが。



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オークションと人生の楽しみ

2010/01/19 17:00
瀬谷こけし
いつでも手に入ると思うと、あわてて飛びつくようなことはしない。だが、今ここで逃すとなかなか手に入らないと思うと、無理をしてでもゲットしようとすることがしばしばある。ここ何年か、Yahooオークションで物を買ったり、買いそろえたりしているので、そんなことを強く思う。買うのはほぼすべて中古品だし、それだから安くて買えるものがほとんどだ。この値段でこれが手に入るなんてまず滅多にないことだと思うことがしばしばだ。そのために、必要性を無視して買ってしまうことがある。わたしは、比較的それが少ない方だとは思っているのだが。

 時には商品が、通常の販売価格をこえて落札されてゆくこともある。昨日見ていた商品がそれだ。わたしも手に入れたくて入札したのだが、それは調べてみると、\19800で買える品物だった。滅多に目にすることのない商品だが、Webで調べれば、当分はいつでもその価格で手に入れられる。調べた上で、\16000まで入札した。中古とはいえとてもきれいな商品で、説明もていねいで、出品者の信頼度も高かったからだ。だがわたしより高い値をつけた人がいた。\16500の値がついたところでわたしは下りた。だがその競売はさらに続いた。結局、ほとぼりがさめたところで見てみると、最終値\21500で別の人に落札されていた。ご苦労なものだと思った。

 わたしは、いい品物だとは思ったが、頭の中で使い方を考えていると、どうもそんなに使う場面の広そうなものではなかった。今日にでも急いで手に入れようと思うものではなかった。

 どんなカテゴリーの品かは隠しておきたいのだが、趣味のための器械にあたるものだ。まだその先に手に入れておきたいものがある。あればあったで、新しい使いみちも見つかって、結構有効に使えたかもしれないのだが、急かなくても手に入るものだと思うと、あわてない。人生はけっこうそういうものかもしれない。人生とは、オークションに参加しているということかも知れない。オークションがあるために、ますます購買欲をかき立てられているというのはほんとだ。だが、とりあえず、オークションのおかげで人生が楽しい。-----だが、注意してほしい。オークションそのものが楽しいということではない。オークションがあるので、いいものが手に入り、それを使うことで人生の楽しみが増えているということだ。そこのところを逆に考えているわけではない。少なくとも今のところは。



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無限責任会社

2009/06/28 21:22
瀬谷こけし
哲学者とは何だろう?
知恵の友だ。
友とは何だろう?
その相手に対して無限の責任を負う者のことではないだろうか。
そうであれば、哲学者は知恵に対して無限の責任を負う者のことだ。

そんな因果な人間が、少数だが、大昔から存在した。
そんな因果な宿命が大昔から存在した。



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チャピーが死んだ

2009/06/15 14:42
瀬谷こけし
 犬のチャピーが死んだ。朝、妻に起こされた。急遽妻が電話をかけて、犬の葬儀屋さんに取りにきてもらった。パソコン用の段ボールにごみ袋のビニールを張り、その上にさらにレジャー・シートを張り、その上に死んだチャピーの顔の左側が下になるように入れ(土の上に顔の左側を下にして死んでいたので)、そして掛けておいた毛布をそのままかけ、買ってきた花を入れ、そして餌を入れた。そして一時間ほど葬儀屋さんを待った。葬儀屋さんは数珠まで持ってきて、犬の手にかけろといったが、そんな無理まではしなかった。右の前足の上に置いた。そして葬儀屋の軽ワゴンの中に移し、合掌だけして送った。
 何ともつらい。元気がなくなってからは、毎日声を掛けるようにしていた。「留守番頼むぞ」とか。そしてわたしは昨晩飛騨から帰ってきたばかりだった。起き上がりもしないので、元気がないのはわかっていたが、そのままにして家に入った。

二三週間前から様子がおかしかった。久しぶりに散歩につれてったのだが、途中で坐りこんでしまった。そんなことはそれまで一度もなかった。歩くのも苦しそうで、途中から戻りたがっていた。めずらしいことだった。妻が友人から話を聞くと、「嫌いな餌だと食べなくなるよ」ということで、最近餌を変えたためなのかと思って、しばらくして餌をもとのものに戻した。変えたほうの餌に残留薬品があったということでもないとは思うが、原因は不明だった。爪がまた長くなって、少し歩きにくそうにしていたので、もう少ししたら爪を切ってやろうと思っていたのだが。爪が死因というわけではないようだ。原因は不明だった。あるいはフィラリアのようなものだったかもしれない。結局、医者にもつれてゆけなかった。

わたしが小学生のとき、飼っていたチルという犬が病気になって、兄と姉とわたしと三人で江の電の鵠沼駅の近くの獣医のところまで夜中に交代で肩に負って連れていったことがある。そのときはその医者のおかげで治ったのだが。今回はなぜかはっきりと言えないが、そういうこともできなかった。夜中に行って見てもらえるような獣医がなかったのが大きいかもしれない。

今の家で犬を飼うこと自体無理が多かったのかもしれない。


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上高野は今日田植えをしていた

2009/05/22 00:22
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上高野 田植えの翌日
(2009.5.22)


瀬谷こけし
上高野のある一枚の田の話。

一昨日、田起こしをやっていた。

昨日は水を張っていた。
代かきをしたのだろう。

今日、田植えをしていた。
二三人で。
高齢(熟年)の男性。

もちろん機械を使っての田植えで、田起こしだ。

(いずれも車で通り過ぎるとき、一瞬見ただけだ)

田植えは、やはり一年の画期だ。
(これからはその実りをまつ日々)

上高野に住んで十数年が経ち、
そう感じるようになった。
  (2009.5.21)

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とある辞典の「王権」の項を書いた

2009/02/13 02:24
瀬谷こけし
とある辞典の「王権」の項を書いた。
だがこれはなかなか難しい。
まず「王権」をたとえば英語で何という語に対応する概念と考えたらいいのだろうか?
「王たること」とか、「統治権」とかいうような意味の語を日本では「王権と」訳すことがあるだろう。
また「王権」と「主権」を同じ語の訳しわけと見ることもできるだろう。
結局わたしは英語の "sovereignty" を日本語訳したものを基本的に「至上権」と訳し、これを「王権」ともいう、ということで通すことにした。ここまででも難モノだったのだ。だがそうした用語と概念の一貫性を通しておかないと、欧米語でなされる議論を一貫して読解したり、紹介したりすることができなくなってしまうのだ。こんな苦労は、日本語でわかったように王権、王権と言っている人には少しも通じないのだろうが。そう、この「王権」という語を、日本の王権についても通用するようにさせなければならないのだ。ほとんど無理難題を押しつけられたに近い。
だがまあそれはいい。
だが、これを仕上げて感じたことは、
わたしには論文でないものは非常に書きにくいということだ。もともと他人の説の紹介などは好きでもないし、現在の学問の水準をなしている議論などに通暁しているわけでもない。尖端の議論と言われるものも読んでみると疑問符のつかないようなものは稀だ。いかに概念を明確にせずに、ボロボロのまま、勝手にわかったような気になって盛り上がっているものが多い。それが実際評判の本だったりするのだ。まあそんなこともどうでもいいのだが。

わたしが辞典の項目のようなものが書きにくいもうひとつの理由は、ものを書く以上自分の新説のヒントでも入っているものしか書きたくないのだ。要するに自分なりに結論にもってゆくような議論しかしたくないのだ。辞典だとそれができない。鬱屈がたまる。だが今回はジョルジュ・デュメジルという碩学でもあり、面白い人でもあるひとの著書を扱ったので、なかなか楽しいことであった。だが彼のいう印欧語族の三機能区分説は、ドゥルーズの戦争機械論を踏まえた上でも非常に驚くべき展開の可能性を残しているのだ。ほんとはそのことを書きたかった。書いてもよかったのだろうが、2400字程度という字数制限ではやはり書けない。今回はそのテーマの端緒が見つかっただけでもよしとしなければならない。

そしてこれもわたしにとっては新発見なのだが、日本ではさる方のことを「天子」とか「天子様」とか呼ぶことがあるが、この「天子」という語が仏教由来の語である可能性があるということに気がついたのだ。それについても今は沈黙しておこう。ごく簡単なアウトラインだけでも固められたら、いずれちょっとだけでも書いてみようと思っているが。

とても苦しい日々だったが、久しぶりに是非もなく勉強をした。400頁ぐらいの本なら一日で読んだ。250頁ぐらいの本なら一日二冊読んだ。読めるくらいの内容しかない本が多いということだ。だが、こちらの姿勢によるところもあるが、デュメジルのものは一章を読んだだけでくたくたになった。ドゥルーズの本なら数頁が限度だ。結局読んでも身にならない本が世の中には満ちあふれているということだ。だが愚痴をいってもはじまらない。

今年の十二月に発行される予定だ。




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タイトル 日 時
法隆寺金堂焼損 (60年前の今日)
法隆寺金堂焼損 (60年前の今日) 昭和二十四年一月二十六日。60年前の今日、法隆寺金堂で火災が起こったという。 それに父は東京から駆けつけたという。 原因究明のためだったようだ。 それが電気器具の誤使用(?)のせいだということを父が明らかにした、と母から聞いた。 (電気座布団の不始末と聞いた気がするが、そんな昔から電気座布団があったのか、目下不明) ...続きを見る

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2009/01/26 18:25
『鶴見和子を語る』という本を読みはじめた
『鶴見和子を語る』という本を読みはじめた  『鶴見和子を語る』という本を読みはじめたが、その中で鶴見俊輔さんがこう語っている。 ...続きを見る

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2009/01/06 01:41
鉄砲町の伯父が亡くなった
鉄砲町の伯父が亡くなった 6月27日、鉄砲町の伯父が亡くなった。そう電話があった。通夜の予定もまだ立たないらしい。おじさんには特に息子が可愛がってもらっていた。お菓子屋さんをしていて、行くといつもたくさんお菓子をもらっていた。義父のすぐ上の兄に当たる。丈夫な人だったと思う。飛騨弁では「キツい」人という。義父と二人でよく茸取りに行っていたらしい。白川村の尾神の出身だ。御母衣ダムで沈んだ村だ。もう、その尾神の村の生活のことを知っている人も少なくなっただろう。義父と同じく、昔の白川村の生活をその身で生きてきた人だ。飛騨の人... ...続きを見る

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2008/06/28 02:48
3月27日 ブログを始めてちょうど一年
3月27日 ブログを始めてちょうど一年  昨年の今日、ブログを開始しました。今年も二三日前に、京都大学の卒業式があったようです。今年はどんな式辞が述べられたのか?  ともあれ一年が過ぎました。読んで下さったみなさんに励まされての一年でした。  アクセス数は1万7千あまり。  有難うございました。 ...続きを見る

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2008/03/27 11:36
禅の思想は
禅の思想は 私の理解では禅は神性や仏性や霊性などというものについてきわめてきびしいのです。 そんなものあるわけがないという思想を徹底させているのです。『臨済録』のきびしい言葉はそうした饒舌をまったく寄せつけないものです。 そのような禅の思想が、わが国の思想と言葉をどれだけ清潔・潔癖なものにしたか。素晴らしいものです。 わたしはそう思います。 ...続きを見る

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2007/07/18 02:10
疲れた時には 京都郊外雲ヶ畑
疲れた時には 京都郊外雲ヶ畑 疲れた時には寝てしまうことが多くなった。年のせいだろうか。家に戻ってまずは一時間か二時間寝る。そうしてそれから夜の部の仕事に入る。 ...続きを見る

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2007/06/29 00:10
死者の思考 補足
死者の思考 補足  >いわばその「死者の思考」が、(残された)「われわれの内で思考している」、というクロソウスキー的な問題もここに絡むのですね。  ピエール・クロソウスキーの一節を拙訳で紹介しておきます(『ニーチェと悪循環』ちくま学芸文庫版131ページ参照)。  「われわれは、われわれの内で考えている者、考えつづけている者が、他者たちではないのかということを正確には知ることができないのである。」( "... nous ne savons pas toujours au juste si ce ne son... ...続きを見る

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2007/06/05 02:11
トヨタ財団研究助成
トヨタ財団研究助成 トヨタ財団の研究助成の応募書類を書いて出した。 夜の十時半までかかった。あの研究室でやっていた。 今日の朝に電話で承諾をもらって、それから始めたのだった。 一日づけ。 慣れてしまった。一夜漬けにも。 支離滅裂なところがあった、と自分でも思う。 ...続きを見る

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2007/05/10 23:57
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京大卒業式式辞 「昨日京大の卒業式に行った --- 大学よりも大きな書物へ」について ...続きを見る

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昨日京大の卒業式に行った --- 大学よりも大きな書物へ
昨日京大の卒業式に行った --- 大学よりも大きな書物へ 昨日京大の卒業式に行った。放ってばかりいた息子の卒業式を見るためだ。 会場の雰囲気は好かった。卒業生たちの節度ある熱気は未来への手応えを十分に感じさせてくれた。 卒業証書授与も悪くない。 問題は総長の式辞だ。私が会場の一番遠いところにいたせいか、総長の声が反射するノイズにくるまれてほとんど何も聞き取れない。 だが繰り返し確実に何度も聞えてくる言葉があった。それは「京都大学は」という言葉だ。一分間に二三回出て来ていたようだった。 そのスピーチに私は段々うんざりしてきた。二つのものが間... ...続きを見る

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2007/03/27 11:29

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