愚人 …… Verschwender mit tausend Haenden

愚人 Verschwender mit tausend Händen

瀬谷こけし
ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』第四部の「蜜の供え物」のなかにこの「Verschwender mit tausend Händen」という言葉は出てくる。わたしの気に入りの言葉だ。ツァラトゥストラが自分のことをそう自称しているのである。「千の手を持つ浪費家」というような意味だ。

>いったい何を供えるというのだ! わたしはこの身に贈られたものを惜しみなく使ってしまう。わたしは千の手を持つ浪費家だ。どうしてこのわたしがいまさら---供え物を捧げるなどと言える柄だろう!  (氷上英廣訳、岩波文庫)
>>Was opfern! Ich verschwende, was mir geschenkt wird, ich Verschwender mit tausend Händen: wie dürfte ich Das noch --- Opfern heissen! (KSA)

「千の手を持つ浪費家」という訳語の「千の手を持つ」のところは動かない。どう訳し変えても大差がでないだろう。それで、わたしが問いたいのはこの"Verschwender"の方のことなのだ。それを「愚人」とは訳せないだろうか?

まずは"verschwenden"という動詞から考えないといけない。この"verschwenden"という動詞に対して、『フロイデ独和辞典』は「浪費する、無駄遣いする、惜しげもなく注ぎ込む」という訳語を上げている。これらの訳語で、上記の引用の "Ich verschwende"の"verschwende"の語義はほぼ尽されているだろう。まずはこれ以上問うことがあるようには見えないのだが、しかしこれらの訳語に対してなお疑問を呈するとすれば、それはその「浪費行為」の源になっている経験はどのような行為なのだろうかという疑問にこれらの訳語は答えてくれないことである。どういうタイプの「無駄」が考えられているのかという疑問である。

この疑問に答えるためには、"verschwenden"という語から、前綴り"ver-"取り除いた"schwenden"という語から考えてゆくことが必要だろう。それで"schwenden"を調べようとすると前出の『フロイデ独和辞典』には、この語は見出しに載っていない。代ってわれわれはその近くに"Schwende"という名詞を見出すのである。"Schwende"とは「(森を焼いてつくった)開墾地、焼き畑」という意味だという。ちなみにもう少し大きな『独和大辞典』を見ると"schwenden"という動詞の方も出ていて、「(特に森林を焼いて)開墾する」という語義が載っている。「森林を焼いて開墾地を作る」という行為が、"schwenden"と"verschwenden"の源にある行為に違いない。そうすると、おおむね「錯誤」を意味する"ver-"という前綴りをつけた"verschwenden"の語は、おそらく森を焼いてせっかく開墾地を拓いたにもかかわらず、その開墾地が利用されないままになってしまうというような経験、あるいは、苦労してやったものの、森を大きく焼き過ぎてしまった、というような経験をもともとの経験として持っている語なのであろう。
こうした経験は、ある種の愚かさと言いうるものではないだろうか?

ちなみに、『グリムのドイツ語辞典』では"schwenden"の中高ドイツ語の語義のひとつを、"etwas zerstören, besonders durch feuer"(何かを破壊すること、とりわけ火によって)と説明している。"Verschwenden" の"überreichlich spenden"(大いに惜しみなく与える)、とか"hingeben"(献身する)というような語義は、この言葉の歴史の中で、大いに穏やかになり、精製された語義なのであろう。その源には、やはりおそろしい愚かさがあるように見えるのである。

ツァラトゥストラはこう言った 下 岩波文庫 青693-3

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