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みんなの「飛騨」ブログ


《みどりに燃える飛騨の山々》

2017/06/05 20:22
瀬谷こけし


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 柳田国男が高山から荘川村まで飛騨の道を歩いたのは明治42年6月2日のことだった。彼が小鳥峠の小梨の花など飛騨の山々の姿を見て「初めて旅に酔う」と記したのがこの時だった。時期の違いは年によって若干の違いはあるだろうが、6月初旬の飛騨の山々はとても美しい。
 橋本繁蔵さんが亡くなって、葬儀に出かけたのもこの同じころだったはずだ。帰り道のせせらぎの道すぎの山々が繁蔵さんを祝福するかのようにとても美しかったことを思い出した。今年6月4日、あまり体調のすぐれぬままよんどころのない用事で高山に出かけ、この日にせせらぎ街道を通って帰った。時間はもう午後四時を回っていたが、傾きかけた陽の光の中に、飛騨の山々はとても美しかった。みどりが燃え立つように。
 こんな美しい緑を見たら、もう一年分の美は十分に味わったことになるだろう。
 飛騨の山のみどりの美しさを味わうなら6月のこのころだ。みどりの強さがしっかりしはじめてくる頃。そのごく短い間を逃すと、緑が強くなって、人が気圧されるようになる。
 飛騨の山々のみどりにも、とりわけ美しい時期がある。柳田もきっとこの美しさに触れたのだ。


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《梅村堤の跡?》

2017/04/07 12:20
瀬谷こけし

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 昨日(4月6日)はなぜか北の方に歩いてゆきたくなって、結局斐太高校の運動場のわきから大八賀川の右岸(東側)を歩いた。先へ少し進めば宮川との合流点にでるが、そのまま右岸を進む。すると左岸の方で護岸工事をしていて、めずらしいものが見えた。どうやら工事して河岸を掘った下から昔の堤石らしきものが出てきているのだ。これは多分、昨年の福井先生の講義で話のあった、明治初年梅村堤の跡ではないのだろうか? それがその後の護岸工事で埋められていた? 土の中に埋まっていたとしか思えない石や石壁が見えていた。これもこの工事中の一時期しか見られない姿だろう。貴重な写真と言えるかもしれない。


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《高山は冬》

2017/02/06 20:44
瀬谷こけし


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 昨日の夜から高山は時々雨が降るようになり、だいぶ暖かだった。それでも、ボイラーの火力が低いので、湯量の乏しいまま家でシャワーを浴びて、そのせいか今日は風邪気味だった。午後にバッファリンを飲んでからはまずまず調子が回復してきたが。---ともかく今日は暖かかった。道路もシャーベット状だったものがジュクジュクシャーベットになっていた。家の前の雪も昨日のこちんこちんの凍結状態からはだいぶ柔らかになっており、鶴嘴の先がさほど難なく、路面にまで届いていた。そんな路面の雪かきを隣のおばさんがやってくれていて、わたしは仕事をすべく図書館に行っていたのだが、風邪のために調子が悪く、結局ほとんど仕事も進まなかった。早々に家に戻ってバッファリンを飲んで寝ていたということだ。ともあれ春の気配のある一日だった。咽喉の方は朝イソジンを濃くして嗽して、いがらっぽいのがまずまず治ってきたが、舌の方はまだまだで味覚がめちゃくちゃだった。
 思うのだが、わたしは高山は断然冬がいいと思う。冬に来てはじめて生活に緊張が感じられる。毎日どうしてもしないといけない仕事がある。家の前の道路の雪踏みや雪掻きだし、屋根の雪の配慮だし、水道の凍結の管理などだ。家の前の融雪水路の水を流れさせておく配慮も必要だ。そして町中を歩くのでさえ、滑りやすい雪道を歩く細心の注意が必要だ。それをしないと簡単に転んでしまう。だから急いで歩くこともできない。そんなことを町のみんなが知っている。建物について、徒然草に「夏を旨として建つべし」と言われているので、吉島家などその夏の暑気よけのいろいろな工夫を説明してくれるが、実を言えば冬の屋根に積もる一メートルを越す重たい圧雪にも堂々と耐えられる構造ができていて、その上での話だ。飛騨の家は雪に強い。その前提があっての話を勘違いしては話にならない。そして実際積雪は怖い。今日図書館への往復にあるいて見回ったところ平均して30から40センチの積雪。多い家は50センチぐらいだった。一昨年よりはこれで20センチほど少ない。---もっとも寒中であればもっと積もっていただろうと思うのだが、そのころは高山に行くこともできなかった。そして雪の原の中で降るままに雪を載せた家こそ飛騨の家、飛騨の建物だとわたしは感じる。このたくましさがわたしが飛騨で味わう一番大きな感動なのだ。豪雪地帯であればもっと別の工夫がいるだろう。飛騨は豪雪地帯ではないが、それなりに雪は降る。飛騨の人々の強さを感じるのは冬が一番だ。そしてまた飛騨の人々の繊細さを感じるのも冬が一番だ。その格子窓の繊細さは、極寒の冬の夜にこそ感じ取れるものだ。こんな風でわたしは飛騨も高山も冬が一番好きだ。
 今日は一日暖かだった。細切れに雨が降り、軽く雪が降り、時々は陽がのぞいていた。だが明後日からはまた零下6、7度まで下がるという。水道管のヒーターを忘れないようにしないと。


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《美しい日没を見た》

2016/11/06 08:36
瀬谷こけし
 昨日、晩秋の美しい紅葉を見て

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乗鞍岳
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御岳
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美しい日没を見た。

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《ゴミとゴミ箱、そして一燈》

2016/10/01 23:30
瀬谷こけし
 ゴミがある。ゴミ箱が要る。それはよくわかる。
ゴミがいる。ゴミ箱がいる。しかしそれは必要なのか?
わたしは疑問に思う。
むしろ必要なのは一燈をともし続ける人だ。
だからわたしはゴミ箱人間は必要ないと思う。
わたしは、西村宏一という一燈を灯し続けたひとりのひとの縁で飛騨学をはじめた。
人間に関してはゴミ箱は不要だと思う。
そしてわたしが思うのは、私自身がひとつの燈でありたいということだ。それ以外のことは何もない。
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《H14.8.17のりくら山頂》

2016/05/14 01:46
瀬谷こけし


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 こんな記念品が出てきた。家族全員で登った飛騨周辺の山の三回目。初回が平成12年の御嶽山。二回目が立山。そして三回目が乗鞍岳だ。その次からは家族がそろわず、もう行けなかった。西の白山にもぜひ登りたかったのだが。
 それから14年。これからは孫を連れて行けるか、という話になるだろう。しかし、この三回の家族全員での山登りは忘れがたい。


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《折敷地の猟師橋本繁蔵》

2016/02/05 04:21
瀬谷こけし
 折敷地は橋本繁蔵さんの小屋があったところだ。この2月3日、彼がいれば熊狩りに連れて行ってもらう時期だと思いながら、久しぶりに折敷地に出かけた。繁蔵さんが亡くなってからはじめて折敷地行きだった。行けば昔ながらの丈夫そうな飛騨の家々が変わらずにあって、とても安心した。このような建物たちがなくなったらわたしはとても飛騨をイメージできなくなってしまう。この雪や寒さに耐える丈夫な家々、蔵、作業小屋等々。
 写真の小屋は、繁蔵さんが熊狩りに出るとき出発点にしていた小屋だ。わたしは2001年から11年間、毎年熊狩りに連れて行ってもらっていたが、わたしもここで寝て、朝、山に向かったことがある。高山から出るより30分は早く山に入れる。この小屋から歩いて二三分のところにスノーモービルを止めていて、そこから一時間から一時間半ほどモービルで雪山の道を登って、止め、そこから歩いて熊穴に向かうのが通例だった。雪道と言っても二三メートルは雪が積もっていて、その前に何度もスノーモービルで雪踏みをしているから早く行けるので、雪踏みからやらなければならないときは止め場所まで行けないことが多い。止め場所になるような少し広さのある場所が何か所もあるわけではなく、しかしそういう多少とも広い場所でないと、モービルの方向転換をすることができず、方向転換は実際至難の業なのだ。雪はいつも相当やわらかい。そうした少し広いところの停車場所を作るために、繁蔵さんが何度も何度もモービを前進・後退させ、少しずつ雪を固めて行っているところを、わたしは自分用のモービルに乗ったまま、感心して、また半ばあきれて見ていたことがある。10回20回ではない。もういいだろうと思ってもさらに踏んでいた。30回を越え、さらに40回を越えたのでわたしは数えるのをやめた。そうして出やすい方向に方向転換してモービルを止める。その後でわたしが自分用のモービルを止めようとするのだが、とりわけバックでは雪質を感じながらの微妙なアクセルワークが必要なのだが、それをうっかり吹かし過ぎて、クルーラー(後輪)が雪を掘って、あっという間にもぐっていってしまった。前進させようとしても動かない。大失敗だ。繁蔵さんが代わってくれるが、もはや彼でも脱出ができない。そうなったときには普通はスコップを取り出して(スコップは必需品だ)前の方を掘って、高さの差をなくして、脱出を図るのだが、このときはそれでも脱出できなかった。このときはどうしたか。繁蔵さんが三四センチほどの太さの葉っぱの付いた枝を数本伐ってきて、クルーラーの下とソリの下に入れるのだ。もちろんのことだが、下に入れるためには、モービルの隣のスペースの雪を、潜ったモービルと同じ高さまで掘らなければならない。その作業だけで30分以上の時間がかかり、体力を激しく消耗する。彼の数十回の雪踏みも、わたしのよううな下手なライダーを連れているときには、十分ではなかったのだ。少し言い訳をしておけば、わたしが貸してもらっていたモービルはツーサイクルのエンジンのもので(多分バイクのRZ350と同じエンジン)バックでの微妙なアクセルコントロールは相当難しいものだった。繁蔵さんは650ccのフォーサイクルのモービルを使っていた。そんな風に、繁蔵さんには、山への入り方のなにもかもを助けてもらいながら教わっていった。雪の中でモービルが立ち往生してしまったことも何度か。一度はシャワリ(V溝)を越えるときにアクセルを吹かし過ぎて、モービルから振り落とされ、その自分のモービルに左足太ももを轢かれてしまったことがある。下が雪なのでたいした傷にはならなかったが、少し出血もして、踏まれたところは後でアザになった。モービルは横倒れのまま三メートルほど走って止まった。繁蔵さんたちは気付かずに先に行ってしまていて、ともかくわたしは自力でモービルを脱出させ、道に戻し、動かさなければならなかった。---自力ではなかなか脱出できなかったが、それなりに脱出に近づいていた。30分ほどして繁蔵さんたちが戻ってきてくれて、三人でソリの前方の雪を掘って、脱出できた。こんな風にいつも足を引っ張っていたが、繁蔵さんはあきらめることなくわたしを連れて行ってくれた。

 この2月3日は、丹生川ダムが完成していて、折敷地の在所からも壁のように、高いコンクリートの建造物が見えて驚いた。それが丹生川ダムだということはすぐに分かった。ダムは2014年の6月から放水も始めているということだった。車でダムの下まで行き、また上まで行ったが、繁蔵さんが生まれた五味原はまるまる、すっかりダム湖の下だった。生村生雄さんの科研の調査で数人でおじゃまして、熊狩りの初歩的なことを学びながら繁蔵さんたちとモービルに乗って走り回って遊んだところも、まるまる湖の底に沈んだ。そして狩りに行くときいつもカモシカが見下ろしていた山はちょうどダムの上辺が山と接するあたりだった。橋本繁蔵の死は、どんな新聞にも一行も書かれていないかもしれない。けれど彼はすごい男だった。猟師の名にふさわしい、飛騨の猟師の名にふさわしい男だった。飛騨弁でいう「きつい」男でもあった。彼に言い負かされて恥ずかしい思いをした人間もきっと少なくなかっただろう。そのために買った恨みもあっただろうと想像する。何しろよくできる人で、言葉と行動が完全に一致していた。山とか熊狩りに関してはなおのこと厳しかっただろう。折敷地、そして丹生川の山々、時には上宝の山にも入ったが、そこらはわたしと繁蔵さんの遊び場だった。こよない、この上ない遊び場だった。

 この繁蔵さんの折敷地の小屋の中には彼の自作のかんじきも見えた。少し青いのがそれだ。ギアを作る素材で作ったもので、材料費だけで二万円するといっていた。少し重いが、これが雪の中で雪がくっつきにくく、最高だということで、山に入るときにはわたしにも貸してくれた。実際かんじきを靴に留める紐にも工夫が必要で、雪がまつわりつくととたんに重たく、また煩わしくなってしまう。彼はビニールハウスに使うテレビアンテナの平行フィーダー線によく似たものを使っていた。確かに具合がよい。わたしは自家用のものもビニロン紐からその平紐に変えた。そのようにして細部に至るまで研究熱心な男だった。そしてそれを自分で開発する技術と知識があった。煙草のことだけは考えが合わず、そのことで二度けんか別れになった。その二度目のけんか別れをそろそろ解消して思っていた時、彼の死亡の知らせが入ってきた。葬儀にわたしは参列させてもらったが、彼の猟師仲間は見たところ一人も来ていなかった。出来すぎる男だったと、見る人には見えただろう。それを見たくなかった人間が、飛騨にも多かったのだろうと思う。



折敷地集落・背後に巨大なコンクリート建造物
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家と蔵
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繁蔵小屋
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かんじき
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いちいの木
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丹生川ダム
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猟期には場面右下の道路の端に2台のスノーモービルをとめていた
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湖水の奥の方が五味原集落のあったところ
後ろの山の奥の方で狩りをした
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このあたりよくカモシカがいた
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ダムの放水路を上から
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恵比須の湯
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 橋本繁蔵のような男はまた現れるのだろうか? あれほどのきつい男が? ---多分また生まれてくる。どこかに。夕光とともに立ち上がる雲をみていて、そう思った。それは飛騨の地にではないかもしれないが。



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《西ウレ峠》

2016/02/04 01:57
瀬谷こけし


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 岐阜県の郡上八幡と高山を結ぶ道、通称せせらぎ街道の最高点をなすのがこの西ウレ峠だ。標高1113m。わたしの人生の中でもこの峠は外せない。坂本トンネルが開通してから、そして郡上八幡まで東海北陸自動車道が通るようになってからは、この道を通ることが多くなった。京都から高山までは長い道のりなので、家族で旅行するときは途中何箇所かで休む。往路復路ともこの峠で休むことが多かった。春、つまり5月初めには、帰路よくここでツクシを取った。ツクシはわたしの小学校以来の好物なので、京都に持って帰って、ハカマを取って炒めて食べた。だが一番重たい思い出は、星の降る夜、つまり流星群が訪れていた夜のことだ。家族で流星を見ながら、願を掛けたことがあった。その時は義父の癌の確定診断が出ていて、もう手術日も決まっていた。その時は手術前の見舞いに家族で行ったのだった。手術が成功して、また元気になるようにということが、みなの一番の願いだった。だが開腹してみると、癌は、臓器の癒着がひどく、もう取れない状態だった。義父はその後五年も生きてくれた。洗いなおした仏壇を見ることもなく義父は逝った。
 この峠を、雪の夜中に通ったことも何度かある。連載していた岐阜新聞の記事の取材に、どうしても行かなければならなかった。またクマ狩りに連れて行ってもらう約束を果たすために、無理をしてでも行かなければならないこともあった。まったく一台の対向車にも会わなかったこともある。その頃は坂本トンネルが有料で、ゲートの小父さんに通れるか? と尋ねて、わからないという答えだったこともある。もちろん新雪が30cm以上積もったままということはなかったが。幸いこれまで無事に通ることができた。だが止まってしまった場合にも夜が過ごせるようにガソリンをいっぱいにしておくこと、いざとなった場合はどこまで歩いてゆくかを覚悟して決めておくことは欠かせないことだった。そして実際一度だけだが、ジェネレーターの故障で、車が止まってしまったことがあった。4WDの三菱のダンガンに乗っていた時だ。さいわいもう一度だけエンジンがかかって、そのまま、一度もエンジンを切らずに、コンビニで電話をかけて、閉店寸前に三菱の工場に持ち込んだことがある。かんじきやスパイク付きの長靴を用意していたとしても、30kmもの夜の雪道は歩けなかっただろう。だが最低でも10kmは歩く覚悟をしておかなければならない。そうして何度かは、死の近さを感じながら(車で)走っていた。そんなときはあの「新四郎」(柳田国男の『山の人生』のモデル)が、すぐそばで声をかけてきている感覚がしていた。
 ここはわたしの人生で忘れられない場所になった。
今日は日中の、除雪された帰路で、ほとんど不安はなかった(路面凍結の危険は少しあったが)。


*補注:
白川村出身の義父はこの峠のことを西ウレ」ではなく「西クレ」と呼んでいた。その方が伝統的な呼称かもしれないので追記しておきます。この峠名の由来を知っている方はあるだろうか?



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《Web百首7「飛騨道」》

2015/12/11 01:17
瀬谷こけし


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 「飛騨道」 六首

○磨墨(スルスミ)の山も紅葉も道の駅も頼みにしつつ世を過ごしけり

○この後をいかに過ごさむ冬枯れの山をめぐらむ友もあらずに

○「巣野俣(すのまた)にふるさとの学校を」 ふるさとは何(なん)にもなくてかなしいところ

○榑葺(くれぶき)屋根の傾き忘れ家が建つかくてや飛騨はほろびゆくらむ

○病院の見上げる五階の窓の列あの暗きにぞわが孫をらむ

○最近は燗の日本酒好みをり冷たくもなし鋭くもなし




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《岩井谷と、ある丘と》

2015/06/28 00:01
瀬谷こけし
 以前、橋本繁蔵から、嶽(乗鞍岳)から吹きおろす風のすさまじさを聞いたことがある。風と言うか、雪嵐、みぞれ嵐と言うべきか。そのみぞれ嵐の吹き荒さぶ川は渡れない。飛ばされてしまう。熊でも飛ばされてしまうと言っていた。もちろん、真冬の猟期での話しだ。多分、彼以外だれも見た事のない景色。いや、かつて何人かはいるかもしれないが、生きて帰り、語り伝えられた人は稀だろう。彼は、そのために一キロも下流の方まで下りて渡るしかなかったと言っていた。今日はそのあたりを通ってきた。車を走らせていたというだけの話しだが。彼の好きそうな場所、愛してやまない場所だということはよく分かった(彼ほど美しい渓谷を愛していた人は稀だろう)。今回の旅では、橋本繁蔵を知る人ふたりから、彼の話しを聞いた。おのれの人生の完結のさせ方に彼は納得しただろう。
 久しぶりに訪れたもう一つの丘も、その素晴らしさを再認識した。多分人間よりも植物や動物の方がそのよさが分かっていると思う。わたしは多少雑草の気持ちが感じられることがあるので、それでそこのよさが分かったりする。
 今日は愛車プジョー206のある秘密が初めて分かった日でもあった。

はじめの二枚は岩井谷
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ここからはある丘で撮ったもの
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ふかふかのあぜ道と美しい蝶
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そして何と美しい雑草!
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ここがどこか分かる人がいるだろうか?






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タイトル 日 時
《ローストチキン@高山》
《ローストチキン@高山》  高山でもこういうローストチキンの店があった。10月末に行った時に見付けておいた店で、今回はそのつもりにして買って夕食にした。味は穏やかな味と言ったらよいのか、雑味のない素直な味で、美味しい。とりわけ脚の肉は、よく締っていて、非常に美味しかった。 ...続きを見る

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2014/11/18 10:55
《飛騨の花と山》
《飛騨の花と山》  清見坂下、久々野無数河、国府八日町。(写真8枚) ...続きを見る

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2014/10/14 00:36
《宮川の水》
《宮川の水》  昨夜のこと。散歩に行った。高山駅まで行って、それから赤い橋(中橋)を通って家に戻るいつものコース。中橋の下にライティングがされていた。下を覗くと川底の砂までくっきり見える。いつもそうだったかも知れないが、特別なことのように思えた。昼間清見の坂下や、久々野の無数河やらに行ったせいかもしれない。飛騨の川の清さが強く印象に残っていたようだ。  この高山を流れる宮川の水の、ほとんど上流のような清さも、この町の特別な宝に思えた。 ...続きを見る

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2014/10/13 23:31
《あゝ野麦峠》の映画を見た
《あゝ野麦峠》の映画を見た  この時期この日、野麦峠のお助け小屋に泊まろうとするひとが他にいるとはもともと思っていなかったが、朝の八時半過ぎに電話して、泊めてもらえるという事なので、予約した。授業が終わって、そして会田先生とファミレスでしばらく話して、結局高山を出発するのが5時半を過ぎた。  野麦峠のお助け小屋に着いた時はもう6時50分を周っていて、食堂の方の入口は閉まっていた。また奥の建物の入口も閉まっていて、人がいるのかどうか、少し心配になった。しかし勝手口のようなところは鍵がかけてなくて... ...続きを見る

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2013/06/10 09:23
飛騨ことば
飛騨ことば  「環境文化論・飛騨」の授業もあと一日になった。大きな山は越した。林(格男)先生は飛騨言葉の「ゴテ」について大変適切に答えてくれた。それが今日の最大の喜びだったといえるだろう。---答えられない(飛騨)研究家も多いだろうに…。 ...続きを見る

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2013/06/08 22:10
圧倒されとおし---飛騨の白山の麓
圧倒されとおし---飛騨の白山の麓 飛騨の白山 ...続きを見る

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2013/06/08 05:02
飛騨の授業の準備
飛騨の授業の準備  「環境文化論・飛騨」の授業が7日から始まる(6月)。それで準備で何かとばたばたしている。変更を余儀なくされたのは天生(あもう)峠が7日の時点ではまだ開通しないということが明らかになったこと。そのため当初計画していた白川村から天生峠越えで河合村に行くルートが使えなくなったのだ。この峠道に東山魁夷の唐招提寺の壁画の原風景を見るということはできなくなってしまった。  それでT先生にご相談いただいた。高速道路で清見(夏廐)に戻り、そこから北に行く道を通って河合村(今は町)に出ることにした。この道... ...続きを見る

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2013/06/05 23:45
夢はそのあとにはもうつづかない…
夢はそのあとにはもうつづかない…   夢はそのあとにはもうつづかない*) ...続きを見る

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2013/04/16 03:54
これは平湯温泉で買った白鬼灯(シロホオズキ)
これは平湯温泉で買った白鬼灯(シロホオズキ)  これは奥飛騨の平湯温泉で買ったシロホオズキ。ここにはよく地元の野菜を売ってくれている店があって、行った時にはたいてい覗いてみる所だ。お好みの店。  そこにシロホオズキがあった。前に一度「夕陽を観る会」で試食させてもらったことがあって、とても美味しいことを知っていた。この平湯の店でも試食させてもらって、とても美味しいので、一袋だけいただいてきた。天然の塩味がある。そして甘みと、独特な酸っぱさがある。珍味だが、とっても好きだ。妻も気に入ってくれている。  家に持って帰ると、子供たちもみな珍... ...続きを見る

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2012/08/29 22:19
田舎の野暮ったさ…
田舎の野暮ったさ…  「環境文化論・飛騨」のレポートを採点していて、出会った言葉。長く引けば、「高山陣屋の玄関正面に飾られていたもち花は、田舎の野暮ったさを感じさせない、凜とした姿をしている」、という表現。  こう言われるとこのとおりで、わたしは飛騨高山の文物に、野暮ったさを感じたことは一度もない。これは非常に特殊なことかもしれない。江戸時代に長く幕府直轄領であったことで、特別な自負や、厳しさが、高山中に漂っている気はする。 ...続きを見る

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2012/07/23 22:42
7月14日 朝の下呂温泉 (LumixG3写真)
7月14日 朝の下呂温泉 (LumixG3写真) ...続きを見る

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2012/07/15 08:56
天生(あもう)峠を一走り (Lumix GF3)
天生(あもう)峠を一走り (Lumix GF3)  6月12日のこと、結局時間がなくなって、河合村から白川村へ、天生峠を越えてひとっ走り。時々車を止めて、写真を撮った。  途中、すれ違う車は何台かあったが、追い越してゆく車は一台もなかった。時間が遅かったためだろう。  白川村に着いてからは、JAの店で少し物を買って、高速道路で帰った。10km以上のトンネルに驚くが、高山清見まで、30分ほどで着いた。これなら高山から白川村に行っての授業も出来る。来年度の授業の可能性が広がった。 ...続きを見る

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2012/06/14 14:10
天生峠は緑の悦楽
天生峠は緑の悦楽 政井みねの墓、専勝寺(旧河合村) 案内板に、 明治21年2月3日出生 明治42年11月21日死去 と記されている。 ...続きを見る

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2012/06/12 23:29
今日は素晴らしいことがたくさんあった(飛騨高山)
今日は素晴らしいことがたくさんあった(飛騨高山)  今日は素晴らしいことがたくさんあった。素晴らしいことというのは、思いもかけない出会いを含むものだが。  まずは飛騨のみどり。この時期毎年飛騨に行っているのだが、今年は山が例年と違った。まず郡上の明宝あたりで、例年ならさいているヤマボウシの花が、まったく見られなかったこと。そして飛騨に入ると、その緑の様子が例年とまったく違う。青年の新鮮さ、それと若々しさ、そして力強さが山の木々の緑にあった。見ているほどに、何かが胸に入ってきて、胸がふたがる(塞がる)ばかりだ... ...続きを見る

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2012/06/08 00:38
飛騨のせせらぎ街道
飛騨のせせらぎ街道  20日の日は国府の老人介護施設に入っている義叔父の見舞いに行った。施設は清潔で明るく、山の紅葉も見え、流れる宮川も見え、よい環境のところだった。義叔父はいろいろなことを忘れていたが、義母や妻と話しているうちに少しずつ記憶が戻って来ていた。ずっと木工をやってきた人だった。温厚で、考えてから物を言う性格は変わらない。 ...続きを見る

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2011/11/21 12:31
飛騨清見
飛騨清見  義母の体調がよくないと聞いて、土日、妻と高山に行って来た。さいわい、そんなにわるい感じでもなかった。三人で宮の方の温泉に行った。臥龍温泉というところ。外の露天のところには源泉掛け流しのところがあって、その温泉の力をもらってきた。少し元気になった気がする。  土曜日はずっと雨。日曜日はかなり晴れて、時々時雨。飛騨のあたりでも京都と同じような時雨があるということを認識した。  写真は高山市清見「パスカル」で。このあたりはまだ木々に葉が若干残っている。 ...続きを見る

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2011/11/21 11:56
上宝村
上宝村 そして五月八日は同じく飛騨の(今は高山市内の)上宝村へ。県道76号線をはじめて通った。車で国府から大坂峠を登って飛騨天文台の麓の蔵柱のあたりへ。 このあたりも田植えの時期になっている。八十歳代と見えるおじいさんが、鍬などを手に田仕事をしている。田起し、代掻き、土手づくりなど。ひとりふたりではない。何人も。機械を使ってない田があるのだ。 わたしもその手伝いをして、仕事を教えてもらうことはできるのだろうか。 蔵柱は村としてとても整っているように見える。ひとの繋がりもしっかりとしているように... ...続きを見る

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2011/05/09 19:45
飛騨せせらぎ街道 清見
飛騨せせらぎ街道 清見 連休最後の五月七日、飛騨高山に行った。ちょっと見たいところがあったのだが、もうこのころなら渋滞も収まっていると思って。まず見に行きたかったのは清見の楢谷のあたり。 普段は通り過ぎるだけになってしまっているのだが。 東海北陸自動車道を使って、いつもの通り長良川のサービスエリアで一休みする。そのSAのから林の向こう長良川が見えることを今回はじめて知った。 そして楢谷。とある古家の裏側には水芭蕉が咲いていた。水のきれいなところなのだ。 そしてそのあたりで、探検しながら、少しゆっくりしていた... ...続きを見る

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2011/05/09 18:47
たくさんの熊棚 飛騨
たくさんの熊棚 飛騨 昨日高山からの帰り道、少し寄り道をした。清見の、せせらぎ街道、麦島の近くのところで、今まで通ったことのない道を発見して、試しに入ってみた。入るとかなり長く先まで続いている。多分これが昔の竜馬峰越えというやつではないかと思った。以前読んだものの本に、坂本峠もきついが、竜馬峰越えはもっときつい、という話が記されていた。ぜひ一度行きたいものだと前々から思っていたのだが。今では郡上街道は西ウレ峠を越える。しかし以前は竜馬峰越えの方が普通の道だったようだ。 ...続きを見る

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2011/05/09 15:47
飛騨らしい風景(2011年2月8日)
飛騨らしい風景(2011年2月8日)  普段なら熊狩りに連れていってもらっている時期なのだが、事情があってことしは取りやめ。来年からも多分もう行かない。2月7日でちょうど10年間、熊狩りに連れていってもらったことになる。山に入れなかった年は何回かあるが、あの誰もいない雪山の中のシンとした風景は、この世の別天地だった。  それで、熊狩りに行かないのなら大学で仕事がある。学生委員会の会議。行ける情況になったのなら行かなければならない。それで8日に高山から戻る。写真はその途中の風景。いわゆる「せせらぎ街道」の途中の風景だ。低い屋根の... ...続きを見る

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2011/02/09 22:41
これはスゴイ 飛騨のツワモノたち
これはスゴイ 飛騨のツワモノたち 山スキーではない、山スノボというものがあるようだ。 この映像、さすが飛騨のツワモノたちと感心する。 撮影者の方もスゴイ。 一瞬、ミスをすれば木に激突のはずだ。 ...続きを見る

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2011/01/14 08:04
2003年2月5日の折敷地(岐阜県高山市旧丹生川村折敷地)
2003年2月5日の折敷地(岐阜県高山市旧丹生川村折敷地)  2003年2月5日の折敷地の写真。ここは縄文時代から人の住み着いている集落だった。 ...続きを見る

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2011/01/02 13:46
2003年2月5日の足跡(岐阜県高山市旧丹生川村折敷地)
2003年2月5日の足跡(岐阜県高山市旧丹生川村折敷地)  この日、橋本繁蔵さんに連絡が取れなくて、雪道歩きの練習に折敷地のあたりに来た。今はすでにダムになっているあたりでないかと思う。その時も工事用の車両は作業をしていた。だがまだ本体工事ははじまっていない。  そこで見つけた足跡の写真一枚。スノーモービルの跡の上に、キツネの足跡。それを横断するように自在に飛び跳ねているウサギの足跡、など。  この道をカンジキを穿いて歩いたのだが、キツネの気持ちはよく分かる。さら雪の上より、スノーモービルの跡を辿った方がはるかに歩きやすいのだ。キツネも、必要な... ...続きを見る

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2011/01/02 02:46
雪坊主
雪坊主  飛騨・旧丹生川村山中。風のせいでこんなものが出来るのだ。 ...続きを見る

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2010/12/18 23:32
金胆(きんい)
金胆(きんい)  金胆(きんい)と呼ばれるものがある。熊の胆の中でも、飴色をしていて、細かく砕くときらきらと金色に輝くつぶつぶになる。そのキラキラの輝きは、照明を工夫しないと撮れないので撮らなかったが、先日「姨捨山」からの帰りに、高山でその金胆を買って持って使っているお姉さんに見せてもらった。光が当たるようにして見ると、ほんとに金の粒のようにキラキラして、きれいだった。そのもともとの持ち主だった熊は橋本繁蔵さんが獲ったものだ。獲ったのは2002年。その年の5月に、こんなもの知っているかといって、乾し上がった... ...続きを見る

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2010/11/23 07:45
信州が少しうらやましい
信州が少しうらやましい  信州が少しうらやましい。それは平野から楽々とアルプスが望めるから。飛騨からだと、松倉山のあたりからしか、日本アルプスが一望にできない。それが少しうらやましい。  写真は松本城とそこからの西の山のながめ。気宇が、大きくなる気がする。だが飛騨も負けてはいられない。平地が少ない分山地が多いということだ。木と山の技でなら飛騨も負けない。 (2010年10月23日撮影) ...続きを見る

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2010/11/10 21:41
細道
細道  わたしが通ったことのあるいちばんの細道は、もう記憶でだけ語るのだが、白出(しらだし)新道だった。飛騨側から奥穂高に直登する道だ。白出沢から入る。  いまはもうどうなっているかわからない。当時のことももう記憶だけだ。30年ほど前に一度往復した経験しかない。この新道が出来たのでもう雪渓を歩かなくてもすむ、と聞いていた。  道は崖を削ったもので、幅は10センチか15センチ程だっただろう。そんな道が二三百メートル続いていた。あるいはもっとかもしれない。もちろん横這いでしか歩けない。崖には手を掛... ...続きを見る

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2010/10/20 17:36
なも、いくをほとけ
なも、いくをほとけ 中村生雄さんとの思い出というと、飛騨の供犠論研究会の時のことが一番大きい。奥飛騨の佳留萱山荘で一泊したが、わたしが薦めたこの旅館のことを、「よすぎるほどよかった」と言ってくれた。わたしも泊ったのはその時一回きりなのだが。  温泉はしばしば行く。  先日、九月十四日にも、旅の汗を流しに入浴だけさせてもらってきた。 ...続きを見る

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2010/10/18 19:33
御岳山麓 九月十四日の写真
御岳山麓 九月十四日の写真 御岳麓。この雄大さが分かってもらえるだろうか。 飛騨側の濁河温泉への途中、大平というところの展望台で。 (Mamiya C3, 180mm) ...続きを見る

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2010/10/01 22:43
先日義父の一周忌の法要をした
先日義父の一周忌の法要をした 先日義父の一周忌の法要をした。 ...続きを見る

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2009/12/22 05:28
  あやしげな鎮魂 (追い出しの思想)
  あやしげな鎮魂 (追い出しの思想)  狩猟文化の研究をして、熊狩りをする猟師のいる村々を訪ねていると、その村に住んでいた人々が、ダムを新設するために追い出されるということを幾度か経験する。青森県西津軽郡の砂子瀬・河原平(目屋ダム・津軽ダム)、岩手県花巻市湯口村豊沢(豊沢ダム)、岐阜県揖斐川上流の徳山村(徳山ダム)、岐阜県丹生川村五味原(丹生川ダム)などだ。最近ではここ七、八年、毎年熊狩りに連れていってもらっている猟師橋本繁蔵さんの生まれ故郷である五味原のことが心にかかる。工事が始まって、地形ごと原形がわからないほどに破壊さ... ...続きを見る

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2009/09/24 22:16
最高の一日 2009年2月15日飛騨山中
最高の一日 2009年2月15日飛騨山中 今年も、2月15日、猟期の最後の日に、橋本繁蔵さんに熊狩りに連れていってもらった。 橋本さんと行く冬の飛騨の山中は、人生最高の楽しみのひとつだ。 彼の技を間近にみせてもらえる。 そしてわたしもその技のいくらかを覚えてゆく。 ...続きを見る

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2009/07/09 11:47
飛騨の熊・嶽・霧氷の河
飛騨の熊・嶽・霧氷の河 この話をしておこう。 飛騨には嶽(ダケ)がある。乗鞍嶽、笠ヶ嶽。 飛騨の熊はいざという時には嶽の方に入っていくはずだ。 そこまで人間は入ってゆくことができない。 乗鞍に熊を追って、霧氷の流れる河を体験した、と橋本繁藏さんは言っていた。 その流れにちょっとでも触れたら、何百メートルも飛ばされてしまう。 熊でもぶっ飛ばされてしまう。 ---こんな光景を誰も見たことがないのではないか? 見て、生きて帰った人が他にいるのか、と思う。--- その向こう側に熊がいるはずだった。 その、... ...続きを見る

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2009/03/07 11:13
円空、飛騨、そして義父
円空、飛騨、そして義父 円空がそばにいる時、 それが円空だと気づく人は稀だ。 ...続きを見る

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2009/03/04 22:57
三月一日、義父の五七日忌の法要が終わった
三月一日、義父の五七日忌の法要が終わった  浄願寺さんに来ていただいて、五七日忌の法要が営まれた。実家の方ではこの日で忌明になる。四十九日ではなく。  心を配って下さった方々に御礼申し上げます。 ...続きを見る

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2009/03/04 22:48
義父・高義作の円空
義父・高義作の円空 義父は亡くなったが、義父の作った円空は残った。 高義作円空。 高義円空。 ...続きを見る

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2009/02/18 18:00
猟期が終わった
猟期が終わった  2月15日。今年も猟期が終わった。  今年は大学の方の仕事が長引いて、13日にやっと飛騨に行けた。午後から雨だった。  その日は実家に泊めてもらうことにして、夜、橋本(繁藏、猟師))さんのところに電話した。折敷地の小屋の方でつながった。明日は山に入れない。明日の夜に凍みつけば山に入れるかもしれないが。様子を見るしかない、ということだった。 ...続きを見る

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2009/02/17 11:49
飛騨が終わる
飛騨が終わる 飛騨が終わる。そんな予感がする。よそ者の単なる感傷に過ぎないのかもしれないが。冬に雪のない飛騨、そんなものは飛騨でない気がする。  白川村の尾神に育った義父の話を聞きたかった。だが結局それをしなかった。なぜしなかったのか? よく考えると、彼の人生を民俗誌にしたくなかったからだ。そんな気がする。ひとつの民俗誌のようなものには。彼はいまや数少ない昔ながらの飛騨びとであったと思う。柳田国男が明治の末の旅の途中、白川村で出会った飛騨びとのような。  飛騨びとについてわたしにはこんなイメージがある... ...続きを見る

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2009/02/17 09:12
一月二十九日 義父が亡くなった
一月二十九日 義父が亡くなった 一月二十九日 義父が亡くなった。 妻の養父である。 妻と結婚して以来ずっと護ってくれた。 浄土寺、向島、郡山、菩提寺、……とわたしたちの住まいは変わり、 実家への行き方もそれぞれで変り、そしてまた時代とともに変わったが、 (高山線の列車で、41号線をバイクで、そして車で。高速を関ヶ原で下りたり、小牧で下りたり。昭和六十年、長女が生れたころから郡上を通ることが多くなった) 高山へゆくことの楽しみの奥にはいつも義父があって、楽しみを支えてくれた。 行けばいつも焼肉をごちそうしてくれ... ...続きを見る

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2009/02/02 10:59
飛騨2003年2月5日13時05分
飛騨2003年2月5日13時05分 パソコンの中を整理していたら出てきた映像。 なつかしくなった。 飛騨、2003年2月5日。それはわかる。 場所は多分夏厩(なつまい)。豆腐屋さんの前の国道の壁面。 その豆腐屋さんがやっている宿に泊った翌日の景色だ。 記憶に間違えがなければ、この後橋本繁藏さんのところに電話をして、熊狩りにつれていってもらえないだろうかとたずねたのだ。 返事は、熊は簡単に獲れるものではないが、ともかくこんなところころで獲っているんだということが分かるようなところまで行ってみるか、ということだ... ...続きを見る

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2009/01/26 02:59
飛騨の熊猟から人間と自然の関係を見る(中村科研報告書『東アジアの……』)
中村科研の報告書に私が書いたものは、大胆なのでなかなかいい。 ...続きを見る

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2007/06/20 11:28

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