風流の初(はじめ)(二)---諸家の解釈一 蓑笠庵梨一---

瀬谷こけし
 芭蕉の句

  風流の初(はじめ)やおくの田植うた

の諸家の解釈として、はじめに蓑笠庵梨一撰「奥細道菅菰抄」(『芭蕉おくのほそ道』岩波文庫所収)を紹介しておく。

>奥州の田うへ歌は、生仏といふ、目くら法師の作なりと云伝ふ。此生仏は平家物語に、ふしを付て、琵琶に合せ初たるよし、徒然草にしるせり。故に風流のはじめとは申されたるなり。

梨一が何を根拠にこの説を述べているのかわからないが、「奥州の田植歌は生仏という盲法師の作だ」という伝説が、「云伝ふ」という言葉の通りに伝わっていたのだろうか。それともそれは梨一ひとりの推測か。琵琶法師と田植歌との繋がりというものを浅学ゆえか、わたしは知らない。

 しかし、田植歌一般ではなく、「奥州の田植歌」についての伝説とすれば、それは、『徒然草』第二百二十六段の、信濃前司行長が平家物語の作者と語る説の中に記されている、

>この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。…中略…武士のこと、弓馬の業は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。

というあたりの記述から生れる可能性はある、と思える。生仏が、東国の者であるからには、奥州で田植歌を作って広めたのも生仏だという伝説が語り広められることも、ありそうに思える。梨一は越前のひとである。彼は何から、あるいはどこから、そのような言い伝えを聞き知ったのか?

 このような伝説が詩歌音曲に関心を懐く者の間に広がっていたとすれば、芭蕉みずからもその伝説に従って、ここで一句をものしたということもありえないことではない。徒然草や平家琵琶から繋がるみちのくの風流の遊びの伝統に敬意を表し、句に詠み込んだという可能性である。俳句が挨拶として作られる時には、その土地に伝わる遊びの伝統の「高雅」な部分に敬意を表するということは、ありうることである。芭蕉がこのようなある種の軽薄さと全く無縁だったと言うわけにはゆかない。

 しかしわれわれにとって、さし当たって問題は次のようなことだ。
1)須賀川の等躬はその伝説を知っていたか?
2)等躬が知っていたとして、芭蕉はそれを等躬から聞くより前から知っていたか?
3)等躬にしても芭蕉にしても、また伝説を知っていたにしろ知らなかったにしろ、そのような伝説は取るに足りないものと考えてたのではないか?

 この1)2)はひっくるめてよいのだが、「奥の田植歌は生仏の作」だという説は等躬と芭蕉の間で、「高雅」な価値ある伝説として共有されていたか、ということである。そいう共有がなければ、「風流の初めのものがここにある」と詠んだところで、挨拶にも、誉めごとにもならないからである。芭蕉のこの句を「挨拶」として読み抜こうとする論者は、芭蕉の句が、どうして挨拶になりうるかをきっちり説明しなければならない。

 そして3)の問いだが、おそらく等躬、芭蕉とも、奥の田植歌に生仏の由来を感じるようなことはまったく無かっただろう。芭蕉の見聞した奥の田植歌がどのようなものか、正しく知るよしはない。しかし、ともあれ今日聞き得るもので近いものを探せば、西白河郡白河町の、

>1.ヤレ関の白河(チョイト)来てみておくれ(チョイトソコダヨ)娘揃ふて(チョイト)田植をなさる
>2.この田千石取れたるならば、桝は面倒だ箕で計れ

という田植歌がみつかる(1)。この米の豊作を、想像外のスケールで噺にする趣向は、例えば「十三の砂山」にも共通するものだが、それらの検討はまた後にまわす。当面確認しておきたいのは、これらが生仏や平家琵琶と特に関係はなさそうなこと、そして芭蕉も娘が早乙女として揃ってする田植の形を目にしたのではないだろうか、ということである。恐らく遊行柳で、しばしのこととして、結局田一枚植え終わるまでそこで休んでいた芭蕉が見たのは、早乙女たちがする田植だったのだ。そこにこそ風流があったのではないだろうか? さらには、「風流の初め」と言うべき、いとも新鮮な歌と音曲の楽しみが。

 蓑笠庵梨一の説に戻れば、彼はきっと白河あたりの田植を見ていない。そのために、生仏が東国人だという徒然草の一行の他に何の根拠もない「奥の田植歌=生仏作」説に行き着いたのである。わたしには、琵琶法師が田植歌を作るという発想そのものが、田植歌とは縁の薄いひとの書斎の中での空想に見えるのである。確かに、挨拶の句に含まれる誉め言葉の面に執着すれば、梨一説にも一分の可能性はある。しかし、浮薄な称賛は、関を越え、ついに奥州に入った芭蕉の心の戦きと相容れないものであるように思う。

 ともあれ、われわれの問題は「風流の初」とは何か、ということだ。さらに諸家の解釈を検討して行こう。




(1)『日本民謡大観 東北篇』(日本放送協会1952/1992)









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