Web「こもを着て」 (「奥の細道の風流」序章)

瀬谷こけし
序章

 与謝蕪村は京都金福寺蔵の「芭蕉翁肖像」の上方に、彼自らが選んだ芭蕉の句十五句を書き記している。多少とも金福寺に縁の有りそうな句を優先しているところもあろうが、奥の細道の句もあり、また深川芭蕉庵での句もあるので、まずは彼の好みの句を選んで記したと考えてよいだろう。その冒頭に置かれた句はこの句だ。

  こもを着て誰人います花の春 (614) (元禄三(1690)年)(*1)

 これは知る人ぞ知る、元禄三年の歳旦吟の句だ。よりにもよって歳旦吟に薦を着るひと、つまり乞食を呼び出しているので、嫌悪する者、疑問に思う者は、一門の中にも少なくなかっただろう。蕉門俳諧の聖典とも呼ぶべき『芭蕉七部集』の中にこの句が収められていないことを、まずは指摘しておきたい。
この句は、芭蕉にとっては、前年暮れに去来宅で鉢叩きの来るのを待ったことからのつながりで詠まれたものであり、そこに更に西行の『撰集抄』のなかの多くの乞食(こつじき)についての話がつながる。そして、身近なところで、奥の細道の旅の敦賀で再会して以来、この日々に同行していた門人の路通(ろつう)にもつながる。路通は、薦を着て、墨染の衣を着て、そしておそらくは鉢叩きをしていた人物なのだ。奥の細道の旅も当初は路通が同行者と考えられていたとみられる(*2)。
 この句は、花咲く春に、薦を着て、乞食(こつじき)の姿、生業をして貧を生き抜く人のなかに、まことの求道者がいるのか、いないのか、いるなら誰か、を問うている。この問は当然芭蕉みずからへの問でもある。その句を蕪村は、他の新春歳旦の句ではなく、芭蕉の精神のありどころを端的に示す句として、芭蕉の句抄の先頭に置いたのである。芭蕉がそれを元禄三年の歳旦吟にしたように、である。このことから、蕪村が芭蕉の何を心においていたのか、はっきりと見えて来る。言い方はいろいろあるだろう。さしあたりわたしはそれを「貧の精神」と呼んでおこう。貧に徹するところにまことの花は見えるのだ、という思想である。むしろ市井のひとであった蕪村にとっては、この精神はただちに継ぐことは難しいにしても、おのれの仰ぐ真の芭蕉の姿はそこにあったに違いない。蕪村の『洛東芭蕉菴再興記』は周到かつ穏やかなものであり、そこにみずからが芭蕉の何を継ぎたいかの明確な言は何もない。だが他方で心の中では、「芭蕉去ってそのゝちいまだ年くれず」(814)と感じる蕪村であった(*3)。あるいは「行く雲をみつゝ居直る蛙哉」(164)の句の蛙のような位置に、みずからを感じていたのではないだろうか。芭蕉と蕪村を繋ぐ細くデリケートな糸を描き出すことは大きな仕事であるが、金福寺をおのれの拠り所にしようとするとき、蕪村の目の注ぎ方は、芭蕉そのひとの精神の姿に直接つながろうとしているように見えるのである。
 ちなみに蕪村が前掲の肖像画に附した芭蕉の十五句は次のものである。ここに紹介しておく。配列は一年の季節の順である(*4)。

  こもを着て誰人い(ゐ)ます花の春 (614) 元禄三(1690)年
  花にうき世我(わが)酒白く飯(めし)黒し (148) 天和二(1682)年
  ふる池やかはす(づ)飛こむ水の音 (265) 貞享三(1686)年
  ゆく春や鳥啼魚の目(めは)なみた (484) 元禄二年
  おもしろふてやがてかなしきうふねかな (415) 貞享五年
  いでや我よきぬのきたり蝉衣 (299) 貞享四年
  子とも等よ昼かを(顔)さきぬ瓜むかん (800) 元禄六年
  夏ころもいまだ虱をとり盡さす (250) 貞享二年
  名月や池をめくりてよもすから  (268) 貞享三年
  芭蕉野分して盥に雨をきく夜かな (137) 延宝年間
  あかあかと日ハつれなくも秋のかせ (550) 元禄二年
  いな妻や闇のかたゆく五位のこえ (898) 元禄七年
  櫓聲波を打て腸(はらわた)氷る夜や泪 (138) 延宝年間
  世にふるもさらに宗祇の時雨かな (157) 天和二年
  年の暮線香買(かひ)に出はやな (278) 貞享三年
 
       ◇ ◇ ◇

 わたしが目を注ぎたいと思っていることも、この蕪村の視線と深く関わるものである。そしてとりわけ芭蕉の弟子の路通という人物が気にかかる。芭蕉の奥の細道の旅は、路通ではなく、曾良が同行者になったことで、乞食(こつじき)の旅ではなく、比較的裕福な、余裕のある旅になったように見える。路銀のことは曾良にまかせておけばよい。また、道行く先々で芭蕉と一座の連歌を巻くことを永代の誉れと考える人々に遇される。それには色々な手配があったことだろう。だが、旅の道々で、芭蕉は、京や江戸の風流とは違った新しい風流の発見に目を注いでいるように見えるのである。奥の細道を旅する芭蕉の目には、薦を着て乞食の旅をづける路通の姿が焼きついていたのではないだろうか。後に路通に、

  草枕まことの華見しても来よ (615)(*5)

の句を贈る芭蕉にとっては、まことの旅をすることによってはじめてまことの花が見えるようになる、という論理は、彼の風流の理論の核心にあるものである。だが、旅とは何か? 花とは何か? そして芭蕉の言う風流とは何か? 本稿では『奥の細道』に出てくる二回の「風流」という言葉について検討を進めたい。




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註(文中で「(*数)で表記」
(1) 芭蕉の句の紹介は原則として中村俊定校注『芭蕉俳句集』1970年、岩波文庫による。
(2) この分析については、光田和伸『芭蕉めざめる』青草書房、2008年、第一章を参照されたい。
(3) 蕪村の句は原則、暉峻康隆、川島つゆ校注『蕪村集 一茶集』、1959年、岩波書店(日本古典文学大系58)によって示すことにする。
(4) この軸の画像は、拙ブログ『世界という大きな書物』の「羅漢槙」のページで見ることができる。http://25237720.at.webry.info/201204/article_33.html
(5) 拙ブログの「春のスケッチ」のページにこの句の簡単な解釈を記した。http://25237720.at.webry.info/201205/article_4.html


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