『なめとこ山の熊』:最後のシーンの小十郎と熊たち (発表要旨 400字)

瀬谷こけし
今日、ある研究会の研究発表申込をした。その発表要旨を早速公開してしまおう。以下である。



作品『なめとこ山の熊』の、熊たちが雪にひれふする中、その「いちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったやうになって置かれていた」というシーンを解釈する。この小十郎の形は熊たちのしわざと考えられる。熊たちから崇敬される尊像の形である。なぜこの形か? 小十郎が「同じ山に生きる仲間」として認知されていたという解釈では不十分である。また、熊に因果を聞かせて引導を渡し、出離の機縁を与えているからと考える「諏訪の勘文」*風の解釈も、小十郎が自らの死の直前に「熊ども、ゆるせよ」と思っていることを見れば不十分である。小十郎は自らの記憶の空間で、熊たちの最も輝かしい姿に、死後も存在を与える者だったのではないだろうか。小十郎が「ゆるせよ」と思うのも、自身の死後は熊のこの存在も失われるからである。小十郎のこの特別な能こそ熊たちが彼を特別に崇敬する理由ではないか。また、無量寿の如来と小十郎の違いもここから読み取れる。


どうだろうか。
ご意見をいただければ幸いです。

=====
*「諏訪の勘文」:
「業尽有情。雖放不生。故宿人天。同証仏果」などの言葉で表される、殺生、食肉を正当化する教え。 この「有情」」には一般に植物は含まれていないとみなされる。

(2008.9.22 一字訂正。注を付加)



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