《生への讃歌》5 検討1 <<Lebensgebet(生の祈り)>>

瀬谷こけし
 ルー・ザロメの『回想録』(Lebensrückblick)の中の<>(生の祈り)という詩について検討する。その際典拠とするのは、Lou Andreas-Salomé, Lebensrückblick, Verlag tradition GmbH, Hamburgである。詩はその32頁にある。


Lebensgebet *1)

Gewiß, so liebt ein Freund den Freund,
Wie ich Dich liebe, Rätselleben*2) –
Ob ich in Dir gejauchzt, geweint,
Ob Du mir Glück, ob Schmerz gegeben.

Ich liebe Dich samt Deinem Harme;
Und wenn Du mich vernichten mußt,
Entreiße ich mich Deinem Arme
Wie Freund sich reßt von Freundesbrust.

Mit ganzer Kraft umfaß ich Dich!
Laß Deine Flammen mich entzünden,
Laß noch in Glut des Kampfers mich
Dein Rätsel tiefer nur ergründen.

Jahrtausende zu sein! zu denken!
Schließ mich in beide Arme ein:
Hast Du kein Glück mehr mir zu schenken –
Wohlan – noch hast Du Deine Pein.
(イタリックは原著者)

 この詩の読解に入る前にまず山本尤氏の訳を紹介しておきたい。

生の祈り

確かに、一人の友が友を愛する
私があなたを愛するように、謎の生---
私があなたの中で歓声を上げたか、泣いたかどうか、
あなたが私に幸福を、苦しみをくれたかどうか。

私はあなたを愛する、あなたの深い悲しみともども、
もしあなたが私を滅ぼさねばならないなら、
私はあなたの手から身を振りほどく、
友が友の胸から身をもぎはなすように。

私は全力でもってあなたを抱く!
あなたの炎で私を燃やせ、
戦いの火の中で私に
あなたの謎をもっと深く突き止めさせよ。

何千年でも考えること!
二つの腕の中に私を囲め、
あなたは私に幸福を贈ることはない---
よろしい、あなたは今もあなたの苦しみをもっている。
(山本尤訳、『ルー・ザロメ回想録』、2006年ミネルヴァ書房、pp.33-34)


検討1 タイトルについて (*1)
 わたしはこの詩を読むのに随分苦労するのだが、ここは基礎に立戻って読んでゆくことにしたい。わたしにまずこの詩のタイトルからして分かりにくいものだ。そもそも「Lebensgebet」とはどういうことなのだろう? この合成名詞(Kompositum)はどう理解したらよいのだろうか? もちろん語の成り立ちを言えば「Leben」(生、生命、人生)と「Gebet」(祈り)の合成であるわけだが、後者の「Gebet」を動詞の「beten」(祈る)に引き戻すと、この「祈る」という行為にとって、「生」はどういう関係に立つのだろうか? これがわたしの疑問である。「für jn. beten」(だれだれのために祈る)とか「um et. beten」(何々のことを祈る)という表現がある。これらの場合、祈るのは神に祈るのだ。あるいはその「神」を表に出せば「zu Gott beten」という表現が出て来る。ルーの詩のタイトルの場合、「生」(Leben)は、この祈りに対してどういう関係に立つのだろう? 「生」を神のような位置に立てて、「生」に祈るのか。それとも、「生」のことを神に祈るのか。そしてここまで「Leben」を仮に「生」と訳して来たが、この詩はルーが故郷のロシアを離れ、チューリッヒに移った時に成立したと言われる(1)。それが真実だとすればこの詩は1880年9月ごろの成立となる。ルー・ザロメ19歳の時の作である。そこにはそれまで師であり恋人でもあったヘンドリック・ギロートから離れ、自立した自分の人生を送ってゆくための必死の思索があると見るべきだろう。「Leben」を友のように愛すること、その時「Leben」は自分の将来に待っているはずの人生をまず第一に意味しているだろう。自分の新たな人生への祈り、それがどれだけ苦に満ちているとしても、祝福されてあるように、という祈り。それが彼女がこの詩のタイトルに込めた思いだろう。それが誰への祈りなのか、神への祈りなのか、生への祈りなのか、それはほとんど判然としないが、それが生を越えた神を必要としない祈りであることは確かに見える。このタイトルの不分明さを見て、恐らくニーチェがそのタイトルを「生への讃歌」と変える。だがこのルーの詩に基づけば、このタイトルは素晴らしすぎるだろう。わたしなら「Gebet zu dem Leben」(生/人生への祈り)ぐらいに改めたいところだ。


註:(1) Lou Salomé, Lebnsrückblock, S.31。『ルー・ザロメ回想録』、p.33。


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《生への讃歌》5補足:

 『回想録』の中で、ルーはこの詩のタイトルの不分明さの弁明ともとれるような説明をしている。

>Wann und wo hört Eros auf - -?, gehört denn nicht auch das noch in den Abschnitt >>Liebenserleben<< ? Über mögliches Glück oder Unglück, Hoffen oder Bedürfen flutete die ganze Inbrunst der Jugendlichkeit dem >>Leben<< zu, ein objektlos-gemüthafter Zustand – der sich, wie Liebeszustände tun, sogar in Versen Luft machte.(S.31)

>いつ、そしてどこでエロスは熄むのか。この問題は「愛の体験」の章に属する問題ではないのではないか。ありうる幸福や不幸を越えて、また願望や欲求を越えて、若さの全情熱が「生」へと流れ込んで行った。それは、ある対象のない情緒的な状態で、それが愛の状態がおこなうように、韻文の中にも活動の余地を見出していた。(拙訳)

 ここで「生」と呼ばれている「情緒的状態」の具体形が、結婚に基づかない男女三人(ルー、レー、ニーチェ)による「共同生活」になってゆく。それは、詩の中で祈り懸けられる「生」とはまた違った、具体的な生活の形であるが、不思議なことに、その両者の中に一貫したものが感じられなくはないのだ。(2013.3.11)



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