《さらば津軽と…》

瀬谷こけし

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 8月25日午後、三日間の授業を終え、さらに私の感じるもっとも恐ろしく津軽的なものを数人の学生と今回も授業の手伝いをしてくれたSAに伝えるべく、十三湖近くのある神社に案内した。ここに初めて、たまたま立ち寄った時から、もう25年が経った。その後その時の一人が死んだ。

 今回連れて行った人たちの誰が、何ほどのものを感じてくれたかはわからない。川倉地蔵をはじめ、五所川原のあたりには、恐るべき場所が、今日もなお幾つも残っているに違いない。そうして恐るべきものが、内面にとざされることなく、恐るべき公共財となって存在していることは、むしろ健全な文化の形でないかと思う。

 ともあれ、それで私の津軽での仕事は終わった。

 翌日26日のことは何も決めてなかった。27日の13時30分までにレンタカーを返すこと以外は。下北の恐山や横浜町に、行こうとすれば行けないことはなかったが、どうも気が進まなかった。むしろ、津軽に挨拶をして(暇乞いをして)、津軽を去ろうと思った。目指したのは青荷温泉と酸ヶ湯温泉。酸ヶ湯は、長野隆に呼ばれて最初に津軽に行ったとき、八甲田のある山から下りて、大きな湿原を通って、突然出た場所だった。その驚くべき大きな建物。津軽と私の最初の縁となるような場所だった。そしてここは彼が最初に十和田湖を案内してくれた時、帰路に通りかかった場所でもあった。あの「鳥になれ」を掛けながら走ったブナ林の道。青荷温泉を案内してくれたのも、長野隆、岩井康頼だった。ここでは昔寺があって、らい病患者のケアーをしていた、という話も長野から聞いた。
 今回青荷温泉に入浴してきたが、それについては別に記したい。これまでのいつよりも気持のよい入浴と散策ができた。
 その後城ヶ倉大橋から酸ヶ湯へ。この大橋は同僚の藤村克裕との思い出が強い。この雄大な津軽の森の景色を学生にも見せたいとずっと思ってきたが、授業に組むことは結局できなかった。
 気持では、この橋を渡って、津軽と離れた。

 拙詠一首:
> 雑木にまじりて円き朴の葉にさらば津軽と幾そたび呼ぶ

 歌を一首詠むことが、わたしには最高の別れの形なのだ。




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