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みんなの「日本歌人」ブログ


《二コラ・プッサンのフローラ女神 「破顔一笑」の心を》

2018/04/23 11:53
瀬谷こけし

 今年の春はこれまでになくさくらの花の花見を楽しんだ。「花見を楽しむ」というのはわたしの場合、気を入れて桜の写真を撮ろうとしたということなのだが。昨日写真の整理をしていると、2013年には4回も芹生の花山の写真を撮りに行っている。4月19、21、25、28日だ。山に浅く薄い色がつきそめたころから、濃厚な日差しの中激しい最期の色合いを示すようになったころまで。その時季その時季に美しい姿というものはあって、どの姿が一番美しいということは言えないが、咲き初めるころというのは独特なものがある。淡い色合いの中つつましく清楚に。こんな咲き方は二コラ・プッサンの春の捉え方とは違うのだろうか? 彼は一瞬にして、花が突然ほころぶような春の到来を描いている、と思う。日本の言葉を探せば「破顔一笑」になるだろうか。突然ゑまひに咲く春の表情だ。こんな笑顔(ゑかほ)というものもあるものだ。

 一昨日の日本歌人京都歌会のわたしの詠草:

> 瞬間に破れて笑みの花と咲くニコラ・プッサン春の女神(フローラ)よ
  *「(フローラ)」は「春の女神」全体のルビ。

 わたしとしては気に入りの一首なのだが、点は入らなかった。



写真は『フォローラの王国』、パブリックドメインから。
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《日本歌人関西合同新年歌会に行った》

2018/01/28 23:40
瀬谷こけし


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 日本歌人関西合同新年歌会に行ってきた。とても疲れた。さっき風呂に入ってやっと疲れが取れたが。
 その内容のことはあまり言えない。前川佐重郎さんの評は平易な詠み方をという思想に貫かれ的確で、またユーモアもあって面白かった。また前川斎子さんの螳螂の詠歌はカマキリを平知盛と重ねて大変素晴らしかった。
 これだけで十分に実りはあったと言うべきだ。さらに言えば(われらの)仲さんの総評は選んだ数首の歌について大変しっかりした講評をされていた。このしっかりした読みときちんとした評価に支えられて歌は発展してゆく。
 今年の夏行は京都で開かれるということだった。交通費・宿泊費の負担がなくてすむので、今回は参加できるかもしれない。

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《夜の神の水 (Heilignuechternes Wasser)》

2017/12/21 15:24
瀬谷こけし

  先日日本歌人京都の忘年歌会が今熊野の澤正で開かれた。食事も歌会もともに魅力的な会だったが、その歌会でわたしが出した歌は次のものだった。

> くちづけに熱き頭(かうべ)を冷やさんと夜の神(ニュクチュルヌス)なる水を呑みたり

この歌は多少問題にされたが、それはルビのように使われた「ニュクチュルヌス」のことだった。わかる人にはわかることだろうがこの歌はヘルダーリンの「生の半ば」の一節に対する一解釈として詠まれたものだった。
 その一節とは、

Ihr holden Schwäne,
Und trunken von Küssen
Tunkt ihr das Haupt
Ins heilignüchterne Wasser.

の詩句のことだ。この「heilignüchtern」とは何なのだろう? 「heilig」は聖なるという意味だが問題はとりわけ「nüchtern」(ニュヒテルン)の方だ。試しにドゥーデンのウニヴェルサール辞典を見てみると、朝の勤行の前の飲食をせず身を慎んだ状態を語源とする語だという風に出てくる。覚めた、覚醒したというような意味の言葉だと言うのである。だがこの詩では「nüchtern」は水の性格を限定する形容詞として使われている。「神聖に覚めた水」である。それはどういうことなのだろうか? この言葉によってヘルダーリンは正確に言って何を言おうとしているのだろうか。むしろ彼はこの水を通して新しい危険な領域に、新しい未知の危険な神のもとに踏み込もうとしているのではないだろうか。

  「nüchtern」の語によって彼は「nocturunus(夜の)」と「夜の神 (Nyctelius)」とを同時に指差そうとしているようにわたしには思えるのである(オヴィディウスが『アルス・アマトリア』の中で試みたように)。「神聖な神の水の中に頭をひたす」とは、頭を潜(かづ)けることで、神聖ななかでも神聖な行為ではないだろうか。そしてそれは、神聖な神の水を呑み、身の内に充分に入れることを含むのではないだろうか。こうして新しい夜の神の信徒に、あるいは司祭になるのではないだろうか。ヘルダーリン自身はこの白鳥のように、ズセッテを失ってのち、新しい夜の神バッカスの信徒になっていったのではないだろうか。その水を身内に入れることによって。

 そういう読解をわたしはこの一首の中で示したかったのだ。それでも「ニュクチュルヌス」の音は変だと言われるかもしれない。まず残したかったのはヘルダーリンの詩の「nüchtern」の「nü」と「夜の神ニュクテリオス(Nyctelius)」の「Ny」とに共通する「ニュ」の音だ。ラテン語の「夜」(ノクス(nox))と「夜の」(ノクトゥルヌス(nocturnus))フランス語の「夜」(ニュイ(nuit))などから見て「ノ」音と「ニュ」音が通音するのはよくあることだと思ってよいだろう。そんなわけでわたしは、「ニュクチュルヌス」の語でヘルダーリンの詩の「ニュ」を残してラテン語の「夜の」の「nocturnus」を意味の軸として用いることによって、ヘルダーリンが夜の水に見た神聖さの実体を指し示したかったのだ。そしてこの夜の水の中にある新しい神聖な神の名ニュクテリオスは、バッカスの別名でもあるのだ。詩人ヘルダーリンのニュクテリオスへの帰依(『パンと葡萄酒』に見て取ることができる)は、この夜の白鳥の行為と共通するのではないだろうか。
 こうしてヘルダーリンはより深い神のみもとに急ぐ。

 ヘルダーリンの「生の半ば」は以下である。

 Hälfte des Lebens

Mit gelben Birnen hänget
Und voll mit wilden Rosen
Das Land in den See,
Ihr holden Schwäne,
Und trunken von Küssen
Tunkt ihr das Haupt
Ins heilignüchterne Wasser.

Weh mir, wo nehm ich, wenn
Es Winter ist, die Blumen, und wo
Den Sonnenschein,
Und Schatten der Erde?
Die Mauern stehn
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen.
(『Hölderlin: Gesammelte Werke (German Edition)』(Friedrich Hölderlin 著)より)


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《日本歌人2018年3月号草稿》

2017/12/09 16:41
瀬谷こけし

白鳥
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(この白鳥はチューリッヒ湖ではなくルツェルン湖のもの)


 標記のものを紹介しておきます。(  )の中はルビ扱いのものとお考えください。


>西へ東へ人走る北南「斬首斬首」の言葉とともに
>養老や飲みもの選ぶ自販機に山吹色(やまぶき)の水これ美(うま)しとて
>ほろぶものみな滅ぼされふる里はうさぎ苦しき月見をすると
>夕焼けは古都が古都に帰る刻(とき)北大路をば西へと走れ
>夕方のそら焼けゆけば川辺には古都の雑草いまも生きぬく
>チューリヒの白鳥なべて無思慮なるをくちづけするは何の悲惨か
>くちづけに熱き頭(かうべ)を冷やさむと夜の神(ニュクチュルヌス)なる水を呑みたり
>灼熱のチューリヒ大学疲れてはアプフェル・ショルレは水よりも効く

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《日本歌人2017年7月号草稿》

2017/06/06 11:39
瀬谷こけし


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ザーレ川、2016年8月15日, at ナウムブルク



○ベルリンにゆく準備にも欠せないジョルジュ・ムスタキ〈異国の人〉

○世の民にニーチェといふは恐しき人昔アリストテレスは豚を黙らす

○Hirschentraum(ヒルシェントラウム)といふ菓子のあり鹿たちの夢ほぼ食べつくす

○啄木とともに遊びに来たかりしはむしろSaale(ザーレ)の川の川柳

○忘れよとNietzsche(ニーチェ・) Bank(バンク)は語り継ぐやさしい風のわたり来るゆゑ

○葉と葉と葉かさなるゆゑの密の絵か描きて森は涼をし賜ぶ

○ザーレ川裏葉を交わす川柳のいま幾たびの夏をたのしむ

○ワイマール何かわびしき地も店もひとさへ老いて夏祭りする



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《5月の日本歌人京都歌会》

2017/05/20 21:25
瀬谷こけし

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 今日歌会があった。私の出詠歌は、

>きみさらにながながし夜を千年の孤独をもちてひとりかもねむ

もちろん本歌の一つは人麻呂だが、この歌自体は次の歌への応答として詠まれている。

>百年の孤独を歩み何が来る ああ迅速の夕焼けの雲

山中智恵子の『風騒思女集』の末尾の歌だ。
 詠んだのは八年前、山中智恵子への挽歌として詠んだ。残酷な歌かもしれないが、私はそれでよいと思っている。それでこそ、時代の深みの底を汲み取り直したことになるだろう。


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《日本歌人2017年4月京都歌会》

2017/04/16 03:45
瀬谷こけし

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(構内落葉、2017年4月14日京大構内)


 今日(4月15日)日本歌人京都歌会の歌会があった。わたしが出詠したのは、以前(『日本歌人誌』)「2017年7月号草稿」として掲載したもののひとつを一字だけ変えたものだ。

> 時の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

「夢の中へ」を「時の中へ」に改めた。もともと「時の中へ」の方が本来の形だが、この「時」をどのくらい誤解せずに読んでもらえるかを見たくて歌会に出した。少なくとも三人はこの「時」が現在とかではなく、悠久の時の流れの「時」、過去のことだときちんと理解してくれた。いわば純粋持続としての「今」の時から、「過去」へと逃げ去ってしまった時、もう(なにびとも)改めることができなくなった時だ。ニーチェが「es war]と呼ぶ時。
 歌を「夢」から「時」へ変更すると、見方が一人称から三人称に変わり、少し冷たい物言いになるが、しかし時の問題、死の問題の真相を思考しやすくなる。問題は単純で、身体が息を引き取るとき、それは抵抗の放棄として、「もうここまででいい」という納得として身体自身の能動的行為として最後の息が引き取られるということだ。どんな死に方であれ身体はおのれの能動的な行為として最後の息を引き取るのだ。
 歌会でも、終了後にすこし時間がもらえたので、そのあたりのことを説明した。身体が息を引き取るときの問題として考えてもらうと、理解共感してもらえるひとが増えた。

 今日は、病でしばらく声が出せなかったという人と、名古屋から参加の人が来てくれるので、歌会の後、みなで場所を移してあるフレンチのレストランで会食をした。そこでも、美味しく楽しい談笑の時を過ごした。京都造形での「歌会」の授業が今年からなくなること、京都造形からの日本歌人への何人かの加入希望者の話もした。書道家の会員で、同じく書道家のご主人が、4×9mの鳥子紙に書を書くところの映像もみせてもらった。
 なかなか充実した日だった。
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《日本歌人2017年7月号草稿》

2017/04/06 04:28
瀬谷こけし

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○家々は明かりつましく暮らしたりひとの生くるはさびしきものぞ

○今生の別れとてや差し伸ぶる骨ばかりなる手を握りしことを

○あさましきばかりに細き骨の手を差し伸べる姉のこころの無慚

○父の見る真夜に身まかりにけり姉千代子齢二十九の灯

○夢の中へみづから息を引きとりて去りにしものを掴むすべなし

○峠(たわ)越えて芹生(せりょう)山水もとめ来ぬ春の若水ここにあらずや

○杉の葉のみどりうるはし隠国(こもりく)の春の若水得て帰途につく

○冬の真夜の静謐に立つ寒々し飛騨高山の街の格子戸



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《プリンツ・フォーゲルフライ 日本歌人3月京都歌会》

2017/03/19 02:32
瀬谷こけし


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 今日(3月18日)は午後から京都歌会があった。突っ込んだ議論が交わされ、とても有意義な会だった。普段は出詠歌を歌会の後で変更することはないのだが、今回は変更することにした。変更後はこうだ、

>海峡に鴎が数羽群れて飛ぶ皇子(プリンツ)フォーゲルフライのこれが友たち

 「プリンツ・フォーゲルフライの歌」はニーチェが1882年シチリアのメッシーナで作った詩のタイトルだが、これからはこれまで導いてくれたワグナーから離れて、自分の弟子たちと新しい道を開いてゆこうという決意を歌った詩だと理解している。わたしも去年の3月、メッシーナに行って、帰り道の電車の中でやっ鴎を見ることができた。メッシーナはイタリア半島との海峡の町。ゲーテの『イタリア紀行』でひとは大地震で崩壊して間のないころのこの町の様子を読むことができる。ニーチェも多分読んでいただろう。

 「プリンツ」は「皇子」だが、「フォーゲルフライ」は法の保護を奪われた存在、野たれ死にしても鳥がつつき食い破るままに捨ておかれる存在を意味する。庇護を失った存在。流離の存在。「プリンツ・フォーゲルフライ」は日本語では「野ざらし皇子」ぐらいの意味になるだろう。ニーチェの詩はその皇子の志を一羽の鳥の立場で歌っている。

 メッシーナの海岸ではあまり鴎を見かけなかった。鴎を見かけても浜に一羽でいる鳥、一羽で飛んでいる鳥が多かった。メッシーナを少し離れかかって、はじめて群れ飛ぶ鴎を見た。

 シチリアの町はどこも深い思いを残すが、メッシーナもその例外ではなかった。カターニアに向かった帰路では、右手にエトナ山が見えた。昨日はそのエトナ山が噴火をしたというニュースが流れていた。


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《Web百首4「庭道楽」》

2015/12/03 21:18
瀬谷こけし
南天
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 「庭道楽」 八首


○芳りくるものあるに気づきて見上ぐればひそかな樹ありそれ銀木犀

○乳酸菌ショコラをかくて購ひぬテレビCMにまんま釣られて

○ベンツばかり三台以上置ける家きっとゆゑある家にぞあらむ

○LEDのまぶしすぎるを悪(にく)みをれば百均に蛍光灯管みつけよろこぶ

○たこ糸でできるものかは知らねども紐がなければ首吊もできぬ

○ここは確か大きな花屋があったはず亡びるものはみな言祝(ことほ)がむ

○香ばしき桧のふっとかほりくるでこぼこ垣を許すはゆとり

○南天に千両さざんかそしてかへで北白川は庭の道楽


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タイトル 日 時
《前川佐美雄短歌抄 1》
《前川佐美雄短歌抄 1》 マンサクの葉 詩仙堂 (2015.11.7) ...続きを見る

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2015/11/09 17:44
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《春がすみ---前川佐美雄論》 政井みねの像 野麦峠 ...続きを見る

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《Web百首3「コスモスの花」》  「コスモスの花」 八首 ...続きを見る

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《Web百首1「風には風の」》 奈川渡ダム ...続きを見る

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2015/10/06 03:56
京都歌会 --- わがことば創りたまへるかの夜
京都歌会 --- わがことば創りたまへるかの夜  今日、日本歌人の京都歌会。新人二人が来てくれた。作も評も素晴らしい二人。  歌会の後喫茶室で談話していたが、ある先輩から私が短歌で何をやろうとしているのかきかれた。普段こんなことは尋ねられたこともないのだが。  私の答えは多分簡単だ。山中智恵子と塚本邦雄が開いた地平を先に切り開くこと。彼らの先の新しい地平を切り開くこと。---それが何だと問われると、大変答えにくいが。肯定のより優れた形を、開き示すこと---そんなことだ。 ...続きを見る

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2013/02/16 21:33
高橋淑子歌集『冬虫夏草』紹介
高橋淑子歌集『冬虫夏草』紹介  今日は琵琶湖湖岸にある「千松」というところで、日本歌人京都歌会の十二月の歌会と、仲間の高橋淑子さんの歌集『冬虫夏草』(梧葉出版刊)の出版祝賀会があった。そしてその他忘年会も兼ねていたが。  この『冬虫夏草』という歌集はとてもよいものだ。この非常に微かなもの、ことを、これほどに取り出せた人は居ないのではないだろうか。ヘルダーリンは「この乏しい時代に何のための詩人か」と問うていた。高橋さんは、その乏しさをこの上もないほどデリケートな表現によって、示している。まことに感心する。人間という存在の... ...続きを見る

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2012/12/15 21:49
井村亘歌集『星は和みて』
井村亘歌集『星は和みて』  四月にご恵送いただきながら、いままで読むことのできなかった井村亘さんの歌集『星は和みて』について、若干の紹介をさせていただきたい。この度、全巻を通読させていただいたが、今でも以前合同歌会で拝見した次の歌がわたしには一番鮮明だ。 ...続きを見る

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2012/08/17 01:51
後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』から
後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』から  後藤惠市歌集『さみしいうさぎ』(2012年8月11日、ながらみ書房)から、幾つかの歌を紹介しよう(まだ半分も読めていないので、後でさらに追加する予定)。  (*の小文はわたしの感想) ...続きを見る

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2012/08/10 19:47
長岡千尋歌集『静歌』
長岡千尋歌集『静歌』  長岡千尋さんの歌集『静歌』(2012年7月20日、北羊館)から、短い感想をつけて何首か紹介します。 ...続きを見る

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2012/08/09 20:22
もう秋は終ったと (3)
もう秋は終ったと (3)    それで一首: ...続きを見る

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2011/12/17 23:46
出船・入船 昨日日本歌人京都歌会で
出船・入船 昨日日本歌人京都歌会で  日本歌人の京都歌会には、和菓子屋をやってらっしゃる方がいて、昨日はとても春らしい干菓子を持って来て下さった。とても可愛らしくて、まず写真を撮らせてもらって、その場ではとても食べられず、今日もまだ食べられず、家人に見せてからと思って、いろいろ忙しく、まだ見せられていない。明日の朝には見てくれると思うが。  波を船の下に置くか上に置くかで、出船/入船となるらしい。写真の右の船が出船、左が入船だ。出船の方が、未知への希望が開けて行く気がする。この菓子の振舞いにも震災復興への祈願が、こもっている... ...続きを見る

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2011/04/22 00:20
仲つとむの歌集『音霊』
仲つとむの歌集『音霊』 著者が何年のお生まれなのかわたしは知らない。普段から京都歌会でお世話になっているのだがそれは聞いたことがない。しかし、終戦を自分の経験として知る人だということはこの歌集の中の次の歌からわかる。 ...続きを見る

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2008/10/31 19:16
悼 前登志夫 一首
悼 前登志夫 一首 わが肩にその手を置きて去(い)にしひとその大人も逝去(さり)たまひたり ...続きを見る

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2008/09/04 13:51
短歌一首 広沢池 ジェフリーとアキコ
短歌一首 広沢池 ジェフリーとアキコ 広沢池はジェフリー・ウィッカムの婚礼の場所息をつづめて通り過ぐべし                  (『日本歌人』2008年8月号) ...続きを見る

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2008/08/12 09:01
山中智恵子論<9>、<10>をUPしました
山中智恵子論<9>、<10>をUPしました 今年の1月から『日本歌人』誌に連載していた拙論、「山中智恵子論」が10月号をもって完了しました。 それで、本日11月になったことで、わたしのホームページにUPしました。 ...続きを見る

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2007/11/01 20:33
山中智恵子論 雨師・王・翁・誄歌
山中智恵子論 雨師・王・翁・誄歌  四月二日、この日京都は一日中黄砂に覆われていた。重たいものが街中を包んでいた。雲ではない。かつてないほど厚いもので、エキゾチズム的な中国大陸へのあこがれをもたせるようなものではなかった。むしろこの黄砂とともに、大陸の工場から排出された汚染物質が運ばれてきているのだろうと思わせるものだった。数年前までは黄砂が降ると、遠い西の異国を憧れとともに思っていた気がする。中島みゆきの「黄砂に吹かれて」は一九八九年のリリースだった。時代は確実に変っている。昭和天皇の御大葬はこの年の二月二十四日だった。す... ...続きを見る

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2007/06/04 05:19
「山中智恵子論 七 ---佛眼佛母・不思議・ことはり・最短距離」本日完成
「山中智恵子論 七 ---佛眼佛母・不思議・ことはり・最短距離」本日完成  最終締切と言われていた十五日を過ぎてしまっていたので、肩に重い何かが負ぶさっているようだった。それがやっと消えてくれた。『日本歌人』七月号に掲載される予定です。  今日、上高野は田植え。書き終えて送ってなどをしていると家を出るのが五時近くになっていた。田植えはその時間にはどこの田でももう終わっていた。田植機の姿も見えなかった。  去年は田植えの日になぜかカメラをもって近所を歩いていて、宮野さんが忙しく動き回っているのに出会ったり(忙しいのでちょっと挨拶してくれただけだ)、そして宮本さん... ...続きを見る

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2007/05/18 00:46

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