『笈の小文』(芭蕉)の芸術論を確認しておこう

瀬谷こけし
芭蕉の『笈の小文』の芸術論を確認しておこう。

> 西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するは一(いつ)なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし。像(かたち)、花にあらざる時は夷狄にひとし。心、花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

「像(かたち)、花にあらざる時」というのは、ものを見てその形が花と同じように秀逸に見えない時は、という意味だろう。「心、花にあらざる時」は、見る者の心が、外のもの(=心の外に存在するもの)に花を見出せない時、つまり実利的にしか見えない時は、という意味だろう。
 「造化にしたがひ」とは、形あるものが造化の必然性によってその形をしているということを認識せよということで、「造化にかへれ」とは、その造化の力(の神聖さ)に帰依せよ、ということに違いない。この主張は、ニーチェの、

> 物事における必然的なものを美として見ることを私はもっともっと学びたい。(『悦ばしい知識』276)

という主張と、全く同じ主張であると思える。わたしが荒れた草地の草たち(の営み)を三年間見続けて学んだことも同じことだ。




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