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zoom RSS 淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き

<<   作成日時 : 2008/09/12 01:20   >>

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瀬谷こけし

20060924高橋健二画像

 写真: 高橋健二さん(右)と 2006年9月24日、雫石町歴史民俗博物館にて 渡辺洋一氏撮影

淵沢小十郎のモデル松橋和三郎をめぐる高橋健二氏からの聞書き
(宮沢賢治学会イーハトーブセンター『宮沢賢治AnualVol.17』 2007年3月発行)


     ◆ はじめに

 宮沢賢治の作品『なめとこ山の熊』の猟師淵沢小十郎のモデルが誰か、という問題がこの何年かの間追究されて来た。研究の結論は、猟師小十郎のモデルは賢治がそれを執筆した昭和二年当時豊沢に住んでいた猟師松橋和三郎である、というところに落ち着いている。わたしもその説に特に異論があるわけではないのだが、この度、一説にその和三郎から猟を学んだことがあると言われた、雫石町在住の高橋健二氏(明治四十五年生)にお会いし、話をうかがうことができたので、そのお聞きした話を紹介したい。
 しかしまずはじめに、小十郎のモデルについての研究史を、私が現在認識している範囲で簡単に紹介しておきたい。

     ◆ 淵沢小十郎のモデルの研究史

 『なめとこ山の熊』の猟師淵沢小十郎のモデルの研究史において、まずはじめに上げるべきものは牛崎敏也氏の研究である。

1) 牛崎氏は論文「『なめとこ山』の原風景---童話『なめとこ山の熊』の周辺---」(1990)において、和三郎を小十郎のモデルに擬する高橋亀三郎の説を紹介しつつ、当時花巻西山には松橋和三郎(父子)の他にはマタギと呼べる者がいなかったと説いている(1)。これが現在まで私が認識している限りで、もっとも早い松橋和三郎モデル説である。ちなみに高橋亀三郎氏は、その説を牛崎氏に語ったのであり、特に何かに書き残しているということではないようである。

2) 牛崎氏はまた「小十郎の行方---童話『なめとこ山の熊』の周辺」(1992)において、松橋和三郎の孫の松橋勝美氏からの聞書きによって「明治三十九年以降、豊沢地区で熊捕りをしていたのは松橋氏の家族以外なかったから、小十郎のモデルが松橋和三郎氏であることは、まちがいないといってよいだろう」と明確に語っている(2)。和三郎の孫の勝美氏からの直接の聞書きであり、その当時の豊沢のでの生活や熊狩りについての豊富な具体的説明によって、小十郎のモデル=和三郎説はこの論文で確立されたと言ってよいであろう。

3) 田口洋美氏は「列島開拓と狩猟のあゆみ」(2000)において、「松橋和三郎というマタギは、作家宮沢賢治とも親交があり童話『なめとこ山の熊』の主人公淵沢小十郎のモデルとなったと思しき人物である」(強調は引用者)と記している。残念ながら論文中にその論の根拠は示されていない(3)。

4) さらに田口洋美氏は「阿仁マタギの世界---秋田県北秋田郡阿仁町---」(2001,3)の中で、「現在雫石町在住の高橋健二氏は松橋和三郎を師匠とし、猟を学んだ人である。彼の話によれば当時花巻で暮らした賢治の周辺には和三郎以外にマタギと呼べるプロの猟師は存在していない。現時点では状況証拠でしかないが、この松橋和三郎が『なめとこ山の熊』の主人公淵沢小十郎のモデルになったと考えられるのである」(強調は引用者)と述べている(4)。

5) さらに佐藤孝氏の『宮澤賢治に誘われて』(2001,6,1)も、松橋勝美氏からの聞書きに基づいて、「氏の祖父和三郎さんこそが、地元で『淵沢小十郎』のモデルと言われている秋田阿仁マタギの流れをくむ人物で、明治三十九年に阿仁から豊沢村に移住して、生涯二百頭も捕り、昭和五年に七十九歳で没している」と、和三郎の生没年も明らかにして報告している(5)。

6) さらにこれらの後に拙論「なめとこ山の熊の胆」(2007,1)を置きたいのだが、煩瑣を避けてここでは内容紹介を控えたい(6)。

     ◆ 僥倖、高橋健二氏健在

 ところで、以上のような研究史の中で、わたしは最近まで田口氏の説しか知らなかった。だが二〇〇六年八月、ある僥倖によって松橋和三郎、勝治父子の生没年を知ることができたのである。松橋和三郎1852-1930、勝治1893-1968である。そうすると上記の4)で言われているように、高橋健二氏が松橋和三郎から猟を学んだとすると、仮に健二氏十五歳の時七十歳の和三郎から学んだとしても、高橋健二氏は一九〇七年の生れだということになる。とすれば、二〇〇六年当時、もはや達者にしておられるものかどうかかなりあやうい所であると思われたのである。ご達者であるかどうかぜひとも早く確かめたい、そしてできれば松橋和三郎さんの話を聞きたい、と気持ちは大いに急いていたのである。幸い九月二十二日以降、津軽での仕事の帰り雫石に寄ることができたのであった。そして雫石ではこれまた大変な僥倖に恵まれ、渡辺洋一氏にお会いすることができたのである。この渡辺洋一氏こそ、雫石町歴史民俗資料館の専門指導員として、本人からの聞き取りを通じて、高橋健二氏のライフヒストリーを纏めようとされていたのである。高橋健二さんも、九十四歳のご高齢とはいえ、まだまだ達者であるということであった。
 この出会いに、わたしは個人の力を越えた大きな力の祝福を感じずにはいられなかった。そして一日空けた九月二十四日朝九時から、歴史民俗資料館において、渡辺氏とともに高橋健二さんから話を聞く機会を持つことができたのである。ちなみに、渡辺洋一氏の父上文雄氏は、県の猟友会の常勤職を長く勤めてこられた方であった。高橋健二氏とも親交が厚い。
以下、当日の聞き取りから、松橋和三郎に関わるところを録音から起こして紹介する。この聞き取りの録音は渡辺洋一氏と私とが独立に取っているが、今回は私が録音したものによって起こしている。

     ◆ 高橋健二さんからの聞き取り

 わたしははじめの高橋健二氏と松橋和三郎との関わりについてたずねた。だがお聞きした話は驚きばかりだった。聞き取りはまずこう始まる。

中路正恒:「『マタギ』という田口洋美さんの本の高橋さんから聞いた話として、豊沢ダムで水没したあそこに松橋和三郎さんという方がいた、と書いてあるんです。それで高橋さんご自身と松橋さんとの関わりをお聞きしたかったんですけど?」
高橋健二:「あのね、わたし会ったことねえんですよ。」
中路:「あったことないんですか!」
高橋:「ええ。」

これは大きな驚きだった。「高橋健二氏は松橋和三郎を師匠とし、猟を学んだ人である」という前掲の田口洋美説と全く違っている。それは更に具体的に確認されてゆく。

渡辺洋一:「会ったことねえということは話をしたことがないという意味?」
高橋:「話したことはない。」
渡辺:「ただその家の前は……。」
高橋:「そこは住んだということは分かった。そこの前通ったからね。うん。」
中路:「前を通ったことはあるわけですか。」
高橋:「うん。」
渡辺:「何回も?」
高橋:「あーん、二三回あるんだろな。」
渡辺:「一回だけではねーてことだな。」
高橋:「あそこの川があるところ、今はダムになっているけんど、あの川に鴨を獲りに行った。」
中路:「高橋さんが鴨を獲りに行った時に和三郎さんの家の前を通ったと。」
高橋:「ああ通った。」
中路:「家の前を通ったことはあるけどお顔を見た事はないんですか?」
高橋:「ない」
中路:「ああそうなんですか。」
渡辺:(ため息をつくように)「ああそうか。ああそうか。」
中路:「なら一緒の写真とかももちろん無いわけですよね。」
高橋:「はん。」
中路:「ああそうか。なら和三郎さんの息子さんで、勝治さんの方、松橋勝治さんという方がやっぱりそこに住んでいたと思うんですけど、勝治さんの方もお会いしたことがないんですか。」
高橋:「ないね。」
中路:「というと、いわば豊沢の狩をする人と、この雫石の狩をする人と、あんまり……。」
高橋:「交流はなかった。」
中路:「ああそうですか。なら雫石の人はむしろ沢内の方とは関係があったとか?」
高橋:「沢内とは幾らか関係があった。幾らかですよ。」
中路:「ああ、そうですか。なら松橋さんのことは名前で聞いていた、有名な熊とりさんやったやろうし、名前は聞いていたということですか?」
高橋:「雫石町南畑、電話番号は695−20**。ここにね、あのー、秋田から来て、泊ってはいた。そこから今度は豊沢ダムの方か移ったんだね。ここはね、高橋今朝吉という人だ。このひとに60ぐらいまでは狩猟やってたな。熊だったら百頭以上獲った。」
中路:「なかなか大変な人ですね。」
高橋:「その息子はハンターやってたけどもなくなった。今孫が家にいる。田茂木野という部落なんですよ。」
(写真で今朝吉さんを確認する)

中路:「宮沢賢治さんのことをいろいろ調べていたんです、わたし自身、それで、宮沢賢治さんの『なめとこやまの熊』という話があって、その中に熊狩りをする猟師が出てくるんですね。そのモデルが和三郎じゃないかということを田口さんは言ってるんですけど。」
高橋:「さーてなー。和三郎さんの方がずっと新しいんじゃないかな。」
中路:「宮沢賢治より? そんなことはないんですよ。和三郎さんの方が四十歳ぐらい上なんですよ。宮沢賢治より。」
高橋:「はは。」
中路:「逆に年が離れすぎてるんじゃないかなと思ったりするんです。」

中路:「宮沢賢治は『すがめのごりごりした赫黒いおやじで胴は小さな臼ぐらいあった』と言ってて、太ってたんやろうね。仙太郎マタギさんの写真を見るとこんな雰囲気だったんだろうかなという気がしたんやけど。」
高橋:「これは仙太郎だ。いや、これよりは優しいような格好だな。」
渡辺:「和三郎さんの実際は見ないけども、うわさとか?」
高橋:「うわさとか、家の前にいたの。さっと、こう、見たことはある。」

渡辺:「それ何歳ごろ? 健ちゃんが何歳ごろ? というのはね、健ちゃんが二十歳前後のころと、和三郎さんが死ぬあたりとがあぶないのさ。ぎりぎりなの。」
高橋:「うーん。昭和十二年あたりかな。」
中路:「昭和の五年に和三郎さん亡くなってるんですよ。」
高橋:「ほーーー。」
中路:「もしかしたらその息子の勝治さんなら明治の二十六年生れなんですよ。」
高橋:「そういえばその人みたいだな。」
中路:「見たの勝治さんの方かもしれないですね。」
高橋:「息子の方なのかもな」
中路:「年齢だと健二さんより二十歳ぐらい上なんです。」
高橋:「息子だな。」
渡辺:「息子さん。その一緒に来た子という意味での息子。そうなると犬はどうなるの?」

渡辺:「その松橋さんのとこだということは確実なの? 家は。」
高橋:「確実だ。家は。」

高橋:「その、松橋という犬はこういう格好の犬で、ここの(目の上を指す)茶色の、何ていうんだかな。二つ、対であったけね。あまり大きな犬でなかった。」
中路:「その犬は覚えているわけですね。」
高橋:「うん。」
中路:「この辺は黒かったんですか?」
高橋:「背中はしろくて。ここらも黒くて、ここだけ茶色で。四つ目といっててな。」
渡辺:「四つ目ね。仲間ではそういうわけだ。」
高橋:「柴犬よりはちょっと大きいか。」

 この松橋家の犬についての高橋さんの記憶はきわめて正確なものだということが、その翌日に判明する。というのも、豊沢から花巻に移ったひとりである高橋美雄さんが、その松橋勝治さんの犬のことをよく覚えており、同じ様を語ってくれたからである。さらにまたその犬の子孫が現在も生きており、それもまた四つ目の柴より少し大きいぐらいの犬なのだと言うのである。後日その犬の写真も撮って来たいと思う。
 この後聞き取りはこの地方の狩猟をめぐって更に続き、『なめとこ山の熊』の背景をよく照らしてくれるのだが、それらについてはまた別の機会に公表することにしたい。
 結局、田口洋美さんの言う「高橋健二氏は松橋和三郎を師匠として猟を学んだ人である」という主張は、何を根拠に言われているのか? 私には理解できない。和三郎と賢治との親交の話も、根拠があるのなら示してもらいたいところである。 地元の人からの誠実な聞書きによって、宮沢賢治が懐いていたものはさらにはっきりと見えて来るのである。

 注
(1) 牛崎敏也、「『なめとこ山』の原風景---童話『なめとこ山の熊』の周辺---」、『北の文学』第二十号、一九九〇(平成二)年五月二十日、岩手日報社、一〇九頁。
(2) 牛崎敏也「小十郎の行方---童話『なめとこ山の熊』の周辺」、『北の文学』第二十四号、一九九二(平成四)年五月八日、岩手日報社、三一、三十二頁。
(3) 田口洋美「列島開拓と狩猟のあゆみ」『東北学』Vol.3、2000年10月25日、東北芸術工科大学 東北文化研究センター、九十四頁
(4) 田口洋美「阿仁マタギの世界---秋田県北秋田郡阿仁町---」、『東北の風土に関する総合的研究 平成十二年度報告書』平成十三年三月三十一日、東北芸術工科大学 東北文化研究センター、六十二頁。
(5) 佐藤孝『宮澤賢治に誘われて』、平成十三年六月一日、自家出版、十三頁。
(6) 中路正恒「なめとこ山の熊の胆」、『季刊東北学』第十号2007年1月15日、東北芸術工科大学 東北文化研究センター、二〇五〜二〇九頁


補足: 宮沢賢治学会イーハトーブセンター『宮沢賢治AnualVol.17』 2007年3月発行に発表したものを再録します。聞取りをした時の高橋健二さんの写真を付加えました。しっかりしたご様子が分かることと思います。ご自宅から聞取り場所の雫石歴史民俗資料館までご自分で車を運転してこやって来られました。
 本文内容の変更はないと思っていますが、字句の若干の修正はあったかもしれません。ご関心のある方は雑誌の方と対照して下さい。
 わたしはこの原稿を書いた時点では松橋菊蔵さんのことを知りませんでしたが、教えて下さる方があり、和三郎の次女の婿養子として豊沢に住んでいたことがわかっています。高橋健二さんが「和三郎の家の前を通った時に見かけた」と言っているのはもしかしたら勝治さんではなく、菊蔵さんかもしれません。
 民俗学を研究する人も不誠実なことをしてはいけません。そのことを言いたくて本稿をブログにも発表することにしました。

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