《折敷地の猟師橋本繁蔵》

瀬谷こけし
 折敷地は橋本繁蔵さんの小屋があったところだ。この2月3日、彼がいれば熊狩りに連れて行ってもらう時期だと思いながら、久しぶりに折敷地に出かけた。繁蔵さんが亡くなってからはじめて折敷地行きだった。行けば昔ながらの丈夫そうな飛騨の家々が変わらずにあって、とても安心した。このような建物たちがなくなったらわたしはとても飛騨をイメージできなくなってしまう。この雪や寒さに耐える丈夫な家々、蔵、作業小屋等々。
 写真の小屋は、繁蔵さんが熊狩りに出るとき出発点にしていた小屋だ。わたしは2001年から11年間、毎年熊狩りに連れて行ってもらっていたが、わたしもここで寝て、朝、山に向かったことがある。高山から出るより30分は早く山に入れる。この小屋から歩いて二三分のところにスノーモービルを止めていて、そこから一時間から一時間半ほどモービルで雪山の道を登って、止め、そこから歩いて熊穴に向かうのが通例だった。雪道と言っても二三メートルは雪が積もっていて、その前に何度もスノーモービルで雪踏みをしているから早く行けるので、雪踏みからやらなければならないときは止め場所まで行けないことが多い。止め場所になるような少し広さのある場所が何か所もあるわけではなく、しかしそういう多少とも広い場所でないと、モービルの方向転換をすることができず、方向転換は実際至難の業なのだ。雪はいつも相当やわらかい。そうした少し広いところの停車場所を作るために、繁蔵さんが何度も何度もモービを前進・後退させ、少しずつ雪を固めて行っているところを、わたしは自分用のモービルに乗ったまま、感心して、また半ばあきれて見ていたことがある。10回20回ではない。もういいだろうと思ってもさらに踏んでいた。30回を越え、さらに40回を越えたのでわたしは数えるのをやめた。そうして出やすい方向に方向転換してモービルを止める。その後でわたしが自分用のモービルを止めようとするのだが、とりわけバックでは雪質を感じながらの微妙なアクセルワークが必要なのだが、それをうっかり吹かし過ぎて、クルーラー(後輪)が雪を掘って、あっという間にもぐっていってしまった。前進させようとしても動かない。大失敗だ。繁蔵さんが代わってくれるが、もはや彼でも脱出ができない。そうなったときには普通はスコップを取り出して(スコップは必需品だ)前の方を掘って、高さの差をなくして、脱出を図るのだが、このときはそれでも脱出できなかった。このときはどうしたか。繁蔵さんが三四センチほどの太さの葉っぱの付いた枝を数本伐ってきて、クルーラーの下とソリの下に入れるのだ。もちろんのことだが、下に入れるためには、モービルの隣のスペースの雪を、潜ったモービルと同じ高さまで掘らなければならない。その作業だけで30分以上の時間がかかり、体力を激しく消耗する。彼の数十回の雪踏みも、わたしのよううな下手なライダーを連れているときには、十分ではなかったのだ。少し言い訳をしておけば、わたしが貸してもらっていたモービルはツーサイクルのエンジンのもので(多分バイクのRZ350と同じエンジン)バックでの微妙なアクセルコントロールは相当難しいものだった。繁蔵さんは650ccのフォーサイクルのモービルを使っていた。そんな風に、繁蔵さんには、山への入り方のなにもかもを助けてもらいながら教わっていった。雪の中でモービルが立ち往生してしまったことも何度か。一度はシャワリ(V溝)を越えるときにアクセルを吹かし過ぎて、モービルから振り落とされ、その自分のモービルに左足太ももを轢かれてしまったことがある。下が雪なのでたいした傷にはならなかったが、少し出血もして、踏まれたところは後でアザになった。モービルは横倒れのまま三メートルほど走って止まった。繁蔵さんたちは気付かずに先に行ってしまていて、ともかくわたしは自力でモービルを脱出させ、道に戻し、動かさなければならなかった。---自力ではなかなか脱出できなかったが、それなりに脱出に近づいていた。30分ほどして繁蔵さんたちが戻ってきてくれて、三人でソリの前方の雪を掘って、脱出できた。こんな風にいつも足を引っ張っていたが、繁蔵さんはあきらめることなくわたしを連れて行ってくれた。

 この2月3日は、丹生川ダムが完成していて、折敷地の在所からも壁のように、高いコンクリートの建造物が見えて驚いた。それが丹生川ダムだということはすぐに分かった。ダムは2014年の6月から放水も始めているということだった。車でダムの下まで行き、また上まで行ったが、繁蔵さんが生まれた五味原はまるまる、すっかりダム湖の下だった。生村生雄さんの科研の調査で数人でおじゃまして、熊狩りの初歩的なことを学びながら繁蔵さんたちとモービルに乗って走り回って遊んだところも、まるまる湖の底に沈んだ。そして狩りに行くときいつもカモシカが見下ろしていた山はちょうどダムの上辺が山と接するあたりだった。橋本繁蔵の死は、どんな新聞にも一行も書かれていないかもしれない。けれど彼はすごい男だった。猟師の名にふさわしい、飛騨の猟師の名にふさわしい男だった。飛騨弁でいう「きつい」男でもあった。彼に言い負かされて恥ずかしい思いをした人間もきっと少なくなかっただろう。そのために買った恨みもあっただろうと想像する。何しろよくできる人で、言葉と行動が完全に一致していた。山とか熊狩りに関してはなおのこと厳しかっただろう。折敷地、そして丹生川の山々、時には上宝の山にも入ったが、そこらはわたしと繁蔵さんの遊び場だった。こよない、この上ない遊び場だった。

 この繁蔵さんの折敷地の小屋の中には彼の自作のかんじきも見えた。少し青いのがそれだ。ギアを作る素材で作ったもので、材料費だけで二万円するといっていた。少し重いが、これが雪の中で雪がくっつきにくく、最高だということで、山に入るときにはわたしにも貸してくれた。実際かんじきを靴に留める紐にも工夫が必要で、雪がまつわりつくととたんに重たく、また煩わしくなってしまう。彼はビニールハウスに使うテレビアンテナの平行フィーダー線によく似たものを使っていた。確かに具合がよい。わたしは自家用のものもビニロン紐からその平紐に変えた。そのようにして細部に至るまで研究熱心な男だった。そしてそれを自分で開発する技術と知識があった。煙草のことだけは考えが合わず、そのことで二度けんか別れになった。その二度目のけんか別れをそろそろ解消して思っていた時、彼の死亡の知らせが入ってきた。葬儀にわたしは参列させてもらったが、彼の猟師仲間は見たところ一人も来ていなかった。出来すぎる男だったと、見る人には見えただろう。それを見たくなかった人間が、飛騨にも多かったのだろうと思う。



折敷地集落・背後に巨大なコンクリート建造物
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家と蔵
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繁蔵小屋
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かんじき
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いちいの木
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丹生川ダム
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猟期には場面右下の道路の端に2台のスノーモービルをとめていた
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湖水の奥の方が五味原集落のあったところ
後ろの山の奥の方で狩りをした
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このあたりよくカモシカがいた
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ダムの放水路を上から
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恵比須の湯
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 橋本繁蔵のような男はまた現れるのだろうか? あれほどのきつい男が? ---多分また生まれてくる。どこかに。夕光とともに立ち上がる雲をみていて、そう思った。それは飛騨の地にではないかもしれないが。



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