《宮沢賢治の修羅 ノート10 「春と修羅」》

瀬谷こけし

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詩「春と修羅」の作品紹介と若干の注。


  春と修羅
    (mental sketch modified)


心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管(くわん)楽(がく)よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖(せい)玻璃(はり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
               (一九二二、四、八)


注:
1.この詩では春の鳥の声を聞き、またカラスの飛び発つ音を聴かなければならない。
2.この詩は、激しく気候の転変する一日に詠まれたものではないか。詩の中でも何度か転変を見せる。
3.おれはひとりの修羅なのだという自覚、地上はからみあう諂曲模様、天上には聖なる玻璃の風がゆきかよう、そのような風景の中に短からぬ時をいて、そしてひとつ落ちついて、(「あたらしく」)自分の生きる生き方を見出す。それが「このからだそらのみぢんにちらばれ」という欲望であり、この詩は、この見出されたただ一つの欲望を定着させるべく書かれている。仏教では「無有愛」と言われるであろうが、この欲望が喜びとともに見出されている。それは単なる非存在への願望ではなく、そら(宙?)の微塵となって散らばることによる宇宙との合一の喜びであり、それへの願望である。
4.これが「ひとりの修羅であるおれ」にとっての唯一の出口か?

5.もう一つの方向線。それは修羅が樹林に交響することから見出されて来るはずの方向だ。この交響において修羅と樹林が相互的に率先して交響のリズムを純化し、強め、高めて行く方向があるはずだ。---直観音楽の方へ。




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