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みんなの「シュトックハウゼン」ブログ


《シューマンのチェロ・コンチェルト、OP.129》

2017/05/08 04:55
瀬谷こけし

Steven Isserlis - Schumann Cello Concerto Op. 129 Complete
https://youtu.be/7tm45E8kOR0



 ドゥルーズ(とガタリ)は「リトルネロ」の章ないしは地層を”シューマン”の語で終える。彼(ら)が念頭に置いているのは《チェロ・コンチェルト, Op.129》だ。もちろん《トロイメライ》(子供の情景)もだが。

>「ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する」(『千のプラトー』河出文庫。以下同じ)。

 最近はじめてスティーヴン・イッサリスのチェロ演奏を聴いて、シューマンの晩年の難解で危険な場所について取り組みたくなってきた。わたしにはシューマンが晩年に開こうとしていた場所は、ディオニュソス的な、しかも夜の神としての、静謐なニュクテリオスとしてのディオニュソスの世界だったように思えるのだ。そしてそこには途方もない危険がある。

 ドゥルーズがここで「リトルネロの脱領土化」の概念で示そうとしているのもこの同じ危険のことだ。

>「音楽の最終目的である、脱領土化したリトルネロを産み出すこと、つまり音楽を宇宙に解き放つ(lâcher dans le Cosmos)こと。〔…〕アレンジメントを宇宙の力(une force cosmique)に向けて開くこと。一方から他方へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へ、---つまり音楽家の〈子どもへの生成変化〉から子どもの〈宇宙的なものへの生成変化〉---このとき数多くの危険が生じる。ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力、お前につきまとうひとつの調べ、お前を貫く一つの音」(訳は一部修正)。

 この生成変化はシュトックハウゼンがよりダイナミックな仕方で追究してきたことと同じだ。全身をもってするニュクテリオスの世界の現成化。

 このチェロ協奏曲ではシューマンは悲しみのばしょから、この世への別れのばしょへと移り行き、さらに外へ赴くべく追究し、模索しする。その追求のためにわれわれには幾つかの線といくつかの運動があるばかりなのである。シュトックハウゼンの直観音楽以降われわれにはさらに直観とリズムによるガイドブックがひとつ与えられているとしても。


=====
イッサリス以外の演奏:

Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
https://youtu.be/dn-zZls0kdk


Heinrich Schiff, Schumann Cello Concerto in A minor, Op. 129
https://youtu.be/LqeOw5UBPDI
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《短波》

2016/12/27 22:45
瀬谷こけし


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 長く使っていたオーディオ用アンプのボリュームのところで入るノイズが取り除きにくくなっていて、アンプを買い替えることにした。買ったのはパイオニアの安価でシンプルなもの。もともとダイレクトでしか聴かないので、いろいろなコントローラーは不用だ。ニ三日前からそれを使って聴いているが、却ってこういうアンプでしか聴けない音もあるのだなと少しずつ慣れてきた。それで今日はグールドの「運命」を聴いた。---これはしかし音のエッジが立ちすぎて、機械的な音というか、メカニカルな修正が多すぎるような気がして、相性はよくなかった。---それでシュトックハウゼンの『短波』をかけてみたくなった。この『短波』だけは、いい加減な音で聴きたくないので、ここ10年以上、大津の「シュテルンクランク」のスタジオ以外では聴いたことがない。
 それでかけてみたのだが、音量をやや小さくしていたせいもあるかもしれないが、そして聴く方も全身全霊を挙げて聴くという集中をせずに聴いていたせいもあるが、かなりあっさりした音楽に聞こえた。あの、エクスタシーを越えて、さらに何度も何度も超えてゆくような演奏は、とても掴めなかった。それで思い出したのは、「こういう音楽は普通のところででは聞けないようにした方がいいですね」と言ったひとの言葉だ。スマホやMP3などの装置では聞けないようにする、そんなことでもあり、またいわゆる有名ブランドの装置のことでもある。
 エッジの鋭さはそれでいいのだが、それを取り巻くいろいろな波長・波形(音高・音色)の音をすべてその自然さで再現するような音響性能は、このアンプにはない。---いや、部屋を掃除すればさらにはるかによくなるのは間違いないのだが。ともあれ後日、このアンプを使ったシステムで、もう一度全身全霊を挙げて聴くことをしてみたい。
 そしてさらに思ったのだが、来年は福島県田村市の「あぶくま洞」でのシュトックハウゼンの演奏会を実現してみよう、ということだ。シュトックハウゼンの直観音楽の。この演奏で一番難しいのは、演奏者を選び出すことだ。その演奏者の一人として、上述の感想を言ってくれた人を誘ってみよう、と思った。核になる三人が決まれば、あとはもう少し楽に選べる。
 来年度は、いろいろと少し楽になるので、このプランを実現すべく、努力をしてみよう。
 (この読者の中に参加を希望する方があったらお声がけください)


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《マーロン・ブランドのこのリズム音は?》

2016/12/24 03:12
瀬谷こけし


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 一昨夜はベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』を観ていたが、即興性へのベルトルッチの迫り方は思いがけないおもしろさ、深さを生み出していると思う。私にとっては学生時代の映画だが。クロソウスキーの神の死の無神論の思想(サド論「Le Philosophe Scélérat」)がこんなところにも影響を与えていることが十分に確認できた。それはそれとして、私が「あれっ?」と思った一番の場面は、マーロンがホテルの管理人室に入って、壁にもたれて、後ろの壁を指でたたくあのリズムだ(チャプター10)。---これはシュトックハウゼンの作品「セイロン」(『来るべき時代のために』)のリズムではないだろうか? もろんセイロンそのものではないが。---こんな風に言っても、この読者の中にシュトックハウゼンの「セイロン」を聴いたことのある人はごく少数だろう。だが当時のヨーロッパの文化事情で見れば、マーロンがそれを聴いたことがあって、そのリズムが体に入っていたことは十分にあるのではないだろうか? だが問題はある。この映画は1972年制作なのだが、「セイロン」の最初のレコード発表(クリサリス・レーベル)は1976年なのだ(わたしたちのグループはこの発表前のレコードを都ホテルで彼からもらったのだが)。
 そしてwikipediaを見てみると「Ceylon was first performed by the Stockhausen Group at the Metz Festival on 22 November 1973」と初演日が出てくる。1973年11月22日初演というこの情報が間違いないとすれば、マーロンがその演奏を聴いてから『ラストタゴ』を撮ったということはないはずだ。
 ところで、シュトックハウゼンがセイロンに旅をしてこの作曲の元になる音楽を聴いたのは1970年7月の二週間のことだ。この「セイロン」の曲は彼の直観音楽にはめずらしく、正確なリズム譜がある。そのリズム譜は、この旅行中あるいはそれからあまり間をおかずに書いたのではないだろうか? そしてそのリズムを何かの演奏の中で使ったことはないのだろうか? そしてそれをマーロン・ブランドは耳にして覚えたしまったということは? このころのシュトックハウゼンは、直観音楽の演奏のためにパリのグループ(ディアゴ・マッソン主催)と密接に接触していた。---こう見ると、マーロンがパリでシュトックハウゼンのグループの「セイロン」の披露を耳にしたことがあってもおかしくないのではないだろうか?
 わたしはこのころのマーロン・ブランドの行動や交友圏をよく知らない。これ以上はそちらを詰めなければわからないだろう。そういえばシュトックハウゼンはJ・L・ゴダールの『中国女』(1967年)にも音楽を提供していた。フランス映画界とシュトックハウゼンは相当に近い距離にあり、共有するものも少なくなかったと思う。とりあえず今はここまでとする。



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《大きな遺産を相続すること》

2016/12/08 00:30
瀬谷こけし

ワイマールの野
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 ゲーテは、この世で画期的な仕事をするためには大きな遺産相続をする事(eine große Erbschaft zu tun)が必要だと言う。ナポレオンはフランス革命を、フリードリッヒ大帝はシュレージエンの戦役を、ルターは坊主どもの無知を、そして自分はニュートン説の誤謬を課せられ、継いでいると言う。(1824年5月2日、kindle版訳参照)
 この伝で言えば、わたしはニーチェの神の死を課せられ、継ぎ、そしてシュトックハウゼンの直観音楽を継ごうとしている。---しかしそれを十分継げるのか? 特に後者はまだ十分に継げていない。





ゲーテとの対話(上)
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2015-03-22
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《「ヤーレスラウフ(歴年)」の演奏(8月28日,30日)について

2014/09/07 18:40
瀬谷こけし
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30日の「ヤーレスラウフ」の演奏(サントリーホール)、最も美しく、素晴らしく、音の響きも鮮明だったのは、奏者全員が演奏しながら客席の通路に降りて、客席の出口から出てゆく時の、最後のピッコロの音だった。シュトックハウゼン自身も、それが最も意味豊かな音になるべく作曲したと思う。



音響の悪さ(雅楽版でも洋楽版でも音が曇ったようで、クリアーでない)には、敷物も多く、後ろに響板ではなくカーテンを垂らしているというような無思慮が大きく響いているだろう。
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《フリッチュが死んだ---Johannes Fritsch has died》

2014/08/19 22:45
瀬谷こけし

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 ハンス(HanTutschku)さんは二回目の(直観音楽の)演奏が終った後の雑談で、ヨハンネス・フリッチュ(Johannes Fritsch)が亡くなったことを教えてくれた。2,3年前とのこと。私たち直観音楽アンサンブル(IME)にとってはとても残念でショッキングなニュースだった。 "Dommage!" と、わたしはあえてフランス語で答えた。語りようがないダメージだった。
 シュトックハウゼンのアンサンブルの中でのフリッチュの演奏は、まさしく天才と呼ぶべき鋭さだった。あの鋭い自由なひらめきの動きは比類がない。
 私にとっても友人寺村にとっても、演奏の到達目標は彼にあった。一緒に演奏をすることでハンスさんはそれを感じ取ったのだろう。突然彼(ハンス)の方からそのことを言い出したのだから。
 これで、1969年4月9日の『短波』の演奏に加わった演奏者のなかの、誰が生き残っているだろうか? ゲールハールは多分。ボージェはどうだろう? 彼らのうちの誰かひとりでもいい、『七つの日より』を一緒に演奏したい。



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《ハンス・トゥチュク作曲の『迷宮』》

2014/08/07 20:39
瀬谷こけし
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 ハンス・トゥチュク(Hans Tutschku)さんの『迷宮』(Irrgärten)という作品、これはシュトックハウゼン(Stockhausen)の『マントラ』(Mantra)への返答だということだが、このハンスさんの作品は『マントラ』のどの演奏よりもよい。緻密で、緊密で、音楽の微細な構造をより深く構成し直している。

 ということは、『迷宮』は『マントラ』よりもより優れた作品だということになるだろう。

 ということは、ハンスさんは、作曲家として、電子的変調を使用して音高・音色間を微小化する緻密なピアノ曲という領域でシュトックハウゼンを越えたことになる。

 これは驚くべきことだが、認めなければならない。

 私はハンスさんの『迷宮』のCDを、まさにシュトックハウゼン出版が出すべきだと思う。あるいはシュトックハウゼンへの謝罪を兼ねてドイツグラムフォンが。





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《満月まで多分あと一日》

2014/07/12 02:04
瀬谷こけし
 今日(7月10日)は午前中は写真の整理。学外スクーリングの報告のための下準備でもある。午後は2時からハンス(Hans Tutschku)さんと、シュテルンクランクのスタジオへ行って現代音楽についての研究。夕方からは大学に戻ってハンスさんとIMEで直観音楽の演奏研究。その後夕食をともにして、彼をホテルに送って戻ると11時半。シャワーをして疲れをとってやっと今だ。彼の素晴らしい作曲やマントラの驚嘆すべきアレンジメントに、彼が当代の作曲家の第一人者のひとりであることを実感した。演奏についての彼のアドバイスは傾聴すべきものだった。核心のところで同意しきれぬところはあるが。しかしこうしたやりとりから、新しいことがきっと何か開けてくる。彼との友誼はまたこれからも続いて行く。
 ホテルまで送っていって別れる時、空に月がかかっていた。満月まで多分あと一日。






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《M氏への手紙》

2014/04/15 01:43
瀬谷こけし

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 ご無沙汰しております。
 私ども、このほどやっとCDを出すことが出来ました。貴方からアドバイスをいただいてから5、6年以上経っているのではないかと思います。遅くなりましたがこの日々も決して無駄ではなかったと思います。まずはひとに聴いていただくことの出来る、シュトックハウゼンの直観音楽の演奏が録音できていると思います。この演奏が、シュトックハウゼンのケルングループ以上の演奏だという気は有りませんが、まず十分に、日本の自然風土、文化風土、精神風土の中で解釈された直観音楽として日本でも、西洋でも通用するものだと思います。慢心しているわけではありませんが。
 わたしたちは、これをもって旅立ちをはじめます。貴方からの励ましは、わたしたちにとってとても大きな支えになっていました。その感謝の気持ちをもって、CDを一枚献呈させていただきます。
 まことに有り難うございました。


=================
このCDについてのお問い合わせは、
IME Records: sternklang@kdn.biglobe.ne.jp
までお願いします。


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《自分の身体においてリズムを多数多様化すること》

2014/02/13 20:23
瀬谷こけし
雪の残る愛宕山
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「民俗学」の採点が終り
久しぶりに写真を撮った



 例えばシュトックハウゼンの《短波》を十分に聴き取るためには、自分の身体の様々な部分を演奏の中の様々なリズムに呼応して多数多様に反応させ、且つまた先端を走るまだ演奏されていない音なきリズムを思考において踏んで行かなければならない。わたしはよく左右の10本の指を、それぞれの音に呼応させて聞いているが。例えば右手の人差し指をコンタルスキーのピアノに呼応させ、中指をフリッチェのビオラに呼応させ、左手の中指をボージェのエレクトロニウム呼応させ、かつ左手全体をアリングス/ゲルハールのタムタムに呼応させ、かつ左右の手を短波ラジオから流れる/流れた音に呼応させ、等々。しかもそれぞれの奏者が、多数多様なリズムをおのれの音の中に内在させ、潜在させて、切っ先を示しているのだ。その全体に反応すること自体、大変なリズム把握になるのだ。二拍子、三拍子、四拍子、五拍子という単純なリズムに全身を合わせる、というような単純な反応の仕方ではとうていシュトックハウゼンを聴き取ることは出来ないし、この世の中のリズムを聴き取ることも出来ない。単純な拍子に自分をあわせるという教育をしていれば、単純に従属する人間が作れるだろう。だが例えば、そんな単純な反応大系でボクサーが世界チャンピョンなどになれるはずがない。例えば腰の一瞬の動きだけで四拍子のリズムなどは簡単に取れるのだが、それが読み取れない人間が多い。実際そんな単純なリズムで全身を動かしていたら、1分ともたずにKOされてしまうだろう。はるかに細分化された多数多様なリズムを自分の身体のうちにもたせ、相手には読めないリズムでパンチを繰り出すことの出来る者だけが、勝利するだろう。ひとりのチャンピョン・ボクサーの身体の内には、実に多数の複雑なリズムが内在しているのだ。そしてこれはボクシングだけの話ではない。自分の身体の中に多数多様なリズムを潜在させまた顕在化させる、そういうことを可能にさせるリズム教育が必要ではないだろうか。軍隊の行進をモデルにして人間の身体をリズム的に単調化する教育はごくごく小部分にとどめておかなければならない。




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タイトル 日 時
大空滝で鳥とシュトックハウゼンを共演していた
大空滝で鳥とシュトックハウゼンを共演していた  今回の花巻行きで学んだ最も大きいことは、音楽のこと、鳥との技比べのことなのだが、なかなか上手く書けそうもない。大空滝の近く、雨でも鳴きたがる鳥がいるほどの鳥たちの聖域なのだが、私は小さな鳥笛で応答。鳥は多分シジュウガラだが、それはともかく、鳥の鳴声に対して私はその音楽的成分の一部を取り入れて変形して返す。シュトックハウゼンの[+−]の楽譜による変形と同じことをしているのだ。そして鳥の鳴き声を少し高度なものに変形して返すのだ。それをすると、鳥も応答せざるを得なくなるのだ。何も私の... ...続きを見る

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2013/07/13 00:15
シュトックハウゼンのための一日
シュトックハウゼンのための一日  昨日は東京から若い友人(IWJで知り合った)が来てくれて、シュトックハウゼン漬けの一日。はじめに大津のシュテルンクランクへ行って、しばらく話した後、「短波」(Kurzwellen)を聴く。  ほとんどそれだけで十分なのだ。聴く耳があれば、それだけですっかりすべてが変わる。ただ、ほんとうに、非常に正しくチューニングされた部屋、装置で聴かないと、聴き取れないものが多い。わたしがシュトックハウゼンの「短波」を聴くことのできる場所として勧められるのは、大津のシュテルンクランクのリスニング・スタジ... ...続きを見る

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2012/08/20 22:52
カールハインツ・シュトックハウゼンの「夜の音楽」
カールハインツ・シュトックハウゼンの「夜の音楽」 ...続きを見る

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2012/07/28 12:41
戦わないこと(三) 「醜いもの・必然的なもの・美しいもの」 FW. 276.  ――「ニーチェ探検」
戦わないこと(三) 「醜いもの・必然的なもの・美しいもの」 FW. 276.  ――「ニーチェ探検」  もう一度テキストから紹介しよう。『悦ばしい知識』(Die Fröliche Wissenschaft) 276のアフォリズムのからである。 ...続きを見る

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2012/04/12 23:59
シュトックハウゼンの《友情》(In Freundschaft, In Friendship)
シュトックハウゼンの《友情》(In Freundschaft, In Friendship) シュトックハウゼンの《友情》(In Freundschaft, In Friendship) ...続きを見る

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2012/04/12 06:02
春のにおい
春のにおい  大学へ行った。なぜか今日(4月10日)はいろいろな臭いが強くした。草のなま青い臭い、土のちょっと湿って動きはじめたような臭い、そしてイノシシの糞の臭い---とりわけこれが強かった。昨夜か今朝、イノシシが来たのだろう。研究室前は、そのまま山続きなので、イノシシもシカもやってきている。姿を見たことはないが、その跡はいつも残っている…。  ともあれ色んなものが活動を始めたことがわかる日だった。そして桜が咲くと、もう花が咲いているのが当たり前のように感じてしまう。どこかにマンサクの花でも咲いてい... ...続きを見る

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2012/04/11 00:39
昨日は晴
昨日は晴  昨日は久しぶりに晴天だった。たいしたことをしているわけではない。孫崎享の『日本人のための戦略的思考入門』を感心しながら読んだり、シュトックハウゼンの『ミクロフォニーI』を聴いたり。孫崎の戦略の定義の「自分に最適な道を選択する手段」は、その「自分に最適なもの」の設定に価値評価が入っており、そこに「国体を守る」等の原理主義的価値を入れれば、原理主義もまた戦略のひとつと看做されることになるのだろう。「戦略的」と言うだけで「反原理主義」を意味するわけではない。  ミクロフォニーは、コンタクトマイ... ...続きを見る

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2012/03/20 15:47
「ドイツ国歌」と「リリー・マルレーン」 そしてシュトックハウゼン
「ドイツ国歌」と「リリー・マルレーン」 そしてシュトックハウゼン  わたしは旧ドイツ国歌を聞くすべてのひとに、あるいはすべての国の、国歌を歌うすべてのひとに、カールハインツ・シュトックハウゼンの『ヒムネン』(とりわけ第二レギオーン)を聞いてもらいたい。そこでドイツ人カールハインツ・シュトックハウゼンがどれほど徹底して母国国歌の破壊と克服をおこなったか。 ...続きを見る

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2011/05/27 01:33
So hingegeben... (そのように献身して…) 2011年2月27日の演奏
So hingegeben... (そのように献身して…) 2011年2月27日の演奏  今日演奏したカールハインツ・シュトックハウゼンの直観音楽、『七つの日より』の中の「強さ」について。 その曲、つまり演奏指示は以下のものだ。 ...続きを見る

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2011/02/27 23:58
今日演奏した二つの曲について紹介しておきます
今日演奏した二つの曲について紹介しておきます  その二曲とは、カールハインツ・シュトックハウゼンの『七つの日より』(Aus den sieben Tagen)の中から、「正しい長さ」(Richtige Dauern)と「強さ」(Intyensität)です。まず「正しい長さ」: ...続きを見る

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2010/12/19 23:35
2007年12月9日 シュトックハウゼン追悼演奏会をこのメンバーで行った
2007年12月9日 シュトックハウゼン追悼演奏会をこのメンバーで行った シュトックハウゼンへの感謝の気持ちを確認して、演奏を始めた。 この上なくよい演奏が出来た。 だが、なぜか録音には失敗した。 音は何も残っていない。 ...続きを見る

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2010/05/31 23:04
目下のわたしの最も大事な仕事が …… 直観音楽
目下のわたしの最も大事な仕事が …… 直観音楽 目下のわたしの最も大事な仕事、シュトックハウゼンの弟子として直観音楽家としての仕事が、少しまとまりつつある。世に、これがわたし(たち)の演奏だとして示せるものが、幾つか出来た。彼の在世中にそれが示せなかったのが残念だが、しかしわたしの遺した碑といえるものができた。 ...続きを見る

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2010/03/01 16:34
今日、久しぶりに岩下徹さんと
今日、久しぶりに岩下徹さんと 今日、授業が終わって研究室への帰り道、山の上の能舞台の隣の屋上で岩下(徹)さんが踊っていた。ひとりで踊りの練習に体を動かしていたということなのだろう。あのいつもの黒い上下の練習服で。 お会いするのも久しぶりのことで、二三言葉を交わしていた。そのうち遊びたくなった。邪魔ではないというのでドラをもっきた。そして即興で遊ぶ。 ...続きを見る

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2008/12/02 00:24
「コンサート・ジェネシスIII」という演奏会に行ってきた
「コンサート・ジェネシスIII」という演奏会に行ってきた 11月7日、「コンサート・ジェネシスIII」という演奏会に行ってきた(京都造形芸術大学春秋座)。 演奏会の第二部で、「追悼 シュトックハウゼン」として「京都で作曲された作品二題」というものが組まれていたからだ。 曲は『リヒト--暦年』から3曲、そして『自然の持続時間』から4曲。 『自然の持続時間』は大井浩明さんのピアノ演奏で、質の高い演奏が聴けることははじめから期待できた。 意外だったのは和楽器による『リヒト--暦年』の演奏。これが素晴らしい。 最初の「百年の時間のための音楽」でそ... ...続きを見る

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2008/11/10 01:00
ドイツの音楽雑誌"MusikTexte" 5月号に小論文を載せてもらった
ドイツの音楽雑誌"MusikTexte" 5月号に小論文を載せてもらった 明日から花巻。その打合せで大学に行った。メールボックスにDellの宣伝冊子ともう一つ何やら黄色い冊子が。普通ならすぐゴミ箱に捨ててしまうところなのだが。  家に帰って、バッグの中を整理していると、その黄色い冊子にMusikTexteとドイツ語が書かれているのに気づいた。117号、Mai(5月) 2008。あ、あれだ、という感じだった。今年の1月に書いたシュトックハウゼンについての小論だ。タイトルは「音楽の大道無門」。2月号に載るはずだったのだが。  まさに最終締切日にメールで送って、... ...続きを見る

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2008/07/02 22:54
わたしには三人の師と……
わたしには三人の師と…… わたしには三人の師と、一人の先生があった。 三人の師とは、邂逅した順で、山中智恵子と、カールハインツ・シュトックハウゼンと、ジル・ドゥルーズだ。 山中さんはわたしの詩に、「清新な抒情に感動しました」と言ってくれた。 シュトックハウゼンは、私たちの音楽を聴いて「音楽家」と呼んでくれた。 ドゥルーズは、わたしのテクスト(トビー・ダミット論)を読んで「votre excellent texte」と言ってくれた。 この三人の師は、すでに逝去された。 ...続きを見る

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2008/05/17 00:58
ハンス・フェルスタッドさんの音楽を聴いた
ハンス・フェルスタッドさんの音楽を聴いた 昨日(2008年5月11日)ハンス・フェルスタッド(Hans Fjellestad)さんの音楽を聴いた。 京都北白川の「ビバラムジカ」(VIVA LA MUSICA)で。友人のデンマークの音楽家、カール・ニールセンさんが紹介してくれた人だ。 聴いた音楽は素晴らしい。アース・ミュージック、とか環境音楽とかいうジャンルになるのだろうか。他の二人の音楽家とともに、それぞれシンセサイザーをいろいろ変調して音楽を作ってゆく。 「癒し系」の音楽に分類されるかも知れない。癒しの効果はあるだろう。だが... ...続きを見る

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2008/05/12 07:16
松平敬さんからレスポンスをいただいた シュトックハウゼン「正しい長さ」Richtige Dauern
松平敬さんからレスポンスをいただいた シュトックハウゼン「正しい長さ」Richtige Dauern  松平敬さんからレスポンスをいただいた。2008年1月27日の、わたしたち「IME」の、シュトックハウゼンの「正しい長さ」"Richtige Dauern"の演奏のことだ。 ...続きを見る

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2008/01/31 01:28
シュトックハウゼン追悼 京都新聞2007年12月21日の記事
シュトックハウゼン追悼 京都新聞2007年12月21日の記事  京都新聞の2007年12月21日版にわたしのシュトックハウゼン追悼記事を載せてもらいました。穏やかで満ち足りたシュトックハウゼンの表情が一番のポイントだと思います。  下に再録しておきます。 ...続きを見る

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2008/01/29 23:50
奈良新聞 平成19年12月29日版に シュトックハウゼン追悼
奈良新聞 平成19年12月29日版に シュトックハウゼン追悼 奈良新聞 平成19年12月29日版第6面にわたしの「シュトックハウゼン追悼」の記事を載せてもらった。 サブ・タイトルを「音楽の『大道無門』開く」と付けてくれた。このサブ・タイトルがとても嬉しかった。 ...続きを見る

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2008/01/17 00:09
シュトックハウゼン ロルフ・ゲールハール Dr. Rolf Gehlhaar
シュトックハウゼン ロルフ・ゲールハール Dr. Rolf Gehlhaar シュトックハウゼン・メモリアルに投稿された文章からロルフ・ゲールハールさんの投稿を紹介しておきます。 http://stockhausenmemorial.blogspot.com/2007/12/share-your-thoughts-of-karlheinz.html ゲールハールさんは、あの『短波』で、羅漢のごときアリングスとともに短波受信機とタムタムの演奏をしていた人です。 深い思慮のある人に見えます。 彼の投稿に感動しました。 彼が投稿してくれたことにも感謝しています。 ... ...続きを見る

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2007/12/22 03:22
浅田彰氏の追悼文「シュトックハウゼンを悼む」に感じるもの
浅田彰氏の追悼文「シュトックハウゼンを悼む」に感じるもの 2007年12月12日の読売新聞に掲載された浅田彰氏の「シュトックハウゼン氏を悼む」という追悼文には、何か虚しい思いがつきまとう。その正体は多分終りの方の次のような文章から見えてくるように思う。 ...続きを見る

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2007/12/20 13:42
シュトックハウゼン very relaxed and delighted
シュトックハウゼン very relaxed and delighted  カール・ベルクストレーム・ニールセンという音楽家がいる。デンマークのひとで、わたしの友人、あるいは直観音楽の同志である。12月13日にメールをくれた。彼がシュトックハウゼン・メモリアル(Stockhausen Memorial)に書いた記事を読んでほしいということだった。そしてそのメモリアルのことを教えてくれて、わたしにも書いたらどうだと勧めてくれたものだ。わたしもそこに短いメッセージを書き込んだ。 http://www.stockhausen.org/ 今もここで受け付けてくれて... ...続きを見る

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2007/12/18 05:43
佐藤真さんの『サイード(Out of Place)』を観た [追悼]
 佐藤真さんの『サイード(Out of Place)』を観た。  土地にすっかり根づいてしまってはいけない。また、根なし草になってもいけない。そういうメッセージと理解してよいのだろうか?  あるいは、ひとはみな人種的にも民族的にも混血で、混血者として自分自身の(固有の)生を描いてゆかなければならない。そいういうメッセージと理解してよいのだろうか?  とすればわたしは完全に賛同する。 ...続きを見る

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2007/12/17 00:14
シュトックハウゼン 音楽の「大道無門」
シュトックハウゼン 音楽の「大道無門」  わたしの家に上司永慶の「大道無門」の軸がある。東大寺の別当をされていたときに書かれたものだ。抽選だったのだが運良く手に入れることができた。  字の意味は、どんな方途をとっても仏道の究極に達することが出来るという意味だと理解しているが、誤っていれば訂正していただきたい。  この書軸を得て以来、この大道無門という言葉が大好きになった。そしてこの言葉は、あの東大寺のスケールの大きさをよく示しているように思うのだ。たとえばあの二月堂のお水取りの音響空間。あの音響空間の中では鉦や法螺貝なども破天... ...続きを見る

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2007/12/15 07:32
Dear Music Lovers (Stockhausen's music)
Dear Music Lovers (Stockhausen's music) Dear Music Lovers ...続きを見る

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2007/12/13 12:05
長木誠司氏のシュトックハウゼン追悼記事
長木誠司氏のシュトックハウゼン追悼記事  2007年12月11日の朝日新聞朝刊に長木誠司氏の「作曲家・シュトックハウゼン氏を悼む」という記事あった(大阪本社・10版)。副題は新聞社が付けただけのものだろうからここでは措く。しかし二点について、ささやかな疑問を呈しておきたい。  1.「信奉するのは無色透明で純粋なテクノロジーのみ」と長木氏は言うが、まずは具体的にシュトックハウゼンのどの仕事を指してこう主張しているのか、明示していただきたい。  2.「その(=直観音楽の:引用者注)独特のいかがわしさが演奏者たちにカリスマ視されたも... ...続きを見る

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2007/12/12 00:17
わたしたちがこれからも直観音楽を続ける理由
わたしたちがこれからも直観音楽を続ける理由 あのシュトックハウゼンの『短波』が示した最高の歓びが、また達成され、繰返されるものであることを示したい。 これがわたしたちがこれからも直観音楽を続けてゆく理由です。 賛同してくれる人を求めます。  中路正恒 ...続きを見る

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2007/12/10 00:37
[悼辞] シュトックハウゼンが亡くなった 巨大な人だった
[悼辞] シュトックハウゼンが亡くなった 巨大な人だった  シュトックハウゼンが亡くなった。  巨大な人だった。 ...続きを見る

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2007/12/09 05:14
カールハインツ・シュトックハウゼン 追悼演奏会
カールハインツ・シュトックハウゼン氏の逝去を悼み 追悼演奏会を開きます 時 2007年12月8日 18時30分より 所 京都造形芸術大学陽陽館2F  演奏曲目  1. 正しい長さ (『七つの日より』より)  2. 無限に   (同上) ...続きを見る

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2007/12/08 21:02
カールハインツ・シュトックハウゼン氏の死を悼みます
カールハインツ・シュトックハウゼン氏の死を悼みます ...続きを見る

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2007/12/08 20:55
きのうピナ・バウシュの話を聞いてきた
きのうピナ・バウシュの話を聞いてきた  きのう(11月12日)午後1時間だけピナ・バウシュの話を聞いてきた。   sein eigenes Gefühl zu vertrauen (自分の感じ・感覚を信じる)   seinen eigenen Körper zu vertrauen (自分の身体を信じる) ということを非常に自信をもって主張していた。たしかにここに一つの要点があるだろう。  授業があるので、ピナ・バウシュの話を聞いただけでその「ワークショップ」から退出したが、もし質問ができるなら、その... ...続きを見る

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2007/11/13 20:20
シュトックハウゼンの「創造的エクスタシー」
シュトックハウゼンの「創造的エクスタシー」 「七つの日より」と題された文章の中でシュトックハウゼンはこう言います。 "Musikalische Meditation ist keine Gefühlsduselei, sondern Überwachheit und --- in den lichtesten Momenten --- schöpferische Ekstase." (Karkheinz Stockhausen, "AUS DEN SIEBEN TAGEN",Texte zur Mus... ...続きを見る

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2007/08/06 01:33
音楽的瞑想とはたわ言ではなく……シュトックハウゼン
音楽的瞑想とはたわ言ではなく……シュトックハウゼン 紹介しておきます。 Musikalische Meditation ist keine Gefühlsduselei, sondern Überwachheit und --- in den lichtesten Momenten --- schöpferische Ekstase. (K.Stockhausen, AUS DEN SIEBEN TAGEN) 「音楽的メディテーションとは、感情的なたわごとではなく、超覚醒であり、そして---最も輝かしい諸モ... ...続きを見る

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2007/08/05 01:45
「間」について (シュトックハウゼンの「正しい長さ」から考える)
「間」について (シュトックハウゼンの「正しい長さ」から考える) 古語に「間近し」「間遠し」という語があります。普通「間」の語を使って表記します。 古語辞典の中でおそらく最も鋭い言語感覚で書かれた『岩波古語事典』もこの表記を使っていますが、わたしにはこれはもとは「目(ま)近し」「目遠し」であった気がします。 「間」についてエッセンシャルに考えるためには、「間」を「目」から考えることが必要ではないかと思います。 「間(ま)」は「Punkt・点」(ドイツ語)と関係し、あるいはより正確には動詞の「punktieren」(点を打つこと)に関係すると思います。... ...続きを見る

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2007/07/25 03:16
封印を解き 直観音楽を再開した
封印を解き 直観音楽を再開した 五十五歳になるまで直観音楽は封印していた。それはこんな理由だ。 大学院に入るときの面接で上田閑照先生から、「大学院に進むというのは単に学問を続けるということではなくて、研究に一生をささげるということなのだ。君はその覚悟ができているね」と訊かれた。僕が音楽に本気でかかわっているということを聞き知っていての質問だった。 この時直観音楽の方は一段階を越えていた。僕らの演奏テープを聞いてくれたシュトックハウゼンは、あとで「京大音楽研究会の音楽家たちに」(ドイツ語)と手書きして、楽譜、LPレコード... ...続きを見る

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2007/04/21 02:43

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