新島襄とサンカの煙 1915年11月7日、若王子山

瀬谷こけし
1915年11月7日、この日新島襄を慕う人々が、彼の墓の掃除をしたというようなことはないのだろうか? 11月7日(1888年)は、彼が『同志社大学設立ノ旨意』を全国の主要な雑誌・新聞に発表した日だ。同志社にとっては記念すべき大事な日のはずだ。彼の墓は若王子の裏山を上がっていったところにある。

彼の「同志社大学設立ノ旨意」は次のところで少し読める。
http://joseph.doshisha.ac.jp/ihinko/bubun/disco/gendai09.html

墓地を掃除し、落ち葉を燃やしたりすれば、煙が空に上がってゆく。

この煙は京都の御所の庭からも見えたはずだ。

そして若王子山の山中から上る煙を、用事があって御所の庭にいたある人物が見た。

その人物は、こんな感想を記した。
「なお遠く若王子の山の松林の中腹を望むと、一筋二筋の白い煙が細々と立っていた」と。

それに続けて彼はこう記した。
「ははあサンカが話しをしているなと思うようであった。もちろん彼等はわざとそうするのではなかった」と。
彼の名は柳田国男、記されている本は『山の人生』である。

わたしは、民俗学者や他の柳田を引用する者が、若王子山の奥に立ち上る煙を何故サンカの焚火の煙と考えて疑うことがないのか、怪しむ。
わたしにはその煙はむしろ新島襄の墓参に来た同志社関係の人の燃やした落葉の煙でなかったかと思えるのだが、どうだろうか?



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