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みんなの「日本歌人」ブログ


《日本歌人2017年4月京都歌会》

2017/04/16 03:45
瀬谷こけし

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(構内落葉、2017年4月14日京大構内)


 今日(4月15日)日本歌人京都歌会の歌会があった。わたしが出詠したのは、以前(『日本歌人誌』)「2017年7月号草稿」として掲載したもののひとつを一字だけ変えたものだ。

> 時の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

「夢の中へ」を「時の中へ」に改めた。もともと「時の中へ」の方が本来の形だが、この「時」をどのくらい誤解せずに読んでもらえるかを見たくて歌会に出した。少なくとも三人はこの「時」が現在とかではなく、悠久の時の流れの「時」、過去のことだときちんと理解してくれた。いわば純粋持続としての「今」の時から、「過去」へと逃げ去ってしまった時、もう(なにびとも)改めることができなくなった時だ。ニーチェが「es war]と呼ぶ時。
 歌を「夢」から「時」へ変更すると、見方が一人称から三人称に変わり、少し冷たい物言いになるが、しかし時の問題、死の問題の真相を思考しやすくなる。問題は単純で、身体が息を引き取るとき、それは抵抗の放棄として、「もうここまででいい」という納得として身体自身の能動的行為として最後の息が引き取られるということだ。どんな死に方であれ身体はおのれの能動的な行為として最後の息を引き取るのだ。
 歌会でも、終了後にすこし時間がもらえたので、そのあたりのことを説明した。身体が息を引き取るときの問題として考えてもらうと、理解共感してもらえるひとが増えた。

 今日は、病でしばらく声が出せなかったという人と、名古屋から参加の人が来てくれるので、歌会の後、みなで場所を移してあるフレンチのレストランで会食をした。そこでも、美味しく楽しい談笑の時を過ごした。京都造形での「歌会」の授業が今年からなくなること、京都造形からの日本歌人への何人かの加入希望者の話もした。書道家の会員で、同じく書道家のご主人が、4×9mの鳥子紙に書を書くところの映像もみせてもらった。
 なかなか充実した日だった。
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《日本歌人2017年7月号草稿》

2017/04/06 04:28
瀬谷こけし

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○家々は明かりつましく暮らしたりひとの生くるはさびしきものぞ

○今生の別れとてや差し伸ぶる骨ばかりなる手を握りしことを

○あさましきばかりに細き骨の手を差し伸べる姉のこころの無慚

○父の見る真夜に身まかりにけり姉千代子齢二十九の灯

○夢の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

○峠(たわ)越えて芹生(せりょう)山水もとめ来ぬ春の若水ここにあらずや

○杉の葉のみどりうるはし隠国(こもりく)の春の若水得て帰途につく

○冬の真夜の静謐に立つ寒々し飛騨高山の街の格子戸



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《プリンツ・フォーゲルフライ 日本歌人3月京都歌会》

2017/03/19 02:32
瀬谷こけし


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 今日(3月18日)は午後から京都歌会があった。突っ込んだ議論が交わされ、とても有意義な会だった。普段は出詠歌を歌会の後で変更することはないのだが、今回は変更することにした。変更後はこうだ、

>海峡に鴎が数羽群れて飛ぶ皇子(プリンツ)フォーゲルフライのこれが友たち

 「プリンツ・フォーゲルフライの歌」はニーチェが1882年シチリアのメッシーナで作った詩のタイトルだが、これからはこれまで導いてくれたワグナーから離れて、自分の弟子たちと新しい道を開いてゆこうという決意を歌った詩だと理解している。わたしも去年の3月、メッシーナに行って、帰り道の電車の中でやっ鴎を見ることができた。メッシーナはイタリア半島との海峡の町。ゲーテの『イタリア紀行』でひとは大地震で崩壊して間のないころのこの町の様子を読むことができる。ニーチェも多分読んでいただろう。

 「プリンツ」は「皇子」だが、「フォーゲルフライ」は法の保護を奪われた存在、野たれ死にしても鳥がつつき食い破るままに捨ておかれる存在を意味する。庇護を失った存在。流離の存在。「プリンツ・フォーゲルフライ」は日本語では「野ざらし皇子」ぐらいの意味になるだろう。ニーチェの詩はその皇子の志を一羽の鳥の立場で歌っている。

 メッシーナの海岸ではあまり鴎を見かけなかった。鴎を見かけても浜に一羽でいる鳥、一羽で飛んでいる鳥が多かった。メッシーナを少し離れかかって、はじめて群れ飛ぶ鴎を見た。

 シチリアの町はどこも深い思いを残すが、メッシーナもその例外ではなかった。カターニアに向かった帰路では、右手にエトナ山が見えた。昨日はそのエトナ山が噴火をしたというニュースが流れていた。


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《Web百首4「庭道楽」》

2015/12/03 21:18
瀬谷こけし
南天
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 「庭道楽」 八首


○芳りくるものあるに気づきて見上ぐればひそかな樹ありそれ銀木犀

○乳酸菌ショコラをかくて購ひぬテレビCMにまんま釣られて

○ベンツばかり三台以上置ける家きっとゆゑある家にぞあらむ

○LEDのまぶしすぎるを悪(にく)みをれば百均に蛍光灯管みつけよろこぶ

○たこ糸でできるものかは知らねども紐がなければ首吊もできぬ

○ここは確か大きな花屋があったはず亡びるものはみな言祝(ことほ)がむ

○香ばしき桧のふっとかほりくるでこぼこ垣を許すはゆとり

○南天に千両さざんかそしてかへで北白川は庭の道楽


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《前川佐美雄短歌抄 1》

2015/11/09 17:44
瀬谷こけし
マンサクの葉
詩仙堂
(2015.11.7)
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 今日では読む人も少なくなっているであろう前川佐美雄の短歌を、少し纏めてみたい。今は世の中に佐美雄のように、おのれの内のどうしようもない鋭さ、あぶなさと日々対決している人間が少なくなっているように見える。むしろさまざまなお約束ごと、(例えば放送コードなど)があって、それにちょっとでも抵触した者をただちにはじき出し、二度と公共の場に戻れなくするシステムが緻密に張りめぐらされている時代に見える。文学や芸術の分野においても似たような締め出しが進んでいる。---贅言はやめよう。前川佐美雄が短歌という文学の場で示したことを知る人間が生まれれば、何かは変るだろう。その変化は大きいだろう。「この人を見よ!」そんな標語の下に、前川佐美雄の歌を紹介したい。



『植物祭』「故園の星」より

 ○かなしみ
かなしみを締めあげることに人間のちからを尽くし夜もねむれず
人間の世にうまれたる我なればかなしみはそつとしておくものなり
かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり
  *かなしみの解消法。「流してうすれさせる」。前登志夫:かなしみは明るさゆえに……
 ○さびしさ
晴着きて夜ふけの街に出でてをる我のさびしさは誰も知るまじ
ひとの世に深きうらみをもちをれば夜半の涙も堪えゐねばならぬ
床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いてみてゐし
  *わたしがわたしの首を見る。しかも床の間に祭られている素晴らしさ。さびしさの勲章のごときもの。Splendid!
 ○隣住
幾千の鹿がしづかに生きてゐる森の近くに住まふたのしさ
  *鹿。野生の生きものの気配を近くに感じながら生きる素晴らしさ。
百年このかたひと殺しなきわが村が何で自慢になると思へる
何といふこはさまざまの小虫らよ青草の根にかたまりひそむ
幾萬の芽がうつぜんと萌えあがる春を思へば生くるもたのしき
  *生きるたのしさをどこに発見するかという基本的問題。
 ○四角い部屋
なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす
  *角部屋だと隅が出来、隅には暗がりができる。それが恐い。
四角なる室のすみずみの暗がりを恐るるやまひまるき室をつくれ
  *そこで、
丸き家三角の家などの入りまじるむちゃくちゃの世が今に来るべき
 ○研ぎすまされる感応感覚(床下の暗がり)
生きものの憎しみふかき蛇ながらとてもわれには殺すちからなき
床下の暗さにいちづに向いてゆくわが頭なり物をつきつめるなり
眠られぬ夜半におもへば地下ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる
どろ沼の泥底ふかくねむりをらむ魚鱗(うろくづ)をおもふ眞夜なかなり
 ○わがするどさ(気ぐるひ・気違ひ)
をさならのうた歌ひゐるなかに来てわがするどさのたまらざりしか
苦しさにのたうりまはる気ぐるひの重なるはてやつひに死ぬべし
  *「気ぐるひ」という正しい呼び名。
足もとの土がおちいつて行くごときかかる不安は消しがたきなり
燈の下(もと)に青き水仙を見つむれどこの氣ぐるひのしづまらぬなり
人の物を盗(と)りてならずと教へられとりてはならずと決めてゐるあはれ
夜半いねず窓うすしらむ朝がたにくるふ身なればいかにかなしき
外に出れば虐(さいな)まれがちのわがいのち押入の中にでも隠れたくなる
むらむらとむごたらしこころ湧くときのわが顔はあはれ気違(きちがひ)ならむ
 ○秋晴れ!
すつぽりと着物着かへて何処となくこの秋晴れに出でて行かましを
どうせこの虫にもおとるわれなれば今日の秋晴れにも寝てゐてあらむ
ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
秋晴のかかるよき晝は犬も猫もまた豚も馬もあそびにきたれ






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《春がすみ---前川佐美雄論》

2015/11/06 02:05
瀬谷こけし

政井みねの像 野麦峠
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 はじめに二首の歌を対比させてみよう。前川佐美雄の、

> @春がすみいよよ濃くなる眞晝間のなにも見えねば大和と思へ  (一)
   『大和』「昭和十四年、大和」

と、拙詠、

> 野麦峠にたどりつきたるミネの目の何もみえねどここは飛騨の地  (二)
拙詠、《飛騨高山 Web歌集 百首歌2》
http://25237720.at.webry.info/201510/article_6.html

 拙詠は、僭越は承知の上で、佐美雄の歌の主旨を適切に理解する手がかりにと思って引くものだ。拙詠は山本茂美の『ああ、野麦峠』で、明治42年11月20日、午後2時頃、兄辰次郎に背負われて、野麦峠にたどりつき、「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」と喜び、そのまま息を引き取ったとされる政井みねのことを、山本の叙述をやや変更して詠んだものである。あるいはミネの目は、この時もう飛騨を、乗鞍岳を、見るこができなかったのではないかと想像する。それでも野麦峠にたどり着いたと知れば、その末期の目にかすかに映る景色は、飛騨のそれであっただろう。飛騨の地に帰りついて命を終えるよろこび。

 佐美雄の歌は彼の代表作とされるものである。しかし難解である。それは何よりも「見えねば」と順接で記されていることである。これが逆説で「見えねど」と記されていれば、大和アイデンティティーへの観念的な、イデア的な、固執として、たやすく受け取られるものだろう。ひとりの狂信的大和主義者がいる、と冷笑的に見て通り過ぎるというわけである。しかし佐美雄は、そういう受け取りを許容しない。それのできない措辞をしている。それが順接の「ば」である。
 これを解釈することは難しい。しかし、正しい読み取りの方向はすでに示されていると言うべきだろう。一例を上げれば、山中智恵子は、この歌を「この諷歌倒語・鬼拉幽玄の極みの絶唱」と、そして「大和恋の咒言」と読む(1)。「諷歌」はなぞらえ歌、ほのめかし歌のことで、要するに国をいよいよ濃く覆い尽くそうとしている「春がすみ」とは何か、「春がすみ」がほのめかしていることをしっかりと読み取れ、という示唆であろう。また「倒語」はこの場合、なぜ逆説の「ど」ではなく順接の「ば」が使われているのか、その意味をきちんと読み取れと言う示唆に違いない。どちらもわれわれにこの歌を読む正しい見通しを与えてくれる。この方向で読めば、この歌が「大和恋」の「咒言」であることはほとんど自明のこととして見えて来るのは疑いない。
「春がすみ」とは何の諷喩か? 三枝昂之は『昭和短歌の精神史』の中で適切に、そのおおよその輪郭を示してくれるだろう。そこのところを全文引用しよう。

 (佐美雄の春がすみの歌)は霞の中に沈む風景に大和の本質を見て、佐美雄の代表歌として特に評判が高い。卓抜の大和論と読めばいいが、時代を超越した美のエキスのような名歌がなぜこの時期に生まれたかは考えてもいいだろう。それはおそらく、時代への失意がバネになった、非在のものを見つめようとする遠望感といったものである。(角川ソフィア文庫、2012年、p.123)

 三枝は、この歌の時代背景を重視している。そして、春がすみに閉ざされ、何も見えなくなった風景の中に「非在のものをみつめよう」と遠望する歌だと解釈する。「春がすみ」が、実際の視覚の上で「大和」を見えなくするものであり、その実景をベースとして歌われたことはその通りであろう。しかしそもそも「大和が見える」とはいったいどういうことなのだろう? ---いやいや、佐実雄はそもそも「大和が見えない」とは言っていない。「何も見えない」と言っているのである。そしてその「なにも見えねば」の順接の接続詞を、その通りに解釈すれば、三枝の言うように、何も見えない風景こそ大和の本質なのだ、と佐美雄は主張していると取るのがまともな解釈だということになるだろう。しかしそれでいいのだろうか? 佐美雄は「なにも見えねば大和なりけり」と断言しているわけではなく、「なにも見えねば大和と思へ」と、少し無理をしてでも、この風景、このかすみにつつまれた景色をこそ大和と思えと、(自分で自分に)命じているのである。何なのだろうか? その無理の中で佐美雄は何と、誰と繋がるのだろう? ここに或る遠望感があるととる解釈・鑑賞は正しいだろう。実際、ほとんど誰とも、何とも繋がることのできない大和感が言われているのである。五里霧中、ゆえにここは大和だと、いったい誰が考えただろう。

> やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまごもれる やまとし うるはし   (三)

と歌ったとされる『古事記』の歌が、恐らくもっとも近い大和歌いの歌として佐美雄には連想されたことであろう。ヤマトタケルが死の前に歌ったとされる国を思い偲ぶ歌である。ヤマトタケルも大和を遠望して歌うのであるが、佐美雄はやまとの地にありながら大和を遠望するのである。目に見えず、こころに浮かべ偲ぶ国が大和だということだろうか。そのようにして、佐美雄は大和の、ヤマトタケル的な、正しい思い方に思い到ったのだろうか? こうした解釈は、佐美雄の歌の一部分を明かしはするであろう。しかし、やまとにありつつやまとが視野から閉ざされる絶望感には、まだとても届かない。そしてしかも真昼間のかすみである。いずれは晴れる朝霧とは違う。いよいよ濃くなってゆくかすみ、それが春の大和を覆ってゆく。つまり、さしあたり、いつまでとも知れず、大和の春は覆われてその何も見えなくなるのである。悲壮なる大和、悲壮なる大和の発見である。幾らかはヤマトタケルに似る。
 それを同じ歌集の「大和」の節の歌すべてを引いて確かめて見よう。二首目から:

A白鳥のせめてひとつよ飛び立てと野をいやひろみ祈りたりけむ
Bとこしへに春を惜しみて立てらくはいまの現(うつつ)のおんすがたなる
C何ものも従へざればやまずかも永遠(とこしへ)にひびくこゑとこそ聞け
D天ごもり鳴く鳥もあれ眞昼間の野火燃えつづき太古(むかし)のごとし
E四方山(よもやま)もすでに暮るると下(お)りきたり谷に水のむけものちひさし
Fひもすがら陽に追はれゐる家畜らのはや夕暮とねむるかなしさ
G畜生も石のほとけと刻まれしこころ見るべし春日照りつつ
Hゆふぐれと彼方(かなた)に低く錆(さ)びひかる沼地の水か心(うら)たよりなき
Iかぐはしき思ひのなにも無きながら強(し)ひて象(かたど)る花ひらめかず

Aの歌の過去推量の「けむ」は、「白鳥」から推測されるように、ヤマトタケルの大和の妻たち子供たちの行為を推測している。
Bの「立て」はAの「飛び立て」の略であろう。「飛び立ってゆくようなのは」。それが、つまり今のヤマトなす人の姿だという。
Cは従う者なくただ一人声を上げる姿が自分とヤマトタケルが共通するという。Cの歌が最もストレートに@の歌を受けている。
Dは、天上に籠り鳴く鳥があれと歌うが、山中智恵子の次の歌はこの天上に籠る鳥を受けている。
> 水ゆかば秋草ひたす雲離れ空に陥ちけむ声玲瓏なる   (四)
    『虚空日月』「王+必」
智恵子は佐美雄の示すその場所を自分の場として多くの歌を詠んでいる。
E〜Hは、人間以外の者にも頼りになる者が無いことを歌う。E「けもの」が、FG「家畜」がH「沼地の水」が、それぞれ何の頼りにもならない。
そしてIでは、E〜Hを総括して、「かぐはしきものがなにも見つからない」ので、無理して歌うような花も思いつかない、と言う。これが何もみえない大和の姿である。はるかにもせよ望まれうるのはDの「天上に籠って鳴く鳥」ばかりである。その太古の古代的な風景。

    ◇  ◇

 それではここまで読んでくると、あの順接の「ば」はどう解くことができるだろう? かくわしきものが何も見えないのである。だからこそここが大和だと思えと言うのは、どこへ行っても同じく何も見えないだろうからだ。そして時代はヤマトタケルの時代とは違う。昭和12年12月13日、南京陥落。その庁舎には日章旗が揚がる。東京では40万人の提灯行列が行われ、その祝賀の熱狂は全国津々浦々にまで広がる。総動員態勢の締め付けは以後ますますきつくなってゆくだろう。昭和15年2月以降、「京大俳句」のメンバーが多数検挙されてゆく。大和とは何か? 大和心とは何か?

> ばら色の朝日ぞにほふ床のべに老いてののちや何みがきゐむ  (五)
    『大和』「春雷」

 床から起きれなくなった老人の妄想のようなものだろう。何も見えないのが却ってよい。今は地上にかぐわしいものはなにもない。ひとは、かぐわしく、すがすがしいものを、太古の土壌にもどって探さなければならない。いよいよ濃くなる春がすみに覆われ、地上のものの何も見えない大和の地は、そのかぐわしかるべきものの発見の場になるはずだ。ここにいる他ないのだ。翼をもって天上に鳴き籠れるのでないならば。
 「大和」は太古の大地から発見されるべきものなのだ。あるいは、その「がくわしきやまと」の、発見のための場所のことなのである。何も見えないからこそここが「大和」になる。かつての日のタケルのように。強い意志をもってここを掘り続けよ、と。




(1) 山中智恵子「八がしらの猛きすがたは」『存在の扇』(1980年、小沢書店)、pp.200-201。

マンサクの葉(2015.11.7詩仙堂)
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ヒツジ草(2014,11,3 御苑)
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《Web百首3「コスモスの花」》

2015/11/05 19:52
瀬谷こけし


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 「コスモスの花」 八首



○飯館村は廃地廃寺の廃村といふ亡国の徒の汚染土の山

○わが耳に音してものの聞こゆるは「ひとすべからく寛(ゆるやか)であれ」

○わが仕事の比喩のごときか秋の日の草湧くばかり咲くコスモスの花

○宮柱底つ磐根に固く据え常世を恃む代も過ぎにけり

○「搏風」をちぎと訓むらし空をゆく風を平手で搏ちまた縛る

○大屋根のきしむ音にぞ驚きぬ真夜まで消えぬ経を読む声

○飛騨のもみぢの真っ赤なる荘厳のなかわがむすめ子の生まれしことを

○ホテルのコックだったを売りにするコロッケ屋二度購ひてその後行かず





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《Web百首1「風には風の」》

2015/10/06 03:56
瀬谷こけし
奈川渡ダム
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 しばらく短歌の実作から遠ざかっていた。と言っても、「日本歌人」の月一度の例会には欠かさずに出たいと思っていたので、折々詠み残してはいた。それが、先々月ごろから前川佐美雄の『植物祭』を読み直していて、わたしも詠んでみたいという気持ちがふつふつとわいて来た。こういう歌集が許されていた時代、許容されていた時代というのは、現代よりはまだ禁圧が低かったと言える。逆に言えば、前川佐美雄がぎりぎりの責めぎ合いの中で開き残してくれた歌の自由の空間は実に貴重な遺産なのだ。わたしが師と仰ぐ山中智恵子も、前衛短歌革命を果たした塚本邦雄も、この空間のおかげで育つことが出来た。わたしもその恩恵の中で、歌を詠んでみたい。まずは百首歌から。短歌にこそできることが、まだきっとある。


 「風には風の」 八首

○風には風鳥には鳥の道あらむあらむと思ふあるべしと思ふ

○ヤーヤヤドーときこえる声す彼方よりねぶた子ならむ新宿通

○みじめさを知る者ならむ津軽びと太宰治はその津軽人の

○風遠く凍(しば)れる国より来たるらしこの初夏のすがすがしさは

○奈川渡(ながわと)に身を投げし木を見つけたり引き上げられて身をば干しをり 

○鉛温泉(なまり)には湯のあり森の銀の水なめとこ山の熊も飲む水

○あら草のただ二葉のみふるへゐるか細き風の道にあるらむ

○みづうみのひとすぢ波の立つところ尾神の村の橋ならざるや



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京都歌会 --- わがことば創りたまへるかの夜

2013/02/16 21:33
瀬谷こけし
 今日、日本歌人の京都歌会。新人二人が来てくれた。作も評も素晴らしい二人。
 歌会の後喫茶室で談話していたが、ある先輩から私が短歌で何をやろうとしているのかきかれた。普段こんなことは尋ねられたこともないのだが。
 私の答えは多分簡単だ。山中智恵子と塚本邦雄が開いた地平を先に切り開くこと。彼らの先の新しい地平を切り開くこと。---それが何だと問われると、大変答えにくいが。肯定のより優れた形を、開き示すこと---そんなことだ。

 そして山中智恵子の、

   水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるかの夜へ献(おく)る
           『みずかありなむ』「夜、わが歌を思ひ出づ」

の歌を紹介したが、ほとんど理解してもらえなかったようだ。この歌は、歌を最後の拠り所にする者たる歌人にとって、究極的な肯定の歌だ。「わたしの歌」は「かの夜」が創造してくれたもの、創り与えてくれたものだ。その夜に、すべての感謝を捧げる、---そういう歌だ。
 ここには肯定がある。


==================
 この日のわたしの出詠歌は次のもの:

>   魂に平均律を装填しアサギマダラの繭ごもる夜


 (「装填し」を「装填す」にするか、まだ迷い中。頭痛が激しく、このまま寝て明日があるか確信がなかった。グレン・グールド/バッハの《平均律》をしっかり聴いて眠りについた。明日も目覚めがあり、そしてその時には今よりきっと健やかであろう、と、晴れやかな予感をもって。)
(2013.02.21)



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高橋淑子歌集『冬虫夏草』紹介

2012/12/15 21:49
瀬谷こけし
 今日は琵琶湖湖岸にある「千松」というところで、日本歌人京都歌会の十二月の歌会と、仲間の高橋淑子さんの歌集『冬虫夏草』(梧葉出版刊)の出版祝賀会があった。そしてその他忘年会も兼ねていたが。
 この『冬虫夏草』という歌集はとてもよいものだ。この非常に微かなもの、ことを、これほどに取り出せた人は居ないのではないだろうか。ヘルダーリンは「この乏しい時代に何のための詩人か」と問うていた。高橋さんは、その乏しさをこの上もないほどデリケートな表現によって、示している。まことに感心する。人間という存在の乏しさ。---贅言を重ねるのはよそう。いずれきちんとした鑑賞を示したいと思っているが、まずはその中から何首かをしめしておきたい。
 みずからの存在の乏しさを、ひとはどうしたら語れるのか?
 この仕事の貴重さに、ひとはなかなか気付くことができないだろう。朝の食事が日々の再生の大仕事であることに一体誰が気がつくだろうか?


  
  凩の過ぎゆくのみの峠にてわれにやさしき遠き街の灯
      「木犀にほふ」
  けふひと日纏ひし皮を剥ぐごとく背中丸めてセーターを脱ぐ
       同前
  ふたたびは逢ふこともなき風の過ぎ円照寺廻廊きしむ真昼間
      「青葉木菟」
  コーヒー豆と鬱も一緒に挽く朝の香に立てば気も陽に動けり
      「瞑想に泌む」
  カリカリに焼きしベーコン食む音に悔も消されて朝がはじまる
      「陽炎」
  得体知れぬ冬虫夏草飲み下す魑魅魍魎がじわじわと泌む
      「冬虫夏草」
  駅前の通行調査のワンクリック微かな音すわれの存在
      「一期一会」






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タイトル 日 時
井村亘歌集『星は和みて』
井村亘歌集『星は和みて』  四月にご恵送いただきながら、いままで読むことのできなかった井村亘さんの歌集『星は和みて』について、若干の紹介をさせていただきたい。この度、全巻を通読させていただいたが、今でも以前合同歌会で拝見した次の歌がわたしには一番鮮明だ。 ...続きを見る

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2012/08/17 01:51
後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』から
後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』から  後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』(2012年8月11日、ながらみ書房)から、幾つかの歌を紹介しよう(まだ半分も読めていないので、後でさらに追加する予定)。  (*の小文はわたしの感想) ...続きを見る

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2012/08/10 19:47
長岡千尋歌集『静歌』
長岡千尋歌集『静歌』  長岡千尋さんの歌集『静歌』(2012年7月20日、北羊館)から、短い感想をつけて何首か紹介します。 ...続きを見る

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2012/08/09 20:22
もう秋は終ったと (3)
もう秋は終ったと (3)    それで一首: ...続きを見る

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2011/12/17 23:46
出船・入船 昨日日本歌人京都歌会で
出船・入船 昨日日本歌人京都歌会で  日本歌人の京都歌会には、和菓子屋をやってらっしゃる方がいて、昨日はとても春らしい干菓子を持って来て下さった。とても可愛らしくて、まず写真を撮らせてもらって、その場ではとても食べられず、今日もまだ食べられず、家人に見せてからと思って、いろいろ忙しく、まだ見せられていない。明日の朝には見てくれると思うが。  波を船の下に置くか上に置くかで、出船/入船となるらしい。写真の右の船が出船、左が入船だ。出船の方が、未知への希望が開けて行く気がする。この菓子の振舞いにも震災復興への祈願が、こもっている... ...続きを見る

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2011/04/22 00:20
仲つとむの歌集『音霊』
仲つとむの歌集『音霊』 著者が何年のお生まれなのかわたしは知らない。普段から京都歌会でお世話になっているのだがそれは聞いたことがない。しかし、終戦を自分の経験として知る人だということはこの歌集の中の次の歌からわかる。 ...続きを見る

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2008/10/31 19:16
悼 前登志夫 一首
悼 前登志夫 一首 わが肩にその手を置きて去(い)にしひとその大人も逝去(さり)たまひたり ...続きを見る

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2008/09/04 13:51
短歌一首 広沢池 ジェフリーとアキコ
短歌一首 広沢池 ジェフリーとアキコ 広沢池はジェフリー・ウィッカムの婚礼の場所息をつづめて通り過ぐべし                  (『日本歌人』2008年8月号) ...続きを見る

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2008/08/12 09:01
山中智恵子論<9>、<10>をUPしました
山中智恵子論<9>、<10>をUPしました 今年の1月から『日本歌人』誌に連載していた拙論、「山中智恵子論」が10月号をもって完了しました。 それで、本日11月になったことで、わたしのホームページにUPしました。 ...続きを見る

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2007/11/01 20:33
山中智恵子論 雨師・王・翁・誄歌
山中智恵子論 雨師・王・翁・誄歌  四月二日、この日京都は一日中黄砂に覆われていた。重たいものが街中を包んでいた。雲ではない。かつてないほど厚いもので、エキゾチズム的な中国大陸へのあこがれをもたせるようなものではなかった。むしろこの黄砂とともに、大陸の工場から排出された汚染物質が運ばれてきているのだろうと思わせるものだった。数年前までは黄砂が降ると、遠い西の異国を憧れとともに思っていた気がする。中島みゆきの「黄砂に吹かれて」は一九八九年のリリースだった。時代は確実に変っている。昭和天皇の御大葬はこの年の二月二十四日だった。す... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 2 / コメント 0

2007/06/04 05:19
「山中智恵子論 七 ---佛眼佛母・不思議・ことはり・最短距離」本日完成
「山中智恵子論 七 ---佛眼佛母・不思議・ことはり・最短距離」本日完成  最終締切と言われていた十五日を過ぎてしまっていたので、肩に重い何かが負ぶさっているようだった。それがやっと消えてくれた。『日本歌人』七月号に掲載される予定です。  今日、上高野は田植え。書き終えて送ってなどをしていると家を出るのが五時近くになっていた。田植えはその時間にはどこの田でももう終わっていた。田植機の姿も見えなかった。  去年は田植えの日になぜかカメラをもって近所を歩いていて、宮野さんが忙しく動き回っているのに出会ったり(忙しいのでちょっと挨拶してくれただけだ)、そして宮本さん... ...続きを見る

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2007/05/18 00:46

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