京都芸大の集中講義 「日本文化論」が終わった

瀬谷こけし
 ここのところ毎年のことになっている。年末のこの時期、京都市立芸大で「日本文化論」の集中講義をしている。今年は少し趣向を変えてメニューを少なくして、学生の考える時間を増やしてみた。今日はその最終日。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」について、公開の研究会(検討会)のような形でやってみた。テーマは小十郎が最後に熊どもからひれふして礼拝されるような存在として描かれていることの理由を作品中から読み取ること。もしその理由が描かれていないならば、つまり賢治の願望が描かれているに過ぎないのならば、この作品はひどい失敗作になる、ということを説明した上で考えさせる。とりわけ小十郎の最期の言葉「熊ども、ゆるせよ」をどう解釈するかが最も重要なポイントになる。よくある解釈は「これまで熊たちを殺してきてごめんなさい」という謝罪に解釈するものだ。だがこの解釈はちょっと考えれば無茶な解釈だということがわかる。つまり、まずは「ゆるせよ」が誰に対して投げかけられた言葉なのかをまともに解釈していない。そしてまた、そういう解釈は、熊を殺した時に小十郎が熊に投げかける「送りの言葉」を不十分な言葉だと見なすことになるが、その「送りの言葉」を不十分だと主張することは、そう容易にできることではないだろうからだ。

 実際、おれが猟師をしていることもお前が熊に生れたことも、悪い因果にによるもので、おれたちは互いに同等な存在、つまり因果の同胞なのであって、お前も今度生れてくる時には熊なんぞに生れてくるなよ、とする考えはそう容易に越えられるものではないだろう。だがしかしこの考えにも不十分なところがあるのだ。「熊ども、ゆるせよ」を説明するには、その「送りの言葉」の不十分さを指摘しなければならないのである。それをわたしは拙論「『その掌に死ね』といふこと」(『東北学』Vol.10)の中ですでに述べているが、今日学生に出した問いは、この「因果の同胞」という思想の不十分さと、最後の熊どもによる小十郎の礼拝とを結びつけてみろという問いであった。この両者を結びつける論理について、わたしは先日12月16日に「供犠論研究会」で簡単にではあるが発表したのだが。

 学生の解釈は予想外に深かった。先述のような通俗的な解釈を示すものは一人もいなかった。わたしがくぎを刺しておいたこともあるのだが。だが、よく考えれば「因果の同胞」という思想を越えていない答えもあった。また、二年後に自殺した熊の思想と関係づけようとした学生もいた。だがあの熊の場合その崇高さは、「自らの死を招くものであっても約束を守る」という思想と、そしてとりわけ「どちらにも優先権のない場において相手のために死ぬ」という思想にあるわけだが、それは「輪廻の同胞として山の神の配慮の中で生きる」ということで説明がついてしまうだろう。実際、その熊が求める二年間の猶予には、命をわが子に引き継がせるという山の神的な配慮を十分に読み取れるのだ。

 しかしまた、ほとんど私の考える正解に達した学生もいた。だが、その学生は、わたしの質問に応じて自説を説明しているうちに、その最も深いディメンジョンを忘れてしまったのだった。小十郎は神のごとき存在であるということの、その説明のところだ。それを熊の生のシンギュラリティと結びつけて説明するその論理だ。それにほとんど達しながら、掴み切れないうちにそこからずれてしまった。重要なのは殺される熊たちのシンギュラリティを救済するものを小十郎がもっていて、それは「輪廻(因果)の同胞」というような一般性のレヴェルを越えているということだろう。つまり小十郎は、熊をその生と死のシンギュラリティにおいて記憶し、記憶においてその熊の独自な生と死に存在を与えている、ということだ。小十郎が死ぬと、その記憶も消え去り、記憶の中の熊の生も消えてしまうのだ。だからそこ小十郎は死ぬ時にあやまるのだが、小十郎のそうした記憶の力に熊たちは自分たちにはない神のような力を見て取り、その記憶の力を自分たちに振り向けてくれたことに特別な崇敬の念を懐いていたのだ。熊どもはいわば神の死を悼んでいたのだ。

 授業の最後に示したわたしの解釈はこういうものなのだが、しかしある学生は、最後のシーンで小十郎の顔が「何か笑ってゐるやうにさえみえた」というこの笑いを、「殺生をする生から離れられる喜び」としてでなく、「熊に死後の生を与える神のごとき存在としての喜び」と解釈しうるのでなければ、わたしの解釈はまだ不十分だろうと指摘してくれた。これはまったくもっともな指摘だ。その辺のところはわたしが自分で正確に書き記さなければならないだろう。
 ともあれ、「なめとこ山の熊」の読解としてどこに出しても恥ずかしくない水準の授業ができた。それはわたしにはとても嬉しいことだった。


宮沢賢治全集 (7) (ちくま文庫)

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  • こんな質問があった 宮沢賢治『なめとこ山の熊』

    Excerpt:  前回報告した京都市立芸大の「日本文化論」の授業の、感想レポートだ。 http://25237720.at.webry.info/200712/article_17.html  ある学生のレポ.. Weblog: 「世界という大きな書物」  中路正恒ブログ racked: 2007-12-31 11:58