ニーチェのビゼー論(1)(『ヴァ-―グナーの場合』抜き書き)

瀬谷こけし
 ニーチェの『ヴァーグナーの場合』(原佑訳、ちくま学芸文庫)からの抜き書き、他。

> 私は昨日---あなたは信用なさるでしょうか? ----ビゼーの傑作を聞いたが、これで二十回目である。私はまたもや穏やかに心を傾けて持ちこたえた、私はまたもや逃げ出しはしなかった。私の焦燥に対するこうした勝利に私は驚いた。そうした作品はいかに人々を完成させてくれることか! 人はおのれ自身がそのさい「傑作」となるのである。 (p.288)

> Ich hörte gestern --- werden Sie es glauben? --- zum zwanzigsten Male Bizet's Meisterstück. Ich harrte wieder mit einer sanften Andacht aus, ich lief wieder nicht davon. Dieser Sieg über meine Ungeduld überrascht mich. Wie ein solches Werk vervollkommnet! Man wird selbst dabei zum "Meisterstück".
(KSA, S.13)

*wie 以下拙訳。
> そうした作品はひとをどれほど完成させるものなのだろう! ひとはそのさいみずからが「傑作」になるのである。

*「そうした作品」:ひとを穏やかな気持ちで最後まで聴き通させるような作品。


> ---そして実際、カルメンを聞くたびごとに私は、平生思っているよりも、私がいっそう哲学者であるような、いっそう優れた哲学者であるような気がした。たいへん気長に、たいへん幸福に、たいへんインド的に、たいへん腰のすわったものになったような気がした……五時間坐りつづけていること、これが神聖さへの第一段階である!(p.288つづき)

> --- Und wirklich schien ich mir jades Mal, dass ich Carmen hörte, mehr Philosoph, ein besserer Philosoph, als ich sonst mir scheine: so langmüthig geworden, so glücklich, so indisch, so sesshaft… Fünf Stunden Sitzen: erst Etappe der Heiligkeit! (S.13)

*[sesshaft]:辞書に「定住性の、長っ尻の」。じっと腰を落ちつけている、というイメージ。


> ---私はビゼーの管弦楽の音色こそ、私がいまなお持ちこたえるほとんど唯一のものと言って差しつかえなかろうか? (p.288つづき)

> --- Darf ich sagen, dass Bizet's Orchesterklang fast der einzige ist, den ich noch aushalte? (S.13)

拙訳:
> ビゼーのオーケストラの響きは、わたしがまだ我慢できるほとんど唯一の響きだと言ってよいだろうか?

*[Klang]は「音色」というより「響き」。
*[aushalten]は耐える、我慢するという意味。ここでは他動詞として使われている([den]が目的語)。「持ちこたえる」という原の訳語は通じにくい。ストレートに「我慢できる」とか、「耐えられる」とか訳すのがよい。
 ここからビゼーと対比して、ワグナーの「響き」の批判に入り、ニーチェはそれをシロッコ(熱風:Scirocco)と呼んで纏めるが、そこは省略。





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