ハレー彗星と「チロ」 --- 郡山時代 2

瀬谷こけし
天体写真で有名な藤井旭さんが同じ台新に住んでらっしゃることを知った。『星になったチロ』の著者としても有名だった。そのころはハレー彗星が接近中で、その藤井さんたちのグループで吾妻山の浄土平で観測会を開いてくれていることを知った。「チロの望遠鏡」と呼んでいたと思う。口径四十センチ以上の大きな反射望遠鏡を運んで、それで見せてくれるという企画があった。五月の連休中の企画だったと思う。それがほぼ最後の観察の機会になるはずだった。
その前に、家族で浄土平に行った。双眼鏡でも見えるのではないかと思ってだった。午後に出かけて、吾妻小富士に登り、お釜を一周した。妻が長女を背負って登った。その上時々危険なところでは息子も抱いて、おんぶに抱っこで登った。妻は飛騨の育ちで、山登りにかけてはとても強い足腰をもっていた。わたしの方が自信がなかった。
観光できていた人がみな去って、そして売店の人も去った。それからあたりが暗くなるまでその建物で待った。コンクリートのしっかりした建物だが、暖房がなくなると急に冷えていった。恐ろしく寒かった。うっかりしたことに車のガソリンが十分に入れてなくて、車で暖を取るわけには行かなかった。十二万円で買った赤いニッサン・チェリーを京都ナンバーのまま使っていた。
やがて空が段々暗くなってくる。体がふるえる寒空の中、小さな双眼鏡をもってハレー彗星を探した。大体の位置は分かっていても、それほど明るくはなっていなかった。どれが彗星なのか、わからなかった。

チロの望遠鏡の観測会の日に再び浄土平に行った。数十人以上の人が来ていた。何台かの望遠鏡で見せていただいた。チロの望遠鏡でも見せていただいた。わたしも妻も、息子も娘も。一応は何かが見えたのだと思う。だが、その日は条件が悪く、雲に隠れている時の方が多かった。わたしが見た時は、流れる白い雲の中、一瞬彗星らしきものが見えただけだった。妻も子供たちも、それほどはっきりと確認することはできなかったと思う。

藤井さんのお宅をたずねたのはその後だった。妻がもう一度ハレー彗星を見せてもらいたいと頼んだ。藤井さんは、同じ「チロ」の仲間で、同じく台新に住む山田さんという方を紹介してくれた。そしてある夜、どの方向なのかわからない、車で三十分ぐらい走ったところの田園のあぜ道に望遠鏡を据えて、山田さんは見事にハレー彗星を望遠鏡の視野に入れてくれた。口径二十センチぐらいの望遠鏡だが、十分にはっきりと、そして美しく彗星が見えた。妻も、子供たちも、はっきりと確認できただろう。だが息子は二歳と九ヶ月、娘はまだ六ヶ月ほどだ。息子の記憶にも、普通なら残るものではない。ただその時の写真と、そしてステッカーが、残るだけだろう。
ハレー彗星の76年という周期は残酷なものだ。たいていの人は一生に一度しか見る機会がない。迎える機会がない。だが息子は、八十歳前後にもう一回その機会を迎える。その時、わたしたち父母は確実にこの世にいない。
その幼いころ、郡山に行ってほんの間もないころ、わたしたちは息子にも娘にも、必死にハレー彗星を見せておきたいと思った。そして見せた。見せてやることができた。その時わたしたちはとても幸せだった。


星になったチロ―犬の天文台長

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