アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「スイス」のブログ記事

みんなの「スイス」ブログ


《バーゼルのシュパーレントーア(Spalentor) 2017年8月12日》

2018/03/24 01:22
瀬谷こけし

シュパーレントーア
画像

画像

近くのユダヤ人街
画像



 去年この塔門を見た時はこのあたりのことをまったく知らなかった。今も大して知っているわけではないが。この塔門にちなむ「シュパーレントーアヴェーク」通り48番地にニーチェは住んでいた。そしてそのニーチェの自宅に、1785年10月、出版社シュマイツナーの紹介状をもって二人の青年、ヴィーデマンとケーゼリッツ(ペーター・ガスト)が訪れた。彼らはふたりともニーチェの『悲劇の誕生』に深くインスパイアーされて、それゆえの訪問であった。とりわけケーゼリッツはこれ以後献身的に清書などによってニーチェの著述を助けた。1881年8月、永遠回帰の体験についてニーチェがはじめて漏らすのもこのケーゼリッツにだった。

 わたしもまたバーゼルに行く機会があったら、このシュパーレントーア通り48番地を訪れるだろう。このあたりがユダヤ人の多く住む場所の近くだということを、去年の夏わたしは身をもって感じたのだった。わたしがあたりをうろついていると、それを不審に思ったユダヤの聖職者が近づいてきてわたしに「何かお助けしましょうか?」と尋ね、わたしはそれに「それには及びません(ナイン・ダンケ)」と答えたのだった。この距離感と緊張感、それはニーチェの心の中にも強く残っていたに違いない。

  

記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《チューリッヒ大学》

2017/12/15 01:42
瀬谷こけし


画像

画像

画像



 チューリッヒ大学の印象というと、この大学センターの彫像に感じられる学生の男女同等視の意識が一番印象の強いことだった。ルー・ザロメがこの大学にいた1880年当時、女子学生を受け入れる大学がどれだけあったのだろう。ルーの本を読んでいたとき、この町には女子学生が多い、それも医学部で医者を目指す女性が多いということがどこかで書かれていて印象に残ったが、それは大学のいろいろな設計や造形にも感じられたことだった。十分に歩き回ったりする余裕はなかったが、少しコネクションをもってしばらく行ってみたいと感じる大学だった。壁の落書きも井上有一の書に劣らぬ面白さだと思う。スイスでは病院のことを「Spital」と呼ぶこともここで初めて知った。



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《20170814 ラインの滝に行くことにした》

2017/08/15 12:30
瀬谷こけし

9時46分発、S24の電車で。反対方面行きに乗らないように、そして途中までのものに乗らないように。Sバーンの発車時刻表示冊子を調べて、Thayngen行きでよいのを確認した。方向としては空港方面。この知識は明日の出発にも役立つ。

 乗る電車を探す前に昼食用のパンを買った。6.60フランで、安め。それを持っている小銭だけでちょうど用意できて、ちょうど払えたので、売り子のおばさんもそれを確認してちょっとうれしそうだった。この小銭昨日になってやっと使い方がわかるようになってきた。二分の一フラン以上の硬貨は周囲にギザギザがついているので、それで別に取っておく。その他が、大きさではなく額によってほんとの小銭になるのだが、ずいぶん集めてきたが、調べてみれば5,10,20の額のものしかない。単位がサンチームだとしたらスイスの商品は5サンチーム以下の単位の価格のものが小売りされていないということだ。これがわかると途端に小銭が使いやすくなった。結局、ユーロ、セントの硬貨体系よりも使いやすそうだ。


記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《20170814 最後の観光はサンクト・ガレン少しだけ》

2017/08/15 12:17
瀬谷こけし


画像



 ここにもペスタロッチの香が少しだけして、公園がその花壇と女性像でよい印象が残った。しかし最終的にはスイスの印象を次のようにまとめておきたい。

>Oh, Japaner! Gib Acht!
>Die Raechnungskräfte der Sweizerinen sind wunderbar!

>おお、日本人よ、気をつけよ!
>スイス人女性の計算力は驚くべきものだ!



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《20170808 夕方の読書 シルス・マリーア》

2017/08/09 04:08
瀬谷こけし


画像




 ちょうど夕方の鐘が三回鳴ったころ、つまり夜の7時ごろ、ある作業場の外で本を本でいる人がいた。いっぱい字の詰まった本だった。
 少し離れて写真を撮らせてもらった。断りなしに。ただ彼の方に手を合わせて。
 屋内だともう暗くて、本が読めないのだろう。
 セガンティーニの世界にいるようだった。


 
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


《この夏》

2017/06/12 21:39
瀬谷こけし


画像



 今年の夏はシルス・マリーア(スイス)に行こうと思っている。ニーチェが『ツァラトゥストラ』第二部を書いたところに、同じ時期に行っておきたいからだ。シルスに一週間ほど泊まりたいと思っている。今年の春はラパッロ(イタリア)を逃してしまった。そこは10日ほどで『ツァラトゥストラ』第一部を書いたところ。去年8月のタウテンブルクから、あるいはローマのサンピエトロ聖堂から、あるいはメッシーナから、あるいはジェノヴァから、オルタ湖畔のモンテサクロを経て、134年前のニーチェの足跡をたどりたいから。とりわけルー・フォン・ザロメとのつながりと距離とをできるだけ的確に押さえたいと思っているからだ。シルス・マリーアは1881年8月はじめの永遠回帰の体験の場所でもある。ルーと共有していた思想(生と大地の思想)を離れ、永遠回帰の体験こそを自分の思想の本源として確認するために、1883年の夏はシルスに行ったのではないだろうか。そこで『ツァラトゥストラ』第二部を書くのだが、それは第三部の永遠回帰の思想を打ち出すための準備でもあり、整理でもあっただろう。
 それで飛行機を探していると、想定していたバーゼル行きのフライトの本数が少なく、そのため割高になってしまう。こうなるとチューリッヒ着・発で動いた方が割安だ。だがバーゼルは是非行っておきたいので、(そしてできればルツェルンも、そしてイタリアのコモ湖のあたりも)いったいどんな風に予定を組めばいいだろう。1882年の5月に、ニーチェはいったんバーゼルに戻って、それからルツェルンで(ルーたちと)再開している。ルツェルンはニーチェにとって、ワグナーと親密に過ごしたいわば彼のアルカディアだ。そうしてニーチェの土地との関係を掴んでゆきたい。ローマのポリベリエラ通りで、サンピエトロで、オルタのモンテサクロで、タウテンブルクで、ライプツィッヒで、そしてベルリンのグリューネヴァルトで、そうした土地に対するニーチェの感覚をわずかなりとも掴んできた。今年はシルス・マリーアで、そしてスイスの幾つかの場所で、掴んできたい。シルスとバーゼル、とりわけこの二か所。



記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


トップへ | みんなの「スイス」ブログ

特集

「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ スイスのテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる