《学園葬》

瀬谷こけし
 昨日京都造形芸術大学春秋座で徳山詳直前理事長の学園葬が行われ、参列した。冒頭の松平定知さんの朗読「京都文藝復興」に強い感銘を受けた。何度も読み、聞きしているこの文章だが、この度の朗読は、かつてなく、隅々にまで厳しいまなざしの加えられた朗読だった。そこから見えて来たことがあった。
 理事長は優れた戦略家だった。だがその戦いは、世の常の、既得の財や権益の配分をめぐる戦いではなかった。既存の集団の頂点に立って、既得の権益や財を守り、拡大して行こうとする戦いではなかった。むしろ、新しい財を打ち建てようとする戦いだった。その新しい財は、「芸術」と名づけられたり、「文藝復興」と名づけられたりした。だがそれが何なのかは未だよく分からない。おおよその輪郭で名づけられたものだった。
 わたしの考えでは、彼が「芸術家魂」という言葉を使い始めた時、その求めていたものがはじめて具体的になったと思う。その意味で言えば、千歩ある道のりの、まだ数歩、あるいは七八歩しか進んでいないと思う。例えば「芸術立国」という標的。まだまだ矢が届く所までに達していないと思う。
 このことを理解しておきたい。


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