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「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ

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ブログ名
「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ
ブログ紹介
世界という大きな書物の中に見出した
かげろうのような一瞬の思い、
ポエジーを、
少しずつまとめてみたいと思っています。
文字による学問の外
 (文書への信奉の外)
デカルトより、さらに兼好に近く
兼好より、さらに芭蕉に近く
愚なること、無学なること、誰にも劣らず。

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Twitterと Facebookをはじめました。
http://twitter.com/mnnakajist
http://www.facebook.com/index.php#!/masatsune.nakaji
これらは私からのメッセージです。わたしからのメッセージにはどれも「瀬谷こけし」のイメージがついています。
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私の「なりすまし」にご注意下さい。そのサイトは以下です。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/tad77/ (「h」省略)
ttp://ameblo.jp/designjimusho/ (「h」省略)。

間違ってメールなどを出さないようにご注意ください。
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《ニーチェの『道徳の系譜』II-3の部分訳》

2019/01/21 04:24
瀬谷こけし

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 先日某大学のドイツ語応用の期末テストに出した文章とその拙訳を紹介します。「《負い目》《やましい良心》その他」(»Schuld«, »schlechtes Gewissen« und Verwandtes.)と名付けられた『道徳の系譜』(Zur Genealogie der Moral)第二部には人類の先史時代の類的活動についてのきわめて深い洞察があり、マルセル・モースの『贈与論』よりもさらに深く新しい贈与論・交換論があります。『ツァラトゥストラ』をともかくにせよ読み終えた人は『道徳の系譜』に進んでもらいたいところです。

»Wie macht man dem Menschen-Thiere ein Gedächtniss? Wie prägt man diesem theils stumpfen, theils faseligen Augenblicks-Verstande, dieser leibhaften Vergesslichkeit Etwas so ein, dass es gegenwärtig bleibt?«... Dies uralte Problem ist, wie man denken kann, nicht gerade mit zarten Antworten und Mitteln gelöst worden; vielleicht ist sogar nichts furchtbarer und unheimlicher an der ganzen Vorgeschichte des Menschen, als seine Mnemotechnik. »Man brennt Etwas ein, damit es im Gedächtniss bleibt: nur was nicht aufhört, weh zu thun, bleibt im Gedächtniss« – das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden. Man möchte selbst sagen, dass es überall, wo es jetzt noch auf Erden Feierlichkeit, Ernst, Geheimniss, düstere Farben im Leben von Mensch und Volk giebt, Etwas von der Schrecklichkeit nachwirkt, mit der ehemals überall auf Erden versprochen, verpfändet, gelobt worden ist: die Vergangenheit, die längste tiefste härteste Vergangenheit, haucht uns an und quillt in uns herauf, wenn wir »ernst« werden. Es gieng niemals ohne Blut, Martern, Opfer ab, wenn der Mensch es nöthig hielt, sich ein Gedächtniss zu machen; die schauerlichsten Opfer und Pfänder (wohin die Erstlingsopfer gehören), die widerlichsten Verstümmelungen (zum Beispiel die Castrationen), die grausamsten Ritualformen aller religiösen Culte (und alle Religionen sind auf dem untersten Grunde Systeme von Grausamkeiten) – alles Das hat in jenem Instinkte seinen Ursprung, welcher im Schmerz das mächtigste Hülfsmittel der Mnemonik errieth.

「ひとはいかにして人間-動物に記憶をもたらすのだろうか? ひとはいかにしてこの半ば鈍くて半ば散漫な瞬間的-悟性に、この肉体を備えた健忘症に、何かを刻み付けて、それをありありと思い浮かべつづけられるようにするのだろうか?」...。この大昔からの問題は、お分かりいただけるだろうが、かならずしも繊細な答えや手段によって解決されるものではなかった。さらにもしかしたら、人間の全先史時代を通じて、人間の記憶技術以上に恐ろしく不気味なものは存在しないかもしれない。「ひとはあることが記憶にとどまるように、それを焼き付けるのである。痛みつづけてやまないものだけが記憶にとどまる」-- これこそがこの世のもっとも古くからの(また残念ながら最も長くつづいている)心理学の第一命題なのである。ひとは自問したくなるかもしれない、今もなおこの世で厳粛さや、真剣さ、秘密や、薄暗い色合いの事柄が人間や民族の生のなかで存在するところではどこでもあるおぞましいことが作用を及ぼしていて、そのおぞましさをもってかつてはこの世のあらゆるところで約束がなされ、担保が出され、誓いがなされていたのではないか、と。われわれが「真剣に」なる時には、過去が、きわめて長くきわめて深くきわめて厳しい過去が、わたしたちに息を吹きかけ、わたしたちの中に湧き上がってくる。人間がみずから記憶することが必要と思ったとき、血や拷問や犠牲なしにことが済んだことは一度もなかった。きわめて戦慄すべき犠牲や担保(そこには初子犠牲も含まれる)、はなはだしく嫌悪感をもよおさせる人体の切断(例えば去勢)、あらゆる宗教儀式のきわめて残酷な典礼(実際あらゆる宗教は最も下層の根底においては残酷のシステムなのだ)-- こうしたことのすべての起源は、苦痛の中にこそ記憶術の最も強力な補助手段があると見抜いたあの本能にあるのである。




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《神レンズ》

2019/01/17 05:17
瀬谷こけし

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 カレンダーが欲しくて『カメラマン』の1月号を買った。中を見ると「神レンズ」という特集をやっていて、13人のカメラマンが一人おおむね三本ずつ計34本のレンズを推薦している。そんな高価なレンズをわたしはもったことがないのだが、けれど思い浮かべれば一本のレンズが思い浮かんだ。今はなきヤシカ・コンタックスマウントのマクロプラナーF2.8、60mmのレンズだ。フィルムカメラの時代がほぼ終わって、着けるボディーがなくなってしまったが、アダプターを介してマイクロフォーサーズには使える。それで短い間だがLumixGX1に着けて使っていた。大きいレンズなだけにGX1ではボディーが小さく、ビューファインダーも持たないので常用することはなかった。このレンズがもう少し大きなボディーに着けられるようになるとよいのだが。ニコンの新しいZシリーズなどには期待している。
 ともあれ久しぶりにGX1に着けて撮った写真。シャープさもコントラストも色バランスもとてもよいと思う。わたしにとっての「神レンズ」としてこの一本を上げさせてもらいたい。
 写真は上掲。まさに神レンズで気に入りの写真がたくさん撮れる。




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《ふるふる霊を》

2019/01/17 03:30
瀬谷こけし

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 梅原猛先生の遺言というべきものは、管見、
> 霊がふるふる 受け止めよ

だと思う。軸装されたその肉筆を拝見すると、ここに先生の究極の言葉があると思った。先生にとっては、哲学の仕事も宗教の仕事も、次々とふり来る霊を受け止めて世の人に見えるようにしてくれた仕事のように思える。例えば菩薩と如来を区別する必要もないのだ。いずれふり来る霊なのだから。

 受け止めよとは、先生を師と慕う者たちへの遺訓となるだろう。
 齢90歳を越えて、この究極的な単純さにたどり着いたものであろう。

 返歌というにはあまりに拙い歌だが、その拙い試み一首を、歌詠みとしてお返ししておきたい。

> 音声のふるへてくだる言葉ありふるふる霊とともに降りこよ

 「受け止めよ」という遺訓を胸に仕事を進めたい。


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《月観音》

2019/01/15 00:26
瀬谷こけし

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 友人から、梅原猛先生の葬儀は密葬でおこない、後日お別れ会を行うということを聞いた。それであえて行かなかった。
 疎水沿いの小さな公園で休んでいると、枝に懸って半月が出ていた。
 帰りは歩いて戻った。
 歩いているうちに一句がまとまった、

> 再た来たれ百大力の月観音

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《窓辺、そして磯菊》

2019/01/14 17:42

瀬谷こけし

写真3枚。手向けに。


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《梅原猛先生が亡くなられた》

2019/01/14 11:37
瀬谷こけし

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 生前、親しくしていただいていたころ、自分が死んだら棺の前半分は学者に担いでもらって、後ろ半分はいろいろな芸術をやるひとに担いでもらいたい、と語っておられたのを思い出す。その時わたしは自分は丁度真ん中を持つのがふさわしいと思ったのだった。奥様もその場におられて、何か「縁起でもない」という風な表情をされていたのを思い出す。それからどれだけ年月が過ぎたことだろう。お礼のご挨拶に行けなかったのが心残りだが(この正月も少しそれを思っていた)、それも仕方がないことだっただろう。ご冥福のいくばくかはわたしの肩にもかかっている。たゆむことなく仕事を進めてゆきたい。(合掌)


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《夕暮の階調/上高野》

2019/01/12 02:41
瀬谷こけし

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 ヘルマン・ヘッセに『木々』(Bäume, insel Taschenbuch)という本がある。著作の中から木々について考察した文章と木々が重要な役割を負っている詩とを選んでまとめたものだ。さまざまな仕方で彼は木々の「人生」を考察している。その考察が深く、わたしもいろいろと学ばせてもらっている。わたし自身がここ数年関心を持っているテーマに「夕暮の階調」がある。やっと気が付いたのだが、夕方という時は木々がその存在と形をはっきりと示してくる間時なのだ。シルエットとして。この時街からおおむね人々の姿は消え、建物もたいていはなりをひそめてゆく。木々が、おのれの形に刻まれた人生や歴史を示してくる。夕暮の階調と言いつつ、その核心にあるのは夕暮の空の中に立つ木々の姿なのだった。その木々の姿に惹かれていたのだった。
 今日も少し遅くなって買い物に出かけた。もってゆくのはマニュアルのピント合わせもできないコンデジなのでままにならないところも多いが、それはそれで仕方がない。一番近いスーパーまで往復およそ5000歩になる。その買い物の道中で上高野の夕方の景色を楽しんでいる。いろいろな気づき。一二枚目の写真の木も切られた木ではなく、昔の台風で折れた木ではないのだろうか? 住宅地ではあるので、人が切った木なのかもしれないが。





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《わら天神から今宮へ》

2019/01/05 03:10

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 わら天神から今宮に行った。今宮に行ったのはそこのあぶり餅を食べたかったから。まずは新年のお参りをしたが、ちょっと驚いたのはそこの造形物。まずは猪の大きな絵馬に驚いた。装飾性や納まりを考えていないような造形や筆致の荒さがとても魅力的に思えた。と思って見るといろいろなところに猪の絵馬があり、どれもがそれぞれ手描きだ。描き手ももちろん同一だろう。そしてまた驚いたのは狛犬の造形。これは立派な迫力のあるものである。狛犬の造形といえば十和田神社(青森県)のもので、その恐ろしさという点では全国でも一二を争うだろう。そして十三湖の近くにもひとつ。

 しかし今宮の狛犬は恐ろしさと言うよりは堂々としたなかににじみ出てくる強さが魅力だ。以前今宮神社には「やすらい祭り」を中心に何度か訪れていたが、この狛犬の強さには気づいたことがなかった。

 参拝が終わってあぶり餅屋に向かったが店は二軒のどちらも満員で行列ができていた。またなければしようがないので行列に並んで待つ。今回は出て右側の「かざりや」に並ぶ。前回一昨年の夏に来た時には左手の店に入ったので、今回は変えてみた。

 椅子に座って食せる建物に通されたがそこには一枚木の額があった。見ればやすらい祭りの様子が描かれている。古くからの描き方がされているが製作は多分平成、古くて昭和だろう。鬼もだが鞨鼓をもった童子二人も描かれていた。また待たされたが、待たされる間にいろいろと楽しむのが京都流の楽しみ方だろう。まずは土瓶ごとお茶が出てしばらくはお茶だけで楽しめる。やがて出てきたのは先端を割った細い竹ひごに刺されたあぶり餅13本。なぜ13本かは知らないが、縁起はあるのだろう。12の月数プラス1というところだと思うが、なぜ1を足すのか? 厄除けとも関係していそうだ。

 ともあれ、造形の面白さとあぶり餅の美味さと、どちらも楽しんだひと時となった。天気も晴れ。
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《謹賀新年》

2019/01/04 00:42
瀬谷こけし

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 本年もよろしくお願い申し上げます。
           平成31年 元日



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《八坂神社に初詣に》

2019/01/02 05:16
瀬谷こけし

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 大晦日、帰省している娘と妻と三人で四条に出て晩飯を食べ、その後八坂神社に行って初詣をした。これはもう何十年ぶりのことやら。四条通の店がほとんど変わってしまったような印象。一軒確認したのは大学時代の同僚の旦那さんがやっていたインド料理店が(たぶんその同じ料理店が)営業していたこと。四条通にさっぱりでかけなくなってしまった。
 八坂神社は改装も成って、活気があった。参拝した時間が早かったせいか、真夜中に比べれば参拝者はまだだいぶ少なかったかもしれない。与謝野晶子の、

>清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふひとみなうつくしき

と多少時節は違って、ひとびとに「浮かれ」の華々しさはほとんどないが、初詣も祭りではあるので、人々は集まり、高揚感はあり、そして多少は浮かれの気分もある。晶子の上掲の歌には『閑吟集』に通じる馨りが少なからず残っているように思う。

 今回ははじめて朮火に火をつけてみたが、電車で帰るので家にまで火を持って帰るわけにはゆかず、その縄に着いた火と煙の香りを肺に入れるだけで、朮参りの意味は成就したと考えることにした。今やこの持ち帰った朮火の火で新年の家庭の火を始めるという習慣も時勢に会わないだろう。だからそれでいいのだと考えることにした。



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《アレッサンドロ・スカルラッティの「Folia」》

2018/12/23 02:13
瀬谷こけし

 「Folia]はポルトガル語で「大喜び」の意味だそうだ。作曲者のアレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)はドメニコの父。この曲の最後の方の振動的な連打を聞くと、この音楽語法はドメニコの音楽に中核となって受け継がれているように感じる。あの同音連打の眩暈のするような音響空間! 神的なものに接続したゆえに生まれる歓喜なのだろう。それは同時に狂気でもあるようなもの。


Alessandro Scarlatti - Folia - antichi organi
https://youtu.be/d_bIfqIKgbU




 これは「Folia」と名付けられたものではないが「霰走り」とでも呼びたいような共通の音楽語法が感じられる。あるいは父アレッサンドロの方が子ドメニコ以上に伸び伸びと危ないところに走って行っていたのではないだろうか。「チェンバロのためのトッカータ」。
Alessandro Scarlatti Toccatas for Cembalo
https://youtu.be/PvQUesVmZvQ







スカルラッティ:ソナタ選集
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《夕暮の階調/上高野》

2018/12/23 00:32

瀬谷こけし

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 散歩にというよりはケチャップやマヨネーズや酢を買いに出かけたのだが、細い橋を渡る途中、瓢箪崩山のひとところの葉群れのオレンジ色にふとコンデジカメラを取り出して撮ろうとしたがどうにもうまくゆかない。感度を最高にすると解像力がめちゃくちゃ悪くなるし、露出のコントロールも正常に働かない。結局使える写真は一枚も撮れなかった。感度を一段下げれるようになってやっと何とか動くようになったが、光の乏しいところではコンデジでは苦戦する。
 帰路、東の空の一部がにぎやかになって、それからあっという間に月が出てきた。と言ってもカメラはなかなか月にピントを合わせてくれない。仕方がない。今年もあとわずかになった。



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《ニーチェの「墓の歌」》

2018/12/22 05:21

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 ニーチェのこんな表現はどうだろう。『ツァラトゥストラはこう言った』第二部の「墓の歌」(Das Grablied)の中のものだ。

> …meine Feinde! Machtet ihr doch mein Ewiges kurz, wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht! Kaum als Aufblinken göttlicher Augen kam es mir nur, --- als Augenblick!
(Zar II, Das Grablied, KSA)

上掲文中の人称代名詞 [ihr] は前文の [meine Feinde] を受け、[es] は [mein Ewiges] を受ける。
 そこのところ、幾つかの日本語訳を紹介しよう。

> わたしの敵たちよ! 〔中略〕あなたがたはわたしの永遠なもののいのちを縮めてしまった。それは、夜寒が急に来て、いままで聞こえていた楽の音が絶えたようだった! それは神的な眼がちらとわたしのほうにむかってひらめいたというだけだった。文字どおり---瞬間だった! @
(氷上英廣、岩波文庫)

> わたしの敵たちよ! けだし、きみたちは、寒い夜なかに物音が砕けるように、わたしの永遠的なものを束の間のものたらしめたではないか! この永遠的なものがわたしに来るや、ただわずかに、神々しい両目のまたたきとしてにすぎなかったのだ! A
(吉沢伝三郎、ちくま学芸文庫)

> わたしの敵たちよ、〔中略〕おまえたちはわたしの所有した永遠的なものを短くしてしまったのだ。まるで一つの楽音が寒い夜空にくだけて消えるように。それは、神々しい目のつかのまの輝きよりも短く、ただ瞬間として、わたしの所有であったのだ。 B
(手塚富雄、中公クラシックス)

 大意は以上の訳から汲み取れるだろう。できるだけ逐語的に記すなら、[mein Ewiges](わたしの永遠のもの)を [meine Feinde](わたしの敵たち)が [kurz](短く)してしまった。あたかも [ein Ton](ひとつの音)が [in kalter Nacht](寒い夜のなかで) [zerbricht](壊れる)ように、というのだ。そしてその [mein Ewiges = es] (わたしの永遠のもの)は [kaum](かろうじて)わたしのところに [nur](ただ) [göttlicher Augen](神的な眼の)[Aufblinken](閃光) としてやってきた(だけ)というところなのだ、--- つまり[Augenblick](瞬瞥-瞬間)として! というところだろうか。

 この文章はニーチェの中でも際立ってデリケートな文章ではないだろうか。難解な表現に満ちている。まずは (1)「[mein Ewiges](わたしの永遠のもの)」である。これをどのように捉えたらよいのだろうか。次いで、そして最も神秘的な表現が(2)「 [ein Ton](ひとつの音)が [in kalter Nacht](寒い夜のなかで) [zerbricht](壊れる)」というところである。夜中に水が氷結してグラスが割れるとうならわかりやすいが、そういう暗喩の表現ではないだろう。そして最後の(3) 「[Augenblick](瞬瞥-瞬間)として!」も簡単にはゆかない。誰の [Augen] であり [Blick] であるのか。単に「瞬間」と訳して済ましていられるものではないだろう。

 これらの問題を考えていてわたしは山中智恵子の次の歌に思い当った。

> 瞬息のこころそそぐとたまひてしからくれなゐや眼閉ぢ思はむ
      『虚空日月』

もみじの景色のなかあたかも永遠なる天から一瞬わたしにそそがれた心、その貴さ、それを歌った歌と見える。
順々に見てゆこう。

 そもそもまず [meine Feinde] をどう訳すかという問題だが、ここはむしろ、わたしに仇なす者たち、わたしに敵対してくる者たち、という捉え方の方が適切なのではないだろうか。彼らがわたしの[Ewiges](永遠のもの)を [kurz](短く)してしまったのだから。短くした能動的行為者はわたしではなく、彼らなのだから。ここは「わたしを敵とする者たち」と訳す方がニーチェの思考の流れにふさわしい。そして(1)「わたしの永遠のもの」についてであるが、これについては、とりあえず安易に何と考えるわけにもゆかない。わたしはそれをニーチェの「最も魅惑的な夢」と考えたいのだが、それについては後で述べる。

 最大の問題は(2)の「一つの音」(ein Ton)でありそれが「壊れる」(zerbricht)という表現である。これは「わたしの永遠のものが短くされる」という経験の比喩として導入されている表現である。ここは吉沢のように「物音が砕ける」Aと訳しても何ら明確なイメージを与えてくれない。また手塚のように「一つの楽音が寒い夜空にくだけて消える」Bと「夜空」を持ち出して、さらに [zerbricht] を「消える」にずらしても、「永遠のもの」を「楽音」と言い直しただけで、その壊れ方について何のイメージも与えてくれない。それを言うのならニーチェは動詞に[zerbrechen]ではなく[schwinden]なり[verschwinden]なりを使っていただろう。ここは[wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht!]と直喩を使って表現されているのだから、喩の方に、明確なイメージが委ねられていると取らねばならない。問題は「ひとつの音」の方である。それは(敵対者たちに)短くされるのであるから、壊されるまでツァラトゥストラの頭の中で鳴っていた音に違いない。氷上が「いままで聞こえていた楽の音が絶えたようだった!」@と訳すのはこの点で適切である。そして[in kalter Nacht] である。ここでは [Nacht](夜)が無冠詞で使われている。「ある寒い夜」に壊れるのではない。もちろんあの寒い夜に壊れたのでもない。「寒い夜のなかで」壊れるのである。ここは氷上@の「夜寒が急に来て、--[中略]--聞こえていた楽の音が絶えた」ということとも違う。あえて言うなら「ひとつの音が寒い夜の中で(何かが来て)壊れた」のである。壊したものが何かはわからないが、それは急に来た夜寒ではない。それが何かを言うことができない出来事によって、寒い夜のなか、ひとつの音が壊れるのである。こう訳せるだろうか。「いままで頭のなかで聞こえていたひとつの音が、寒い夜のなか、壊れ消えるように!」と。

 「ひとつの音」とは何か。それはニーチェの思考においては、[der entzückendester Traum meines Lebens](わたしの人生の最も魅惑的な夢)(ルー・フォン・ザロメの日記、1882年8月14日)と言うべきものではないだろうか。その夢は半年ほどで壊れるのである。おそらく1882年11月のライプチッヒで。これこそがニーチェの頭のなかで聞こえていた「ひとつの音」であり、短くされてしまった「わたしの永遠のもの」なのではないだろうか。

 (3)の神的な眼の閃光としてわたしのところのやってきたものもまた、「最も魅惑的な夢」と別のものではないだろう。しかしここでは神的なものにはディオニュソスという名がふさわしいであろう。ルーを通じて束の間ニーチェは神的な者の眼の輝きが見えるようになる。山中智恵子は、自分に、「からくれなゐのもみぢ」を通じて「こころをそそぎ与え」てくれた者の名をいわない。それは瞬息の出来事なのである。ほっと息をつくひと時の出来事なのである。ニーチェが[als Augenblick!] (瞬瞥・瞬間として)と記す時、この[Augen]、この[Blick]が誰のものであるか曖昧にしておいてはいけない。それは「ディオニュソス」の眼であり「ディオニュソス」の瞥見なのである。ディオニュソスについては改めて説明しなければならないが、ここでニーチェはディオニュソスと呼ぶべき神的な者の一瞥に会ったという出来事を語っているのである。

 最後に、上掲の箇所を再掲しその拙訳を示しておこう。 

> …meine Feinde! Machtet ihr doch mein Ewiges kurz, wie ein Ton zerbricht in kalter Nacht! Kaum als Aufblinken göttlicher Augen kam es mir nur, --- als Augenblick!
(Zar II, Das Grablied, KSA)

> わたしの敵対者たちよ! わたしの永遠のものをお前たちが短くしてしまった。あたかも、いままで聞こえていたひとつの音が、寒い夜のなかで壊れて、消えるように。そしてそのわたしの永遠のものは、かろうじて、わたしのところにただ神的な眼の閃光としてやってきただけなのだ、--- つまり瞬瞥-瞬間として! 
(拙訳)



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《霧立つ比叡山麓の村20181220》

2018/12/21 01:32
瀬谷こけし

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 木曜日はいつも一番ほっとする日だ。水曜日は夜8時まで授業があって疲れて家に帰るが、その後でまた授業報告もしなければならないので、いつも寝るのが朝4時ぐらいになる。昨夜は報告の前に少し録画していたテレビドラマを見ていたりしたので、寝たのはもう朝の6時をまわっていた。それで安心して眠って、目が覚めた時何時だかわからなくなってしまっていた。それでも確かめたら12時前だったので、そう寝すぎたわけでもない。それから朝昼兼食を食べて、支払いの為に銀行周りに出る前に一通だけ葉書を出すために近くのポストに行った。そして帰路はたいていほんの少しだけ散歩をする。できるだけカメラを持って出るようにしているが、つい先日艶に美しいなと思った枯葉に近い紅葉の群れもすでに時季が過ぎていて、あの美しさはもうなかった。代わって今日は「霧立つ比叡山麓の村」の趣の景色。こんな景色は金剛山麓なら金剛山麓なりにしばしば味わえる趣なのだろうと思うが、こんな景色の味わえるところに住んでいることは幸せなことの一つなのだろうと思う。この写真が午後3時手前のものなのに少し驚く。

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《上田閑照先生にお会いしてきた》

2018/12/14 04:12

https://youtu.be/U14BU33v0wY
Panikguru Udo Lindenberg - Alles klar auf der Andrea Doria (feat. Panikorchester)



 友人と宇治の方にお訪ねしてお目にかかってきた。先生は広い部屋で『八宗綱要』などを広げて読んでおられた。長くご無沙汰してきた。わたしは問われるままにお答えしていた。わたしが京都造形芸術大学を定年で退職をしたということをお伝えしたら、もうそんな歳かと驚かれていた。そしてご自分がすでに92歳であるということを少し考えておられるようだった。70歳だと思ったらもう80歳で、80歳だと思ったらもう90歳になっていた、と、時の過ぎ去ることのなかにある不思議をそんな風に語っておられた。ご自分自身はほとんど変わることもないのに年齢は瞬く間に増えていって、ともかく今92歳であることは事実なのだと。
 わたしはここ4年ほど、1882年を中心にニーチェの足跡をたどっていることをお話しした。とりわけルー・ザロメとの関係と、『ツァラトゥストラはこう言った』の執筆の場所に焦点を当てて。ジルス・マリーアで経験した雷が、『ツァラトゥストラ』のなかに響いていると感じられると言った時、先生にも感じられるところがあるように見えた。スイスの高地での雷や稲妻の特別なとどろき。「超人」と「稲妻」とのイメージの深い関わり。わたしが『ツァラトゥストラ』理解のために跡をたどっていることがしっかりと意味あることだと理解して下さったように感じた。一昨年ナウムブルクから絵葉書をお送りして以来生にお目にかかる機会も、文書をやりとりすることもなかった。だが先生にこのように理解していただけるのはとてもうれしいことだった。そして先生の学問の方法からわたしが最近やっと身につけることができてきたやり方を語り、それに敷衍して説明され、それが大事なことだと語ってくださった。哲学の仕事の要点がそこにあると。テキストの最重要点の押さえとそれへのまっすぐな応答として自分の思考の根底をそれにぶつけて形成してゆくという行為のことだ。わたしはやっとそれを身につけることができ、そして通信教育の授業でも学生にその作業をさせることを要として指導してきたということをお伝えした。わたしは上田先生のお仕事から自分の仕事のやりかたを学びえたのだ。
 そしてもう一つ、具体的に『善悪の彼岸』56番でニーチェが記している〈circulus vitiosus deus〉を「悪循環の神」などと訳すことは誤りで、ここはまずラテン語文法的に正しく「悪循環・神」と置いた上で、「悪循環が神である」と読むか「悪循環即神」と読むかどちらかを考えなければならないということが今年の日本宗教学会でわたしが発表したことの要点の一つだが、これが、以前大学院生の時、演習での発表で、わたしが正確に解釈せずに使っていたこの表現を、この表現は世に普通訳されている「悪循環の神」ではなく「悪循環・神」と読むところから始めねばならない指摘して下さったのが先生だった。やっとその先生のご指導を生かして思考を進めることができたのだ。その発表要旨をお見せしたところ、10センチ近くある読書用虫メガネを使って、部分を真剣に読んで下さり、その要旨を受け取ってくださった。
 どんなにうれしいことだっただろう。

 あまりお疲れになられてもいけないと思って、四五十分で失礼したが、ほんとうにありがたい時間をいただくことができた。

(上掲のUdo Lindenberg の歌は、3年前のイタリア旅行で訪れ迷ったジェノヴァの「Andrea Doria通り」の縁で。先生にお会いした後同行した友人とある喫茶店でそんな話をしていた)



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《20181208 夕暮の階調/桧峠》

2018/12/08 18:41
瀬谷こけし

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 四、五メートルで大胆に伐られた幹は思い切った剪定というより台風21号のなごり、その後始末なのだろう。


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《今日は赤比叡》

2018/12/08 18:36
瀬谷こけし

赤比叡
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こちらは瓢箪崩山
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 今日は晩秋の好く晴れた日で、夕方は赤比叡が見えた。思い浮かんでいたのは伊東静雄の「晴れた日に」。
 夕方は赤山(禅院)の方まで少し散歩に出た。修学院離宮のそばを歩きながら、後水尾天皇の名が出てくるまで3分もかかった。ここ十年、記憶力は衰えてゆくばかりだ。


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《紫式部の歌のなまおぼおぼしきことと朝顔》

2018/12/05 01:06
瀬谷こけし

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 『紫式部集』に「方たがへにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて、帰りにける早朝、朝顔の花をやるとて」との詞書をつけた次の一首がある。

> おぼつかなそれかあらぬか明け暗(ぐれ)の空おぼれする朝顔の花  (4)

「明け暗(ぐれ)」を「明け暮(く)れ」とあてるのは誤りで、これは南波浩のように「夜明け前のうす暗いころ」と解するのが間違いなく正しい。そう解さなければ「空おぼれ」する「時」が定まらなくなってしまう。「おぼつかな」は「その真意がわかりません」と問いただす趣だろう。たしかになにごとかはあった。「それ」である。ここの「それ」は、対称(あなた。お前)を指すと考えてしまうと、話が大雑把になりすぎて歌を遣る意味すらなくなってしまう。しかし「空おぼれする」とはどういう意味だろう? 「空とぼけをする」と解する向きが多いかもしれないが、「空」は「ぼっとして上の空になっている」と取って、「朝顔」を(「相手の(とぼけた)朝の顔」ととるのではなく)詠み手みずからの姿の比喩とることはできないだろうか。
 詞書の方であるが、「わたりたる人」と特に敬語もつけずに語っているのは、そうする必要があるともみえないからだろう。そして「なまおぼおぼしきこと」である。「おぼおぼし」は「朧朧し」であり、これは何事かをまさしく朧化して語っているのであるが、その前に(接頭語のように)つく「なま」の方には何かしら表現の著しさがつく。「なまに」は「なまな、半端な、未熟な、不十分な、生身の」などのニュアンスがあるが、ここは「半端でまたなまなましいこと」、「なまなましいがはっきりと言えないこと」であろうが、そのエッセンスは「本気がどこにあるのかわからない(なまみの)こと」というところにあるだろう。ここにも、作者紫式部のものごとをはっきりと認識しようとする性格が見て取れるであろう。
 この歌の「おぼつかなそれかあらぬか」には『伊勢物語』六十九段の斎宮の歌の「おもほえず夢か現(うつつ)かねてかさめてか」と共通するところがある。式部の歌のAか非Aかがはっきりわからないという思考の形式は斎宮の歌の問いの形式を包摂するが、斎宮の歌は「夢/現」の中間状態、「ねて/さめて」の中間状態を暗示的に示唆する。他方で式部の歌は「それかそれでない」かを明確に問い詰めるという形式を持ちつつ、肝心の「そこ」のところがはっきりとわからないという曖昧さの中に宙吊りにされた状態に思考が置かれてそのためにぼっとなってしまっているという状態を示す。ここでは思考停止状態から欲望への流れが生じているのである。朝顔につけた歌は単に相手を詰問しているわけではなく、欲望が流路を探してみずからを提示しているのである。詞書の「朝顔の花をやる」とはその意味であり、歌は朝顔であるみずからの姿を示しているのである。
 まずはこのくらいのことをわたしの読解としておこう。


*本稿は中野幸一「『源氏物語』の歌、紫式部の歌」、『日本歌人』2018年12月号(通巻747号)所収、にヒントを得て書かれたものです。

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《しづの源氏語り 浮舟の物語に行ってきた》

2018/12/02 01:18
瀬谷こけし

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 素晴らしい会で、聞くほどに源氏物語の要点がずんずんわかるようになってきた。そしてなぜ?と残る疑問も。疑問の第一は、源氏物語はなぜ物の怪を必要とするのか、だ。物の怪(もののけ)に関しては真実ではなく、禁忌を語らぬために使われている(許容される説明手段として採用されている)だけだという印象がぬぐえない。「手習」の浮舟の入水の物語がその代表だ。もう一つは、薫の「法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな」(「夢浮橋」)という問いかけの歌に、きちんと返歌で返せない浮舟はわたしには魅力が乏しいように見える、ということ。後者の点は、紫式部が歌人としては第一級の場に達していないということを裏打ちすることではないかと思う。
 それにしても友家しづさんが、源氏物語の語り手として物語の隅々にまで心を行き届かせて読解されているということに、まことに感心した。源氏物語の語りの最高度に素晴らしいパフォーマンスであったと感じた。


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《船形山にひかり降る》

2018/11/30 15:22
瀬谷こけし

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船形山
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位山
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 小屋名の八幡神社(高山市)の後ろの方から山に入ってゆく道があった。大型の工事車両が何台か通っていた。この道は美女峠とは別の、もっと東側の、山越えの道になっているのではないかと思って、車で上って行った。するとほどなく美女高原という所に出た。ここは高山から見て美女峠の裏側のちょっとした観光地で、前にも来たことがあった。ボートの乗れる池もある。
 そこから東に向かって走る道があり、「飛騨農園街道」と名付けられていて、看板もあった。その道を行くことにした。しばらく農園らしいところが続いたが、それもすぐになくなって、山中の立派な舗装路というような道になる。それを走っていた。このあたりも美女峠と同じ時期に隆起したものなのだろう。いくつかカーブを曲がったところで左手に空が開け、山々が見えるところに出た。そして山々に、雲の薄くなったところから淡い光の束が降り注いでいた。激しい光ではないが穏やかで神聖感のある風景だった。山々は飛騨の山。この景色は縄文時代から変わらない景色。光降る山の一つが船形山だということはすぐに分かった。その右手には位山。船形山は縄文の昔から光降る山ではなかったか? 堂ノ上遺跡はその山の手前の麓にあった。
 そしてもう一つ気になったのは、船形山・位山の間の奥の方に見える山。後で地図で調べようとその山の方向だけ測っておいた。

 道はさらに行くと、乗鞍青年の家に行く途中の、(生井の下隣の)岩井の集落に出て、この道はさらに丹生川につながっている。

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