折口信夫の「妣が國へ・常世へ」2

瀬谷こけし
折口信夫の「妣が國へ・常世へ」(大正九年五月)は、「妣が国論」ばかりでなく、その「常世論」もおもしろい。こうだ。

>過ぎ来た方をふり返る妣(ハヽ)が国の考へに関して、別な意味の、常世(トコヨ)の国のあくがれが出て来た。ほんとうの異郷趣味(えきぞちしずむ)が始まるのである。気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求めもとめて移ろうと言う心ばかりが、彼らの生活を善くして行く力の泉であつた。彼らの歩みは、富みの予期に牽かれて、東へひがしへと進んで行つた。彼らの行くてには、いつ迄もいつまでも未知之国(シラレヌクニ)が横つて居た。其空想の国を、祖(オヤ)たちの語では常世(トコヨ)と言うて居た。

「気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求めもとめて移ろうと言う心」という現実的な感覚がいい。集団で移住をしようとするからには、こういう物質的に恵まれたところに移り住みたいという動機があるのが当然だろう。そのきっかけには、戦争や災害や不和やらといった要因があるかもしれないが、ほどほどよい所に住むことができていたにしても、もっと物質的に豊かなところに行きたいと思うのは当然のことだろう。そういう善い国があると、祖たちから語り伝えられていたということもあるだろう。そういう移住の原動力になる「空想の国」が、「常世」と呼ばれていたのではないか、というのが折口の説である。あの世ではなく、この世の未来の方向に、「常世」が語り伝えられていたというのである。あり得ることかもしれない。しかしそうはいっても、そういう国が語り伝えられるためには、その未来前方にある「善い国」の情報が、あるいはそれを推測する根拠が、何らかの仕方で人々にもたらされていることが必要だろう。
 「常世」がそのような、この世の未来前方に思い描かれていた国を表わすかどうかについては、わたしは少なからず懐疑的なのだが、しかし折口がここできれいに拾い出している「気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求め」るという気持ちの方は、間違いなく現実に存在していただろう。そしてわたしが今ここで注意を促しておきたいことは、柳田国男が「雪国の春」(大正十五年一月)の中で、瀬戸内海を取り囲む地域のことをさして、「いかなる血筋の人類でも、こういう好い土地に来て悦(よろこ)んで永く留らぬ者はあるまい」と語っていることなのである。柳田のこの問題設定は、慎重に用語を変えているが、結局は折口の「常世論」の問題設定をを受けたものではないだろうか。それが悪いと言いたいわけではないのだが、管見その関連に言及している論を知らないので、まずは指摘しておきたい。
 柳田はさらにこうつづけている。

>まったく我々が珍しく幸運であって、追われたり遁(に)げたりするような問題が少しもなく、いつまでも自分たちばかりで呑気(のんき)な世の中を楽しみ終(おお)せていたうちに、馴染(なじみ)は一段と深くなって、言わばこの風土と同化してしまい、もはやこの次の新しい天地から、何か別様の清く優れた生活を、見つけ出そうとする力が衰えたのである。

 集団的な移住の源にあるものを「追われたり遁げたりするような問題」と現実的で否定的な要因に着目して捉えようとする柳田と、「気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求め」るという肯定的で、しかし多少とも空想的な要因に着目して捉えようとする折口と、その志向性ははっきりと異なっている。そしてわたしはここでふと宮沢賢治のことを思うのだが、賢治はこの二人の民俗学の巨匠のもっていた志向性をその一身の内に抱いて、みずからの仕事を進めたと言いうるのではないだろうか。象徴的な事例で言えば、花巻の酸性土壌という否定的現実と、その土壌に石灰を加えることによって中性化された農地を作ろうとする将来的な努力である。この土地の常世化と言いうるだろうか。賢治は折口より十年年少である。
そしてここでさらに大きなことを言ってしまえば、民俗学の将来は、その草創期の二人の巨匠の道の先にあるのではなく、むしろその両者の道を総合する宮沢賢治の仕事の先にあるのではないだろうか。少しずつ考えてゆきたい。

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