風流の初(はじめ)

瀬谷こけし
 よく知られた句だと思うが、『奥の細道』に、須賀川で詠まれた句、

  風流の初(はじめ)やおくの田植(たうゑ)うた

がある。今更ながら悩むのだが、これはいったい何をいう句なのだろう? 岩波文庫本の脚注で萩原恭男はこんな風に解説している。「ここで聞く古雅な田植歌は、奥州に入って初めての風雅な趣であるの意。等躬宅での句会を喜ぶ挨拶の意を含む。これを発句に歌仙一巻が興行された」と(1)。

 長らくわたしはこの句は、「自分たちの営みまた楽しんでいる風流の起源は、自分がここ奥州陸奥に入ってはじめて見聞したこの田植歌にあったのではないか、そんなことを深く考えさせる奥の田植歌だったことよ」という感慨を語る句だと思っていた。そして今、諸家の解説を学んだ後にも、この気持ちは変らない。まず、何はともあれ、芭蕉は田植歌を聞いた。この旅の、奥州と言っても差し支えのない所で田植歌を聞いたのである。しかしそれはいつ、どこでなのだろうか? そこらじゅう、どこでも、と答えられるかもしれない。旧暦四月二十日に、白河の関を越えてから、何度か見聞することがあったかもしれない。そう考えてもおかしくはないのだが、しかしそれほど新鮮なものであったならば、その見聞について紀行文中に何かの記述があってもおかしくないのではないだろうか? しかし文中での田植の記述は、奥州に入ってからというよりは、その手前、遊行柳での、あの「田一枚植て立去る柳かな」の句においてしか見られない。この時は、この柳の下に、彼はしばらく時を過ごしたのである。ゆったりとした時を。このとき、田植歌は歌われていたのか? わたしはそうではないかと思うのだが、その真実は確かめようもない。しかし田植歌をここで耳にしたにせよ、していないにせよ、この遊行柳での見聞の何かは、「風流の初」の句に流れ込み、結実していっているだろう。

 この句そのものは、これを発句とする歌仙が四月二十二日に巻かれていると考えられるので、その時までには見聞しているはずである。そして須賀川で世話になる等躬の家の田植は、曾良旅日記に、四月二十四日のところに「主ノ田植」と記されている。結局、四月の二十日から二十二日の間のどこかで、芭蕉は田植歌を耳にしたのだろう。そしてその田植歌は、まず間違えなく労働歌であっただろう。つまり、田植の作業にリズムをつけたり、ある種の快さを与えるために、田の周りで、恐らくは男が歌う歌だっただろう。それが「風流」の初めだと芭蕉は見て取るのである。田植歌そのものは、労働から独立した風雅などではまったくなかった。芭蕉が「おくの田植うた」に見たものは、決して労働を知らない人々の歌ではなかった。むしろまったく逆で、労働の景気づけにこそ風流の源があると、芭蕉はここでひそかに理解したのである。神田川(神田上水)の工事に関った経験のある芭蕉にとっては、労働と歌との深い結びつきは、決して理解し得ないことではなかった(2)。神田上水の掘削ないしは浚渫工事においても、いろいろな景気づけの歌は歌われたことだろう。しかしそれらは新しい歌だ。奥の地に入って聞く田植歌は、労働歌そのものであるとともに、和歌を経て連歌、俳諧に至る風流の道の、その源にあるものと理解されたのだ。これはしかしすごい洞察である。奥に向かう芭蕉の姿勢は、ここで定まる。風流のみなもとである文芸の発見。風流のみなもとである音と言葉のリズムの術の発見。彼がここで発見したのは、浮ついた当今の風流の、昔流の素朴な形というようなものではなかったのである。彼はそれほどに思い上がってはいなかった。そう、わたしには見える。




(1) 萩原恭男『芭蕉おくのほそ道』1979、岩波文庫。
(2) 田中善信『芭蕉二つの顔』2008、講談社学術文庫、pp.110-141。






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  • 風流の初(はじめ)(二)---諸家の解釈一 蓑笠庵梨一---

    Excerpt:  芭蕉の句 Weblog: 「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ racked: 2011-06-05 20:11
  • 芭蕉の神田川 (「風流の初」 系一)

    Excerpt: 先にわたしは少なからぬ曖昧なことを書いてしまった。「神田上水掘削ないしは浚渫工事においても…」と。何分きちんとした資料調査をしているわけではないので、その時点ではまだ明確なことを言うわけにはいか.. Weblog: 「世界という大きな書物」  中路正恒公式ブログ racked: 2011-06-07 00:11