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みんなの「宮沢賢治」ブログ


《牛乳--稲造・昌介・賢治》

2017/12/25 03:33
瀬谷こけし

 新渡戸稲造はボン大学に留学していたとき(1887年)40人ほどの子供たちにミルクを振舞ったことがあるという。草原克豪の『新渡戸稲造』(藤原書店)からそのところを引こう。

> ボンに着いて間もない頃、散歩の途中にミルク園でコーヒーを飲んでいたとき、四〇人ほどの孤児を見ているうちに、その日が母の命日だったことを思い出したのである。そこで稲造は、近くの牛乳屋のおばさんに頼んで、誰からとは言わないようにと念を押して、孤児たちにミルクをふるまってもらった。(p.126)

 このミルクを振舞うということから連想することがある。まずは宮沢賢治の(1924年の)「修学旅行復命書」にある北海道帝国大学で総長から、訓辞の後に生徒たちが受けた牛乳の饗応のことである。これもそこのところの記述を引こう(ちくま文庫全集10、p.500)。

> (訓辞を受けて)引率者(賢治)は立ちて答辞を述べそれより学生食堂に於て菓子牛乳の饗を受く。牛乳甘美にして新鮮且つや勧の切なるまゝに恐らくは各人一立を超ゆるまで総長の好意を辞せざりしが如し。終て各学部を参観す。……

 花巻農学校の二年の生徒たちはその牛乳の美味しさと新鮮さに、各々一リットル以上も飲ませてもらったというのである。この饗応に生徒たちはさぞ感激したことだろう。この時の北海道帝国大学の総長が佐藤昌介である。

 この佐藤昌介は新渡戸稲造と浅からぬ関係がある。まず岩手県の出身であり、またともに札幌農学校の出身である。佐藤はその第一期生、新渡戸は第二期生である。第一期生24名、第二期生20名の少数精鋭的な学校である。

 花巻出身の佐藤昌介が同郷の生徒たちに大いなる歓迎をしたかったことは、旅行出発を延期してまでの訓辞や歓待によって明らかだが、この牛乳による歓待の背景に、新渡戸がボン大学で母の命日に目にした孤児たちに牛乳をふるまったということの伝聞はあったのだろうか? 佐藤がその話を聞いていたとしても不思議ではないが、今はその証拠を調べる気はない。あったとすれば、母・乳・孤児・牛乳という命の源にかかわる連想が、新渡戸から宮沢賢治にまで伝わったと考えることができるかもしれない。『銀河鉄道の夜』で主人公ジョバンニが孤児にも近い状態にあること、そしてそれがまた配達されなかった牛乳と母とミルキーウェイ(天の川)に濃くかかわる物語であること、その発想の源は新渡戸のドイツでの行為にあったと見ることができるかもしれない。

 そんなことは新渡戸がいなくても思いつく話かもしれない。その通りである。だが多分賢治にとっては、北海道大学での限度を知らないほどの牛乳の饗応がきわめて強い印象を与え、そしてそれが『銀河鉄道の夜』の創作に大いに関係していたであろうことは、その初期形がその修学旅行引率と同じ年に書かれた(と思しき)ことから、十分に主張できることであると思えるのである。

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《宮沢賢治賞に推薦した》

2017/03/28 23:16
瀬谷こけし


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 河合雅雄さんを賢治賞(宮沢賢治学会イーハトーブセンター)に推薦した。ただし郵送でもFAXでもなくホームページのフォームから。

その内容は以下だ。

=====
第27回宮沢賢治賞推薦 

候補者:
河合雅雄 かわい まさお 

対象となる内容:
『宮沢賢治の心を読む』(I/II/III、2011/2012/2015年、童話屋刊)、及びこれまの宮沢賢治研究および紹介の業績に対して。

推薦の言葉:
宮沢賢治の童話をみずから各地の山野を歩き回った経験と最先端の生態学研究で培った知識教養によって読みとり、賢治童話に隠れている動植物の深く正しい知識を紹介するとともに、同じくそこに隠れている日本の伝統的な感覚(奥山の神聖さ等)を的確に示し、賢治童話を自然への親しみと生態系の知識のもとに読解することの新鮮さ、豊かさを示した。

以上
=====

 今年は賞選考委員でも理事でもないので、オープンにしてもかまわないだろう。いや、むしろ賞選考の公明正大化にもいくらか役立つだろう。




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《「まなざす」…》

2016/11/29 01:00
瀬谷こけし


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乗鞍岳を望む


 「まなざす」という言葉が最近は使われるようになっているようだ。フランス語の「ルガルデ」という言葉を密輸入してきたものとおもわれるが。わたしはこんな言葉を聞くと正直むしずが走る。日本語がレイプされているように感じる。そう感じない人が多くいるのだろうか? 日本語をレイプしているという感覚を持たないのだろうか? それが日本語をレイプすることだと感じない人がいるようになってしまったのだろうか? まったく情けないことだ。そういう日本人が増えてしまったならば、そんな世間ができてしまったなら、せめて自分はそういう世間とは無縁のところで生きてゆきたい。

 そういえば、比較的最近の話だが、宮沢賢治学会でも、「…をまなざす」という表現を使っている論文か評論かそのたぐいの文書を目にしたことがあって、これは日本語としてとてもたまらない、と言ったところ、「最近は普通に使われている言葉だぞ」と逆に言われたことがある。こういう言葉が通用するようになったら、日本語ももうおしまいだと思うのだが、宮沢賢治を核にした学会がこういう言葉に疑問を抱かないようになっているとしたら、まことに嘆かわしいことだ。
 そういう場所は立ち去るべしとニーチェなら言うことだろう。


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《花巻小友園》

2016/07/24 19:33
瀬谷こけし


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 この家、小友園という。今日は閉まっていたが、普段は骨董品を扱う店のようだ。この建物がちょっとバランスがおかしいと教えてくれたのは通信のある学生だった。それまでわたしは一度も気づいたことがなかったのだが。その学生ははじめてその前を通っただけでその異様なさまに気づいたようだ。大したものだ。そんな風にわたしはいろんな学生にいろんなことを教えてもらってきた。これもその一つだ。
 この二枚の写真について言えば、二階の窓の幅が、右半分と左半分とが異なっている。言われてみれば気づくことだと思うが。
 今日も理事会があって花巻に来ていたのだが、バス時間待ちの一時間ほどの時間で、今日はただ道だけ歩いていた。そうして確認して、写真を撮った。どうやらこの「小友」という家は、材木などを扱う名家のようだ。こうしたものを建てようとすれば、ずいぶんと余計な手間がかかるだろう。それをやってみせる。
 そんな風に、今日は「はなマき」(マの音を上げる)を歩いていた。昔はじめて花巻に来た時も、こうして何がどこにあるのかもわからず、そして特に賢治関係の場所を目指すのでもなく、町を歩いていた。こんな風な歩きを、きっと賢治はしていたのだろう。



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《『宮沢賢治の心を読む』---賢治童話を自然への親しみと生態学から読み取ることの豊かさ》

2016/05/17 18:00
瀬谷こけし
  草山万兎著『宮沢賢治の心を読む』(I)(II)(III)(童話屋)

 サル学を中心とした生態学の研究とみずからの丹波篠山の山野を歩き回った経験から、宮沢賢治の童話の読解を、基本的な生態学の知識を紹介しつつ試みるとともに(<3>の「鹿踊りのはじまり」「よだかの星」「ビジテリアン大祭」、<2>の「どんぐりと山猫」など)、奥山の神聖さという伝統的感覚から斬新で革新的な読解を試み(<1>「注文の多い料理店」)、賢治童話を自然への親しみと生態学の基礎のもとに読解することの豊かさを示した。
 宮沢賢治の童話を、賢治自身がもっていた自然への親しみと共感と理解の深いところから読みなおし、味わいなおし、考えなおしたいと思う人の絶好の伴侶となる本だと思います。
 著者の草山万兎さんは、かつて日本サル学の指導者として活躍されていた方です。







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《「貝の火」のホモイ大将の誘惑》

2016/05/16 00:46
瀬谷こけし


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 「貝の火」に関しては草山万兎『宮沢賢治の心を読む(III)』の読み方にとどまりたくない。子供に対する寛容の必要性と善い心と悪い心の戦いというような読みのことだ。それはそれで少しも間違いではなく、作品のエッセンスもそこにあると思うのだが、それ以上に中身のない権力感情の問題提起としてわたしにはとても興味深い作品だ。兎の子ホモイは、自らの身のことも考えずに溺れかかっているひばりの子を助ける。後にそのために「私どもの王」から「貝の火という宝珠」を「贈物」としてもらう。「私どもの王」の「私どもの」がどの範囲を指しているかはっきりとは分からないが、「一生涯満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだ」と言われているところからするとおよそ動物界全体ぐらいの拡がりのようだ。そしてまた非常に失いやすいもののようだ。
 わたしが注目したいのは母から「お前はもう立派な人」になったのだと言われて、自分はもう大将になったような気分になって、母に「僕もう大将になったんですか」と尋ね「まあそうです」と言われて、すっかりその気になってしまうところだ。ホモイの愚行が始まるのはそこからだ。その愚行は、いろいろな動物の序列を、軍隊の位階にならって、自分で決めて任命すること(ができると信じてしまうこと)にあるのだが、この序列付与は、予想通り仲間びいきのものになってしまう。「自分は大将だ」と思うことからはじまるこの愚行はやむことがない。
 ここには賞罰を位階序列の上昇/降下によって行うディシプリン型権力の特徴があるとともに、弱いものの方が偉いとするキリスト教型の権力の性質ももっている。
 作品「貝の火」は、この愚行を子供時代の愚行として寛容に対応するのであるが、しかしあるべき権力についての思索もなく、強者と弱者を逆転させる(ホモイのふるまう)空疎な権力像に対する(ニーチェのような)明確な批判もない。それでありなが権力への欲望や権力をもつ愉悦感は克服されることなく放り出されているのである。「大将」の誘惑は世に止まない。(さらに言えば太宰治のようにそれを見下す津軽の誇り高い文化もそこにはない。)もっともホモイの父親は権力の魅惑に惑わされない賢明な目をもっているように見えるが。






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《『なめとこ山の熊』のし残した二年間の仕事》

2016/05/15 20:44
瀬谷こけし


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 どうしても伝えなければならない。宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のなかの二年で片付く「し残した仕事」のことである。『宮沢賢治の心を読む(I)』の中で草山万兎は「やり残した仕事」とは何でしょう、と問い、それに次のように答えている。

>たぶんこの熊は雌熊で、お腹の中に赤ちゃんがいたのではないでしょうか。二年あれば、子熊が乳離れして独立して暮らすことができるから、それまで待ってくれということなのでしょう。

 この草山の答えにわたしは基本的に賛成である。この問題については前に述べたことがあるが、日本のツキノワグマは大体冬眠中の1月の末に子を二つ産み、それから二回(翌年と翌々年)母子で同じ穴で冬眠をし、そしてその次の五六月に「イチゴ別れ」と呼ばれる別れをして、母子が独立してゆくからである。わたしはそれを飛騨丹生川村出身の熊狩りを専門にする猟師橋本繁蔵氏から聞いている(1)。
 また、この問題については、すでに野本寛一が『近代文学とフォークロア』の中で草山と同じ見解を示している。実際、この民俗学的な解釈以上に、「熊のし残した二年間の仕事」を、合理的に説明する説はないであろう。わたしはそのようなものを見たことがない。多くの論者は、この「二年間の仕事」については何も触れずに、敬遠して逃げるというのが通例である。熊のし残した仕事としての子づくり、子育ては、狩猟民俗について多少とも関心のある人なら、津軽・暗門の滝の「ショウゾク伝承」として周知のことである。ショウゾク伝承では、雄熊がし残した仕事として、七つの山に七つづつ子を作るということがまだ未完の「し残した仕事で」、そのために猟師ショウゾクに対して、もう三年待ってくれと頼むのである。このことを『なめとこ山の熊』を論じる者がたいてい知らず、敬遠ばかりしているのは残念である。賢治が、こっそり目撃した「子育て中の親熊の子熊に対しての語り」以外では、熊の語りに性別の差を設けていないのは、子産み・子育てに関係する場面以外では(主人公小十郎にとって)熊との対応に性別の差を設ける必要がないからである。この「ある夏の熊」が雌熊ではないと主張する者があるのなら、その主張の根拠をはっきりと示してもらいたいところである。


(私事、目下出先であり正確な出典を調べられない。出典その他は後日明示する)



(1)
この熊との遭遇が「夏」と設定されていることは、交尾の後と考えるか、それとも生後半年の子が傍にいる状況なのか、という点で、またツキノワグマの子育て期間についての異説も絡んで、多少複雑になるのだが、ここではただ、今から二年で子育てが終わり、子たちを独立させられる、という母熊の出産育児にかかわる母熊の「仕事」として軽めに押さえておくにとどめたい。




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《高山祭:これが与鹿だ!》

2016/04/16 01:04
瀬谷こけし

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 春の高山祭を見てきた。屋台の曳き別れまで。それはそれでまた言いたいこともあるのだが、何よりも与鹿(伝与鹿も含めて)を見てきたこと、そして五台山の諏訪の(建川)和四郎の獅子彫刻を見てきたことだ。神楽台だけはまだよく見ていないので、それは明日の仕事にする。
 それで、親獅子の彫に関しては、与鹿のものは和四郎のものとそっくりだ。だが子獅子になると全く違う。歴然と違う。和四郎の子獅子は単に親をサイズダウンしただけだが、与鹿の子獅子は親に愛されて育った子供らしい、のびのびした生き生きした表情にあふれている。宮沢賢治の子供の描写もそういうところがあるが。それこそが与鹿の魅力だ。和四郎にはこれができない。
 だから、「手長」でも与鹿のものは、鍛冶橋欄干のそれとは全然違い、(和四郎のものはまだ見ていないが)北斎漫画のものとも全然違う。これが与鹿だ! と私は言いたい。どれほど生き生きとしていることか! 今日撮った「手長」の写真を一枚だけ上げる。
(2016年4月14日、facebook)から再録)


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《明日私は昔の街に目覚めるだろう…》

2015/07/27 01:06
瀬谷こけし
 昨日花巻で宮沢賢治学会夏季セミナーがあって、聴講していた。何よりも新鮮だったのは詩人の野村喜和夫さんと話したこと。こんなに話が通じるとは思っていなかった。アルトーについてさえ! 私は35年前から詩を書かなくなっているが、なぜそうなったのかを回顧させた。私にとっては詩を書くことはアルトーになること以外ではなかった。その道を行っていたら、五年と命が持たなかっただろう。---それで、どうだろう? アルトーが直観音楽を知っていたら、直観音楽の演奏者になっていたのではないだろうか? 少し心が震える。もちろん一緒に演奏したい。
 表題は「アシジのフランシス」の一節。そのフランス語が思い出せない。だから間違っているかもしれない。その昔「京大俳句」に載せた短文の結びはこうだった。
「精神分裂病化させるもの、それを打ち立てるのは詩人だ!」それをドイツ語で。
もちろんヘルダーリンの詩をずらして語っている。

Was schizophreniert, stiften die Dichter!

(ヘルダーリンは「bleibet」と語っていたはずだ)






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《鞍馬川の合歓》

2015/06/24 00:18
瀬谷こけし
 三重県ではもうネムが咲いているのをネットで知って、少し気持ちがあせっていたが、花巻から京都に戻ったのが21日。それで22日に、毎年ネムの花を楽しんでいる市原近くの鞍馬川ぞいのところに行った。だがはじめにはまったくネムの花の姿が見えない。もしかして木をすっかり移し変えてしまったのかと思うほどだった。車を止めて、だいぶ歩いて、やっと咲いているネムの花を見つけた。その木では、まるごと一本の中にたったの一輪しか咲いていなかった。
 さらに上の方に歩いて探すが、もっとも多く咲いている木でも全体の4-5%ぐらいではないだろうか。鞍馬川のネムの花はまだこれからだ。
 そう言えばわたしが最初にネムの花を実際に見たのも、この鞍馬川沿い、貴船駅の近くの所だった。そのころは鞍馬に下宿していたので、やっと噂に聞く合歓の花を目に楽しむことができたのだ。京都のネムの開花は遅い。市原の辺りでも七月に入ってからが見頃になるだろう。見遅れていはいなかったので安心した。
 だが、この頃の、咲き始めのネムの花は、麗しくまた凛としているように思う。自立して、先立って行くにはちょっとした覚悟がいるのかもしれない。

 そう言えば、草山万兎(河合雅雄)の『宮沢賢治の心を読む』(I)(II)にはとても感心した。著者の確かな学識、知識、経験や体験があってはじめて読み解けた賢治の謎があり、それに深く感心した。しかし、もちろん、ちょっと違うのではないかと感じるところもある。そういうところもまたわたしに研究材料を与えてくれたことになる。堂々とした立論の恩恵は広く大きい。


===========2015.7.2 追加========
 『宮沢賢治の心を読む』(II)の巻末の、編者中村和雄の説明が大変素晴らしいので、この本を誉める仕事はそちらにまかせておけばよいと思う。わたしも<「どんぐりと山猫」を読んで>と、<「注文の多い料理店」を読んで>の二つの章がもっとも素晴らしい謎解きをしていると思う。
 だからこそ言っておかなければならないと思うのは、この本の河合雅雄の(賢治世界の)読み解きが、「自然調和的な世界」と「調和失って盲目的に進んでいる世界」との異なった二つの世界観という図式を暗黙の内に前提にしてしまっているところなのだ。こうした二世界の対比によってではなく、「さまざまな微小変動を交錯させて進んでいるただ一つの世界」というモデルのもと、にすべてを、賢治世界をも含めてすべてを、分析しなければならないとわたしは考えている。わたしがこの本に対して懐く本質的な疑問はこの点だ。





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タイトル 日 時
《宮沢賢治のポトラッチ---レジュメと資料---》
《宮沢賢治のポトラッチ---レジュメと資料---》  一昨日(6月6日)の宮沢賢治研究会 第281回例会のレジュメと配布資料を多くの方の便宜を考えて公開します。モースの翻訳や紹介はイマイチの所が多いのですが、これもそのままにしておきます。誤りなどありましたらご教示いただければ幸いです。 ...続きを見る

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2015/06/08 22:58
《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ--- 退任特別講義「哲学の時」
《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ--- 退任特別講義「哲学の時」 《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ 退任特別講義「哲学の時」 2015年3月21日 京都造形芸術大学人間館NA412 ...続きを見る

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2015/03/21 09:25
《ニーチェから賢治へ 資料4 ---宮沢賢治とポトラッチ他》
《ニーチェから賢治へ 資料4 ---宮沢賢治とポトラッチ他》 ○われわれは宮沢賢治の作品から「どのような聖なる遊び」を引き出して来ることができるだろうか。そのような見通しの中で賢治の中にうずまく贈与の問題を、4つの観点から考えてみたい。 ...続きを見る

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2015/03/21 02:33
《「刊行」ではなく「発行」》
《「刊行」ではなく「発行」》  宮沢賢治学会イーハトーブセンター「会報」第49号のわたしの署名記事「報告 宮沢賢治学会・京都セミナー二〇一四《宮澤賢治---修羅の誕生》」(p.20)の中ので、 ...続きを見る

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2014/10/11 07:32
《高橋美雄さんのところに寄った-----花巻》
《高橋美雄さんのところに寄った-----花巻》  先日のなめとこ山に登った時の写真お渡しすべく、高橋美雄さんのところに寄った。寄ると言っても駅から近いわけではないので、またタクシーを使って行くほど大げさなことでもないので、レンタル自転車で行くことにした。自転車で行くのははじめて。  わからないながら四号線とは違う道を通って、だが見なれた通りもあるので、さほど難なくたどり着くことができた。高橋さんは庭で刃物を研いでいた。 ...続きを見る

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2014/09/25 11:13
《いかにも確かに継起するもの》  (哲学コラム4)
《いかにも確かに継起するもの》  (哲学コラム4)  岩手県、小岩井農場の上丸牛舎構内に、宮沢賢治の「小岩井農場 パート1」から取った詩の四行が刻まれた詩碑が建っている。その詩は次のものだ。 ...続きを見る

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2014/08/10 18:41
生成変化---強度に、植物に、微塵になること (哲学コラム)
生成変化---強度に、植物に、微塵になること (哲学コラム)  ひとがある触発を受け、心の奥底のひそかな繋がりに動かされるとき、ひとは何か見知らぬものに生成変化を遂げているのではないだろうか。宮沢賢治の「告別」という詩はこんな言葉からはじまる。 「おまへのバスの三連音…中略…/その純朴さ希みに充ちたたのしさは/ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」 賢治はこのとき草へと、草葉へと、生成変化したのではないだろうか。こんな振動、こんな顫えを、わたしたちは確かにどこかで知っている。このときひとは家族制度や、国家機構のような組織体から離れて、別の... ...続きを見る

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2014/07/04 07:59
《宮沢賢治 修羅の誕生》 宮沢賢治学会・京都セミナー 参加御礼
《宮沢賢治 修羅の誕生》 宮沢賢治学会・京都セミナー 参加御礼  宮沢賢治学会・京都セミナー2014《宮沢賢治 修羅の誕生》にご参加下さったみなさま、まことに有り難うございました。 ...続きを見る

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2014/04/21 20:19
《宮沢賢治の修羅 ノート11 梅原猛の『地獄の思想』》
《宮沢賢治の修羅 ノート11 梅原猛の『地獄の思想』》  梅原猛の『地獄の思想』の中には、宮沢賢治を論じた章がある。「第十章 修羅の世界を超えて(宮沢賢治)」がそれだ。今宮沢賢治について何を論じるべきかということを考える場合、欠かすことの出来ない一冊である。宮沢賢治学会・京都セミナー2014《宮沢賢治 修羅の誕生》の開催を明日に控え、今日一日、ゆっくりと読んでみた。  わたしが気になった二つの点を紹介し、若干の考察をしてみたい。  まずはここ。 ...続きを見る

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2014/04/20 02:26
《宮沢賢治の修羅 ノート10 「春と修羅」》
《宮沢賢治の修羅 ノート10 「春と修羅」》 詩「春と修羅」の作品紹介と若干の注。 ...続きを見る

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2014/04/19 23:51
《宮沢賢治の修羅 ノート9 修羅の誕生」》
《宮沢賢治の修羅 ノート9 修羅の誕生」》  管見宮沢賢治のテキストにおける「修羅」の語の初出は、先に「ノート4」で紹介した、書簡165、大正9年6-7月のものである。これは自分自身のいらだちや怒りに修羅を見、それを修羅と名づけたものである。このいらだちや怒りの姿は、「春と修羅」における「おれはひとりの修羅なのだ」という言明に繋がる。はぎしり燃えてゆききする修羅。  わたしはこの修羅の原形を保阪嘉内宛の書簡154(大正八(1919)年八月)の次のような記述に見出す。 ...続きを見る

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2014/04/18 14:01
《宮沢賢治の修羅 ノート8 「蜘蛛となめくぢと狸」》
《宮沢賢治の修羅 ノート8 「蜘蛛となめくぢと狸」》  宮沢賢治の最初期の童話作品を紹介しておきたい。「蜘蛛となめくぢと狸」は賢治の処女作の童話で、大正七(1918)年八月に家族に読んできかせたものであるという。以下のテキストを、天沢退二郎は、このとき家族に読みきかせたものに幾らか推敲を加えたものである、と推定する。しかしともあれわれわれはこのテキストの内に上記の時期における賢治の思索を探ってみたい。ここでは最も典型的なものとして、その第三節「顔を洗わない狸」を取り上げる。 次の様な点が注目される。 1.権力の一形式、仲介者の権力についての... ...続きを見る

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2014/04/18 04:52
《宮沢賢治の修羅 ノート7 賢治仏教の修羅》
《宮沢賢治の修羅 ノート7 賢治仏教の修羅》  童話『二十六夜』は、賢治仏教の骨子を示した作品に見える。ここで語られている教えを、わたしは賢治仏教と呼んでみたい誘惑に駆られる。末尾の二十六夜の月とともに来迎した「疾翔大力に主人公が救い取られるさまは、衆生が阿弥陀仏に摂取されるさまに似ていて、むしろ浄土教的なシーンに見えるのだが、賢治にとっては、それも構わないことだったのだろう。そして今見ておきたいことは、この童話の「説教的」な語りの中で、修羅がどのように位置付けられているか、ということだ。次の二ヶ所である。 ...続きを見る

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2014/04/17 14:05
《修羅成仏の作法》(宮沢賢治の修羅 ノート6)
《修羅成仏の作法》(宮沢賢治の修羅 ノート6)  私が「修羅成仏の作法」と名づけたい宮沢賢治のテキストはこれだ。このテキストを、「ノート5」に上げた「病血熱すと雖も」のわが修羅の心身を仏国土たらしめるために賢治が見出した作法と考えたいのである。『雨ニモマケズ』手帳の、93頁・94頁に記されている。 ...続きを見る

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2014/04/16 23:26
《宮沢賢治の修羅 ノート5 修羅の成仏2》
《宮沢賢治の修羅 ノート5 修羅の成仏2》  宮沢賢治のいわゆる『雨ニモマケズ手帳』の中の「病血熱すと雖も」(昭和六(1927)年)で始まる詩を紹介する。ここには「修羅の成仏」という問題の最も核心的な問題が、自らの三重の熱悩のたなだなかでリアルに把握され、恨み怒るみずからの瞋恚の心身そのものが「修羅」として捉えられている。しかしこの修羅のただ中にあることは「道場」として、いわば一種の喜びの内に捉えられ、賢治はまさにこの修羅の心身そのものを仏の国土にすべしという課題を自覚し、それに向かおうとする。  この修羅を成仏させる戦... ...続きを見る

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2014/04/16 02:11
《宮沢賢治の修羅 ノート4 修羅の成仏》
《宮沢賢治の修羅 ノート4 修羅の成仏》 三十三間堂のさくら ...続きを見る

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2014/04/08 12:18
《賢治の阿修羅像 興福寺/三十三間堂》(宮沢賢治の修羅 ノート3)
《賢治の阿修羅像 興福寺/三十三間堂》(宮沢賢治の修羅 ノート3) 大正5(1916)年3月25日、修学旅行で奈良に来ていた盛岡高等農林学校農学科二年生一行は、この日午前10時まで、奈良の名所見物のための自由行動を許されていたことが森川修一郎の報告から分かる(『新校本全集』第14巻)。宿とした東大寺転害門南の対山館(楼)から興福寺までは歩いて数分で行けるので、その気があれば宮沢賢治はあの興福寺の阿修羅像を見学できたかも知れない。阿修羅像はじめ八部衆像は、はじめ西金堂に置かれていたが享保2年(1717年)の火災以後他所(東金堂か?)に移され、さらに明治28年(... ...続きを見る

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2014/04/06 22:06
《宮沢賢治の修羅 ノート2 賢治の基本姿勢》
《宮沢賢治の修羅 ノート2 賢治の基本姿勢》  わたしは保阪嘉内あての大正十四(1925)年6月25日の書簡に、宮沢賢治の思想の基本姿勢が示されていると考えている。以下はその手紙の全文である(下線は引用者)。 ...続きを見る

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2014/03/31 12:15
宮沢賢治学会・京都セミナー2014《宮沢賢治−修羅の誕生》の案内
宮沢賢治学会・京都セミナー2014《宮沢賢治−修羅の誕生》の案内 宮沢賢治の修羅、それは京都・関西の力(学問・文化・哲学)と東北・岩手の力(学問・言葉・生活)が交叉する場所。ここにかつて修羅が生れ、今ここにまことの火花が生まれる。 ...続きを見る

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2014/03/31 01:50
《宮沢賢治の修羅 ノート1 賢治の修羅の複雑性》
《宮沢賢治の修羅 ノート1 賢治の修羅の複雑性》 『春と修羅』の中に出て来る「修羅」は以下であろう。 ...続きを見る

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2014/03/30 23:07
《宮澤家では関西弁を使っていたのではないだろうか?》
《宮澤家では関西弁を使っていたのではないだろうか?》  宮澤家では関西弁を使っていたのではないだろうか? それも多分、京・近江のあたりの言葉を。---そう、ここで宮澤家と言っているのは、宮沢賢治の家では、ということだ。それが自然に出てしまうことがあるようだ。 ...続きを見る

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2014/03/01 01:28
平澤信一の「銀河鉄道の方へ」
平澤信一の「銀河鉄道の方へ」   平澤信一の論文「銀河鉄道の方へ」(『宮沢賢治《遷移》の詩学』2008所収)には大変感心した。それは宮沢賢治の思考において、目に見えないものとしての「あまの川の水」についての想念が、初期の童謡「あまの川」(1921)から、晩年の『銀河鉄道の夜』第4次稿まで、同書第2次稿や詩「薤露青」、そしてあの「二十六夜」までをも貫いていることを示して見せるのである。つまり、あまの川の星と見え、知られるものは、底のすなご(砂つぶ)や岸の小砂利であって、それはあまの川の水そのものではなく、水その... ...続きを見る

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2014/01/28 12:45
《風の誘い…》
《風の誘い…》  「風立ちぬ」、このフレーズが今年再びひとびとの耳に立ち返ってきた。宮崎駿の作品の名として。その前はきっと堀辰雄の作品だった。源を探ればどちらもポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一行にゆきつく。   Le vent se l&egrave;ve! ... il faut tenter de vivre! 堀の作品中では「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳されていた。肝心の「tenter(試みてみる)」が訳されていないきらいはあるが(これは鈴木信太郎訳も同様)、風が起る... ...続きを見る

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2013/11/08 21:37
『銀河鉄道の夜』第一次稿ノート(1)
『銀河鉄道の夜』第一次稿ノート(1) 不思議と同じ方向を向いているススキたち ...続きを見る

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2013/10/04 21:34
哲学コラム3 宮沢賢治の『祭の晩』---交換・贈与・自己犠牲
哲学コラム3 宮沢賢治の『祭の晩』---交換・贈与・自己犠牲  今年の哲学のスクーリング授業ではじめて取上げたものに宮沢賢治の『祭の晩』という作品がある。この作品は贈与の問題のクリティカルなところ、深くまた危険なところを無意識のうちに的確に示しているように見える。その危険なところというのは主人公の亮二の「着物と団子だけぢゃつまらない。もっともっといゝものをやりたいな。山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまはって、それからからだが天に飛んでしまふ位いゝものをやりたいなあ」と言うところである。亮二はここで山男が持って来てくれた過剰なほどの薪と栗への返礼のこと... ...続きを見る

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2013/07/19 12:46
環境文化論・花巻 7月6日舟遊び
環境文化論・花巻 7月6日舟遊び  今年は「環境文化論・花巻」の授業で、二日目の自由見学のオプションとして「北上川の舟遊び」のメニューを加えた。これは一昨年、情報を得て試したところ、大変面白く、世界観が変わる気持ちがしたので、今回取り入れたものだ。結果は大変よかったように思う。 ...続きを見る

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2013/07/11 22:55
花巻
花巻  花巻空港に着いた。花巻は少し蒸し暑かった。 ...続きを見る

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2013/07/05 04:12
「よだかの星」
「よだかの星」  某大型小売り店を歩いていたら「よだかの星」という菓子があった。さすが花巻、と思って買ってみた。 ...続きを見る

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2013/07/05 02:33
《去年なめとこ山で》
《去年なめとこ山で》  どんな装備が必要かを確かめたくて、去年の写真を引っ張り出していたが、長袖+αで大丈夫そうだ。  案内をしてくれてる高橋さんは、さすがに首から何かが入らないように、タオルできちんと襟首をふさいでいる。  去年は7月9日の登山だった。今年は7月8日の予定。 ...続きを見る

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2013/07/04 02:18
喜多弘樹は
喜多弘樹は  宮沢賢治というと、まず不思議な縁を感じる。大学生の頃、『春と修羅』は読み、『風の又三郎』などそれなりに読み、それなりに好印象はもっていたが、しかしそれほどの関心を持っていたわけではなかった。それで、京大短歌会のある後輩から、彼は宮沢賢治に傾倒している、ということを聞いた時、特異な感じがしたのを覚えている。彼とは、喜多弘樹のことだ。彼のことは彼が高校生の時の短歌を見て驚嘆した。翳らふ蘭のやうな奢りと、馨りと、誇りと、熱気と、闇とが、詩人でしかありえないひとつの運命を予感させたのだ。 ...続きを見る

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2013/05/20 12:04
宮沢賢治と貨幣 ---『祭の晩』
宮沢賢治と貨幣 ---『祭の晩』  宮沢賢治は貨幣に大いに魅せられていたひとにみえる。「貨幣」というより、むしろ「通貨」と言った方がよいのかもしれない。要するに、価値の抽象的な単位が存在し、それが広く流通しているという事実に。質の差異をもたず、ただ量の差異しかないそういう価値の評価方法のことだ。だがここで直ちに一言挟んでおかなければならない。賢治はそういう貨幣なるものに魅せられるとともに、そうした通貨の存在に異論を挟む仕組みをつねに作品の中に導入しているということだ。そして、多くの場合、貨幣という価値に依存して人生と思考を組... ...続きを見る

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2013/05/01 23:46
盛岡高等農林
盛岡高等農林  盛岡高等農林学校(旧)に行った。農林の建物(旧校舎・重要文化財)は耐震工事中ということで入れなかったが、ここで教え学んだ人々の誇り高い気持ちははっきりと伝わってきた。鈴木梅太郎がビタミンの研究をはじめたのもここだったという。もちろん宮沢賢治もここの出身者のひとり。 ...続きを見る

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2013/03/10 04:49
新しい縁組み---銀河鉄道の夜(2)
新しい縁組み---銀河鉄道の夜(2)  銀河鉄道の中でカンパネルラに去られ、ジョバンニは眼を覚ます。 ...続きを見る

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2013/02/26 04:39
「ほんたうのさいはひ」---銀河鉄道の夜(1)
「ほんたうのさいはひ」---銀河鉄道の夜(1) >「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」 >「うん。僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。 >「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。 >「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云ひました。 ...続きを見る

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2013/02/26 02:57
くらかけ山の雪
くらかけ山の雪  F先生の仲介で、宮沢賢治のことで卒業論文を書くというASP学科の学生と夕方二時間ほど話していた。まあ、多分論文を組み立て直してくれると思う。  その学生が長野県の小諸の出身だというので、奈川のあたりのことを話していると、奈川の清水牧場というのは私の友人だという。先日、会田先生と野麦峠を下ってから休憩した牧場のことだ。チーズも牛乳もとても美味しかったところ。前にブログにちょっと書いた。 ...続きを見る

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2012/07/19 21:44
鞍掛山の近く 7月8日 (花巻の授業三日目)
鞍掛山の近く 7月8日 (花巻の授業三日目)  岡澤敏男先生のご案内で小岩井農場を見学し、食事をとり、そして講義を聴いた後、鞍掛山の方へ行った。山があり、詩碑があり、牧場があり(相ノ沢)、そしてオダマキソウの花が咲いていた。牧歌的な場所、でもおかしくないのだが…。  賢治の詩も、牧歌的なものではない…。 ...続きを見る

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2012/07/12 19:51
海だべがど おら おもたれば… (花巻二日目の授業)7月7日
海だべがど おら おもたれば… (花巻二日目の授業)7月7日  これは賢治の詩(タイトルは高原)、 ...続きを見る

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2012/07/11 21:22
絶対平等即絶対差異
絶対平等即絶対差異  ある学生のレポートを読んでいた思ったこと。わたしの、基本概念を語ればこういうことになるだろう。 ...続きを見る

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2012/06/25 11:09
宮沢賢治とニーチェ 「夕べの太陽の幸福」 --- ニーチェ探検(1)
宮沢賢治とニーチェ 「夕べの太陽の幸福」 --- ニーチェ探検(1) 宮沢賢治とニーチェ 「夕べの太陽の幸福」   --- ニーチェ探検(1)『悦ばしい知識』337 --- ...続きを見る

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2012/03/05 19:43
安斉重夫展 花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で (7月1日)
安斉重夫展 花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で (7月1日)  7月1日は安斉重夫展の最終日だった。鉄の作品たち。賢治の童話にちなむ造形。どれも賢治作品への共感がしっかりと伝わるものだったが、わたしが、そしてこれはSAをしてくれた阿部洋子さんも同じ考えだったが、空を自由に飛ぶ気持ちよさを形にしたものに一番惹かれた。鳥のようにのびのびと空を飛びたいという欲望ががとても素直に伝わって来る作品。作者の安斉重夫氏は、いわき市(福島県)在住の作家とのこと。 ...続きを見る

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2011/07/11 04:51
花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で (7月1日)
 シシ踊りのシシが活躍しているポスター。一日に玄米四合とワンコソバ60杯を食べ…、というところか。この温泉もいい。これは鉛温泉の白猿の湯だとすぐわかる。  イーハトーブ館玄関の山猫を使った構図は、授業初日の照井善耕先生のアイデアをぱくらせてもらった。  この三日間の授業の報告を作らなければならない。 ...続きを見る

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2011/07/11 04:12
比叡山延暦寺会館での講演の原稿校正が終った 横山照泰師への感謝
この前比叡山でやった宮沢賢治の「なめとこ山の熊」についての講演の起こし原稿の校正が終った。ずいぶん時間がかかった。まるまる三日かかった。A4タイプで18枚。原稿用紙50枚ぐらいにはなるだろう。 今回は賢治論の比重が高いが、とりあえず今迄の研究のまとめになるようなものができた。延暦寺から横山照泰師もご参加、ご質問下さった。とても有難かった。 ...続きを見る

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2010/11/05 18:31
銀河 鉄道 壁画 --- 花巻の印象
 花巻のスクーリング、初日の懇親会の後。雨が降っていたので、「サイカチ淵」行きはあきらめた。それで、希望者何人かで、近場の「壁画」を見に行った。  わたしもこれを夜見るのは初めてだった。なかなかいい。 ...続きを見る

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2010/07/23 10:32
なめとこ山の哲学 00 序
なめとこ山の哲学 ...続きを見る

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2009/09/12 13:34
大空滝からその上流へ
大空滝 ...続きを見る

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2009/07/17 20:44
なめとこ山に登ってきた(7月6日)
なめとこ山に登ってきた。 「環境文化論・花巻」の後、参加希望の学生を募ってエクスカーションとして。 5日、6日とも藤三旅館(自炊部)に泊まることにして。 その日のうちに帰らなくてもいいので、余裕を持って登れる。 去年からはじめたこのスタイルがいい。 ...続きを見る

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2009/07/09 18:15
ひとのいのちを助けること
藤沢市の鵠沼に住んでいたころのこと、多分小学5年生の頃のことだ。そして母から聞いたことだ。 そのころ家の前には三百坪ほど空き地があった。その前は麦やサツマイモの畑にしていたところだが、あるときから持ち主が畑作りをやめた。それで空き地になっていた。 そのちょうど真中に、井戸があった。数メートルの深さはあった。そして底の方には水も溜まっていた。地上には一メートルほど土管が出ていた。それだけだった。 ...続きを見る

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2009/04/12 16:17
稗田 (花巻市旧湯口村にて)
(稗田、花巻市西部。2008年9月23日撮影) ...続きを見る

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2009/01/04 05:28
なめとこ山の死の贈与
     はじめに ...続きを見る

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2008/10/25 09:37
第18回宮沢賢治研究発表 レジュメ
 20008年9月23日、花巻の「宮沢賢治イーハトーブ館ホール」で研究発表をしてきた。当初は、「小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた」ということと「熊ども、ゆるせよ」という小十郎の最期の思いとを結びつける論理を示せればよいと思っていた。そしてもし時間があれば、佐藤孝さんが『宮沢賢治に誘われて』の中で述べている『なめとこ山の熊』についての解釈の再検討を加えてみたいと思っていた。だが、研究発表の申込をしてから岡村民夫さんの『イーハトーブ温泉学』が出た。この本は私の所説を十分に踏まえて... ...続きを見る

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2008/09/30 13:05
淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き
 写真: 高橋健二さん(右)と 2006年9月24日、雫石町歴史民俗博物館にて 渡辺洋一氏撮影 ...続きを見る

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2008/09/12 01:20
宮沢賢治と常在不滅の我
「如来寿量品」において、我(われ)は秘密を語る。 ...続きを見る

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2008/08/26 22:33
『なめとこ山の熊』:最後のシーンの小十郎と熊たち (発表要旨 400字)
今日、ある研究会の研究発表申込をした。その発表要旨を早速公開してしまおう。以下である。 ...続きを見る

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2008/07/24 13:14
7月6日の岡澤敏男先生の授業 @小岩井農場
京都造形芸術大学通信教育部の「環境文化論・花巻」の授業、これは昨年度の一日半開講の「地域文化演習」の授業を経て、三日間の「環境文化演習」として今年から始まったものだ。内容は昨年の授業に大きくゆとりをもたせたものだ。宮沢賢治の仕事を軸に据えて、地域に善く生きることと詩的・藝術的な営みとの関わりを深いところからしっかりと考えてみようとするものである。その三日目の授業は、朝イギリス海岸を見学した後、小岩井農場にでかけ、賢治の連作詩「小岩井農場」が語ろうとしていることを、岡澤敏男さんの案内で、その現... ...続きを見る

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2008/07/20 22:32
アテルイが京都に葬られた? 
『宮沢賢治 --驚異の想像力』(朝文社)が出ました。 わたしの「宮沢賢治と東北--『なめとこ山』から」も載せてもらっています。 それはいいんですが、 p.68、西成彦さん(立命館大)が、 「私は今、京都に住んでいるんですが、京都の清水寺にはアテルイの墓があります。桓武天皇の時代にアテルイは京都まで連れて行かれて、そこに葬られた」 と言っています。 第三回宮沢賢治国際研究大会のシンポジウム(2006年8月26日、花巻)のときにも彼はそう言っていて、翌日のエクスカーションの時、岡... ...続きを見る

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2008/02/12 04:49
こんな質問があった 宮沢賢治『なめとこ山の熊』
 前回報告した京都市立芸大の「日本文化論」の授業の、感想レポートだ。 http://25237720.at.webry.info/200712/article_17.html  ある学生のレポート。プライバシーに配慮してKAさんとしておく。  「『人間の方が熊より記憶力が優れているというのをお互いに認めている』というのは、少しひっかかるなと思います。実世界や常識では確かにそうかもしれませんが、この話の中では、熊は二年間の約束を覚えていて実行している。小十郎を特別な存在と思い続けている。... ...続きを見る

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2007/12/31 11:57
京都芸大の集中講義 「日本文化論」が終わった
 ここのところ毎年のことになっている。年末のこの時期、京都市立芸大で「日本文化論」の集中講義をしている。今年は少し趣向を変えてメニューを少なくして、学生の考える時間を増やしてみた。今日はその最終日。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」について、公開の研究会(検討会)のような形でやってみた。テーマは小十郎が最後に熊どもからひれふして礼拝されるような存在として描かれていることの理由を作品中から読み取ること。もしその理由が描かれていないならば、つまり賢治の願望が描かれているに過ぎないのならば、この作品はひ... ...続きを見る

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2007/12/27 01:17
大澤信亮の宮澤賢治論
>ほかいびとさんに  ほかいびとさん、感想を有り難う。わたしはまだ九十頁で止ってしまっていて。  カントのsollenの扱いが何ともたまらないのです。こういうところが半端なお勉強をして、半端に吐き出しているだけ、と見えてしまうのです。大澤さんはそれなりに器用な人だとは思いますが、しかしやっぱりなにもきちんと語れない。浅田さん、福田さんともわたしはあまり知りませんが、トピックを器用にまとめる人だとは思います。あまり中間報告ばかりしているものよくないので、最後まで読んめたらその時点で何か... ...続きを見る

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2007/11/27 20:43
大澤信亮氏の「宮澤賢治の暴力」(2)
大澤信亮氏の「宮澤賢治の暴力」(『新潮』2007年11月号)の七十六頁まで読んだところで、よいと感じたところを紹介しておきます。 ...続きを見る

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2007/11/04 08:54
大澤信亮氏の「宮澤賢治の暴力」 (『新潮』2007年11月号)
>ほかいびとさんに 『新潮』十一月号買って読みはじめました。大澤信亮氏の「宮澤賢治の暴力」を読みはじめました。  出だしの「賢治の内部には何か不自然な過剰さがある」という捉え方は魅力があると感じます。  そしてはじめの吉田司に関して述べているところは私が以前述べたことと同じこと(概念)を意匠だけ変えて語っているように感じます。 http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/MiyazawaKenji/KenjiJiken.htm それはそういうものでいいので... ...続きを見る

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2007/11/03 22:20
『宮沢賢治研究 Anual』Vol.17に
『宮沢賢治研究 Anual』Vol.17に 拙論、「淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き」を載せてもらいました。 問合わせは「宮沢賢治学会イーハトブセンター」まで。 内容は、 田口洋美さんは「高橋健二氏は松橋和三郎を師匠として猟を学んだ人である」と主張するが、 当人(高橋健二氏)からの聞取りによって、高橋健二さんが松橋和三郎を見かけたことすらないということが明らかになった、ということです。  田口さんは松橋和三郎の生没年を知らなかったのだと思います。もしかし... ...続きを見る

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2007/10/07 21:45
なめとこ山頂上
9月13日、「なめとこ会」で登りました。写真中央が私、その左右が案内をしてくれた高橋美雄さんご夫婦です。なめとこ沢からの登坂。急な坂道が多く、腕を使って登ったので、かえって足には負担が少なかった。道すがら、ミズ、ミズのボボ、アイコの他に、クマが春一番に食べるというサクも教えてもらいました。大きなアザミも咲いていて、宮沢賢治の作品とまたつながりが増えました。今朝のニュースでは豊沢が大雨だったとのこと。あの「池」のことが気にかかります。 ...続きを見る

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2007/09/18 07:47
折口信夫の「妣が國へ・常世へ」2
折口信夫の「妣が國へ・常世へ」(大正九年五月)は、「妣が国論」ばかりでなく、その「常世論」もおもしろい。こうだ。 ...続きを見る

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2007/08/14 03:42
地域文化演習〈花巻〉
宮沢賢治をめぐって、空疎な言葉、言葉だけの言葉が果てしなく語られる。そうした言葉たちは宮沢賢治の生きた心に少しも触れない。世の中にはそんな言葉が多い。詩神から見放された者たちの言葉だ。しかし、賢治ときちんと触れている人ももちろんいる。とりわけ地元の人たちの語る言葉は重要だ。地元の人の語る賢治は、みな誠実で、重たく、そして愛がある。 今回の授業は『賢治歩行詩考』の著者、盛岡在住の岡澤敏男さんを中心に授業を組み立てた。岡澤先生の案内による小岩井農場の歩行は、去年わたしが縁あって参加し、とても感... ...続きを見る

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2007/08/09 00:05
補講 7月24日 『なめとこ山の熊』
 7月24日に補講をした。普段の授業と同じに、第1講時に「哲学と思想」、第3講時に「地域と文化」の授業だ。この授業科目名はどちらも気に入らないのだがどうしようもない。この科目名のせいで毎年かなり余計なトラブルを抱えなければならなくなるのだが、変えるわけには行かないのだからしょうがない。  ともあれ補講のことだ。とりわけ「風土と文化」の話をしたい。3講時目の出やすい時間だとはいえ出席者は少ない。正規の講義は二週間前に終了しているのだから当然だろう。それでも26名が出席してくれた。授業では7月... ...続きを見る

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2007/07/29 01:58
大村の猟師 檜山善六さん
7月11日のこと。前日から花巻の高橋美雄さんのお宅にすっかりお世話になっていて、その日は雫石の大村に行った。鉛温泉の方から峰越峠を越えて、村に入っていった。村の風景は豊沢と随分違う。平地が広いということもある。だがそれよりも山の植生が随分違っているように見えた。杉、檜が多かった。だからこの村で歩いて山に入って、熊を獲るのはなかなか難しいことではないかという気がした。あまり熊が好きそうな山ではないのである。豊沢の山々とは随分違う。 ...続きを見る

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2007/07/16 12:36
授業で「なめとこ山の熊」を読んだ
来週を休講にしたために昨日が一応最後の授業で(後日補講はする)、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を一応最後まで読んだ。  学生から指摘されて気づいたこと二点。どちらも重要だ。 ...続きを見る

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2007/07/04 20:16
「偶然」にこんなにも恵まれて ---「なめとこ山の熊」の研究
今日の昼過ぎ、思い付いて雫石歴史民俗資料館の渡辺洋一さんに電話した。 すると、なんとたまたま今日の午前中、健ちゃん(高橋健二さん)が来ていたのだという。またまた自分で車を運転して。先日九十五歳になられたというご高齢にもかかわらず、達者なことだ。 ...続きを見る

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2007/06/06 19:02
Respondeo dicendum quod (1)  ---贈与/死の贈与
拙論「なめとこ山の死の贈与」(『狩猟と供犠の文化誌』森話社、所収)への質問と返答 ...続きを見る

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2007/05/30 00:54
「なめとこ山の死の贈与」(中村生雄他編『狩猟と供犠の文化誌』森話社)
中村生雄他編『狩猟と供犠の文化誌』が出ました。森話社からです。 わたしの「なめとこ山の死の贈与」という論文を載せてもらっています。 ...続きを見る

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2007/05/28 01:17
拙稿「〜高橋健二氏からの聞書き」、『宮沢賢治研究Annual17号』に
「宮沢賢治学会に研究ノートを投稿した」について ...続きを見る

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2007/05/21 10:26
宮沢賢治学会に研究ノートを投稿した
宮沢賢治学会に研究ノートを投稿した。 タイトルは「淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き」という長ったらしいもの。 非常に丁寧な録音起こしをした。高橋さんの明確なもの言いと、記憶の確かさと、誠実さがよく出るように。 それをしなければならなかった状況がつらい。 しかしすることは決然としなければならない。臨済義玄のように。 臨済が励ましになる。 ...続きを見る

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2007/05/08 01:30

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