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みんなの「短歌研究」ブログ


《『短歌研究』勉強帖 2017年1月号》

2017/04/05 21:07
瀬谷こけし


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---加藤治郎の岡井隆論にまなびつつ---

 遅れ馳せだが2017年1月号「『短歌研究』を勉強しよう。巻頭の「12ヶ月の歌」は加藤治郎が「蒼穹は」というタイトルで岡井隆の『人生の視える場所』の中の「一月五日のためのコンポジション」を取り上げている。引用するのは次の三首だ。

>蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶
>戸の外を流るる音のしろがねの気配のごとく寒さきて居り
>日のさせばそこはかとなき青空も巻きたる雲もいのちとぞ思ふ

 一首目の歌を加藤は「信濃路の夕空を遠望している。蒼と蜜の色が鮮やかである」と言う。しかしこの読解の出発点からしてわたしにはよく理解できない。加藤はさらに続ける。「蒼穹は器のようだ。器を傾けると蜜は細く垂れ、雲の流れとともに拡がってゆく。至福の風景である。蜜は甘美だ…」。やはりわからない。蜂蜜のビンを傾ければ細く蜜が垂れ流れてゆっくことは日常の経験からたやすくわかることだが、それが空を舞台に広げられるどのような天然現象を描いているものか、ほとんど掴むことができない。あるいは加藤の説明はやや当を逸していて、岡井の歌はほんとうは一筋糸を引いて流れてゆくような「蜜」のさまを言っているのではなく、青空の端のところから、テーブルの上に蜜が広がってゆくように、西空いっぱいに広がってゆく夕焼けの広がるさまをこう詠んだのではないだろうか? この垂れた蜜液のように広がってゆく空の色の移り変わりは止めることができない。移り変わり過ぎ去ってゆくこの流れこそ時であり、それは、なにものにもとどめることができない。この流れを、抗わず、わたしも肯定しよう、と歌人は歌っているようである。ならばよく理解できる一首だ。しかしこの肯定には、わずかではあるが、コンフォーミズムの、順応主義の、においがする。それは歌から肯定の手前の契機が見えてこないからだ。時は、この歌人にとって、いつから「伴侶」になったのだろうか? いつ伴侶にしたのだろうか? これがおそらくは大きな問題である。

 二首目の「戸の外を」の歌は、冬の夜寒が足元から近づいてくるような気配を「流るる音のしろがねの気配ごとく」と、ひんやりとしたしろがねのイメージを、平仮名の音で示すことによって、実に的確に気配を語ることばとしている。さほどシャープには見えないところに、鋭さを抑えた、妙観の刀のような名工の味わいがある。

 三首目の歌も空を歌っているが、もう一度引いておこう。

>日のさせばそこはかとなき青空も巻きたる雲もいのちとぞ思ふ

雲に隠れていた太陽がそこから現れて、光が青空や巻雲に注がれる。すると、空のその辺りの粒子も、そして巻雲を作る水分などの粒子も、日の光を受けて、何か喜ばしいような表情を見せる。そうなのだ、明るい光に会って、その喜びの表情を見せる空や雲、そのような変化や受け止め、喜ばしい受け止めは、それらのものたちの生命の表現なのだ。われわれは例えば原っぱの草が、日の光を受けると、喜ばしい表情に変わることを日ごろから経験することができる。そしてそこにそれらのいのちを見る。その喜びの表情を、歌人はそこはかとない青空にも、空の上で巻くようにする雲にも見るのである。そこには、本質的に、生命あるものと生命のないものとの違いは存在しない。ひとはそのようなものの感じ方を失ってしまったのだろうか。加藤は「どうといいうこともない青空も雲もいのちと思う。自らの生を風景に託している」と読む。しかしこれは正しい読みだろうか? 歌人はもっと先を、生命一如の感じ方に進み入っているのではないだろうか? わたしにはそう思える。


 他の作品として「新春三十首」を取り上げる。岡井隆「旧友の死そして私の授賞式前後の歌」、そして馬場あき子「眼鏡と夢」である。新春のめでたい作であると思われるが、しかし簡単に見るにとどめよう。
岡井作品では次の二首が気になった。
>わたくしがなんの果実をみのらせしや前のめりに動く烏(からす)みたいだ
>妻とともに壇上にカメラをうくるとき新しい雪をふむ音がした
 一首目。こう言われると、そういえば烏は前のめり風の生き方のスタイルをしているように見えるな、それは何なのだろう、という風に考えさせられる。ここには何かの発見があるのだ。そんなかそやかな発見を歌人は幾つも蓄えているのだ。敏な感覚を開いて生きている人のようだ。
 また二首目では、「うくる」と平仮名で書かれると、これは「受苦」とか「銃弾を受ける」とか、受動性の苦しみを連想させ、また新雪を踏む音をわたしもとても楽しむのだが、彼が壇上で聞いた新雪の音とはどんな音だったのだろうか、あのキュッキュという締まった音なのだろうかなど、これまたいろいろと考えさせられる。人生を、自然の様々な音、様々な形の印象とともに生きる人は、とても豊かな人生を送っているひとだと思う。岡井隆のそんな面を、今号ではとてもよく感じさせられた。

 今号の馬場作品はわたしには苦しい。
>目先のことに飛びつきやすく忘れやすく稀に冴えてるひと日仕事す
 三十首を読んで、この述懐に納得させられたと言うと、たぶんとても失礼なのだろう。だが明澄な意識が稀にしか訪れない日々をすごすということが、歌人としてどのような作を残すことなのか、ということは示してくれたと言えるだろう。以下は黙す。

以上
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《『短歌研究』勉強帖 2017年4月号》

2017/03/26 18:47
瀬谷こけし


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---喜多弘樹の前登志夫論「樹木みな」にまなびつつ---


 少し休んでしまったが「『短歌研究』勉強帖』を再開しよう。2017年4月号から。欠いてしまった号もまた補ってゆくつもりだ。
 2017年4月号巻頭の「12ヶ月の歌」喜多弘樹が前登志夫の歌三首を取り上げて吉野の桜を論じる。引かれる三首の歌は以下だ。

>杉山にとだえもなしにさくら花流るるひと日ひと日を生くる 『樹下集』
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

 前の歌にはある程度親しんでいたつもりだが、こうして桜歌三首を示されると、とても自然に桜を迎えていた歌人の姿が見えて来る。それは西行の、身と心が添わなくなるような浮かれとはまた少し違うものだ。
 一首目の歌は桜の花の流れるさまを歌うが、私は杉山の中にではなく、それをやや距離を取って眺めやる場所にいるようだ。花は流れ来るのではなく流れつづける、とだえもなしに流れつづけるのだ。喜多が「いったい、どこから花が流れてくるのか」と問うのは正しい。その木々の姿が見えずに花だけが杉山に流れつづけるさまはとても不思議だ。花は風の道を流れてゆくのだ。だからかえって普段は見えない風の道が今はどこにあるのかを桜の花は教えてくれるのだ。だから喜多が「現世から他界へと流れていく一筋の〔…〕河だ」と説くのはとても正しい。普段は見えない道を花は流れてゆく。壮麗な景だ。
 だが、ここまで読んでくると、下の句の措辞がとても気になってくる。僭越を承知で言えば、わたしなら「流るるひと日この日を生くる」とするだろう。つまり、とだえもなしにさくらの花が流れる日は、一日しかない、いや、一日もつづかない、と思うからだ。だから前の「ひと日ひと日を生くる」とは、日ごと日ごとを生きるということではないか。毎日を、日々を生きるということでは。「流るる」の連体形は上の方の「ひと日」にかかるが、言ってみればここまでが非常に長い序詞で、その、この上なく壮麗な一日として、毎日を私は生きる、と、そのような生きる決意を歌った歌ではないだろうか。そのひと日のさくら花の流れつづける光景は、日々こころの奥にあって私を生かせると。
 「流るる」の連体形と「ひと日ひと日」の複数性との間の措辞の破綻をしっかりと受け止める必要があるだろう。それによって、歌は毎日毎日とだえもなしに流れる生死の川を壮麗な現実の日々のまことの姿として見せてくれるのである。

 二首目の歌を再掲しよう。
>樹木みなある日はゆらぐ行きゆきて乞食(こつじき)の掌に花盛られけり 『霊異記』

 この歌の解釈の要点、あるいは難点は「行きゆきて」にあるだろう。どこかに原一男監督の映画《ゆきゆきて 神軍》への連想をさそう措辞だが、この歌では花びらの流れてわたってゆく距離の遠さ、はるかさが言い示されているであろう。なべての樹々がゆらぐほど激しい風の吹くある日のことである。その日はじめて桜の花びらは乞食の掌(て)にまで届く。やっと届くのである。そしてそのことによってはじめて桜の花が荘厳される。桜の花を聖化するのはまさにこの乞食なのである。乞食の掌にいっぱいの花びらが盛られることによって、つまり彼が花たちを美(よ)しとすることによって、桜の花は聖化されるのである。そのような乞食が山の奥のおくのどこかにいる。芭蕉が「こもをきてたれ人います花のはる」と元禄三年の歳旦に問うた問いの、これは前の答えでもあろう。

 三首目は、
>さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり 『童子』

である。これはどのような夕べだったのだろう。桜咲く春の季節といっても、西の空が美しく夕焼けに染まることもある。そんなときでも、夕焼けののちに陽が沈んで、光が雲のみを照らし空があわく透明な水色に変わり、さらに色が薄れ沈んでいって、暗くなってゆくことがある。わたしはその夕焼けののちの透明な水いろの空がとても好きなのだが、その暗くなってゆく時の間はそんなに短いものではない。「まで」と区切られる時は、ともあれひとつの死に別れの時だ。そして「めで」と時を区切るのは歌人自身だ。思いを死なしめるのは歌人自らだということだ。その思われびとはすでに歌人のところから去っている。だから歌人がみずから思いを止めるとき、その時ひとつの死が成就する。さくら咲くゆふべの別れと言えるだろうか。鎮魂はこののちは暗くなった空そのものが引き受けてくれるだろう。わたしもこの作を前登志夫のもっとも美しい歌の一つに数えるだろう。


 他の作品を見よう。今号には「特別作品」として十名各二十首の歌が掲載されている。掲載順に、福田龍生「雪の一人旅」、桜井登世子「寒しじみ」、横山岩男「一閃」、野地安伯「睦月きさらぎ」、村木道彦「昏睡」、冬道麻子「ショートステイ」、大辻隆弘「塔の立つ校舎」、荻原裕幸「誰かが平和園で待つてる」、佐藤弓生「誰も見てない」、田中綾「『労働基準法』再読」である。
 目に止まった作を作者別に記そう。
 福田作品
>迢空のたづねし木曽の山里に風船かづらの朱の実あれば和みぬ
(迢空の名を出すことによってふくらみが出て、師の後を追う旅と見えてくる。雪道を歌いながら雪歩きになれてないひとの歌に見える点がそれで納得される)

 桜井作品
>風の匂ひコートにつけて帰宅せし大寒の夜を抱き合ひしか
 (「男のごとき匂ひ」「木材の匂ひ」「風の匂ひ」と「匂い」の歌が多いが、なかでも「風の匂ひ」が新鮮。こういう日常詠をみると古典的仮名遣いの必要があるのか疑問に感じる)

 横山作品
>農家より米買い帰りに十キロを搗くは車にわが乗れるうち
(写生派の日常雑詠集とみえるがこうした自己の限界の自覚には詠嘆につながるものがありホッとする)

 野地作品
>手伝ひのわれら本堂の椅子を置き座布団を敷き 明日節分会
>春早き足柄平野横切りて御殿場線の三輌が行く
 (前の歌は節分会の手伝いを通して歌人のいる社会空間を大変明瞭に語る。後の歌は「三輌が行く」が効いて足柄平野の様を描く。写生派のこれらは達人の技に見える)

 村木作品
>なにげなく見上げし視線のそのさきにきそひあひつつ雲峰ふたつ
>その掌(て)もてわれのまなこをふさぎしか日常と呼ぶ深き昏睡
>旺盛な生命をもつ雑草であることの罪 夏の庭にて
(日常を批判しうる精神の明晰さ、明敏さがが「晩年」にあっても写生派の原理を超えることを示す歌群。日常を維持しようとする力は生命あふれる雑草をその存在から断罪する。道元や山中智恵子が「棄嫌に生ふる夏草」と詠じたレベルを超え、ニーチェ的な権力批判の場に達している)

 冬道作品
>ベッドより救い出されて帰宅せんストレッチャーへの平行移動
 (ショートステイの体験を歌にしたもの)

 大辻作品
>塔の立つ校舎が見えて丘の上は何がなし楽し春が来れば
 (「何がなし楽し」は分析か、分析の放棄か?)

 佐藤作品
>倒れても誰も見ていないところでは樹でも人でもなかった It(それ)は
>人は言う 生んだことばに生かされる存在だから言う 愛してる
>咲くことは傷ひらくこといくたびもさくらの道をゆきかえりして
 (不可視もしくは不可聴の領域にたっぷりと身を置いてこの世を見つ両界のアナロジーを言葉の喩法によってつなぐ。注目すべき認識方法と歌法をもった歌人。三首目はなんと素晴らしい桜歌だろう!)

 田中作品
>セヨ、スベシ、シテトーゼンデショ、ネバナラヌ そういうコトバやめてにブチョー!
>けっこういい給料って耳打ちされたのに残業代込みなんてマジかい
>サイテーのこの金額で生き継いだことないヒトが線引く最低賃金(さいちん)
 (こうした批判が労働基準法の各条への違反だということを教えてくれる。啓蒙歌とうい新しいジャンルが創造される)

感想:
 村木、佐藤、田中の作品が抜群に面白い。ほんとうを言えば、批判がなければ短歌も成立しないのだと勉強した。

 2017年4月号の勉強は以上としたい。


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《『短歌研究』勉強帖 2016年11月号》

2016/12/19 20:27
瀬谷こけし


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---永田和宏の高安国世論「このままに」にまなびつつ---


 11月号の勉強を終えてしまおう。11月号巻頭の「12ヶ月の歌」は永田和宏が高安国世の歌四首を取り上げている。そしてその読解を補足するように四首の歌を引いている。まずは掲載順にそれら八首の歌を引用紹介しよう。取り上げた(とわたしに見える)歌を「>」で、補足に引いたと思われる歌を「>>」で示す。以下である。

>>我が心すなほになればいつしかも又思ひゐる遠き人の上 @
>このままに歩き行きたき思ひかな朝なかぞらに消ゆる雲見つ A
>二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや B
>黄葉より何ありとしも思わねど曲がりゆく道に誘われて行く C
>>夕映のひろごりに似て色づきし欅は立つを 夜の心にも D
>>充ちあふれる黄の葉 自転車の青年のとらえがたき寂しさ E
>>何ものの瞬きならん透明の彼方はららかに降りつぐ黄の葉 F
>朝ぐもり深きににじむ遠き木むら黄色は浮びくれない沈む G

 この二首目を永田は「無意味の意味が強く心を引き付ける」と評する。中空に淡くかかっていた雲が見る間に消えてゆくさま。定家の「横雲の空」のように、雲の動きに思いの行く先の形を見ようとする思いは共通していよう。きわめてドラマティックな定家の横雲とこの上なく淡い高安の消えてゆく雲とは対照的なほどに異なった感受性の形を示している。このなかなかに捉えどころのない思いを辿ることが高安の歌を鑑賞することなのだろう。『虚像の鳩』はそうではなかったのだが。
 
 三首目のかいつぶりの歌も同じように淡い。些細といえば些細な出来事だが、一方がそれを捉えて口に出すことが、逆にここは二人だけの空間であるということを示し、その意味を互いに確認させるのだ。永田は「世界の中に二人だけ取り残されたようなさびしささ、そしてその幸福感がしみじみと感じられる一首である」と言う。蓋し適切な鑑賞だろう。

 四首目のわずかに誘われる思いがして歩み進むという歌は、なべてのひとの行動の決定が、実はこのような微かな誘いに従ってなされることなのだと気づかされる。永田は「そこはなとない浮遊感」」と捉えるが、評のポイントは「浮遊感」よりその「そこはかとない」些細さ、とぼしさ、であろう。高安もまた「乏しい時代(dürftige Zeit)の詩人」だったと気づかせてくれる歌だ。

 八首目の「朝ぐもり」の歌も高安の歌の姿勢をよく示す一首で、朝霞から浮かぶ葉群と沈むそれとの色の違いに気づき、その色分けを詠んでいる。「沈むくれない」は樹高の低さよりは色の沈みを表し、盛りを過ぎ、黒ずんだ色合いを想像させる。「くれない」を「ゐ」ではなく「い」と表記したのは、「為」の略字として生まれ、その丸さからも照り返しを予感させる生気にみちた「ゐ」の字を避けたためだろう。

 このように見て来ると、高安が、些細な事の意味、微かな事の意味にこころを向けて歌を詠みつづけた歌人だと見えて来る。それはアララギの伝統のひとつだと言われそうだが、わたしにはそれ以上に西洋の詩と思想に影響されているように見える。それは、高安の作がヘルダーリンやリルケの作に似ているということではなく、むしろ逆に彼らとは全く違うところに自分の場所を見出した詩人に見えるのである。些細なことを詠むという歌のスタイルを高安は打ち立てたと言えるだろう。これはしかしわたしが目差すような神々の遊びの歌とは違う。わたしが高安のように歌うことはないだろう。


 他の作品を見よう。今号には「巻頭作品」として島田修三「深き夢より」、梅内美華子「ドラゴンブルー」各三十首の作が掲載されている。それを見てみよう。
 島田作品は、日常身辺詠というべきものではあるが、作者の高い文化性を感じさせて嫌味がない。高い文化性とは例えばこの歌だ。

>カストロがヌエヴァ・ヨークに赴く(ゆ)かむ日を想へり夕べ柴犬撫でつつ

「ヌエヴァ・ヨーク」がスペイン語かどうかをわたしは知らない。しかしそれがキューバの言葉で、「ニュー・ヨーク」を指す語だというぐらいは見当がつく。このただの一語の使用で、作者が、英語べったりの文化環境の外へのまなざしを、日常のこととして持っていることが分かり、ひとつ安心感が持てるのである。
 作者の文化性はまた次のような歌の関心の持ちようにも感じられる。

>縁石とアスファルトの間に身を寄せてゑのころは挿頭(かざ)すいとけなき穂を
>かはほりと声に出せば懐かしく東京の夕べを飛びかひし影
>この夏を蠅見ず蠅のいとし子ら人なき楽土に翔け去りぬべし
>吹きだまる夏の枯葉に蟻は群れ虫の世過ぎをいそしむかなや

文化性とはこうした草木虫魚のひとつひとつが、それぞれおのれの生にまじめに取り組んでいることをよく知り、そのさまの発見を日常の楽しみにしている姿に、とてもよく見ることができる。文化性の豊かでない歌人のまなざしには人間の営みしか見えてこない。いやいや、人間のというより日本人の、と言った方が正しそうだ。文化性とは自分の生の幸いを草木虫魚鳥獣人天の広い生命の視野の中で感じ取る生き方のことだ、と言え杳。次の歌など。

>幸ひは負はず借らずに子三人なんだかいいねえ卓袱台をかこみ
>ああ俺はすつかり白髪になつちまひ金正恩(キムジョンウン)の黒髪まぶしも

歌い方で言えば、島田の歌は(岡本太郎の写真のように)一首にひとつの焦点がきちんと存在している。姿の正しい歌と言えるだろう。

梅内美華子の「ドラゴンブルー」三十首の中に共感できる歌をわたしは一首も見出すことができなかった。一応四首を紹介する。

>あしびきの孤老の山は石灰と時間を人間に削らせてをり
>洞穴にゆつくり育つ石のありこの世の果てに残らんとして
>隧道に生死を思ひ人のゆく ひとりひとりの宇宙への道
>冷たくなろ、冷たくなろと落ちてくる鍾乳洞の水は死者なり

わたしはこれらの作に非短歌的なもの、酷薄な、歌うこととは正反対のものを感じてしまう。例えば二首目の歌は鍾乳洞の営みを詠んだものだが、はたして石筍などの生成の内に「この世の果てに残らんと」する意志を読み取ることに何の意味があるのだろう。何の歌があるのだろう。梅内の作には歌と相反する意志が充ちているように思う。


今号には「巻頭作品」に次いで、「特別作品」として八名各二十首の歌が掲載されている。掲載順に、松川洋子「いろはにほへと」、小原起久子「茫漠の街」、大山敏夫「勇気をふるふ」、森本平「狂泉のほとりにて」、森井マスミ「あめはくたせり」、中沢直人「ロートマイルド」、花山周子「秋にしたいことを思う」、森富男「福祉への道」である。

 目に止まった作を作者別に記そう。
 松川作品
>天使よりつばさをきれいに揃へてゐる雀の子ろに“おはやう”をする
>魚(うを)を食べると海に牛を食べると草原(さうげん)になるわたしの体
(雀の翼の揃った美しさへの着目に共感する)

 小原作品
>来ることを信じてバスを待ちながら佇ちいる影がつくづく独り
>花見んと群れにし人もちりぬるを人にしられず散る山桜
(老年独歩のひとり感覚とったところか)

 森本作品
>忘却と保身と嘘と奇麗事 父よあなたこそ日本人ならめ
>取り残されて無様な雲の座して死を待つよりほかに何があるのか
(正しい音律と言うべきか)

 森井作品
>病む大地渇く大地に雨降れどモウノメマセヌと首ふるばかり
>土を耕さない若者がいつからか嬉嬉と興ずるハロウィンなるもの
>日本がまだあるうちにひっそりと死んでゆきたし秋茗荷食む
(「日本」が消えてなくなる日の到来が非現実でなく感じられるようになってきた)

 花山作品
>目覚めれば額に秋が射していた水上バスに今朝は乗りたし
(最近の隅田川の一光景を季節感と共によく捉えていないか)

 11月号の勉強は以上としたい。


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《『短歌研究』勉強帖 2016年11月号(高安国世論)》

2016/12/10 00:36
瀬谷こけし


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---永田和宏の高安国世論「このままに」にまなびつつ---


 11月号の勉強を終えてしまおう。11月号巻頭の「12ヶ月の歌」は永田和宏が高安国世の歌四首を取り上げている。そしてその読解を補足するように四首の歌を引いている。まずは掲載順にそれら八首の歌を引用紹介しよう。取り上げた(とわたしに見える)歌を「>」で、補足に引いたと思われる歌を「>>」で示す。以下である。

>>我が心すなほになればいつしかも又思ひゐる遠き人の上 @
>このままに歩き行きたき思ひかな朝なかぞらに消ゆる雲見つ A
>二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや B
>黄葉より何ありとしも思わねど曲がりゆく道に誘われて行く C
>>夕映のひろごりに似て色づきし欅は立つを 夜の心にも D
>>充ちあふれる黄の葉 自転車の青年のとらえがたき寂しさ E
>>何ものの瞬きならん透明の彼方はららかに降りつぐ黄の葉 F
>朝ぐもり深きににじむ遠き木むら黄色は浮びくれない沈む G

 この二首目を永田は「無意味の意味が強く心を引き付ける」と評する。中空に淡くかかっていた雲が見る間に消えてゆくさま。定家の「横雲の空」のように、雲の動きに思いの行く先の形を見ようとする思いは共通していよう。きわめてダイナミックな定家の横雲とこの上なく淡い高安の消えてゆく雲とは対照的なほどに異なった感受性の形を示している。このなかなかに捉えどころのない思いを辿ることが高安の歌を鑑賞することなのだろう。『虚像の鳩』はそうではなかったのだが。

 三首目のかいつぶりの歌も同じように淡い。些細といえば些細な出来事だが、一方がそれを捉えて口に出すことが、逆にここは二人だけの空間であるということを示し、その意味を互いに確認させるのだ。永田は「世界の中に二人だけ取り残されたようなさびしささ、そしてその幸福感がしみじみと感じられる一首である」と言う。蓋し適切な鑑賞だろう。

 四首目のわずかに誘われる思いがして歩み進むという歌は、なべてのひとの行動の決定が、実はこのような微かな誘いに従ってなされることなのだと気づかされる。永田は「そこはなとない浮遊感」」と捉えるが、評のポイントは「浮遊感」よりその「そこはかとない」些細さ、とぼしさ、であろう。高安もまた「乏しい時代(dürftige Zeit)の詩人」だったと気づかせてくれる歌だ。

 八首目の「朝ぐもり」の歌も高安の歌の姿勢をよく示す一首で、朝霞から浮かぶ葉群と沈むそれとの色の違いに気づき、その色分けを詠んでいる。「沈むくれない」は樹高の低さよりは色の沈みを表し、盛りを過ぎ、黒ずんだ色合いを想像させる。「くれない」を「ゐ」ではなく「い」と表記したのは、「為」の略字として生まれ、その丸さからも照り返しを予感させる生気にみちた「ゐ」の字を避けたためだろう。

 このように見て来ると、高安が、些細な事の意味、微かな事の意味にこころを向けて歌を詠みつづけた歌人だと見えて来る。それはアララギの伝統のひとつだと言われそうだが、わたしにはそれ以上に西洋の詩と思想に影響されているように見える。それは、高安の作がヘルダーリンやリルケの作に似ているということではなく、むしろ逆に彼らとは全く違うところに自分の場所を見出した詩人に見えるのである。些細なことを詠むという歌のスタイルを高安は打ち立てたと言えるだろう。これはしかしわたしが目差すような神々の遊びの歌とは違う。わたしが高安のように歌うことはないだろう。




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《『短歌研究』勉強帖 2016年10月号》

2016/12/03 17:11
瀬谷こけし


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---宮本永子の「物の葉や」にまなびつつ---


 10月号の勉強もおくれ、はや12月に入ってしまった。簡単にでも勉強を終えておこう。
 10月号巻頭の「12ヶ月の歌」は宮本永子が三首の歌を取り上げている。以下である。

>桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど
            式子内親王
>物の葉やあそぶ蜆蝶(しじみ)はすずしくてみなあはれなり風に逸(そ)れゆく
            北原白秋
>さやかにもさだまる秋かひとときの雨に洗われし砂利に照る月
            木俣修

 式子の歌は「かならず人を待つとなけれど」の心のすがたが歌の要とみえるが、宮本はこの歌を「秋も深まり、桐の葉も踏み分けにくいほどに庭を埋めてしまった。きっと訪ねてくるに違いないと、その人を待っているというわけではないけれど、という意味である」と鑑賞する。この鑑賞にほとんど異議はないのだが、一つは、葉が積もるのがなぜ「道」ではなく「庭」と解釈されているのかがよくわからない。もう一つは、歌のこころの微妙なところなのだが、先に諦めがあるような待ち方の危うさ、落ちてゆくような危うさを歌うことが支えているような歌すがたがわたしには感じられる。宮本は「逡巡する当時の女性独特の間合い」と言うが、わたしにはここにあるのは普通の逡巡、普通の迷いやためらいではなくではなく、絶望に落ちるのをただ一歩だけ先に延ばそうとする心持ちのように見える。ほんとうは桐の葉が積もろうが積もるまいがどのみち訪れてはこないひとへの思いではないだろうか。式子の歌は重たい。

 白秋の歌はあの身が軽く、容易に風に吹き飛ばされながらも飛んでゆくぶシジミチョウの姿を風に道を逸らされてしまう飛び方と見て、共感的である。草木虫魚への心の寄せ方が一人称的で素晴らしい。シジミチョウはすべての生き物の生の象徴になっている。

 木俣の歌は白砂に月の照らす光を見る室町庭園風の趣向である。「さだまる」には一時期の党派的な趣向を感じるが悪くはない。砂利と月に関しては芭蕉元禄二年敦賀での作、「月清し遊行のもてる砂の上」(類句あり)を思い起こすことができよう。


 他の作品を見よう。今号回は「特別作品」として七名各二十首の作が掲載されている。順に、水落博「日常雑歌」、光本恵子「大八車」、桑原正紀「こなから」、今井恵子「裸」、大野道夫「を達成することを誓うふ。」、小川佳世子「きわ」、辰巳泰子「夏のお話」である。目に止まった作を作者別に記そう。
 水落作品
>四国には火山脈あらずしかし讃岐の山は丸く尖らざる火の山に似る
(特に言うべきことなし)
 桑原作品
>退職せし学校に来て感覚すどこにも居場所なきたのめなさ
(古語「たのめなし」の適切な使用)
 今井作品
>泣くための掌(て)もてしずかに覆うとき顔はいつでも裸と思う
(風を詠んだ歌より深い捉え方があるように思う)
 小川作品
>母に子は私ひとりの盛夏にてひとりもいないわたしのこども
(「盛夏」が冗語にみえるが)
 辰巳作品
>政治利用を避けてお言葉選ばれん これまでずっとええ人やもん!
(「選ばれん」の「ん」は何なのだろう?)
>ゲーセンにベトコンを撃つゲーム機あり 大統領の名も知らず撃ちたり、と。
(風俗がここまで堕落しているのか、と教えられる)

 10月号の勉強は以上としたい。





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《『短歌研究』勉強帖 2016年9月号》

2016/10/28 23:01
瀬谷こけし

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---内藤明の武川忠一論「かたまりて」にまなびつつ---


 雑然と多用に追われているうちにはや11月号が送られてきた。手短にせよ9月号の勉強を終えておきたい。
9月号巻頭の「12ヶ月の歌」は内藤明が武川忠一の歌を取り上げている。それは次の三首だ。

>葉のなえしりんどうの花紫の羞(やさ)しき深き色を沈むる
>かたまりて秋草を食む馬の群(むれ)離れてゆける一頭が見ゆ
>戦ひの日をさきてうぃし曼珠沙華かの峠道ゆくひ日なからむ

 りんどうの歌はその咲く花を「羞し」と、また「沈むる」と詠んでいるところが解釈のポイントとなるだろう。前者の「羞し」を内藤は「つつましく細やかな美しさをいう」と解く。その姿を「細やかな」と言えるかどうかはともかくとして、「つつましく」という控えめさを要とした表現であることは間違いあるまい。「沈むる」の方はより難しいが、内藤は「その紫は、外に向けて目に立つものではないが、羞じらうごとく、ある気品を深い色合いを持ち、自然の中に溶け込んでいる」と鑑賞する。自然の中に溶け込んでいることを「沈むる」と表現したのだ、ととるのである。これも適切な解釈であり鑑賞であるだろう。ただここで若干の疑問を述べさせていただくなら、それは武川の措辞の方で、「沈むる」とはいったいどういう語のどういう形なのだろう。「沈む」をもとにしているとすれば、「沈むる」はその連体形ということになるだろう。その場合なぜ連体形にするのだろう? 「花」を省略したという感覚が残るのだろうか? あるいは「沈める」を特殊に活用させたのだろうか。その場合は他動詞的な意味になるだろから、わが身の…色を沈める、という意味になるだろうか。いずれにしろ若干の違和感は残る。

 二首目の馬の歌は、情景はわかるものの、実際何を言い何を歌おうとしているのかよくわからない。それは何よりも「一頭が見ゆ」と叙景的な歌い方をしているせいだ。内藤は「群れを離れてゆく一頭の動きと、それに寄せる作者の思いが浮かび上がる」と鑑賞するが、この評を読んでも作者のどのような思いが浮かび上がるのかはわからない。それでは評として言い足りないであろう。群れから離れる一頭に、自分の姿を映しているのか、また、そうだとしても自分のどのような姿を詠んでいるのか、言えていない。ということは歌えていないということだろう。

 三首目の峠道の歌もわたしにはよくわからない歌だ。それは「かの峠道」の「かの」によって指されているものがわからないからだ。それが作者にとってどういう意味を持っている峠なのか。これは例えば具体名で「十曲り峠」と説明されても、同じことで、その「十曲り峠」が作者にとってどういう意味を持つ峠なのか。「戦ひの日」「「曼珠沙華」などと言われていてもわかるのは大まかな枠だけだ。すべては曖昧な境位のなかにとどまる。これが例えば「その峠道」と言われていれば、その「峠道」が指しているのが何であるか、明確になるのだが、「かの峠道」では、その「かの」が隔てるものが何なのか言われず、詠まれずに放置される。武川はこのような曖昧化をこととする歌人なのだろうか。このに挙げられた三首の歌は、まだ歌と呼べないものであると評すべきだろう。


 他の作品を見よう。今回は「巻頭作品 三十首」として掲載されている佐々木幸綱の「アノマロカリス」について、簡単な感想を述べるだけで勉強を終えることにしたい。そもそもこの「アノマロカリス」、webで調べれば何かはわかる。カンブリア紀の何とも魅力的な生物のようだ。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B9
ここでは二首の中にその名が歌い込まれている。

>気に入りのアノマロカリスのぬいぐるみ抱いてねているテオの夕ぐれ
>五億年の時間を思うこともなしアノマロカリスの目玉を嘗めて

 この一首目の歌は、「テオ」が何を指しているのか、わたしには不明だが(地名か?)、アノマロカリスという生物の特異な面白さに魅惑されていると、そのぬいぐるみまで登場しては感心するほかない。またこの歌では、ていねいなひらがなの使用が、わたしにはとても魅力的に思える。
 二首目の歌は、アノマロカリスの目玉、というカニの目のような横付きの目の玉に着目すれば、十分な着目点で、それを「嘗める」とは、舌で舐めるというよりは、目でたっぷりと玩味するというような意味だろう。ここもまた面白い。
 三十首の中では、

>ピアノ弾く人のいるバー水深のふかまるように夜がすすめり
>しばらくは不機嫌に飲む東京の鱧はまずいな 梅肉の赤

などの歌に、ちょっと疲れた状態を感じるが、そう思って読んでいると、

>野心家の彼の野心がたちまちに弱火になりてみまかりにけり

などの歌に出る。やや疲れた印象がぬぐいがたいが、縦横な歌いっぷりは変わらずに魅力的だ。


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《『短歌研究』勉強帖 2016年8月号》

2016/09/04 21:26
瀬谷こけし

タウテンブルクの朝の草露
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---藤原龍一郎の「くろぐろと」にまなびつつ---


 8月号の勉強も終えておきたい。
 8月号巻頭の「12ヶ月の歌」は藤原龍一郎が塚本邦雄、竹山広、黒木三千代の作を論じたものだ。まずその三首を引く。

>われらみな殺さるるとも木は二月火は五月花八月の闇 (塚本)
>くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川 (竹山)
>侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる (黒木)

 いずれもいわば「戦争の歌」である。そして藤原の解説も「一九四五年以降、日本人にとっての八月は戦争の悲惨を思い起こし…」との言から始まる。しかし、この藤原の言を見るとわたしは少なからぬ違和感を感じざるを得ない。それはまずは戦後生まれのわたしには思い起こすべき「戦争の悲惨」の経験がない、ということから始まる。わたしは八月に戦争の悲惨を思い起こすことはまったくなく、またそのようなことはそもそも不可能なのである。この違和感は決して小さいものではなく、この藤原の言をわたしは、わたしいが以外の者に宛てられた文としてしか読むことができない。この藤原の言は、常套句にすぎないものなのだろう。八月、ならばわたしは八月に何を思い起こすのだろうか。あえて言うならば、それは「戦争の悲惨」ではなく、「戦争の愚劣」なのである。ここを間違えては何もはじまらない。
 ところで塚本邦雄の歌の「木は二月火は五月」とはどういうことなのだろう? よくわからない。どなたか説明していただければと思うが、とりあえず今はわからぬとしておく他ない。ともあれ日本の民俗習慣に根差した文言とは見えない。とすれば、この歌の下句は、「花は変わらずに咲く」ぐらいの意味だろう。そのように取っておくことにしたい。
 竹山の歌は、長崎での被爆経験の見聞を語っているが、水と被爆した死体が流れもあえぬよどみをつくっている、そのような川を自分の原風景の川にするという決意をうたっている。
 黒木の歌は「侵攻」が「レイプ」に似るとは、あまりにも当たり前の把握で、その先を読む気力を失わせるが、結句の「砂にまみるる」という措辞はいかがなものだろう。砂にまみれる者、主語は「私」と取っておけばいいのか。しかしどのような文法に依拠した言辞なのだろうか。

 他の作品を見る。次には「特別作品」各20首、九名の作が並ぶ。そのすべてを勉強させていただいたので、まずそのタイトルと作者名を登場順に記しておく。「紫露草」北沢郁子、「初夏の賦」吉村睦人」「沙棗の花」仲宗角、「かなたへの忘れもの」小嵐九八郎、」「ひとつの指」中津昌子、「真珠光」川本千栄、「夏断」高木佳子、「二十時頃」染野太郎、「瞑想録(レ・メディタシオン)」吉田隼人、以上である。今回はとりわけこの「特別作品」が読み通しにくかった。日常詠の迷宮というべきものがかのクレタの迷宮の如くそこに、そしてその底と四囲にあるのだ、ということが新しい発見だった。

 北沢の作では、
>浅川の遊歩道来れば紫露草自由に咲けり生くるよろこび
 わたしは「つゆくさのつゆふかくさの」と詠まれた歌を思い出すが(『虚空日月』)、北沢は露草にもっぱら「自由」を読み取る。この草、言うまでもなく伝統的には朝に涙をたたえるさまを愛され、同時に農にとっては唾棄されてきた草だ。北沢の露草は、いわば遊歩道のわきという人為的な空間に気楽に咲いている花に見える。

 吉村の作では、
>日本のステッキ突きて入りて来ぬ今日百歳の誕生日の君
と、
>全身に力をこめて逃げむとする毛虫をわれは踏み殺さざりき
の二首とも、「命あるもの」(『蜘蛛の糸』)の生の新鮮な場面を切り取っている。しかしそれでも「われ」と他を峻別した空間で詠まれる作は、迷宮のを離れることがない。

 仲の作はとてもおもしろい。それは、生の環境のきちんと認識にもとづいて詠まれているからだ。
>けものみちのぼりてゆくに猪(ゐのしし)のぬたばをこえて葛の花咲けり
(「ぬたば」を知っている歌人がどれだけいるだろう?)
>拾いたるいのちと人言ひさはもへどとききて落つる栃の実またよし
>ほの白く雨にあかるむ坂のへは笹の花咲き死を告げてをり
>死ぬることのみ学びし少年馮(たの)み寄る美学にさすらひかくは老いたり
>くれはやき谷地をいそぎていでくれば石仏に甘夏嫗供へぬ

 中津の作からは、
>麻酔後の口半分を失いし感じの奥へ水流し込む
歯科で麻酔をしたときの感じがよく表現されていると思う。

 高木の作からは、
>鼈甲のくつべらをもて朝あさをいとしむかなやかがむ姿勢に
「くつべら」はきっと短いものでだからこそ余計にかがむのだろうが、それは「朝をいと(お)しむ」ことなのだろうか、とみずから驚く。だがこの作「かなや」の弱さのために面白さが半減した。

 他の作者の作は省く。

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《『短歌研究』勉強帖 2016年7月号》

2016/09/03 01:01
瀬谷こけし

タウテンブルクの朝
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---東直子の「青空」にまなびつつ---


 遅くとも7月中には終えておきたい7月号の勉強も、まだ終わらぬまま9月に入ってしまった。8月には7月号も8月号もリュックに入れてドイツの町や森を歩いていたのだが。読む時間はほとんど取れなかった。致し方ない。今やわずかなりとも記して、この号の勉強を終えることにしたい。

 7月号巻頭の「12ヶ月の歌」は東直子が横山未来子、佐藤弓生、栗本京子の歌を論じたものだ。まずその三首を引く。

>胸もとに水の反照受けて立つきみの四囲より啓かるる夏 (横山)
>青空 よくよく嵌めておかないとこのまま抜けてゆきそうな首 (佐藤)
>七月の夜に思ひ出づミシン踏む母の足白く水漕ぐごときを (栗本)

 これらの歌に対する東の読みにはほとんど異とすべきところがない。例えば「夏の空は、」色が濃い」という。言われてみればそういう気がする。ただ、私の印象で言えば、空にせよ、緑にせよ、色濃く見えるのはむしろ地域の差の方が大きいように思う。そう、空気のやや希薄で清明な高原。飛騨や信州の高地や高原の色はとても鮮明で、色もくっきりとコントラストが高いように思う。例えば東京だけに限れば、「夏は色濃い」と言えそうに思うが、地域によって、色はずいぶん違いそうに思う。横山の歌について言えば「夏」が「きみの四囲より」啓かれるという発想と感覚は面白く感じる。ただ何で「啓」なのか。ある辞書によれば「啓」は「閉じた戸を手でひらくこと」、あるいは「戸をひらくように、閉じた口をひらいて陳述する意をあらわす」という。この歌では、「啓かるる」はひらがなで「ひらかるる」の方がすっきり疑問が立たずよかったのではないか。「啓」では歌の趣の単純率直なよさが失われてしまうように思う。
 佐藤の歌は、青空の無限性を感じさせて、とても面白い歌だと思う。丁度こけしの首が抜けてゆくようにわたしの首も青空に吸い込まれてゆきそうだ、ヤバイ、と。「無限」についての思考が深まるわけではないが、無限に吸い込まれまいとしなければならない日常性の本質も浮かんでくる。
 栗本の歌は「足白く水」と出てくると、老婆を負って川を渡ろうとする男の足の白さが鮮明な印象をもたらすある蕪村の絵が思い出される。七月であれば足袋の白さではないだろうから、母の足の白さが、それとその水を漕ぐような動作が、不思議を醸し出している。東の「湿気ある生ぬるい夏の夜の空気は、水の中にいるような気配がある」と言うが、この感想には同感できない。

 他の作品を見る。
 岡野弘彦の「飛天の歌」(巻頭作品三十首)では、
>歌はねば ひと日むなしく老ゆるなり。心したたるごとく 歌はむ
を一番に採りたい。「飛行の術」を歌った作の方はわたしにはリアリティーが感じられない。「高野の祖師」空海と語らうならば、その『性霊集』中の蝦夷蔑視の言についてはどのように語ったのだろう? それを果たして咎めたのか否か。

 「特別作品」から幾つか。
 「時に順ふ」神谷佳子から二首:
>若きらの声たつところ地に還すひと生(よ)の骨の濁りなき白
「若きら」とは保育園児ぐらいだろうか。これから埋葬する骨を「濁りなき」白色と見たところが新鮮。
>鶸いろは一瞬にして緑(あを)ふかし山川草木時に順ふ
時の順にしたがう山川草木にひとの生も同じと言う。その美の瞬間を「鶸いろ」に見るところにも共感する。

 「武甲山」綾部光芳から一首:
>岩膚のくすむけはひに今もなほ成仏を拒否するやうに立つ武甲山
「成仏を拒否する」存在を、字余りとも相関させつつまず適切に歌えている。

 「空の耳」紺野万里から二首:
>越に住むものには恥づる心あり若狭に暗き荷を負はせ来て
>停止中なれど緑のかなたにはトンの単位の冥王(プルトニウム)が
若狭湾の原発群を歌ったもの。

 「夜床朝床」渡英子から二首:
>また春に、木花佐久夜毘売にあふ上州にしろき桜咲きそむ
>野良猫はフェンスの穴をくぐりぬけ嘔吐してをり竹の根方に
 観察と表現の適切さ。野良猫のする嘔吐にきちんと目を注ぎ続ける正しさ。

 「秘密裁判」川路由佳から三首:
>「戦略的外来生物」と名指しさる 信ずる神が違うばかりに
>天子より神こそ大いなるものと言いて有罪 戦争末期
>牢獄(カルプス)にいて戦場に行かぬまま世界はひっくり返り 青空
おそらく、キリスト教徒として、師から伝えられたみずからの戦中のさまを歌った作。

 「水文学(すいもんがく)」千種創一から二首:
>夜、縦の光はビル、横のは高速、都市化とは光の糸を編んでいくこと
>水鳥が水を離れるのにも似て失意はしばらく水面を乱す
 口語、自由律の歌として稀に見る才能を感じる。その要点は比喩、とりわけ隠喩と、思考・連想のリズム感覚。短歌並みの短さも詩想をまとめるのに適しているだろう。だが短歌の韻律は生きていない。



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《『短歌研究』勉強帖 2016年6月号》

2016/07/02 18:24
瀬谷こけし


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---島田幸典の高安国世論「梅雨の山」にまなびつつ---


 6月号の勉強も遅くなってしまった。と言っても6月30日にはそれを終えていたのだが、書く時間が取れなかった。それでまた月をまたいでしまった。一つには6月号には書き物の方に惹かれるものがあって、それを読んでいたこともある。そのひとつは、ヴィスコンティと塚本邦雄作品とのかかわりを述べた五十嵐淳雄「塚本邦雄の映画手帳14」で、もう一つは「迎え読みの連鎖」というタイトルで、歌に記されている言葉からする読みの真剣勝負の場であるべき歌会において作者についての個人情報から読みを試みようとする邪道の蔓延を強く批判する上村典子の論だ。とりわけ後者の上村の主張に対しては共感するところが多かった。この名前を覚えておきたい。
6月号巻頭の「12ヶ月の歌」は島田幸典が米川千嘉子、高安国世、外塚喬の歌を論じたものだ。まずその三首を引く。

>人は帰心を速度にしたり水無月の闇ゆく最終「のぞみ」の帰心 (米川)
>梅雨の山見ゆるこの室心足りていそしみし日の幾日かある (高安)
>梅雨晴れのまぶしきひかり道をゆく人の表情をことごとく消す (外塚)

 島田の読みにはそれぞれ若干違和感を感じるところがあるが、米川の歌の読みでは、「雨雲が垂れこめる六月は闇の似合う月であり、夜ともなると暗さに深みさえ加わる。ぶ厚い闇のなかを、その日最後の新幹線〈のぞみ〉が窓から光を零しながら疾走している」とするこの読みだ。「六月は闇の似合う月」だというこの闇理解は何なのだろう。おそらく「五月闇」を太陽暦に合わせてこう表現したものだろうが、その闇のどこが「六月に似合い」、そしてその夜の暗さには「深みさえ加わる」のだろうか? その実感はいったいどんなところにあるのだろう。わたしは学生のころ夜に神社に行く経験が少なくなかったが、実際6月の夜の神社は魔的なものの凝集、近づきを感じることが少なくなく、それは、非常に恐ろしいものだった。霧に紛れたようにわが心身に迫ってくるこの魔的なものの他に、6月の闇を深くするものがあるのだろうか。米川の歌の「闇」にも、新幹線の車窓の暗闇を深くする特別な何かがあるとは感じられない。身にもしくは心に感じる個別の闇を語らずに「水無月の闇」と歌っても、島田の説くような外界の闇以上のものは示せない。
 高安はわたしが歌会でその謦咳に接していた先生であるが、その上掲の歌を読解するポイントは「心足りて」の「て」であろう。「心足りていそしみし日の幾日ありたる」とは、島田が説く「心足らう瞬間はごく稀にしか訪れなかったとの、学究の苦い実感である」との読みとは、微妙ではあるが若干異なっているだろう。つまり高安が詠もうとしたのは、「心足らう瞬間」ではなく、「十分に研究に打ち込めた日々」のことだ。つまり問題は、心足りるほどの研究にいそしめた日々の少なさ、乏しさであって、「心足らう瞬間」が持てたかどうかではないのだ。高安も研究にいそしみたかったのだ。島田の読みはわずかだが的を外している。
 外塚の歌は「梅雨晴れの」の「晴れ」をどう理解してよいのか迷うが、降っていた雨が一瞬止んで、光が町を照らし出した瞬間を歌っていると読みたい。アスファルトの道は濡れていて、光が雲の合い間からも路面からも照りだした、「ひかりのまぶしい」一瞬の時である。そのときは明暗のコンロラストが極めて大きくなり、人の顔さえ暗く、表情がわからないものになる。そういう一瞬をこの歌は適切にとらえていると思う。島田の読みは、「久しぶりに地を照らす日射しはひときわ眩しく」と、この歌を梅雨に間のたまに晴れた一日の話と読み取っており、こういう読みはわたしには違和感がある。

 次の「特別作品」は8人に歌人のそれぞれ20首の歌が掲載されている。清田油井子「淵のさくら」、」新城貞夫「地球の何処かで」、中根誠「水晶体」、脇中範生「けむりが匂う」、道浦母都子「希望」、鈴木竹志「二宮冬鳥のことなど」、尾ア朗子「ノバライバラ」、雪舟えま「柑橘を産む」である。このなかの清田の歌にわたしは大変驚かされた。これほど細部まで読み抜かさせる歌を詠む歌人がいることに驚かされ、そして励まされた。歌われているのは「花咲くこと」。その誘惑のすべてと言ってよいだろうか。秀歌ぞろいのなか、何首か引いてみよう。

>花椿赤きがあれば花恋ひの心無量に花避けてゆく
>身の淵にさくら咲かせていま一度悲種のさだめを山月に問ふ
>射す月を食(じき)としながら地図になこ無名の原の名もなき花が
>世のなべて肯定するや地の夏に草刈る人ら体(たい)をささげて
>ともかくも生き残りてゐてたんぽぽの絮はふうはりそれからの春

 短い評でまとめたくないので、ここでは評をつつしむが、上掲の五首だけで、この歌人が歌の歴史の正しい道のなかに、位置していることがわかるだろう。芭蕉の言葉を借りれば「月の友」の道だ。

 新城の歌からも五首を引きたい。
>たましいの帰るなき地を瑠璃と謂うせめて男よ真裸で立て!
>山原はいま土砂降りとケイタイすさりとて辺野古を叫ぶにあらず
>マレーシア発台湾経由辺野古着 ジュゴンの海を逆に辿るも
>西郷どん銅像に糞を落とし去る あれ、なんの鳥 ピカソ鳩よ
>すぐそこにいるやも知れぬテロリスト、薄笑いする宰相もいる
 これらについても評は控える。

 中根の歌からは二首を引く。
>斬首作戦という米国のテロリズム切腹ゆるさぬ怒りにあらむ
>自衛隊入隊こそが自己責任、戦に死なば言はずや国は
 これも評は控える。

 脇中、道浦、鈴木、尾ア、雪舟からはい一首ずつ引く。
>テリトリー廻り終えしか鶯が午後をふたたび間近きに鳴く (脇中)
>てのひらから桜花びら湧く夢を見しより近き君の息衝き (道浦)
>不折描きし清酒「真澄」のラベルさへ展示されたり博物館に (鈴木)
>木星が月により添ふ夜を見上げ細道裏道遠回りせり (尾ア)
>図書館にせんべい息を香らせる愛しい人は困った人よ (雪舟)
 これらについても評は控える。



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《『短歌研究』勉強帖  2016年5月号》

2016/06/24 13:16
瀬谷こけし


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---花山多佳子の長塚節論「薬壜」にまなびつつ---


 やっと時間が取れるようになって、だいぶおそくなったが5月号の勉強をしたい。まずは巻頭の12ヶ月の歌だが5月号は花山多佳子が長塚節を論じたものだ。次の三首を取り上げている。

>薬壜さがしもてれば行く春のしどろに草の花活けにけり
>快き夏来にけりといふがごとまともに向ける矢車の花
>こころぐき鉄砲百合か我が語るかたへに深く耳開き居り

これらの歌、わたしにはもともとよく理解できない歌なのだが、花山の読解をよんでもあまり得心はゆかない。詠まれたのは大正3年5月、節が亡くなるのは翌年の2月。この歌は36歳の時の作で、咽頭結核で入院中の歌だという。宮沢賢治とほぼ同じぐらいの早逝である。
 一首目の歌、よく理解できないのは「薬壜さがしもてれば」という措辞である。そしてまた「しどろに」という修飾語句が適切に言ってどういうことを言おうとしているのか、である。
 前者の疑問、「さがしもてれば」とはどういう表現なのだろう。「さがしきたりて」ではまずいのだろうか? 「もてれば」の「もつ」とは、だれが何をどういう形でもつのか。「もつ」は所有なのかそれとも保持なのか。どちらと考えようとしても首尾よく解決がつかない。あるいは「さがしいだして」ではまずいのか。「もてれば」の措辞がどう活きているのか、果たして活きているのかどうか、それがわからない。ここのところ花山は「花瓶もないので薬壜をさがして活ける。薬壜というのがまた草の花によく似合う」と鑑賞する。この後半の感想には同感するが、「もてれば」の措辞についての疑問には答えてくれていない。「入院中の病室のこと、花瓶がないので薬壜に」という花山の指摘はその通りで、この(草の花を)「薬壜」に活けるという趣向あるいは行為に、このときの節の歌い留めておきたい気持ちのエッセンスがあるとわたしは思う。「ひとはみな草のごとく、その栄華は草の花に似ている」という聖書の言葉に慰められつつ、みずからの今を自覚した歌だと思われる。草の花の小さな喜びをわが身のこととして味わったことだろう。この野の花は見舞いに来た女性が、おそらくは近くの野で摘んで、持ってきてくれたものだろう。それは詞書から推測がつく。
 そして「しどろに」である。しどろにとは整えてではないという意味だろう。流派の生け花のようにではなく、整えられず、整え得られず、結果として乱れて薬壜に活けられている野の花。それは花を生けたいという心の原点を語っていないだろうか。わたしは以前下北半島の先端の尻屋崎の地蔵尊になんどかお参りをしたことがある。そのときはいつもその近くに生えている小さな草の花を摘んで手向けた。この海峡で亡くなった霊の鎮魂のために。手向けるためには、たぶん、摘まなければならない。摘んでその地から切り離さなければならない。
二首目の「矢車花」の歌は、「まともに向ける」がポイントだろう。まっすぐに向いている。もちろん見る作者の方にである。誰かに、まっすぐに相対して向くことの貴重さ。誰かが自分に対してまっすぐに向いてくれている、と節は感じている。
 三首目の歌もそれと似て、わたしの語る方向に深い耳を向けて話を聞いてくれている存在。しかし、そういう貴重な存在があっても、この状況が変わる見込みはない。ゆっくりと迫りくるものの影がかえって濃厚に感じられて、苦しくなる。「こころぐき」の語は未消化に使われていて生硬な感じが残るが、しかし死の影の近づきが苦しい、という趣意には何とか届いているだろう。

 取り組みが遅くなったこともあり、5月号の勉強はここまでで終わりにしたい。


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《『短歌研究』勉強帖 2016年4月号》
《『短歌研究』勉強帖 2016年4月号》 谷口与鹿:手長像(高山祭) ...続きを見る

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2016/04/22 17:40
《『短歌研究』勉強帖 2016年3月号》
《『短歌研究』勉強帖 2016年3月号》 ---坂井修一の馬場あき子論「水と空」にまなびつつ--- ...続きを見る

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2016/04/08 10:31
《『短歌研究』勉強帖 2016年2月号》
《『短歌研究』勉強帖 2016年2月号》 ---森山晴美の「山ふかみ」にまなびつつ--- ...続きを見る

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2016/02/15 22:38

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