《同志社最終授業 今出川》

瀬谷こけし

20200122OMD01913同志社最終夜景mi.JPG

 同志社での授業が終わった。来年度からはもうわたしの授業はない。受け持ちが5コマ目、6コマ目なので終わると夜になる。どうやって帰るかを考えながら、構内の美しい夜景を楽しんで、出町柳まで歩いて帰ろうかとも思ったが、コーヒー豆を買っておく必要があって、それには宝ヶ池のコンビニがよいので、地下鉄で帰ることにした。ベンチで一枚だけ夜景を撮った。それから駅に向かうとあのラーメン屋が目に入り、寄って食べて帰ろうと思ったが、やはり行列なのであきらめた。そして駅の近くの壱番屋でカレー食べて帰ることにした。これも最後だからのちょっとした贅沢。
 こともなく食事を済ませ、こともなく地下鉄で国際会館まで行き、いつものとおり宝ヶ池通りを歩いて帰った。と突然、昨日も田辺校地の帰りの駐車場で、第九の第三楽章の旋律が浮かんできたのだが、それがまた浮かんできて、その音楽の慰めに気づいていた。ベートーヴェンも終わりの近づきをひしひしと感じながらこの曲を作っていたに違いない。先週の今日(水曜日)は帰路、歩いていると『ドイツレクイエム』(ブラームス)の「Ich will euch wiedersehen..」の曲と歌詞が浮かんできたのだった。曲中でどういう意味合いで使われていたかはまったく思い出せないが、先週のわたしの意識の中では「euch」は学生たちで、これまで教えてかかわったすべての学生たちのこと、とりわけドイツ語を教えることでかかわった学生たちだ。また会いたいと。それだけ充実した満たされた授業だったのだ。できるならば繰り返したいと思うような。
 さすがに今出川での授業はここ数年だけのことなので、田辺で教えた経験の方が重さも思い出すことも多い。今出川では、「ドイツ語応用」を担当することが多くなって、その中では素晴らしい力をもった学生いつも少なからずいた。田辺でもヘッセの『樹木』を講読して、実際の大樹を見に学生たちを木津川に連れて行ったこともあるので、そのころも「応用」の授業はもたせてもらっていたのだ。
 今日も「応用」の最終授業で、先週の期末試験の採点結果の報告と、テストの詩(ヘルダーリンの「春」1828年5月)の解説をした。今年の学生の読解力は著しく下がっている。もう少し頑張れば自力で読めるようになるだろうという学生が三十人中の数名(内一名はあとほんの少しで自力で読めるようになる)。これは間違いなく文法の授業をしなくなったためだ。文章を文法的に詰めて読むという練習がなく、その前提となる知識すらなく、思い込みで自分のファンタジーの世界を作り上げてしまうのだ。70分の試験時間に全精力を傾けて読んで、まったく原詩とは縁もゆかりもないような言葉の連なりを作り上げてしまうのだ。その無駄になった精力を救えないのか? 詩は自分の感覚でそれぞれに理解して読んだらいいという人がいるが、これは大変な誤解で、誤読はそれぞれに様々に無数にでもできるが、正しい読みはほとんどただ一つしかないのだ。詩人は、自分の詩想が誤解なく伝わるように細心に心を尽くし技を尽くして言葉を織りあげる者なのだ。詩人の施した細心の配慮を礼儀を知らぬものが土足で踏み散らすようなことは詩の読解でもなんでもない。コンマの位置一つにも細心の注意を払わなければ詩は読めない。そのためには正規の文法を踏まえておくことが欠かせない。外国語について文法規則の習得をおろそかにする教育は人文学を殺し、過去の人類の宝を殺すものでしかないだろう。そういう教育にたいしては過去の宝を尊重する教育の豊かさを実践的に示し続けてゆきたい。

《同志社田辺での最終講義が終わった》

瀬谷こけし

OMD01840mi.JPG
OMD01854mi.JPG

 最後の数年はほとんど今出川での授業で、最後の今年だけ田辺でも一コマ授業をもたせてもらった。27年、自宅も滋賀県から京都市に変わり、通勤の経路もいろいろと変わった。最近は第二京阪の側道で行くことが多くなったが、その前は24号線を主にしていた。滋賀県のころは京滋バイパスで往き、帰りは信楽越が多かった。27年は長い。心は残る。いちど家人を連れてきて、ここで授業をしていたのだと伝えておきたい。
 今日の最終授業は、今年の田辺での授業で一番楽しい授業になった。使った材料はFerdinand von SchirachのHörspiel ≪Der Fall Collini≫(『コリーニ事件』)。ラジオドラマのようなものだ。その冒頭部分のCDを聞かせ、そのトランスクリプションを作ってその一部を空けて下線にしておいてそこを埋めよという問題だ。はじめは何もわからずため息ばかりだった学生たちが、何度も聞かせ、ヒントも与えなどしてゆくと、18カ所の空白の内10カ所以上が正しく埋まるようになっていった。そしてドラマの運びもよく掴めるようになっていった。教科書だと、[Darf ich …?] とかも[antworten]とかも学習しないので使えないし事実上学ばせることもできない。そうした悩みも今日の授業では解消することができた。学生たちもみな素晴らしかったと思う。そして彼らには、今日がわたしの最後の授業になるということは伝えなかった。明日の今出川での授業が、わたしの同志社での最後の授業になる。田辺での授業はいつも知真館だった。

《ヘルダーリンの「春」1828年5月》

瀬谷こけし

aDSC08832aa.JPG

 (現代語綴の)原文と拙訳、そして参照訳。(手塚富雄さんのヘルダーリンの翻訳には学ぶところが多い)
 誤訳等がありましたらお知らせいただければ幸いです。[wenn]と[dann]の同時性にこそこの時ヘルダーリンが掴み取った充実が示されているように思います。


 Der Frühling (Hölderlin)

Wie selig ists, zu sehn, wenn Stunden wieder tagen,
Wo sich vergnügt der Mensch umsieht in den Gefilden,
Wenn Menschen sich um das Befinden fragen,
Wenn Menschen sich zum frohen Leben bilden.

Wie sich der Himmel wölbt, und auseinander dehnet,
So ist die Freude dann an Ebnen und im Freien,
Wenn sich das Herz nach neuem Leben sehnet,
Die Vögel singen, zum Gesange schreien.

Der Mensch, der oft sein Inneres gefraget,
Spricht von dem Leben dann, aus dem die Rede gehet,
Wenn nicht der Gram an einer Seele naget,
Und froh der Mann vor seinen Gütern stehet.

Wenn eine Wohnung prangt, in hoher Luft gebauet,
So hat der Mensch das Feld geräumiger und Wege
Sind weit hinaus, daß Einer um sich schauet,
Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege.
 

  (拙訳)

なんという喜びだろう、人が満たされて広野を見まわる時が
ふたたび明けてくるのを見ることは。
その時人々はたがいの様子をたずね、
よろこばしい生へとたがいを形づくってゆく。

天空はアーチをつくり、のびのびと広がっている、
そのように歓びはそのとき平原にそして屋外に生まれる。
その時心(ハート)は新しい生へとあこがれ、
鳥たちはうたい、唱和をもとめて叫ぶ。

しばしばおのれの内なる問題を問うていた人間は、
そのとき生についてひとと話し、そこから話がすすむ。
その時悲嘆はたましいを齧ることなく、
そして快くおのれの築いてきた財の前に立つ。

空のなか高くに築かれた住居が光に輝くとき、
人はそのように輝く野をより広々ともち、そして幾本もの道が
遠くへ開けてゆく、---そうしておのれの周りをうち眺める者があり、
小川の上には立派につくられた橋が何本もとおっている。


===(参考)==========
手塚富雄訳(『ヘルダーリン全集』河出書房新社、S.47,第4版)

 

なんという喜びだろう、人が楽しさを湛えて
広野を見まわす季節の来たことを見るのは。
そのとき人々はたがいの身についてたずねあい
よろこばしい生へといそしむのだ。

天空がひろやかな穹窿をつくるときには
野に 戸外に 喜びはうまれる、
心があたらしい生をあこがれ
鳥がうたい、うたいながら叫ぶときには。

いくどかおのれの心に問いをかけてきた者も、
生について語りはじめ ことばは湧くのだ、
憂苦が心を噛まず、おのれの土地の前に
かれがよろこばしく立つときは。

ひとつの家が空高く築かれてかがやくとき、
人に野はひろがり 道は
遠く走って あたりを眺めやるひとりの者がある、
そして小川にはよくつくられた橋がかかっている。


ヘルダーリン全集〈第2〉詩 (1967年)
ヘルダーリン全集〈第2〉詩 (1967年)

《大原へ》

瀬谷こけし

《大原へ その一》
 大原に行った。いつものようにまずは「里の駅」に玉子や野菜を買うために。「里の駅」では品物の配列法を変更していて、これでは人が多い時には奥にとても入りにくくなるので、またすぐに変更することになると予想する。そして買い物をバイクの後ろのケースに入れて、それからカメラバックだけをもって近くを歩く。あるけばおのずから撮りたい「景」が見えてくる。見えてきたものが撮れるかどうかはまた別問題だが。今日はSonyのNEX-7というAPS-Cサイズのカメラを持って行った。35mmフルサイズだと、デジタルカメラのメリット(小型化)が減ってしまうと思って、つい最近までフルサイズのカメラを一台も持たなかったのだが、ミラーレス一眼の時代になると、それによって新しくできるようになったことを確かめたくなる。まず第一に喜ばしいのは、昔のフィルムカメラに使っていたレンズが、アダプターを介して使えるようになったことだ。それによって随分表現の幅が広がるというか、映像の美学のニュアンスが大いに豊かになった。それで今日持って行ったのは、昔コンタックスに使っていたゾナー2,8/135mmのレンズ。これがだいたい昔の200mmレンズに相当し、また近接撮影もかなり有利になる。
 もうひとつ、前回α7Rを持って行った時は、1/8000秒までの高速シャッターが使えたが、NEX-7だとそれが1/4000までだ。それで今回はこの1/4000秒写真術を試してみることにした(1/8000秒で撮った前回は、色の出に不自然を感じるところがあったのだ)。それで撮った写真、まず10枚。結果は上々。

DSC00689ami.JPG
DSC00690ami.JPG
DSC00693ami.JPG
DSC00694ami.JPG
DSC00696ami.JPG

DSC00698ami.JPG
DSC00701ami.JPG
DSC00702ami.JPG
DSC00704ami.JPG
DSC00705ami.JPG


《大原へ そのニ》
 道具も状況も前と同じ。言い忘れたのは、18-55mmの標準ズームも使っているということ。調べればどれがどちらのレンズで撮ったかはすぐわかる。続いて後半10枚。時々陽光が漏れ差すようになった。

DSC00708ami.JPG
DSC00710ami.JPG
DSC00714ami.JPG
DSC00715ami.JPG
DSC00720ami.JPG

DSC00721ami.JPG
DSC00722ami.JPG
DSC00728ami.JPG
DSC00732ami.JPG
DSC00735ami.JPG

《机の上雑景》

瀬谷こけし

 7年前ほどにできた中古のカメラを手に入れた。そのテスト撮影をしていたのだが、そこに写るわたしの机の上(onとover)の景色は雑景と呼ぶほかはない。しかし見ていると、これらものものがないとわたしの生活は成り立って行かない。必要不可欠なものたちが写っている。7年前のカメラだからもう部品も切れようとしているところだろう。写真やカメラというものの7年前の水準にわたしの理解がやっと達したということだ。すさまじく変わった。すさまじく高水準になった。このメカニズムがあればこそ撮れるあるシーンを撮りたいと思ったのだ。考えて見れば今まで常用していたカメラにもその装備は(例えば1/8000秒のシャッター)ついてはいたのだ。だがその瞬息によってしか、その瞬息の切っ先においてしかとらえられないシーンをいままでわたしは撮ろうと思ったことがなかったのだ。ことしはきっとわたしの写真生活にも新しい世界が始まる。


DSC08102ami.JPG

DSC08110ami.JPG

DSC08116ami.JPG

DSC08123ami.JPG

DSC08126ami.JPG


DSC08138ami.JPG

DSC08159ami.JPG

DSC08162ami.JPG

DSC08163ami.JPG

DSC08178ami.JPG

DSC08181ami.JPG



《流れ Stroeme:『ツァラトゥストラ』第四部を読む》

瀬谷こけし

OMD01256aami.JPG

 『ツァラトゥストラはこう言った』第四部19「酔歌」-4に次の言葉がある。氷上英廣訳で「もうわたしは死んだのだ。終わったのだ。…[中略]…ああ! ああ! 露がおりる。時が来た--- (Ach! Ach! der Thau fällt, die Stunde kommt—)」と言われているところにすぐ続くところである。

>  —die Stunde, wo mich fröstelt und friert, die fragt und fragt und
 fragt: „wer hat Herz genug dazu?
   —wer soll der Erde Herr sein? Wer will sagen: s o sollt ihr laufen,
 ihr grossen und kleinen Ströme!“

試みに訳しておくと、
> ---わたしを凍えさせ氷らせる時が来た。時は問い、問い、さらに問う:「だれがそれに十分な心を持っているか? と。
  ---だれが大地の主であるべきか? だれが、おまえたちは そ う 走るべきだ、お前たち大小の流れたちは! と言おうと欲するだろう?」と。

 「流れ」(Ströme)が問題であり、大小の流れがどう「走る」(laufen)かが問題である。ここで「走る」については第三部2「幻影と謎」-2の中の「およそ走りうるすべてのものは、すでに一度この道を走ったことがあるのではなかろうか?」(氷上訳)(Muss nicht, was laufen kann von allen Dingen, schon einmal diese Gasse gelaufen sein?) の「laufen」(走る)を思い起こすべきである。「走る」とは時間の中を走ることであり、生成するということを意味する。またここで「Ströme」(流れ)においては、ヘルダーリンの「... Wenn nemlich über Menschen/ Ein Streit ist an dem Himmel und gewaltig/ Die Monde gehn, so redet/ Das Meer auch und Ströme müsssen/ Den Pfad sich suchen. ..」(MNEMOSYNE、 Zweite Fassung)の詩句を思い出すべきではないだろうか? ヘルダーリンは(天上で熾烈な争いがおこる危機的な状態で)数々の「流れ」がそれぞれ自らのための道を探さねばならない必然を語っていた。ニーチェは、瞬後に真夜中が訪れる危機の瞬間に、何者かが大地の主として流れにこう走れと命ずる事態を思考している。その命ずる者、大地の主はだれか? それは一神教の神ではなく、流れを構成する多元的な要素の意志であり、多元的なすべての意志の名前であるディオニュソスであるというべきである。ということはここでニーチェが言おうとしていることは、ヘルダーリンの歌う、溢れた流れがみずからここを走ろうとして見出す流路(Pfad)を走りゆくことと違うことではない。流れみずからが大地の主になって、みずからはこう流れるべきだと決定してゆくのである。選ばれた流路が、意志され、肯定された流路になるのである。そのように、意志され、肯定された流路になることこそが唯一重要なことだとニーチェは語っている。



《静原晩秋の草地》

瀬谷こけし

 12月20日、 大原里の駅での買い物をしたあと静原によった。バイクで行ったが、この日は装備をしっかりして行ったので寒いことはなかった。静原ではたいていK字路のところでひとやすみする。ベンチがあり、自販機がある。たいてい自販機で何かを買って、そこのベンチで飲みながら休憩する。静原がこんなに気に入ってしまったのは、「七彩の風」に行ってからだ。もちろん普段は「七彩の風」まで行かないし、その奥にも行かない。だが一度訪ねたことで、村の生活の形が少し見え、そして土地の生産的な力に立脚した生業の形が見えてきたからだ。例えばK字路の近くにもビニールハウスがあって、三色スミレなどの鑑賞用の花を育て、それを出荷して経済を成り立たせている。「労働はひとを自由にする」という思想は誤用さえされなければ深い真実を捉えているだろう。

 一枚目の写真は、そこのベンチからいちばん正面に見える植物だ。それをちょっと近づいて撮った。そしてそこの小川の隣の草の道を奥の方へ少し入って行った。10mか20mか、そんなところだ。そして何枚か撮っているうちに、この景色の中のエッセンスが見えるようになってきた。サヌカイトのような楽器をいじっていていい音が出るポイントが分かって来るのと同じ感じだ。そこからの撮影は悦楽としか言いようがない。次から次に美が見えてくるのだ。レンズはキャノンEF135㎜一本だけ。このレンズが驚くべき合焦の点々を捉えてくれる。息をつかさぬような映像の連続。撮影の醍醐味を味わう時間だった。
 
 クライマックスの一定の持続の後にはアンチクライマックスのものの見え方になってくる。そこにある葉や花が、ひとつずつ、隣接するものたちの中でおのれを語りながら見えてくる。この風土の中で、この風土を形成しながら、それぞれ生命の時をもっている。


01DSC00619ami.JPG

02DSC00621ami.JPG

03DSC00623ami.JPG

04DSC00628ami.JPG

05DSC00630ami.JPG

06DSC00633ami.JPG

07DSC00636ami.JPG

08DSC00637ami.JPG

09DSC00638ami.JPG

10DSC00640ami.JPG


11DSC00641ami.JPG

12DSC00643ami.JPG

13DSC00644aaami.JPG

14DSC00646ami.JPG

15DSC00647ami.JPG

16DSC00654ami.JPG

17DSC00655ami.JPG

18DSC00658ami.JPG

19DSC00660ami.JPG

20DSC00661ami.JPG

21DSC00663ami.JPG

22DSC00668ami.JPG

23DSC00669ami.JPG

24DSC00670ami.JPG


《小さな耳と繊細な耳 『ツァラトゥストラ』を読む》

瀬谷こけし

DSC00132ami.JPG

 ニーチェの思考の中の「小さな耳」については、ドゥルーズが取り上げたこともあったからなのか、かなり知られている。それは『ディオニュソス頌歌』(Dionysos-Dithyramben) のなかの「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne) の
 

 Sei klug, Ariadne!...
 Du hast kleine Ohren, du hast meine Ohren:
 steck ein kluges Wort hinein! –


に言われていることだ。ここを簡単に訳しておくと「賢くなれ、アリアドネ! /お前は小さい耳をもっている。おまえはわたしの耳をもっているのだ。/賢い言葉をひとつその耳の中に入れておけ!」というところだ。
 しかし『ツァラトゥストラはこう言った』第四部の「酔歌」(Das Nachtwandler-Lied) 4にはそれと少し違った、しかしより深い言葉が見いだせる。そこをまず氷上英廣訳で紹介しておく。
 

> ---時は近づいた。おお、人間よ、「ましな人間」よ、しかと聞け! このことばは良い耳のためのもの、あなたの耳のためのものだ、---深い真夜中は何を語るか?(岩波文庫)。
  
ツァラトゥストラは良い耳のもちぬしであろうと想定される「ましな人間」たちのひとりひとりに対して、深い真夜中が語ることをしっかりと聞けと命じているのである。だがここのところ原典はこうである。
 

 --- die Stunde naht: oh Mensch, du höherer Mensch, gieb Acht! Diese Rede ist für feine Ohren, für deine Ohren --- was spricht die tiefe Mitternacht?  (KSA, Bd. 4)
 

 拙訳を示しておくと、
 

> ---時が近づいている。おお、人間よ、お前ましな人間よ、注意して聴け! この語りは繊細な耳のためのもの、お前の耳のためのものだ、--- 深い真夜中は何を語る?
 

ここで「深い真夜中の語ること」(was die tiefe Mitternacht spricht)と「このことば」(diese Rede)(拙訳では「この語り」)は同一のことを指していると考えられる。真夜中が何かを語る、何事かを語る。そしてそれをツァラトゥストラは、その響きの通り、ましな人間たちに語る。ましな人間は自分の耳で真夜中の語ることを聞き得るのか? ただ繊細な耳(feine Ohren)だけが、真夜中の語りを聴き取りうるのだ。ツァラトゥストラのように。そんな耳をましな人間たちは備えているのだろうか? アリアドネのもつ「小さな耳」(kleine Ohren)はディオニュソスの耳であると言われている。また聴くべきものもいくらかは違う。『ツァラトゥストラ』において問題なのはまさしく真夜中そのものが語ることなのだ。それは秘密に満ち、危険に満ち、そして暖かさに満ちている。その真夜中がする語りは、永遠回帰の思想のもっとも深い選別の働く場所でもある。つまり、聴き取れない耳は、暗い(昏い)ところにとどめ置かれる。最大の危険もここにある。それゆえにこそ「注意をはらえ!(gieb Acht!)」、と言われている。それは「用心せよ」でもあるのだ。







《西垣正信クリスマスリサイタルに行ってきた》

瀬谷こけし

OMD60992ami.JPG
OMD60993ami.JPG
OMD60994ami.JPG
OMD60996ami.JPG
OMD60997ami.JPG
OMD60998ami.JPG
OMD60999ami.JPG
OMD61001ami.JPG
OMD61007ami.JPG
OMD61009ami.JPG


 彼の音楽、彼の演奏については、その精細な技をはじめ、調べれば数々の賞讃が適切になされていることと思う。音の出し方の多彩さについても驚くばかりのものを示してくれた。ギター一台でオーケストラに匹敵する音響空間を作り上げようとするのだから、当然多くの超人技が要求されるだろう。『ラプソディ・イン・ブルー』の演奏など、まさにそういうものだったのだ。 だが私が驚き、またこころに残ったのはまたもうひとつ違ったことだったのだ。朗読の合間に二曲目に引いた曲、彼がスカルラッティ(ドメニコ)を弾くとは思っていなかった。私の記憶に間違いなければK.491のニ長調の曲。彼はスカルラッティのこの曲から、わたしの思いもしないものを引き出していたのだ。それは誤解を恐れずに言うならば暗さ。スカルラッティにわたしは天上に抜けてゆく狂気を感じることはしばしばだが、彼の曲に内的な暗さを感じることは全くなかったのだ。だがこの曲の後半から西垣さんは底知れぬ暗さを引き出して見せたのだ。こんなことはスカルラッティの演奏史上にないことではなかっただろうか? この演奏にわたしは西垣さんが本物の音楽家であることをはっきりと聴き取ったのだった。媚びない、迎合しない。純粋な音楽への献身だけで演奏する演奏家。どれだけ稀になったことか。
 演奏曲目にラインハルトの「雲」があった。そこで今日の夕空の写真と、会場の京都文化博物館別館ホールの写真。

《上田閑照先生が亡くなったと知った》

瀬谷こけし

20191126D71_0395a閑照菊mi.JPG

 去年宇治市のゆうゆうの里にお訪ねしたのはブログを見れば12月13日のことだったようだ。その時は以前と変わらぬほどにご健勝で、まだまだ何年もご指導をいただけるものと感じ、喜びまた大いに頼もしく感じていたのだった。その時は持参した日本宗教学会の発表紀要をとても喜んで読んでくださっていた。だからかわらずにお元気なことと思っていた。わたしは今年も日本宗教学会で発表をし、それはわたしなりに大いに自負のあるもので、それだけに先生のご批判を仰ぎたかった。その発表紀要の校正稿が届き、時間の取れる時が来たらお見せしに伺いたいと思っていた。そして今日ようやく時間ができて、伺いたく、ゆうゆうの里の方にご連絡した。---そこではじめて先生のご逝去を知らされた。
 さびしさに言葉もない。

  拙吟

  朗らかな磯菊ばかりまゐらせむ


 墓は、相国寺の西谷啓治先生の墓のおそばだときいた。

《上高野から国際会館駅へ》

瀬谷こけし

OMD30631mi.JPG

OMD30634mi.JPG

OMD30636mi.JPG

OMD30637mi.JPG

OMD30638mi.JPG


 ギャラリー高倉通に「五人展」を見にゆくためにまず国際会館前まで歩く。その道筋。一枚目は稲を稲架干しいていた田の今の風景。藁を敷いて、霜よけというより、来年度の土づくりの準備をしているのだろうか。いずれ藁を土に鋤きこむことによって。「土づくり半作」という言葉を思い出した。もう秋も晩秋、来年の準備に向かっているのだ。二枚目以下は晩秋の風景。

《山茶花を探して 一乗寺葉山》

瀬谷こけし


P1010033ami.JPG

P1010058ami.JPG

P1010059ami.JPG

P1010063ami.JPG

P1010064ami.JPG


P1010065ami.JPG

P1010066ami.JPG

P1010071ami.JPG

P1010073ami.JPG

P1010075ami.JPG


xP1010080ami.JPG

xP1010081ami.JPG


 数日前に原付での買い物帰りに見かけた垣根に咲いていた白山茶花がなかなか新鮮で、後日また探しに来ようと思っていた。木曜になって少しひまになったので探しに行ったがどこだったかよくわからない。結局見つからなかった。金曜には葉山(一乗寺)の方に行ったが、そこは先日も通っていないので、前に見た山茶花を探したわけではなく、ただこのあたりにも咲いていないかと思って行ったのだった。林丘寺に縁のある静かな一画だ。原付を停めてさがす。このあたりは気配も京都の町中とは違い、閑雅さが残っているが暗さもある。---小ぶりなサザンカらしきものの花が咲いていた。普通の椿と較べれば半分ほどの大きさか。これなら、場所柄も含めて姫椿とよぶにふさわしいのではないだろうか? 近くに何かの赤い実もあったので写真に写してきた。(レンズはOMマクロ・ズイコー50mm 3,5)
 ―――この白い花の木、どうやら茶の木だったようだ。

《清水寺に行ってきた》

瀬谷こけし
DSCN9746ami.JPG
DSCN9749ami.JPG
DSCN9752ami.JPG
DSCN9765ami.JPG
DSCN9779ami.JPG
DSCN9786ami.JPG
DSCN9790ami.JPG
DSCN9791ami.JPG
DSCN9794ami.JPG


 阿弖流為・母禮の碑の法要に清水寺に行ってきた。晴天。今年は25周年ということで鬼剣舞の奉納もなされた。剣舞の剣は振り下ろすことなくひたすら防衛の形。全力を挙げた専守防衛の精神だ。ひょっとこの踊も面白く深い。そして心静かな森美和子の笛の奉納。僧侶の読経、等々。秋のとてもよい一日だった。
 
 拙詠:
> 蛮族の狩出の声の精妙に読経の声の和するや否や

 インドネシアの話だったと思うが、小泉文夫は、集団で狩猟に出るとき、事前に歌わせ、上げる歌声に精妙な和があるかどうかを聴き取って狩の成否を判断し、出る出ないを決めるということを語っていた。読経の成否も同じようなところがあるだろう。
 他に驚いたのは、清水寺の本堂工事の足場が、パイプではなく、木で組まれているということだった。これも良日のこと。

《秋を表現するためには》

瀬谷こけし

DSCN9693ami.JPG


DSCN9702ami.JPG


DSCN9708ami.JPG

DSCN9709ami.JPG

 秋を表現するためには紅葉した木や木の葉を見せるのが一番手っ取り早い。というよりも、これはそもそも木の葉の紅葉によって秋を感じる人が多いということなのだろうか? わたしはむしろちょっとした光の変容によって秋を感じることが多いのだが。一枚目の写真が、わたしにはたっぷりと秋を感じさせてくれる。
 とはいえひとに秋を感じさせるには、やはり木の葉の紅葉が一番なのだろう。---いやいや、これは多分違う。木の葉の紅葉が感じさせるのは、秋ではなく、あくまで木の葉の紅葉なのだ。そこのところを騙されそうになってしまう。秋はもっと巨大なものなのだ。歳の、冬に近づく巨大な歩みなのだ。




《ネコ族の家》

瀬谷こけし
DSCN9696ami.JPG

 ちょっと変わった表札プレートが目に入った。近づいて見ていると、何となく「この家はネコ族の家だ」という気がしてきた。とりわけ「本」という字のデザインがその原因のようだ。垂れたネコのしっぽが見えてこないだろうか? それとも前手を伸ばして正座したネコの姿だろうか? ちなみにこの辺りで猫の姿を見ることはまず滅多にない。わたしにはまったくそんな記憶がない。いるとしてもそれはきっと「深窓の令猫」のようなネコなのだろう。


《魚を釣ると魚を捕る angelnとfangen 『ツァラトゥストラ』を読む》

瀬谷こけし
D71_0275mi.JPG

 問題にしたいのは些事かもしれない。ごくごく小さな問題かもしれない。しかしこのようなごくごく些細なことに重大な問題が隠れているかもしれない。少なくとも、ドイツ語を読まない読者の誤解を招く可能性はなくはないのだ。いまここで直接に問題にしようとしているのは『ツァラトゥストラ』第四部、「蜜の供え物」の中の次の一文だ。
>> Fieng wohl je ein Mensch auf hohen Bergen Fische? (Za, IV, „Das Honig-Opfer“, Z.32, S.297, Bd.4, KSA)
 ここのところの日本語訳を、二つ紹介しておく。どちらも参考にするに足る、大変すぐれた読解を示す訳書だ。
1) かつて、高山にのぼって、魚を釣った人間がいただろうか? (氷上英廣訳、岩波文庫)
2) かつて高い山で魚を釣った人間がいるだろうか。 (佐々木中訳、河出文庫)
 ここですでに拙訳を示しておきたい。
3) かつて高い山の上でよく魚を捕らええた人間がいただろうか? (拙訳)
 [Fieng]が[fangen]の過去形[fing]の別綴である事、[Bergen][Fische]が 複数形であることなどは特に注記するまでもないことだろう。そして[fangen]の基本的な意味が「捕獲する」であって「釣る」ではないこと、「釣る」は普通のドイツ語では[angeln]を使うことなども周知のこととしよう。そしてこの言葉の出てくるところがZaが「世界」を「海」と見て、深海にすむ希少な「人間魚」を捕まえようとし([Menschen-Fischfänger]として)山の上に餌を供えたところだという文脈も理解していることとしよう。にもかかわらず1)2)の訳はニーチェの言おうとしている主旨を誤解させてしまう可能性が少なくないと思えるのだ。それは[fieng]を「釣った」と日本語にすることから生じるのだ。つまり、ここで「魚を釣った」は「魚釣りをした」と同義だという連想が自然に働くのではないだろうか? つまり「釣り糸を垂らした」ということが「釣った」であって、それは「魚を釣り上げた」を意味しないのである。ところがニーチェがここで言おうとしているのは、「魚を釣り上げたこと」「魚を捕まえたこと」であって、「単に酔狂で釣り糸を垂れてみた」ということとは違うのである。---Zaはここで、高い山の上で、本気で人間(魚)釣りを試みているのである。そのような事情であるので、この章に少なからずでてくる[fangen]とか[Fänger]とかは、「釣る」「釣り人」等でなく「捕る」「捕獲者」と訳すことを勧める。


ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)
ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

《山中智恵子鎮魂の歌》

瀬谷こけし
71D_7754ami.JPG

 山中智恵子鎮魂の歌

> きみさらにながながし夜を千年の孤独をもちてひとりかもねむ


 わたしのFBのプロフィールに掲げていた歌。表題を「山中智恵子への挽歌」としていたのだが、どこかそぐわないところがあるのが気になって「山中智恵子鎮魂の歌」と変えた。

 いつまでも忘れないでいたい。


《供犠Opferと餌Köder 『ツァラトゥストラ』第四部「蜜の供え物」より》

瀬谷こけし
20191010D71_0078花背峠mi.JPG


 『ツァラトゥストラ』第四部冒頭の「蜜の供え物」(Das Honig-Opfer)からはじめの方の[opfer]を含むところを適当な長さで引いてみよう。テキストはProjekt Gutenbergのものを使う。

> —„So wird es sein, oh Zarathustra, antworteten die Thiere und drängten sich an ihn; willst du aber nicht heute auf einen hohen Berg steigen? Die Luft ist rein, und man sieht heute mehr von der Welt als jemals.“—„Ja, meine Thiere, antwortete er, ihr rathet trefflich und mir nach dem Herzen: ich will heute auf einen hohen Berg steigen! Aber sorgt, dass dort Honig mir zur Hand sei, gelber, weisser, guter, eisfrischer Waben-Goldhonig. Denn wisset, ich will droben das Honig-Opfer bringen.“—
Als Zarathustra aber oben auf der Höhe war, sandte er die Thiere heim, die ihn geleitet(*1) hatten, und fand, dass er nunmehr allein sei:—da lachte er aus ganzem Herzen, sah sich um und sprach also:

Dass ich von Opfern sprach und Honig-Opfern, eine List war’s nur meiner Rede und, wahrlich, eine nützliche Thorheit! Hier oben darf ich schon freier reden, als vor Einsiedler-Höhlen und Einsiedler-Hausthieren.
Was opfern! Ich verschwende, was mir geschenkt wird, ich Verschwender mit tausend Händen: wie dürfte ich Das noch—Opfern heissen!
Und als ich nach Honig begehrte, begehrte ich nur nach Köder und süssem Seime und Schleime, nach dem auch Brummbären und wunderliche mürrische böse Vögel die Zunge lecken:
—nach dem besten Köder, wie er Jägern und Fischfängern noththut. Denn wenn die Welt wie ein dunkler Thierwald ist und aller wilden Jäger Lustgarten, so dünkt sie mich noch mehr und lieber ein abgründliches reiches Meer,
—ein Meer voll bunter Fische und Krebse, nach dem es auch Götter gelüsten möchte, dass sie an ihm zu Fischern würden und zu Netz-Auswerfern: so reich ist die Welt an Wunderlichem, grossem und kleinem!

 動物たちから「今日は高い山に登らないか、空気が純粋(rein)で、今日は以前より世界の多くのものが見える」とさそわれ、ツァラトゥストラ(以後Zaと略記)は「お前たちはピッタリの、わたしのこころにかなう忠告をしてくれた」とよろこび、それに同意するが、さらに「高山の上で使えるように、黄色く、白く、良質の、ひんやりと新鮮な、なまの黄金の蜂蜜を用意してくれ」と動物たちに注文をつける。「というのも、知っておいてくれ、わたしは山上で蜂蜜供犠(das Honig-Opfer)を捧げようと思っているのだから」とZaは動物たちに説明する。だが山上で彼はお供をしてきた動物たちを帰してしまう。それからが一人になったZaが語ったことになる。
 まずこうである。
Dass ich von Opfern sprach und Honig-Opfern, eine List war’s nur meiner Rede und, wahrlich, eine nützliche Thorheit!
ここのところ氷上英廣はこう訳す。
>わたしが供え物、それも「蜜の供え物」などと言ったのは、口先のたくらみにすぎなかったのだ。だが、それも思わぬ役にたった! (氷上英廣訳、岩波文庫)
氷上は[Opfer/Opfern]を「供え物」と訳す。[Opfer]は中性名詞で、単複同形。ここで[Opfern]の形は共に[von]に従い無冠詞複数3格形である。[Opfer/Ppfern]に「供犠」の語をあてて試みに訳すと「わたしが供犠と、蜂蜜供犠と言ったのは、単に語りの上でのたくらみに過ぎなかったのだが、そんな愚かなたくらみも、実際、役に立ったのだ!」というぐらいになるだろうか、その有益さは、ひとりで山上にいれば(洞窟の前などより)よりのびのびと語れる(freier reden)、ということだったのだろう。
次の、
Was opfern! Ich verschwende, was mir geschenkt wird, ich Verschwender mit tausend Händen: wie dürfte ich Das noch—Opfern heissen!
も注意深く読まなければならない。試みに訳せば「何を供犠に捧げるというのか! わたしは、自分に贈られるものを浪費するのだ。このわたし、千の手をもつ浪費家は。どうしてわたしが供犠という行為に、---その上それを供犠を捧げるなどと呼ぶことに堪えられるだろうか!」というぐらいになるだろうか(*2)。Zaは神々に犠牲を捧げるという気持ちで「蜂蜜の供犠」を供えるわけではないのである。それでは何のために? 一言で言えばそれは餌(Köder)として、釣りの餌、狩りの餌として供えるというのである。彼の動物たちに蜂蜜を集めさせた時にも、ほんとうは獣や鳥をおびきよせ、舌なめずりをする「餌」として用意させただけだったのである。そしてそのように餌を供えることによって見えてくる世界を、猟師にとっての世界と対比してニーチェは次のように述べる。
> Denn wenn die Welt wie ein dunkler Thierwald ist und aller wilden Jäger Lustgarten, so dünkt sie mich noch mehr und lieber ein abgründliches reiches Meer,...
(というのも、世界が暗い動物の森で、すべての野生的な猟師たちの快楽の庭であるならば、わたしにとっては世界はむしろはるかに深い深淵をなす豊かな海であると思えるのだ。|拙訳)

世界は、神々も釣りをしたり網を投げたりしたくなるような、色とりどりの魚や蝦や蟹の類のたっぷりといる海であり、そのように世界は大小の驚くべきものに満ちているのだ(so reich ist die Welt an Wunderlichem, grossem und kleinem)とZaは見る。第四部は海の深淵からそのような驚くべき者たちを釣り上げるZaの深海漁の章になるだろう。



==========

*1) この[geleitet]は[leiten](導く)の過去分詞と考えるより[geleiten](お供をする)の過去分詞と考えた方が通りが自然になるだろう。
*2) この文の[wie]以下だが、読解には注意が必要である。まず大書される[Das]は指示代名詞で、先行する[was opfern](何かを供犠に捧げる)という行為を指す。[noch]の手前までを訳せば「どうしてわたしが供犠を捧げる行為に堪えることが出来ようか」という意味になる。そしてそこにさらに付加を示す[noch]が加わり、さらにダッシュに続いて付加される当のものが示される。それが[Opfern heissen]である。ここまで来れば[wie dürfte ich Das noch Opfern heissen!]という、[noch]の後に不定詞とその目的語の補語をともなって完成した文の形が見えてくる。ここで[heissen]は他動詞で[Das]をAkkusativ(4格)の目的語とし、[Opfern]をその4格目的語の述語補足語(Prädikatsakkusativ)としていると考えなければならないが、その4格の述語補足語は名詞の場合それもまた4格名詞になるということに注意しておかなければならない。ということはここで[Opfern]は4格だということなのである。しかし名詞[Opfer]は単複同形であり、[Opfern]という形をとるのは複数3格の場合のみである。とすればこの[Opfern]は[Opfer]の複数形ではないということである。とすればどう考えればいいのか? 答えはこの[Opfern]は動詞[opfern]を名詞化して大書したものと考えるべきだということである。だからこの[Opfern]は十分に動詞的な意味を込めて理解しなければならない。手塚富雄は「どうしてそのことを---供え物をするなどと呼ぶことができよう」(2002年、中央公論社)と訳すときこの細かな意味の違いを大変的確に捉えている(たいていの日本語訳はここのところ飛ばしてしまっているが)。

ツァラトゥストラ〈2〉 (中公クラシックス)
ツァラトゥストラ〈2〉 (中公クラシックス)