《自分の身体においてリズムを多数多様化すること》

瀬谷こけし
雪の残る愛宕山
画像
「民俗学」の採点が終り
久しぶりに写真を撮った



 例えばシュトックハウゼンの《短波》を十分に聴き取るためには、自分の身体の様々な部分を演奏の中の様々なリズムに呼応して多数多様に反応させ、且つまた先端を走るまだ演奏されていない音なきリズムを思考において踏んで行かなければならない。わたしはよく左右の10本の指を、それぞれの音に呼応させて聞いているが。例えば右手の人差し指をコンタルスキーのピアノに呼応させ、中指をフリッチェのビオラに呼応させ、左手の中指をボージェのエレクトロニウム呼応させ、かつ左手全体をアリングス/ゲルハールのタムタムに呼応させ、かつ左右の手を短波ラジオから流れる/流れた音に呼応させ、等々。しかもそれぞれの奏者が、多数多様なリズムをおのれの音の中に内在させ、潜在させて、切っ先を示しているのだ。その全体に反応すること自体、大変なリズム把握になるのだ。二拍子、三拍子、四拍子、五拍子という単純なリズムに全身を合わせる、というような単純な反応の仕方ではとうていシュトックハウゼンを聴き取ることは出来ないし、この世の中のリズムを聴き取ることも出来ない。単純な拍子に自分をあわせるという教育をしていれば、単純に従属する人間が作れるだろう。だが例えば、そんな単純な反応大系でボクサーが世界チャンピョンなどになれるはずがない。例えば腰の一瞬の動きだけで四拍子のリズムなどは簡単に取れるのだが、それが読み取れない人間が多い。実際そんな単純なリズムで全身を動かしていたら、1分ともたずにKOされてしまうだろう。はるかに細分化された多数多様なリズムを自分の身体のうちにもたせ、相手には読めないリズムでパンチを繰り出すことの出来る者だけが、勝利するだろう。ひとりのチャンピョン・ボクサーの身体の内には、実に多数の複雑なリズムが内在しているのだ。そしてこれはボクシングだけの話ではない。自分の身体の中に多数多様なリズムを潜在させまた顕在化させる、そういうことを可能にさせるリズム教育が必要ではないだろうか。軍隊の行進をモデルにして人間の身体をリズム的に単調化する教育はごくごく小部分にとどめておかなければならない。




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