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みんなの「ニーチェ」ブログ


《長楽寺清兵衛》

2017/10/06 03:11
瀬谷こけし

 もともと江戸時代のことについての知識の極めて乏しい私だが、とりわけ任侠の世界についての知識が乏しい。関心を持ちながらやりさしにしている仕事の一つが、「渡り抗夫」の問題だ。抗夫には渡り抗夫と地抗夫の違いがあって、それは師弟関係の系譜によって歴然と異なっているということを、ある渡りの抗夫から聞いて、廓然と一つの分野が目の前に開かれる気がしたが、機会がなくその仕事を続けるとこなく来た。つまり、渡り抗夫を師匠として仕事を覚えた抗夫が渡り抗夫で、それは実際に定住して仕事をしているかどうかにかかわりない。しかし、どこかの鉱山に行って仕事をしようと思うなら、自分がどこどこの誰を師匠としている何々だと語って仁義を切れば、日本中どこでも仕事をもらえる、ということを聞いた。この渡りの世界、渡り渡世の世界は、基本任侠の世界と同じ構造を持っていると思う。そして地方地方、鉱山鉱山に、その渡り抗夫の親分のような人がいる。藤枝の長楽寺清兵衛は、渡世人の親分のひとりだと思うが、いったいどんな産業にかかわっていたのだろう。製茶業がその産業分野のひとつだと思うが、他にも関わっている分野がいくつもあることだろう。抗夫の世界で言えばこの師匠の名が自分の最高の信用保証になる世界だ。幸い造形大のわたしの学生の一人が、この長楽寺清兵衛の子孫のひとりなのだという。これはこの分野の研究をはじめるいいきっかけなのかもしれない。芸の世界も、日本社会では、例えば西洋音楽家でさえ、「誰々に師事」ということが紹介文の中でも特記される。---そしてその系列の外で生きることは極めて難しい。ひとつこの世界に切り込んでいってみるか?---つまり、グレン・グールドは誰からピアノ演奏を習ったなどということを全く必要とせず音楽家になった。天才とはそういうものだ。師弟の系列の束縛を破壊する。これは例えば作曲家ピエール・ブレーズが、オリビエ・メシアンの弟子であるという師弟関係から離れることができなかったことと好対照をなしている。学問の世界でもこういう拘束は少なくないだろう。---ここには自由な強い者への憎悪がある。師弟関係の拘束からの自由な強者への憎悪。憎悪は、強者をその力を表現する手段から切り離すことによって、強者に勝利しようとする、とニーチェは分析していた。この分野の仕事を進めてゆこう。ニーチェが『善悪の彼岸』ではじめた戦いのように。



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「ニーチェの救済論 ---時と意志」 2017年日本宗教学会発表資料 

2017/09/28 19:10
瀬谷こけし


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 2017年の日本宗教学会第76回学術大会でのわたしの発表資料を公開します。学術研究にお役立ていただければ幸いです。引用の著作権については十分にご配慮ください。なお、会場で配布した資料にはつけられている下線強調は復元していません。後日時間を見つけて復元したいと思っています。ご了承ください。

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ニーチェの救済論 ---- 時と意志  発表要旨と資料       2017年9月16日
 京都造形芸術大学 中路正恒           日本宗教学会第76回学術大会 於:東京大学

I.意志と救済
1.救済の定義
「過ぎ去った人間たちを救済し、すべての『そうあった』を『そうわたしは欲したのだ!』に創り変えること---これこそがわたしが救済と呼びたいものだ。」(『『ツァラトゥストラはこう言った』II-20,「救済について」』、氷上英廣訳、岩波文庫)(一部変更)
>Die Vergangnen zu erlösen und alles ‘Es war’ umzuschaffen in ein ‘So wollte ich es!’ --- das hiesse mir erst Erlösung. (Zar II-20, Von der Erlösung, KSA. Band 4, S. 177ff.)
*「救済」の新たな定義 *「そうあったという過去」の問題 *「そう欲した」への創り変え *接続法2式の使用

2.意志の現状: 意志はまだひとりの囚人
「意志---これが自由にし、よろこびをもたらすものの名だ。そうわたしは前に、あなたがたに教えた! いまはさらにこのことを学ぶがいい! 意志そのものはまだひとりの囚人なのだ。」
>Wille --- so heisst der Befreier und Freudebringer: also lehrte ich euch, meine Freunde! Und nun lernt diess hinzu: der Wille selber ist noch ein Gefangener.
*意志は解放しよろこびをもたらす者 *意志はいまだ囚われた者 *何が意志を捕縛しているのか?

3.意志を捕縛しているものは、『そうあった』という過去だ
「『そうあった』---これこそ意志が歯ぎしりして、このうえなくさびしい悲哀を噛みしめるところである。すでになされたことに対しては無力である、---意志はすべての過ぎ去ったもの対しては怒れる傍観者なのだ。」
>’Es war‘: also heisst des Willens Zähneknirschen und einsamste Trübsal. Ohnmächtig gegen Das, was gethan ist --- ist er allem Vergangenen ein böser Zuschauer.
*すでになされたことに対する意志の無力 *「einsamste」:秘密の *意志の悲哀 *(傷つき)怒る傍観者:非当事者

4.意志の悲哀: 意志は遡って意志することができない
「意志は、さかのぼって意志することができない。意志は時を打ち破ることができない。時の勝手な欲求をくじくことができない。---これが意志のこのうえなくさびしい悲哀である。」(一部変更)
>Nicht zurück kann der Wille wollen; dass er die Zeit nicht brechen kann und der Zeit Begierde, --- das ist des Willens einsamste Trübsal.
*意志は「遡って意志することができない」という体制を越えられるか? *出来事の系列的進行(ルー、レー)

II.悲哀を脱するために意志の思いつくこと
5.囚われた意志はとんでもないやりかたで自己救済をはかる
「ああ、すべての囚人はとんでもないことを考えるようになるものだ! 囚われた意志もまたとんでもないやりかたで、おのれを救おうとする。」
>Ach, ein Narr wird jeder Gefangene! Närrisch erlöst sich auch der gefangene Wille.
*囚われた意志の行う愚行 *とんでもないやりかたで囚われた意志はみずからを救済する(別種の救済)
 
6.時が逆もどりしないということが意志の忿懣の根である
「時間が後もどりしないということ、これが意志の深い忿懣である。『すでにそうあったもの』---意志がころがすことのできない石の名はこれである。」(一部変更)
>Dass die Zeit nicht zurückläuft, das ist sein Ingrimm; `Das, was war` --- so heisst der Stein, den er nicht wälzen kann.
*意志の忿懣の根:時が逆行しないこと *不運・不幸と関わるか? *過去は動かせない形で存在する

7.意志は自分ほどに忿懣を感じていないものに復讐をする
「こうして意志は、忿懣と不服のあまり、ほかのさまざまな石をころがして、自分ほどに忿懣と不服を感じないものに仕返しする。」
>Und so wälzt er Steine aus Ingrimm und Unmuth und übt Rache an dem, was nicht gleich ihm Grimm und Unmuth fühlt.
*復讐をする *「dem, was」

8.こうして意志は解放者ではなく苦痛を与える者になった
「こうして自由にするはずの意志が、苦痛を与える者となった。そして、およそ苦悩しうる一切のものに、意志は、自分が時間を後もどりさせえないということの復讐をする。」(一部変更)
>Also wurde der Wille, der Befreier, ein Wehethäter: und an Allem, was leiden kann, nimmt er Rache dafür, dass er nicht zurück kann.
*「Freudebringer」が「Wehethäter」になった *「苦悩しうる一切のもの」=「有情」?

III.知能(Geist)を身に着けた大愚(復讐精神)がおこなうこと
9.意志に内在する大愚が知能(Geist)を身に着けたことが(人間的なものすべてにとって)呪いとなった
「まことに、われわれの意志の内部には、とんでもないものが住んでいる。そしてこのとんでもないものが、知能を身に着けたということが、すべての人間的なものにとっての呪いとなった。」
>Wahrlich, eine grosse Narrheit wohnt in unserm Willen; und zum Fluche wurde es allem Menschlichen, dass diese Narrheit Geist lernte!
*意志に大愚が内在する *知能(Geist) *すべての人間的なものにとっての呪いとなった(wurde) 

10.苦悩は何かの罰(Strafe)だということになる
「復讐の知能、わが友人たちよ、人間がいままでにいちばん頭をはたらかしたのは、この部分である。こうして苦悩があるところ、つねにそれは何かの罰であるという説が生まれた。」
>Der Geist der Rache: meine Freunde, das war bisher der Menschen bestes Nachdenken; und wo Leid war, da sollte immer Strafe sein.
*苦悩=罰として下されたもの *苦悩の純粋性(無垢)がそこねられる *ルーの「生への讃歌」

11.意志する者のなかには苦悩があるから、意志することそのものと一切の生が罰だったはずだ
「そして意志する者自身のなかに、後もどりして意志することができないゆえの苦悩があるから---従って意志すること自体、ならびに一切の生が---罰だということになった!」(一部変更)
>Und weil im Wollenden selber Leid ist, darob dass es nicht zurück wollen kann, --- also sollte Wollen selber und alles Leben --- Strafe sein!
*意志すること自体が罰 *一切の生が罰 *「es」=「das Wollende」

12.狂気の説教:「万物は理法と罰に従って道徳的に秩序付けられていて、その外への救済は存在しない」
「『万物は理法と罰に従って道徳的に秩序づけられている。おお、万物の流動からの救済、生存という罰からの救済はいったいどこにあるだろうか?』---狂気はこう説教した」(一部変更)
>`Sittlich sind die Dinge geordnet nach Recht und Strafe. Oh wo ist die Erlösung vom Fluss der Dinge und der Strafe Dasein`? Also predigte der Wahnsinn.
*理法と罰従った万物の道徳的秩序 *そこからの救済はない

13.狂気の説教:「人間の行為と罪責感は無くなることなく、永遠にくりかえされる」
「『いかなる行為も無化されることはありえない。罰を受けたからといって、どうしてその行為が、なされなかったことになるだろう! 人間存在もまた永遠にくりかえし行為とその罪責感であるほかはない。罰としての人間存在は、この意味で永遠である!』」(一部変更)
>`Keine That kann vernichtet werden: wie könnte sie durch die Strafe ungethan werden! Diess, diess ist das Ewige an der Strafe "Dasein", dass das Dasein auch ewig wieder That und Schuld sein muss! ‚
*いかなる行為も無化されず時の中の過去にとどまる *行為と罪責感が永遠にくりかえされる人間存在

14.狂気の説教:「『意志する』が『意志せぬ』に変わらなければならない」
「これをまぬがれるためには、意志がついに自分自身を救済する域に達し、『意志する』が『意志せぬ』に変わらなければならぬ---」
>Es sei denn, dass der Wille endlich sich selber erlöste und Wollen zu Nicht-Wollen würde ---`:

IV.意志は創造する者だという教え
15.すべての『そうあった』に対して創造的意志が『わたしがそう意志したのだ』と言うことが救済する
「『そうあった』はすべて断片であり、謎であり、残酷な偶然である、---創造する意志がそれに向かって、『しかし、わたしが、そうあることを意志した!』と言うまでは。
 ---創造する意志がそれに向かって、『しかし、わたしがそうあることを意志している! そうあることを意志するだろう!』と、言うまでは。」
>Alles `Es war` ist ein Bruchstück, ein Räthsel, ein grauser Zufall --- bis der schaffende Wille dazu sagt: `aber so wollte ich es!`
--- Bis der schaffende Wille dazu sagt: `Aber so will ich es! So werde ich's wollen!`
*創造的意志は何を創造するか *過去・現在・未来にわたってそう意志したと言うこと

16.権力への意志
「すべての和解よりもさらに高いものを、意志は意志しなければならない。意志は権力への意志なのだ。---だが、どうやって意志はそうするようになるのだろう? 誰が意志に向かって、後もどりして意志することを教えたのだろう?」(一部変更)
>Höheres als alle Versöhnung muss der Wille wollen, welcher der Wille zur Macht ist ---: doch wie geschieht ihm das? Wer lehrte ihn auch noch das Zurückwollen?"
*権力への意志は和解(妥協)よりも高いものを意志しなければならない *誰が意志に、さらに後もどりして意志することまで教えた?

V.問題
1)創造的意志は何を創造するか? --- 創造的意志は意志を創り変える(umschaffen)(1)。
2)意志を創り変えるとは何か? --- 意志の質を肯定的なものに変える。欲するは肯定する(1)(15)。
3)どのようにして『そうあった』を『そう意志した』に変えることができるか? --- 意志の質が肯定的なものに変わることによって(16)。
4)「和解」よりも高いものとは何か? --- それは肯定することである(16)。
5)意志の質転換に関して「権力への意志」とは何か? --- 権力への意志は「支配者たらんとする意志」(der Wille, Herr zu sein)であり、それには「絶えず自らを超克しなければならない」(ich(=Leben) bin das, was sich immer selber überwinden muss)ということが含まれる(Zar II-12 Von der Selbst-Überwindung)が、この自己超克の必然性が「意志の悲哀」を克服させる(3)。
6)「意志の悲哀」は不運・不幸に必然的に関わるか? --- 否。最高の幸運・幸福すら『そうあった』という過去の転がすことのできない石になりうる。(6)
7)救済とは何か? --- 『そうあった』を『そう欲した』に変換することである(1)(16)





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《夕焼け 9月13日》

2017/09/14 00:17
瀬谷こけし


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 今日の夕焼けは特別だった。それはしかし明日への希望に燃えた空というものとは少し違って、また禍々しいことの予兆に見えるというのとも少し違って、また不思議というのでもなく美しいというのでもないようなものだった。確かに壮麗なのだが、喜びをもたらしてはくれない。何なのだろう?
 色合いが特別だった。赤っぽい色が多かった。花で言えば何の花と言えばいいのだろう。思いつかない。台風18号の接近が関係しているのだろうか。
 ところで夕焼けの写真を撮るのは苦手だ。最近はカメラのカラーバランスを変えるよりも、どれだけ露出をアンダーにするかというところを変えるだけで、まずまず目で見たとおりに近い色が出せるようになったが、その上にそれぞれのディスプレイのカラーバランスの調整によって少なからず見え方は違ってくるはずだ。ともあれわたしが見た夕焼けはこんなものだった。撮り始めるのが遅く、華々しいころのものは一枚もないが。写真三枚。

 今日は久しぶりに進々堂で勉強をした。というか、学会発表の準備を。最近自宅以外でよく使う勉強場所は京大の付属図書館なのだが、そこよりも進々堂の方がしっくりくる。人文学なのでテキストをどう読むか、どれだけ正しく深く読み切るかということが勝負なのだが、思考のために場所としてはわたしには進々堂が一番だ。多くの論文をここで書いている。聞こえてくる話もそれぞれの本業のアクチュアルな問題についてのものが多く、いい刺激になる。読んでいたのはニーチェの「救済について」(Zar)だが、その凄まじいリアリティーに驚嘆しながら、これをどうまとめれば人に適切に伝わるかを考えながら読む。問題の肝心なところ、解決法のところで、彼は(ドイツ語の)接続法2式を使っていて、彼にまだ見えていないか、ここではまだ言わないでおくのか、保留をつけた言い方なのだ。翻訳ではそういうところは全く見えない。そして「ewig wieder」(永遠にくりかえして)とういう言葉を、「(行われた)行為をなかったことにはできない」ということに対して使っているのも、驚くべきところだ。氷上英廣さんは「人間存在もまた所業とその罪の負い目を永遠にわたってくりかえすものだ」と訳している(これは適切な翻訳だ)。---これをだれか否定できるだろうか? ミシェル・フーコーが映画《去年マリーエンバートで》を「起こったことと起こらなかったことの区別がつかない」世界の描写として読み取るのも、このニーチェの論点の応用として、そこからの脱出の試みとして、よく理解できるようになる。
 進々堂は、わたしにはきちんとした思考をするのに向いた場所だ。


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【小説】ALWE通り

2017/09/11 15:58
瀬谷こけし


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ALWE通り

 わたしはALWE通りを探していた。たぶんバーゼルの街で。だが、このALWEというつづりは、これが通りの名前とは思えない。それは何の略だったのだろうか? しばらく考えていた。そしてわかった。これは「Alle Lust Will Ewigkeit」の略に違いないのだ。そんな通りはどこにあるのか?
 バーゼルはニーチェの街だ。というより、ニーチェが最初に職を得ては赴任した街だ。だからといって「ALWE」というニーチェ的な名前の通りがバーゼルにあるなんてとても考え難い。だから、この通りの名は、たまたまわたしが夢の中で見た通りの名前に違いないのだ。こげ茶色のレンガの建物に「ALWE Straße」という通り名を示すプレートを見たというだけなのだ。たぶん。

 だがそんなことが何で大事なのだろう? 夢なら夢でいいが、そんな夢がなんで大事なのだろう? わたしはさがしにさがした。夜の通りを一晩さがしつづけていた。そこにわたしのホテルがあるからではない。ホテルがどこにあるかわからなくて夜の街をさがし続けた経験なら何度もあるが、そんな風に今晩泊まるための宿を探していたわけではない。わたしが探していたのは一種の真理なのだ。「Alle Lust Will Ewigkeit」という言葉が示している真理の場所、ひとつの真理の場所をさがし続けていたのだ。この真理が何を表現しているかを掴みたかったのだ。

 チューリッヒにこんな名前の通りはなかった。それはもともと期待もしていなかったのだが。だがルツェルンに行って、トリープシェンの記念館でワグナーの作品世界を描いた絵画を見てたとき、そこにもこの真理を追究している世界があった。「すべての歓びは永遠を欲する」、この言葉が語る真理を、真理の世界を、そういう歓びそのものを。

 わたしはその後バーゼルに戻ったわけではない。だが夢の中でわたしはバーゼルの街でこの通りを探していた。バーゼルにもあるはずだった。「深い、深い永遠を欲する」と追い打ちをかけるように言葉は追いかけてきた。わたしは言葉に追われていたのだ。探せ、探せ、その真理を、と。そうして夜の街をさまよっていた。いや、ほとんど走り回っていた。そう、この真理をわたしは知っているはずだった。そうしてそこを発見したのだった。ほとんど発見したのだった。その名前を「ALWE通り」というスイス語にしてもありそうもないその名前の通りを発見したのだった。

 だから今はそれでいいかもしれない。そこまででいいかもしれない。確かにその真理の世界は存在していたのだ。そして、
これは秘密なのかもしれないが、
この通りはほんとはどこにも存在しているのだった。だがそれはほんとうに掴みにくい。だがほんとうに存在しているのだ。---そのことが大事なのだった。それを、ニーチェも掴んだのだった。そしてそこにひたることができた。何日も、何日も。ナウムブルクの家でも、ワイマールの家でも。

 バーゼルで、あるいは、バーゼルに、わたしはその名の通りを発見した。死ぬ前にまたわたしはその通りを思い出すだろう。その永遠を思い出すだろう。すべての歓びは永遠を欲する、と。その永遠を。



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《ルツェルン湖の白鳥》

2017/08/30 16:11
瀬谷こけし


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 トリープシェンのワグナー博物館を見にルツェルンに行ったのは8月13日(日本時間)のことだった。この博物館はぜひとも行っておくべきところだった。一つには展示されている絵画によってコジマの人物像がよくわかること。同じく絵画によって『トリスタン』や『ジーックフリート』の作品世界がよくわかること。それらによって私にはワグナーの理解が進み、細やかになり、見方が良い方に少し変わった。そして三つめがこのトリープシェンの邸宅とその立地だろうか。ルツェルンの観光名所とは反対側の湖岸に建つこの邸宅は、自然の素直さがより多くあると思う。そして思いがけずやってきた船で中央駅近くの船着き場まで戻った。
 その行楽地の港のところにこの白鳥がいた。驚いたのはその白の美しさ。首から下全体の羽根の白さがほとんど信じがたいものだった。湖水が並外れてきれいなのかもしれないが、この白鳥自身も羽根に着く異物を自分で取り除いているようだ。これほど体が白く美しい白鳥を見たことがない。チューリッヒ湖の白鳥に数段まさるという印象だった。



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《コルヴァッチ山 2》

2017/08/26 23:21
瀬谷こけし

 8月7日、コルヴァッチ(Corvatsch)山ロープウェイの中間駅で下りて、こうしてピラミッド石を一つ発見したのだが、それからどうしようかというのが次の問題だった。と言うのも、次にしたかったことは最初に尋ねた女性たちの教えに従って(多分別の)ピラミッド石を探すことだったからだ。だからロープウェイの谷駅まで戻らなければならない。既に中間駅から200mほど下りているので、それをまた登るのはしんどい。このところ足をまったく鍛えていないわたしにとってはむしろ下る方が楽に思えたのだ。それで谷駅に向かって下りて行くことにした。だがそんな道はコースにはなく、パノラマ道を外れてショートカットしてゆく他はなかった。
 はじめは軽快である。苔亀石とか、ウサギよりも大きそうな生き物を見つけたりして順調だったのだが、すぐに限界に来た。何と10mほどの崖に出たのだ。ここは下りれない。左手は崖が更に高くなっている。右手はだんだん崖が低くなって見える範囲ではまだ3mはある。だからその先まで行けば崖がなくなっているかもしれない。---そうして100mほど右手に進んだが、崖こそなくなっていたものの滑落した石や岩だらけの山肌で下りて行けそうにもない。---ここはあきらめてパノラマ道まで戻ることにした。戻るのは上り道になるのでかなりこたえる。小さな峠を一つ越えて、カウベルの音が聞こえてきた時はすごくうれしかった。ハイカーたちの姿も見える。しかし、今は使われていない古いロープウェイの下を越えて更に南にゆくと、谷駅からは遠ざかるばかりだった。しかしともかくパノラマ道には復帰した。やがてスーレイ行きという道案内があったが、それが谷駅方面に行く道がどうかわからず、しかも道が踏み分け跡すらはっきりしていないところなので、見過ごし更に南に進む。だがこれではらちが開かないと思い、あるパーティーの人たちに尋ねた。どうすれば谷駅に行けるのだろうかと。そのグループのリーダーとみえる女性が地図を出してルートを検討してくれた。わたしは観光用の鳥瞰図しか持っていなかったのだ。その人が言うには、さっきやり過ごしたスーレイ行きの道を行くのが一番確実だ。だがこの草原をショートカットして行けるのならそうやってあそこの建物まで行けば後は行けるだろうと。わたしは草地の斜面をショートカットして行くことにしてそのグループと別れた。
  行くと、草地とは言え相当難ものだった。草地とはいえ、その下は崩れ落ちてきた角の立った石や岩だった。石の上には短い芝のような草が生え、石と石の間には背の高い草が生え、その間の空隙がどうなっているのかは見通しようがなかった。短い草の上だけを踏んで行かなければならない。そうやって北へ向かって下って行くと、この先へゆくなとばかりに、杭が打たれ二本のロープが張られていた。ロープの直径は6mm。これなら足を踏み外した時にも身体を支えられる。だが手袋がない。そこで手ぬぐいを出して右手に巻き、それでロープを掴むようにしていった。その冊の先は水が流れ、岩の落差も大きかった。こうして建物近くの太い道まで出た。太い車が通る道だ。
  その太い道を少し下へ辿ると、今度は幅15mほどの土石流の跡と思える土石道が下に続いていた(この土石流の上方、標高2300mあたりのところで先ほどブルドーザー二台が工事をしていたが、その工事の音が止まった。さっきのい岩雪崩のせいだろうか? 谷筋は違うのだが)。そこの土石流跡に乾いた牛のフンらしきものが一つだけ落ちていた。これはとても励ましになった。四つ足が歩けるなら人間も歩ける。こうしてわたしは道を外れ、土石流の跡らしきものの上を歩いていった。約1km程だろうか、掴まる木も草も岩もないので、自分が滑落しないように十分注意しながら下りた。下りた先には人が集まっていて、飲食を提供してくれそうな家が見えた。後で聞いたのだがここがアルプ・シュレイ(Alp Surlej)というところだった。

遠望者
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これもピラミッド岩。
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苔石。
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四足動物。
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岩雪崩。

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この上のところまで引き返す。
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この草地をショートカットして下の道まで下りれるか?
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張られた6mmのロープで身を支えながら下りる。
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土石流の残した道?
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アルプ・シュレイの店。このヌス・クーヘン(Nuss Kuchen)はとても美味しかった。






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《コルヴァッチ山》

2017/08/26 22:57
瀬谷こけし


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 8月7日の話。わたしがコルヴァッチ山に行ったのはそもそもニーチェのピラミッド石を探してのことだった。ニーチェ・クロニークの1881年のところに掲載されているピラミッド石を地元の人に見てもらって、この石を探しているんだがどう行ったらいいんだろうと二人目の人がコルヴァッチ山ロープウェイの谷駅の係りの人だったことによる。最初に尋ねたのはその谷駅のすぐ下の大きなレストランで開店準備の掃除をしているおねえさんだった。だがその人は自分の一存で答える自信はなく、店の奥へ行って、コンピュータの前で仕事をしている別の女性にそのプリントを持っていって更に尋ねてくれたのだった。そのデスクで仕事をしている女性は今度はPCを使って慎重にいろいろと調べてくれていた。その最初の結論は、あのロープウェイの建物に入って、そこから散歩道に通じる出口があるから、その道をシルス・マリーアの方に歩いていったらいい、ということだった。わたしはこの他人にいい加減な情報を与えてはいけないとして、最大限正しい情報を伝えようとしてくれたこの女性達の仕事をとても正しく、また有り難い仕事と考え、その情報に従って探さなければならないと考え、実行しようとしていたのだ。今から思うとこの女性たちの教えてくれた岩は、いわゆる「ニーチェ石」と言われているものだと思う。結局その道を辿ってその石を確認することは出来なかったのだが、多分滝の隣の道を下りてくる道だったろうと思う。
 だがわたしには尋ねた女性の答を完全に聞き取れた自信がなく、それでその理解を確認すべく、ロープウェイハウスで仕事をしていた若い男性に尋ねたのだった。その答が、前にも言ったロープウェイの中間駅からパノラマ道をシルス方面に行ったところにある、という答だった。その指示に従って見つけたピラミッド石の写真はすでに補足的に紹介した。---これで尋ねた二番目の人の教えに対する義務は果たしたのだ。そしてこの二番目の情報に基づいて発見したピラミッド石は、ニーチェがこんな標高2500mものところまで歩いてきた可能性は少ないのではないかというのが目下のところのわたしの判断だが、ニーチェのトリープシェンでの行動計画などを読んでいると、ニーチェが山登りに意外と強い足腰を持っていた可能性があることはは否めない。しかしそれでもコルウ゛ァッチ中腹2500mのこの石が『この人を見よ』に言われる「ピラミッド状の塊」だとは考えにくいと思う。だが『ニーチェクロニーク』に掲載されている石の写真がこの石かどうかは、実際掲載写真の先鋭度から言って目下のところ何とも言えない。二番目のに受けた教示に正当性がないとはとても言えない。それが今語って置きたいことの一つだ。



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《ニーチェとピラミッド型の石塊》

2017/08/10 15:33
《ニーチェとピラミッド型の石塊》
瀬谷こけし


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 問題は割合簡単で、出発点になるのは『この人を見よ』の中の『ツァラトゥストラ』の誕生にかかわる次の説明だ。まずはその原文を紹介する。

> Ich ging an jenem Tage am See von Silvaplana durch die Wälder; bei einem mächtigen pyramidal aufgetürmten Block unweit Surlei machte ich halt. Da kam mir dieser Gedanken. (EH, Zar 1)

一応訳しておく。

> あの日わたしはシルヴァープラーナ湖のほとりを、森をいくつも通り抜けながら歩いていた。シューレイからほど遠からぬ、ある力強い、ピラミッド型に積み上げられた塊のそばで、わたしは立ち止った。その時わたしにこの思想がやってきたのだった。(拙訳:逐語訳的)

 このドイツ語の表現では[bei einem mächtigen pyramidal aufgetürmten Block]のところのいくつかの語を正しく押さえておくことが必要である。まずは「ある塊のそばで」と言われていることである。これは、ここで中核とされている名詞が「石」としてではなく「塊」として名指されていることである。もちろんモノとしては「石の塊」ということで理解しておけばよいのだが、ともかく単に石と呼ばれているわけではないことに一応注意しておくことが必要である。まずは「ある塊のそばで」([bei einem ... Block])である。
 次いでこの「塊」を修飾限定している形容詞であるが、二つの形容詞「力強い」(mächtig)と「積み上げられた」(aufgetürmt)が「塊」を修飾限定している。「力強い」の方は普通の形容詞だが、「積み上げられた」の方は過去分詞が形容詞として使われているもので、その過去分詞の不定詞形は[auftürmen]である。「積み上げる」がその基本の意味である。
 そしてこの「積み上げる」という動詞に「ピラミッド型に」という副詞がかかって限定している。つまり「ピラミッド型に積み上げる」という動詞が基本にあり、その過去分詞がここで用いられている。ここに多少誤解しやすい点があるのだが、一つには「ピラミッド型に」の意味である。これは、地元で現物とされている「塊」を見てみれば、この「ピラミッド型に」は「角錐型に」と理解した方がよいように思う。というのも、このあたりでは、一方から見るとピラミッド型に見えるが、他方向からはそう見えない岩塊が数多くあるからである。この「ニーチェ石」と呼ばれている岩塊が特異なのは、湖に出ている方の形は見えないものの、湖に向かって左手から見ても正面から見ても右手から見ても、更には右手奥の方から見ても、この石は角錐に見えるのである。これがこの辺りのとんがり石(ピラミッド型石)の中でもこの石がもつ際立った特性である。
 さらにもう一点注意しておきたいのは、「ピラミッド型に積み上げられた」と表現すると、われわれはエジプトのピラミッドが、四角形の地面の上に水平に石を積み上げていって四角錐の形を作り上げたものだと知っているが、この「ニーチェ石」の方はそうした積み上げ方をしたものではなく、大きな褶曲と切断と落下の結果この場所とこの角度に落ち着いたものに見えるからである。この点に関しては地質の専門家ならもっと適切に形成過程を語れるだろう。ともかくピラミッドのように頂点に向かって積んでいったものではないのだが、そこが誤解されかねない。
 そしてこの石の塊は、大きくみてこの地方の屋根葺き(鱗形屋根)に多く使われているものと同じものでないかと思う。地質学的には結晶片岩と言うのだろうか。この石はアルプスの山塊の北側にも南側(イタリア側)にも広がっているように思う。北イタリアのオルタの町でも、屋根は昔からおおむねこの石で葺かれていたと見えたのを思い出す。
 そして「力強い」であるが、このニーチェ石には、堂々とした張り出しがあると言えると思う。つまり、いわば老孤のような、老獪に秘密の隠しどころや隠し事をたくさんもっているような石ではなく、非常に堂々と、すっきりした形で自分を示しているように見えるのだ。大きさとしては高さ3mにも満たない、巨石と言うほどではない岩塊だが、その270度どちらから見ても美しいとんがり石なので、わたしとしてはある種のかわいらしさを感じたのだった。だが、その細部を見れば、非常に緻密で力強いものを感じる石である。
 実は一昨日にもこのピラミッド型の岩塊の前を通り、多少は気になったのだが、写真を一枚撮るだけで立ち去ってしまったのだった。今は、今度はこれこそが地元で「ニーチェ石」と呼ばれているものだということの認識の上で、ニーチェの散歩道を辿るべく、シルス・マリーアからシルヴァープラーナ湖の東側の湖畔にそって、多少は森を抜けて、ここに着いたのである。一昨日もコルヴァッチ山の山腹・山麓で「ニーチェのピラミッド石」を探して多くの岩塊をみて歩いたが、その経験を踏まえて言っても、地元で「ニーチェ石」と語り伝えられている「石塊」が『この人を見よ』に言われる「力強い、ピラミッド型に積み上げられた塊」であることに間違いないと思う。
 そうして、この石塊に「いつまでもここで元気で居れよ」と心の中で声をかけて、わたしはシューレイのバス停に向かったのだった。




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《ニーチェの新しい思想たちと安らぎ---シルス・マリーア》

2017/08/09 15:50
瀬谷こけし

シールス・マリーアのニーチェの部屋
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滞在中にニーチェが使っていた部屋がシルス・マリーアの「ニーチェハウス」に保存されている。

 1881年8月14日付のケーゼリッツ(Köselitz)宛の手紙でニーチェはこんなことを言っている。発信場所はシルス・マリーアだ。

>それについて私は何も口外しないでおきたい。そして自分自身をゆるぎのない安らぎの中に保っておきたい。 (KSB Bd. 6 Nr. 136)

上記の中の「それ」は、「わたしの地平線に昇ってきた思想たち」であり、そのようなものは「私が見たこともないようなものだ」と語っている。新しい思想が一群となって現れてきているさまが適切に語られている。そしてニーチェは「(この新しい思想群のために)自分はまだ二三年は生きなくてはならないのだろう!」と語る。自分に訪れてきた新しい思想群、それをはっきりと語れる形にするために、自分はもう何年か生きなければならない、と語っているのである。ニーチェの身体の健康状態はじつはこの時非常に危険な状態であったのだ。それは「自分の感情/感覚(Gefühl)のさまざまに異なった強さ(Intensitäten)のせいで震えたり、笑ったりする」そういう状態であり、眼の炎症のせいで一日中部屋を離れられなかったりするが、その原因は、その前日にほっつき歩き(Wanderngen)の途上であまりにも泣きすぎてしまったからなのだ、とわかっているという。そしてその涙もセンチメンタルな涙ではなく、歓呼の涙なのだ。そこで自分は歌を歌ったり、わけのわからないことを語ったりするが、---ここまでは『ツァラトゥストラ』序文の森の聖者のようだが---その歌や語りは彼ニーチェが万人に先駆けてもったある新しい展望(Blick)にみたされてのことなのだ、と記す。この新しい展望は、彼のいう新しい思想群の意味の一つ一つとして見通されてくるものなのである。

 ニーチェの手紙をやや長く紹介しすぎたが、このシルス・マリーアの土地で彼は新しい思想の啓示を受け、その思想がもたらす見晴らしのせいで、泣いたりわけのわからぬことを語ったりしながら、このシルス・マリーアの近辺を日々ほっつき歩いていたのである。
 シルス・マリーアは『ツァラトゥストラ』の思想/詩想群の生誕地である。それは思想/詩想自体の生誕地であるが、それと同時に、この地でニーチェは、「ゆるぎのない安らぎ」の日々を保ちえて、その後の何年かの激しい生を安らげることができたのである。



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《20170808 シルスの岬の先端へ》

2017/08/09 15:42
瀬谷こけし

シルス岬西側の「ニーチェ思想石」 at シルス・マリーア
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 朝食後シルス・マリーアの半島の先端近くにあるという「ニーチェ思想の石」(Nietzsche Gedankenstein)に行った。前日の晩に宿のおねえさんが「Nietzsche Stein」を知らないかと尋ねたところ、教えてくれたものだ。「Nietzsche Stein」と呼ばれているものとは少し違うようなのだけど。
 ともあれ、シルス滞在中この岬にもニーチェはよく来ていたはずだから、ニーチェを理解するためにもよい経験になるはずだ。
 ところが、前日のコルヴァッチ山での難行(なんぎょう)のために、足が重くてゆっくりとしか歩けない。そんな足を引きずって、ゆっくりと、休み休みしながら歩いて、岬の先端にある石のところまで行ったのだが、この経験でよくわかったのは、シルヴァープラーナ湖の方とは違い、シルス・マリーアの方は高齢というより老人といってよい人たちが、ゆっくりと静かな時間の流れをたのしむために訪れる場所だった。静かさを楽しむ場所。この朝のシルスの半島の空気感をニーチェをまねて三つの言葉で言うと「やわらかく、穏やかで、うるおいがある」ということになる。この朝は霧にはならないもののそれに近い湿気がシルスの村に遍在していた。そんなこともあっての形容になる。
 それでゆっくり歩きながら、そして写真を撮りながら、会う人々とこの日の祝福を互いに与えながら、緩やかな時の流れを楽しむという気持ち、きわめて静かな気持ちを得ながら、岬の先端まで行ったのだった。そしてその先端にあるいろいろな岩が、「ニーチェ思想の石」なのだろうと思いながら、それはそれとしてこの場所を楽しみながら宿に戻ったのだった。

 宿の部屋に戻って、昨日もらった地図を見ると、どうやらニーチェ石は岬の先端ではなく、少し西側の方にあるようだった。まあどうでもよいようなものだが、少し気になっていた。また何よりもつかれていたので、宿で休眠を取って、午後3時過ぎに今日は開いているはずの「ニーチェハウス」に行って、それから」ややあって、それで夕方近く、5時ぐらいになって、地図にかかれている「ニーチェ思想石」を見に行こうと思った。まずは宿の前の大きな草原を横切って西の屏風山を近くで見て、何とか遠近感とか細部とかを見て、一応様子を掴んでから、西側から半島に向かった。足が驚くほど軽くなっていた。朝足を引きずっていた老人がが夕方には子供のように足も軽く、ニーチェの石に向かった。西側から近づくメリットはあんまりなかったが、まずあっという間にその石のところに着いた。石には碑文が刻まれていた。刻まれていたのは、「人間よ、用心せよ」から始まる(『ツァラトゥストラ』の)「第二の舞踏の歌」の真夜中の鐘の詩だった。これがニーチェの思想だと称して申し分ないものが選ばれていたのだ。
 歌の詩文は写真から読んでもらえるだろうか。

 きっとここにも訪れていたはずのニーチェ、あるいはこの歌の詩を、ニーチェ自身はこのシルス・マリーアで思いついたかもしれない。そのニーチェの詩文に共感の心を捧げるべく、この碑文の前でわたしはそれを音読することにした。授業でも何度も使っている詩なので難なく読めると思ったが、細部でいくつか読み損じたところがあって、もう一度読むことにした。今度は一カ所、「HERZELEID]を「HERZENLEID」と言いそうになったが、その思想を正しく読むことができた。するとその読みの最後の方で、わたしの耳には反応して「OH! OH!」と言う声が聞こえた。誰かが聞いていて、感応してくれたのかと思って、その人が出て来れるように、わたしは海の方に近づき、石碑とは距離を取った。---だが、だれも現れてはこなかった。あるいは打ち付ける波の音がそのように聞こえただけかもしれないが、わたしには、それはニーチェ自身が共感の声を上げてくれたのだと思えた。
 それからしばらくして、ならばきちんと録音して献呈の証拠としようと思った。「Zum Nietzsche」からはじめて読み始めたが、簡単に失敗してしまう。それで「もう一度」として、四回目になる読みをした。今回も「OH! OH!」と半ば感涙を交えたような声が聞こえた。---それは録音物に入っているだろうか。未確認だがそれはそれでいい。この詩ほどニーチェが「夜」の立場に身を置くこと、そして自分は「よろこび」は「苦しみ」よりも深いという思想によってワグナーを越えていることを明確に示そうとしている詩はない。これがニーチェの思想だと言って何の誤りもないだろう。まさにこれは「ニーチェの思想石」なのだ。

 この(献呈の儀の)あと、わたしは歓呼の声を上げてこの場所を走るように立ち去ったのだった。


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タイトル 日 時
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2016/09/11 06:56
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2016/09/02 13:42
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2016/08/27 17:27
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《ニーチェが死んだ》  8月23日、ワイマールのニーチェ・アルヒーフに行った。あまり色々なものはないところだという印象だった。ニーチェの死後の出来事にわたしはあまり興味がない。  展示室に『ニーチェ・クロニーク』という本が置いてあった。最近の研究者ならだれでもが座右に置いている本ではないかと思うが、わたしは持っていない。見せてもらってその死に近い日々を読んでいた。館のおばさんに「今日8月23日はニーチェが最後の処方箋を書いてもらった日ですね?」と尋ねた。「Rezept」の語を繰り返さ... ...続きを見る

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2016/08/24 10:06
《タウテンブルクへの旅が終わった》
《タウテンブルクへの旅が終わった》  朝10時57分の電車でドルンブルクの駅を発ったところで私のタウテンブルクへの旅は終わった。1882年といえば134年前ということになるが、その年の8月26日にルー・ザロメもまたドルンブルクの駅を去り、その翌日にはニーチェもここを発った。彼らにとっては、この先にまだつながっている共同研究の企画があった。それを台無しにしたのは嫉妬に駆られて手が付けられなくなったパウル・レーだった。そのころのレーの手紙は、幼稚で、どうしようもない。ああいう手紙を見れば、ルーの心もレーから決定的に離れるだろう... ...続きを見る

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《ニーチェ》
《ニーチェ》  ナウムブルクに行ったのは、ニーチェが少年時代を過ごした場所を、そしていわゆる精神錯乱後に母親に心づくしのいたわりを受けながら過ごした場所を見て、そして感じておきたかったからだ。大都会ではなく、あの巨大なドームがあり、かつまたヒルデブラントのオルガンのあるヴェンツェル教会のある特別な環境のまさにその中で成長した人間として見ておきたかったし、またいわゆる狂気におちいったあとのほんとの姿はどんなものだったかを、考えるきっかけがほしかったからだ。幸い、「ニー... ...続きを見る

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《カラヴァッジョ》  イタリア人アンジェロ・ロンゴーニ監督のこの『カラバッジョ』は、あのイギリス人の監督作品よりはるかに面白い。カラバッジョの時代の権力状況の追跡が相当行き届いているし(例えばジョルダーノ・ブルーノの処刑シーンを見つめるカラヴァッジョやマルタ騎士団のローマ社会における位置も適切であるように思う)、しかしそれ以上に、芸術家の生き方の本質をきちんと描いていると思う。それはニーチェ風に言えば一本の矢、あるいは一本の槍というようなことだ。彼の場合には光と物との関係の最もデリケートなと... ...続きを見る

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2016/07/18 01:47
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《水汲み》  一昨日(7月14日)水汲みに行った。ほんとは花背峠で水を汲んで、それから久しぶりに大見尾根を歩いてみようと思ったのだが、途中鞍馬にかかるころから雨が降り出した。せっかくの水汲みの水に降り出しの雨が混じるのはいやだったので、水汲みはもっと奥の芹生へ行くことにした。そして大見尾根歩きはあきらめた。水汲みはわたしにとって、コーヒーを淹れるための水として、そして米を研ぐときの最初の水として、蓄えがなくなる前に必ず行くことにしている。米はこうして研ぐと、水道水... ...続きを見る

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2016/07/17 00:44
 《『ニーチェの馬』---これは一体どこの生活習慣?》
 《『ニーチェの馬』---これは一体どこの生活習慣?》  この『サクリファイス』(タルコフスキー)の二番煎じのような映画をわたしは好まない。2011年ハンガリーの作品。監督はタル・ベーラという。第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品だという。国際批評家連盟賞も受賞しており、いわば鳴り物入りで評論家たちの頭の中をかけまわっている映画だ。しかし少しも面白くない。   しかし見るところがないわけではない。例えば馬の横に轅をつなぐ馬車の繋ぎ方。馬小屋の扉の作り。荷馬車小屋の作りと格納及び引き出しのやり方。毎食ゆでたジャガイモ一つだけの食事、そういった... ...続きを見る

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2016/06/10 23:05
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《メッシーナ・オレンジ》  1882年4月20日づけの手紙の中でパウル・レーはニーチェに次のように書いている。  「親愛なるメッシーナ男へ!   いとも美しく、樹液豊かで、よく整地されたメッシーナ・オレンジの畑よ、万歳! そしてそこのオレンジの木々が落とすただひとつの影の面が、実在しますように! そんなことがありうるんだね! 大兄はこの行動でなによりもあの若いロシア女性をびっくりさせ、悩ませてしまった。というのも彼女は大兄に会って、話をしたくてうずうずしていたんです。それで、彼女はジェノヴァ経由で... ...続きを見る

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2016/04/08 20:39
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 《ジェノヴァ1》  ニーチェはどうしてジェノヴァから、突然メッシーナに向かったのか? この海の写真を見ていると、その答えがなんとなく見えてくる気がする。シチリアはまっすぐこの先にある、という感覚。試してみたくなる気持ち。  そこにもう一つ、コロンブスから学んだ冒険への意志。  そうしたものではないのか? ...続きを見る

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2016/03/26 02:30
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《ポルヴェリエラ通り6番》 《ポルヴェリエラ通り6番》  午前中で、明日からのシチリア行きの飛行機と宿の手配ができたので、午後からあのマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク女史の住居のあったポルヴェリエラ通り6番の地を探しに出かけた。一昨日とは違う通りを通ったので、「明日香村」は通れず、少し道に迷った。今どこにいるかを確認するのが、いつも難しい。ある広場のベンチに腰掛けて、地図を開けて確かめ始めると、隣に座っていた女性が「ツーリストで道を探しているのが」と(たぶん英語で)声をかけてくれた。ここに行きたいのだと、「Tou... ...続きを見る

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2016/03/01 14:56
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《マルヴィーダがコモ湖への旅で考えたこと》  1876年6月3日、イタリア北部のコモ湖で、朝8時から四時間の湖上遊覧を楽しんだ後、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークはその日の手紙で若い友人パウル・レーに次のような考えを語っている。この手紙からはマルヴィーダの、沈着冷静に世のすべて、ひとの活動のすべてに眼差しを注いでいる姿がとてもよく伝わってくる。この彼女の意見は今日でも有効なものだ思う。私がふと思うのは、都会の中にも静安の場所というところもあって、創造的な思索のためにはそういう場所が必要ではないかということだ。私にと... ...続きを見る

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2016/01/15 03:20
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《フリードリッヒ・ニーチェの永遠回帰の思想》  昨日今日と(やっとつける時間がとれて)「哲学」のスクーリングのレポートを採点していたが、今回は、永遠回帰の思想の恐ろしさを、如実に感じたということを示してくれたレポートが何通かあった。こんなことは私が記憶する限り初めてのことだ。だからそれについて、その恐ろしさについて、きちんと書いておきたいと思っている。そのほんとうの恐ろしさ---それを多分ピエール・クロソウスキーも誤解している。それは自らの「死」から「次のおなじ生への回帰」までの時間経過の問題なのだが。クロソウスキー... ...続きを見る

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2015/07/06 21:03
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2015/03/21 09:25
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《ニーチェから賢治へ 資料5 補足『ツァラトゥストラ』》 ○Zar,IV, Der hässlichste Mensch(『ツァラトゥストラ』IV、「最も醜い人間」 > Aber er musste sterben: er sah mit Augen, welche Alles sahn, --- er sah des Menschen Tiefen und Gründe, alle seine verhehlte Schmach und Hässlichkeit. [...] > Der Gott, de... ...続きを見る

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2015/03/21 08:58
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《ニーチェから賢治へ 資料3 ---間奏曲:ポトラッチ》  文化人類学事典はポトラッチ(potlatch)についてその通常の意味を次の様に説明している。 ...続きを見る

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2015/03/19 14:14
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《ニーチェから賢治へ 資料2 ---ニーチェとルーの聖なる遊び:生への献身》 ◇ところでニーチェが遺した彼の考案になる聖なる遊びは何だったのだろう? 文章においても、そうしたものを幾つか上げることができるが、彼が作曲した《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)はその最上のものの一つとみなせる。それについて数年後彼はこう語っている。 ...続きを見る

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《ニーチェから賢治へ 資料1補足「余談」 ---神の死:危険な開口部が生れた》
《ニーチェから賢治へ 資料1補足「余談」 ---神の死:危険な開口部が生れた》   余談 ...続きを見る

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2015/03/16 01:14
《ニーチェから賢治へ 資料1 ---時代と課題》
《ニーチェから賢治へ 資料1 ---時代と課題》 ○山中智恵子『みずかありなむ』「会明」 >膚(はだへ)立つ杉の深処(ふかど)に神をみず 金山毘古(かなやまびこ)は嘔吐(たぐり)の神ぞ ...続きを見る

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2015/03/10 20:52
《半歩先、一歩先、もっと先》
 世の中、半歩先のことを言う人は感心され、尊敬される。半歩先を言うためには、すでに言われていることを器用にアレンジするだけでよいのだ。だがほんとうに一歩先のことを言うと排斥され、侮蔑され、石を投げられる。真実には必ず本質的に耳に痛いことが含まれているからだ。変わらなければならない、というメッセージがあるからだ。そしてさらに二三歩先のことになると、あまり排斥されないのだが、そもそも何も理解されない。何を言っているか分からないから、排斥もされずまともに相手にもされない。神が死んだというメッセージ... ...続きを見る

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2015/01/04 13:21
《善悪の彼岸》
[AL DI LA' DEL BENE E DEL MALE]を観た。リリアナ・カヴァーニのフィルム。イタリア語が分からないので細かいことは分からないが(日本語字幕もない)、最後がルーもまたモンテ・サクロの思い出を奮えるように美しい瞬間として思い出しているという終り方はいい。最後に馬車に同乗している青年はリルケか? 恋は十年。いのちを滅ぼす。  いや、少し違う。むしろ十年のいのちを(=時を)与える。 ...続きを見る

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2014/12/14 21:44
《ヘッセの詩:「眠りにつこうとして」》(Beim Schlafengehen)
Beim Schlafengehen Hermann Hesse ...続きを見る

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2014/07/26 10:42
哲学コラム5  神の視線と草木虫魚
 「哲学」の講義では、毎年ニーチェの「神の死」の概念を語るために『悦ばしい知識』の序文の次の語りを紹介している。 ...続きを見る

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2013/11/14 20:00
秋の日
 昨日は久しぶりの休日だった。たいしたことをしていない。「ふたばや」が休業日らしく閉まっていたために、予定が狂った。それで市原野に行った。---透明で穏やかな秋の日差し。どこかで「あと二日の南国のような日差しを彼らに与えて下さい」というリルケの言葉がひびく。ルー・ザロメとJ.H.マッケイ(「モルゲン」の作詞者)の間に交流があることを知ったのは、ルーの『回想録』の中でだった。ニーチェとR.シュトラウスをつなぐ糸の一つだ。「モルゲン」の中にはニーチェの本質的な影が落ちていないか? とりわけその"... ...続きを見る

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2013/09/18 14:24
間違った選択をしたと
考えるカミキリムシ (ラミーカミキリ) ...続きを見る

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2013/06/02 22:56
ヘンリー・パーセル(Henry Purcell)の紹介2  "O Let Me Weep"
パーセルで二番目に紹介するのはこれ。 ピナ・バウシュの《Café Müller》の意味もこの曲から考えるべきではないかと思う。 これにデリダの「すべての他者はまったき他者だ」という命題を付加すると、古い神は死んだ、これからは我々自身が神々にならねばならない、というニーチェの思想が読み解けるようになるでしょう。 ...続きを見る

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2013/05/31 03:19
《ノルウェーの幻想》--1.Fandango
 「ノルウェーの幻想」というか、"fantaisie norvésienne" をあてもなくまとめてみようというシリーズ。村上春樹の『〜の森』を源にしている、と言っておこう。---実際には、スペイン風の舞曲やら勧進帳やら、あたりかまわずの寄せ集めの感が強いが、ニーチェに倣っていうなら、汝の足下にあるのは地獄(Hölle)ではない、というメッセージをイメージにしたものだ。あるいは、地獄ですらない、と言うべきか。  初回はロドリーゴとカルロス・ボーネルに敬意を表して"F... ...続きを見る

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2013/05/17 09:29
《生への讃歌》 拙訳つき
 フリードリッヒ・ニーチェ作曲、ルー・ザロメ作詞の《生への讃歌》(Hymnus an das Leben)の、楽譜上の文字テキストを起したものと、その拙訳を紹介します。併せて参考に、ルー・ザロメの《生への祈り》(Lebensgebet)のドイツ語テキスト(『回想録』のもの)と、その市販訳本日本語訳と拙訳を紹介します。  誤りを含め、お気付きの点があればお知らせいただければ幸いです。 ...続きを見る

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2013/05/09 12:51
《初夏の野の草の色》
 いつもの市原の野。しばらく行ってなかったが。 ...続きを見る

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2013/05/08 00:08
ニーチェのビゼー論(2)(『ヴァ-―グナーの場合』抜き書き)
 昨日の夜から喉風邪を引いて、何もまともに考えることが出来ない。単純作業として、ニーチェの『ヴァーグナーの場合』(原佑訳、ちくま学芸文庫)からの抜き書き、他。 (注、ニーチェがここで語っているのは、ヴァグナーの音楽ではなく、ビゼーのカルメンのこと。誤解ないように) ...続きを見る

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2013/04/24 22:36
ニーチェのビゼー論(1)(『ヴァ-―グナーの場合』抜き書き)
 ニーチェの『ヴァーグナーの場合』(原佑訳、ちくま学芸文庫)からの抜き書き、他。 ...続きを見る

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2013/04/23 02:35
近代の本質 ---『ヴァーグナーの場合』から
 ニーチェのこの近代の本質の捉え方は重要だ。とりわけわれわれがこの克服のためにどのような方途を取りうるのかを考えるために。無差異的な自然回帰などではないのだ。 ...続きを見る

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2013/04/11 03:12
《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)
 ルー・ザロメ/ニーチェの《生への讃歌》ないしは《生への祈り》を「友情への讃歌」と解釈する人間がいる。それが誰かを正確には知らないが、そのタイトルの曲を演奏しているのはJOHN BELL YOUNGだ。よい演奏だと思う。  だがそれ以上に、このタイトル《友情への讃歌》(HYMNUS AN DIE FREUNDSCHAFT)という翻案には、一層すばらしい着想があるように思う。少なくとも、ルーが自作の詩「生への祈り」で言おうとしている「生」は、ほぼ友情に近いものに思えるからだ。このことについて... ...続きを見る

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2013/04/07 23:55
ビゼーの《カルメン》--ニーチェの『ワグナーの場合』を読むために
 まずは最終場面のドンホセがカルメンを自らの手で殺すところから: http://www.youtube.com/watch?v=BJpTzRG1D30&feature=share&list=PL4FEAF05D7E2B4AD9 ...続きを見る

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2013/04/05 03:03
フリードリッヒ・ニーチェの《クリスマスオラトリオ序奏》
演奏: http://youtu.be/GPX8xBp7rJI ...続きを見る

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2013/04/04 02:35
ルー・ザロメの《生への祈り》 拙訳--(《生への讃歌》7)
Lou Saloméの>  ルー・ザロメ(Lou Salomé)の《生の祈り》(Lebensgebet)の原文と拙訳を示し、若干の解説をする。まずはルーのテキストから。典拠とするテキストは、Lou Andreas-Salomé, Lebensrückblick, Verlag tredition GmbH, Hamburgである。詩はその32頁にある。 ...続きを見る

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2013/03/25 23:20
ニーチェのインスピレーションとリズム2(『この人を見よ』)
 ニーチェが自分のインスピレーション体験について記している『この人を見よ』「ツァラトゥストラ」3は、ニーチェの文章の中でも破天荒なことこの上なく、ドイツ語としてぎりぎりまでメチャクチャに近い文章だと思う。といっても、ぎりぎりの約束ごとは守られており、読めないドイツ語ではないのだが、省略、飛躍に満ちみちていて、解読も解説も容易でない。先に川原栄峰の日本語訳を紹介したが、これはこれで訳として立派なものだと思うのである。今問題にしようと思っている箇所を、再び引用しよう。今度はドイツ語を先にして。 ... ...続きを見る

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2013/03/19 02:38
ニーチェのインスピレーションとリズム(『この人を見よ』)
 ニーチェは『この人を見よ』の中で、自分のインスピレーションの経験を記しているが、これは直観音楽の演奏と非常深く共通し、示唆多く、そして重要なテキストだ。広く紹介しておきたい。  まずは、「リズム的な諸関係の本能」と呼んでいるものについて。 ...続きを見る

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2013/03/18 01:35
生の全体性 ルー・ザロメ『回想録』のエピグラフから
 ルー・アンドレアス-ザロメの『回想録』のエピグラフを訳し、紹介したい。  まずドイツ語から。 ...続きを見る

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2013/03/13 20:39
《生への讃歌》6 検討2 --<<Raetselleben(謎の生)>>とエロス
検討2 &gt;  本来ならルー・ザロメの《生の祈り》(Lebensgebet)の拙訳を試訳としてでも示すべきなのだが、おそらくルー自身が特別な創意によって作った合成語について、多少面倒でも検討をしておかなければならないので、今回も「検討」を中心にする。基本にするテキストは、Lou Andreas-Salom&eacute;, Lebensr&uuml;ckblick, Verlag tradition GmbH, Hamburgである。詩はその32頁にある。 ...続きを見る

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2013/03/12 15:24
《生への讃歌》5 検討1 <<Lebensgebet(生の祈り)>>
 ルー・ザロメの『回想録』(Lebensr&uuml;ckblick)の中の&gt;(生の祈り)という詩について検討する。その際典拠とするのは、Lou Andreas-Salom&eacute;, Lebensr&uuml;ckblick, Verlag tradition GmbH, Hamburgである。詩はその32頁にある。 ...続きを見る

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2013/03/11 22:45
《生への讃歌》4 『神をめぐる闘い』の中の《生の祈り》
 ルー・ザロメは1885年の著作『神をめぐる闘い』(Im Kampf um Gott …)の第五章の終わりの所で、&gt;(生の祈り)というタイトルの詩を紹介している。これは、彼女が晩年『回想録』の中で提示している同名の詩とかなり違っていて、むしろニーチェが作曲した&gt;(生への讃歌)の歌詞と非常に近いものだ。便宜のためにまずその詩を紹介しておく。 ...続きを見る

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2013/03/11 03:38
《生への讃歌》3 ルー・ザロメの《生の祈り》と《生への讃歌》
 ルー・ザロメの『回想録』(Lebensr&uuml;ckblick)から&gt;&gt;Lebensgebet&gt;Hyumnus an das Leben&gt;LebensgebetLebensgebet ...続きを見る

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2013/03/05 23:52
《生への讃歌》2 --ルー・ザロメの『ニーチェ 人と作品』から
 やはりはじめにドイツ語を上げておく。 > Je h&ouml;her er sich, als Philosoph, zur vollen Exaltation der Lebensverherrlichung erhob, je tiefer litt er, als Menschen, unter seiner eigenen Lebenslehre. Dieser Seelenkampf, die wahre Quelle seiner ganzen letzt... ...続きを見る

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2013/03/04 02:10
《昨日の月と夕日--- 大学から》
 この月が満月になると小正月。だが小正月には何をするのか?  昔であれば一年の予祝行事だろう。  この時代、この年には、何をすればよいのか? 歳神さまに期待できる何があるというのか?  戦争の愚を避けてほしいということ? 多国籍巨大企業のなすがままにされる国にしないこと(TPP他)? どうも、歳神さまはあんまり本気で考えてくれそうにない。  では何をすればよいのか、小正月には? ...続きを見る

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2013/02/22 11:24
『この人を見よ』の中の《生への讃歌》について
 ニーチェの『この人を見よ』の中の《生への讃歌》についての記述を紹介しておく。はじめにドイツ語で。 ...続きを見る

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2013/02/20 01:57
生への讃歌
 「生への讃歌」のテキストを紹介しておきます。意外とこのテキストは手に入れにくいものだと思います。原典はライプツィヒのフリッチュ社から発行された楽譜です。今は注釈も、日本語訳もつけずに、原典の紹介を旨とします。役立てていただければ幸いです。 なお全体を一度見直しましたが、まだ誤りがあるかもしれません。お気付きの方はご指摘いただければ幸いです。 ...続きを見る

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2013/02/10 02:08
神の死について考えるために(1)
 神の死について考えたい。しかし、問題を明確にしておかなければならない。神も、神々も、それをわがものとする力に応じて多様であり、神の死も神々の死も、同じく多様である。だが神の死の問題として重要なことは多くない。それは、ある決定的な歴史の分岐、ないしは切断の点として、重要なのである。神の死によって死んだもの、それはまず第一に人間のある種のメンタリティーであり、神の生を前提にして支えられていた関係の有り様である。  はじめにニーチェを取り上げるべきであるが、彼が神の死について語っていることは、... ...続きを見る

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2013/02/10 00:16
ホイットニー・ヒューストン もう一度
 歌詞(Lyrics)つきの映像が見つかったので再録。歌詞はわたしが買ったCDにも付いていたはずなのだが、車の中に置いているうちに、ケースが壊れて、紛失してしまった。 ...続きを見る

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2012/07/23 01:33
無縁のひとはたとへ…
 伊東静雄の詩の一行だが。 ...続きを見る

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2012/07/22 13:00
『笈の小文』(芭蕉)の芸術論を確認しておこう
芭蕉の『笈の小文』の芸術論を確認しておこう。 ...続きを見る

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2012/05/29 09:52
戦わないこと(四) 「わたしは生かされている」 FW. 276.  ――「ニーチェ探検」(2−4)
この『悦ばしい知識』(Die Fr&ouml;liche Wissenschaft) 276のアフォリズムからもうひとつ引いておこう。 ...続きを見る

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2012/04/19 22:48
ナウシカアの別れの言葉
>「ではお客様、御機嫌よう、国へお帰りになっても、いつかまたわたくしのことを思い出して下さい、誰よりも先にあなたの命をお助けした御縁があるのですから」。 (『オデュッセイア』第8歌、松平千秋訳、岩波文庫) ...続きを見る

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2010/11/07 05:01
ニーチェの言葉---高山樗牛の原典
次は高山樗牛の言った言葉だそうだ。 ...続きを見る

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2010/10/05 20:46
「森の聖者」 "Einsiedler", "Zweisiedler"(ツァラ・ゼミ14)
新年度の「ツァラトゥストラ・ゼミ」が始まってもう数回目になる。ここで前々から書いておきたいと思っていた序説2の「森の聖者」のことを記しておく。ちなみに表題の中の”Zweisiedler”の言葉は『ツァラトゥストラ』第4部に出てくる。 ...続きを見る

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2009/06/01 13:34
「超人」の教えは「大いなる軽蔑」を含む (ツァラ・ゼミ13)
京都造形芸術大学(通学部)の「総合演習・ツァラトゥストラを読む」の授業が昨日で終わった。演習で学生たちと議論を交わしていると、どんな風な語りをすれば話が通じやすくなるか、問題が共有されるようになるかということが少しずつわかってきて、わたしにとってもおおいに勉強になる。もちろん、『ツァラトゥストラはこう言った』の中でニーチェが何を言っているか、何を語っているかを読み解く授業であるから、「語りかた」といっても、テキストを離れた議論ではない。テキストのここのところをきちんとアクセントをつけて読めば... ...続きを見る

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2008/07/23 09:29
山田晶先生からいただいた一通の手紙
 山田晶先生から一度お手紙をいただいたことがある。一九九七年のことだ。拙著『ニーチェから宮沢賢治へ』をお届けさせていただいた、そのご返事としてである。わたしはそのお手紙にずっと励まされてきた。以下その文面を紹介させていただきたい(上はそのコピーである)。 ...続きを見る

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2008/06/30 21:36
わたしは人間を愛しているのです (ツァラ・ゼミ 10)
わたしは人間を愛しているのです (ツァラトゥストラ・ゼミナール10) ...続きを見る

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2008/05/21 00:09
カッコを付け直してみる (ツァラ・ゼミ 9)
先に「ツァラ・ゼミ 5」 http://25237720.at.webry.info/200711/article_14.html で語ったことだが、ここで議論をもう少し分かりやすくしておこう。 『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫、2006年7月5日、第63刷)の中で、氷上英廣氏は次のような訳を示している。 ...続きを見る

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2008/05/20 00:26
Ein Buch fuer Alle und Keinen (ツァラ・ゼミ8)
ツァラ・ゼミを再開する。こういう仕事もついでの時間がないとできないのだが、さいわい京都造形芸術大学で「ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読む」という授業をさせてもらえることになったので、これを機会に『ツァラトゥストラ』の読解を進めさせてもらう。授業は日本語訳を出発点にして読み進めてゆくのだが、それでも当然内容をきちんと検討するためにはドイツ語の原文に戻って点検しなければならない。このブログでは、前と同じように、論を進めてゆく。日本語がわかれば論旨は理解ができるようにするが、その論証... ...続きを見る

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2008/04/17 20:45
隠れたところでわたしを見る神 ニーチェ対デリダ2
(承前) デリダはこう言っている。マタイ伝6-6の「隠れたところで見ておられる父は……」(共同訳)を註釈して語っているところにおいてである。(ちなみに邦訳『死を与える』ちくま文庫p.186の「in absconditio」は「in abscondito」の誤り。また、"abscondito"は対格ではなく奪格なので、それを「隠れたことを見ておられる」とする訳も誤りであろう) ...続きを見る

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2008/02/28 22:45
距離のパトス ニーチェ対デリダ1
(承前) われわれはここでひとつニーチェを紹介しておかなければならない。「距離のパトス」(Pathos der Distanz)。この概念である。われわれは「距離」の感情をもって関係し合うのである。そして「絶対的な隔たり」(デリダの「まったき他者」"tout autre")とはいつも錯覚であり、妄想であり、あるいは便宜であり、実用的のための道具である。 ...続きを見る

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2008/02/27 00:13
「きみたち」(lasst !):ニーチェの代名詞の技法 (ツァラ・ゼミ 7)
 今日(2008/1/11)の授業で初めて気がついたことがある。思想としてさほど重要なことではないのだが。テクニックとして、技法として、やはり見逃せない。  それは"nun lasst uns ihn auch sehen!"の"lasst"だ。  氷上英廣さんはそこをこう訳している:「さあ、実際にやって見せてくれ!」だ。この訳だと氷上さんもそれに気づいているかよくわからない。ちなみにそこのところ吉沢伝三郎氏(ちくま学芸文庫)の訳は「今度はわれわれに綱渡り師を実際に見せてくれ!」であり、... ...続きを見る

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2008/01/14 20:13
ニーチェ論の余白に
子供たちに時には美味しいものを食べさせてやりたい。わたしにはこれが非常に大きな喜びだ。そして肉は美味しい。旧石器時代の男たちもそういう喜びを感じながら獣を捕え、倒していたのだろう。  そのことを肯定できない人は、自分がこの世に生きていることも肯定できないだろう。 ...続きを見る

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2008/01/09 21:38
いきなり超人 (ツァラ・ゼミ 6)
 今回は少し飛んで序説の3の方を見てみよう。とはいえとりあえず序説の2が「この年老いた聖者は自分の森の中にいてまだそのことについて何も聞いていないのだ、つまり神が死んでいるということについて」という容易ならぬ言葉で終わっていることだけは確認しておく。 ...続きを見る

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2007/12/05 03:11
「ツァラトゥストラ」と「あなた」 (ツァラ・ゼミ 5)
 『ツァラトゥストラはこう言った』の序説2でわたしが悩むのは人称代名詞の問題だ。こんな悩みは並外れていて、どうにも共感しにくいものかもしれないが、『ツァラトゥストラ』を舐めるように読んでゆくと、どうしても気にならざるをえないことなのだ。  ところで、後半の「われわれ」が誰のことなのかというのが問題になるのは当然のことで、わたしも次に考えたいと思うのだが、わたしとしてはそれ以前に悩んでしまうところがあるのだ。その箇所をはじめに氷上英廣さんの訳で紹介しておく。 ...続きを見る

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2007/11/22 22:46
ツァラトゥストラは変身し…… テキストの紹介 (ツァラ・ゼミ 4)
 『ツァラトゥストラはこう言った』の序説の2でニーチェがツァラトゥストラの「変身」について語っているところのテキストを紹介しておきます。 ...続きを見る

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2007/11/22 00:37
ツァラトゥストラは子どもになった 交流とは変身すること? (ツァラ・ゼミ 3)
交流というのは、結局のところ、国際交流も、動物や植物との交流もふくめて、相手にむかって、成ること(werden, devenir)、変身すること(sich verwandeln)、ではないのか?  ...続きを見る

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2007/11/21 22:21
ツァラトゥストラの「祝福」(segnen) それは贈与か交換か肯定か? (ツァラ・ゼミ 2)
『ツァラトゥストラはこう言った』の序説の1はニーチェ的な贈与の問題を語っている。そのエッセンスを捉えてみよう。 ...続きを見る

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2007/11/11 12:47
ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲している (ツァラ・ゼミ 1)
『ツァラトゥストラはこう言った』の序説の1の最後に、こんな言葉があった。 ...続きを見る

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2007/10/26 04:23
愚人 …… Verschwender mit tausend Haenden
愚人 Verschwender mit tausend H&auml;nden ...続きを見る

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2007/08/17 13:40

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