イサム・ノグチのすべり台

イサム・ノグチのすべり台


瀬谷こけし
九月二十四日の夜、サッポロ大通り公園のすべり台を見てきた。サッポロ堂の店主石原さんと飲んで、別れた後で、CDショップが無いものか探しながら。夜も十時近いころだと、まあ普通のCD店は開いていないのかもしれない。京都なら書店と一体になって開いている店も何軒かあるのだが、サッポロの中心街近くではなくて当然かもしれない。

 このすべり台は先月も見に行ったのだけれど、色も、質感も、そして存在感も、夜の方が数等まさる。この存在自体、重たすぎるかもしれない。街には。街の普通の遊びには。だが、日常の重みに数等勝るものが街の中に存在していることの意味は大きい。ひとに、重たくて深いものをどこかで思い出させるからだ。重たくて深いもの、それは生れて、そして人生をある企てに投げ入れることだ。誕生と青年期の登り階段、そして人生の落下としての賭け。

 さすがにこのすべり台で遊んでいる人はいなかった。わたし一人を除いて。このすべり台の存在を触ったり、撫ぜたり、撮ったりして楽しむだけでなく、登り、そして滑り下りてみた。滑りおりる初っぱなが急になっていることを滑った人はみなわかっているはずだ。

 サッポロにはいいものがある。このすべり台のほかにも。



イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者

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