《ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学》

瀬谷こけし

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 小沢秋広氏の訳したこの本は1999年12月9日に買って、そのまま本棚に置きっぱなしにしていたものだ。今日(2015年12月7日)までただの一頁も読んだことがない。いずれ役に立つ日が来るかもしれないと思って買っておいた本だ。そして目さえ通さなかった理由はこの本のタイトルにあった。『ひとつの出来事の哲学』。日本語でこのように書けば「ひとつの」は「出来事」にかかるものとしか読めない。しかしフランス語では「ひとつの」は当然「哲学」にかかる。このタイトルから、わたしには訳者の、流行かぶれの教養の乏しい人物像しか浮かんで来なかったのだ。タイトルはむしろ単に『出来事の哲学』もしくは「ひとつの出来事哲学」とした方がよかっただろう。しかし、そこを我慢して、訳者の序を読みはじめてみると、すぐに一つの洞察を与えられた。それは「と」という方法のこと。そして[intéressant]という語の理解についてだ(p.13)。わたしは私の書いたある映画(フェリーニの作品)についての小論をドゥルーズから[avec grand intérêt](大いにintérêtをもって)読んだ、と言ってもらったことがあった。小沢氏の論に照らしてみると、ドゥルーズはわたしの小論に何らかの大きな「利害」を賭した関心をもってくれたことになるのだ。小沢氏のこのような洞察は、主として『ニーチェと哲学』を読んでドゥルーズと共感しているわたしにとって、大変納得の行くものだった。小沢氏は、少なくとも、歌謡界のスター・システムに似たこの国の「言説装置」(p.26)のスター達とは違った、自分自身の関心をもって思考をしているひとだということは理解できた。
 今わたしはドゥルーズに精通しようとは思っていない(もうその時間がない)。彼の『千のプラトー』の中のシュトックハウゼン論については物足りなさを感じており、生前その点を論じてお伝えしたかったのだが、それをする前に亡くなられてしまった。ともあれ、わたしはドゥルーズの隅々にまで精通したいとは思わず(そんなことは誰もしていない)、その何らかの核心を掴み、それをわたしの戦いに利用したいと思っている。ドゥルーズに対しては、そのような利用の仕方こそふさわしいと思う。この本からも、また使える武器を読み取ってゆきたいと思う。






ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学
河出書房新社
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