《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ--- 退任特別講義「哲学の時」


《ニーチェから賢治へ ---献身と計算》 レジュメ
退任特別講義「哲学の時」
2015年3月21日 京都造形芸術大学人間館NA412

瀬谷こけし


第一部:ニーチェの語る「神は死んだ」という不思議な事件
1.ニーチェはそれをどう語っているか? 
a. 自覚することなく彼らは神を死なしめた:神を死なしめること、それはかれらにとっては最も遠い星よりも遠い事件であるが、にもかかわらずかれらはそれをやってのけた。(『喜ばしい知識』125)
b. 神とは世界がこれまでに持った(besass、有した)最も神聖な、最も強力な存在であった:ニーチェはそれが創造神であったとは言っていない。しかし「最も強力な存在」という性格付けの中には「すべてを見る知」が含まれている。「一切を見た神、人間そのものをも見た神。このような神は死なねばならなかった」(『ツァラトゥストラIV』)。
c. 神の死の後のわれわれのなさねばならぬこと:然るべき「贖罪の祭式」「聖なる遊び」を考案すべき事。
d. わが国における神の死の思索。私の立場:伊東静雄、山中智恵子
e. 聖なる遊びとポトラッチ:


第二部:宮沢賢治のポトラッチ
a. 賢治の見た贈与の深層:「祭り晩」の亮二の熱狂。競争的贈与の狂気に捕われた亮二。贈与の競争的狂騒。ポトラッチ。
b. 競争的贈与の狂気からの戻り道:神的な説得。長い目で。計算。倫理的利己主義。拉鬼。
c. 死によって返済不可能になる贈与:賢治にはこの問題考慮が乏しい? ジョバンニはカンパネルラの死によって返済不可能になる贈与に苦しむことがない。
d. 生命の贈与と生命の価値の計算:「なめとこ山の熊」「グスコーブドリの伝記」における生命の価値の計算。利己主義的計算と全体主義的計算を越えた所で、また競争的全体給付の熱狂(ポトラッチ)を越えた所で、「生への讃歌」となる計算は存在しないか?




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