《ポルヴェリエラ通り6番》

瀬谷こけし
《ポルヴェリエラ通り6番》
 午前中で、明日からのシチリア行きの飛行機と宿の手配ができたので、午後からあのマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク女史の住居のあったポルヴェリエラ通り6番の地を探しに出かけた。一昨日とは違う通りを通ったので、「明日香村」は通れず、少し道に迷った。今どこにいるかを確認するのが、いつも難しい。ある広場のベンチに腰掛けて、地図を開けて確かめ始めると、隣に座っていた女性が「ツーリストで道を探しているのが」と(たぶん英語で)声をかけてくれた。ここに行きたいのだと、「Touring Editore」の地図を何度か折りまわして示すと、ここはこの広場で、これがこの通り、この通りを左の方に行って先でまた尋ねなさい、とこれもたぶん英語で指示してくれた。その人は英語とイタリア語しか使わなかったのでよくわからないが、現地在住の日本人だったかもしれない。40代と見える、知識も力も十分に身についた、実力十分の人に見えたが、さすがにPolveriera通りは知らなかったようだ。その人の指示に従ってゆくと、前方にコロッセオが見え、まず間違えない案内だと思って行くと、その先左手に公設のツーリスト向けの案内所があったので、念のため入って尋ねた。地図のそのページはずっと見えるように折って、それを差し出して尋ねたのだ。相談に応じてくれた女性も、ポルヴェリエラ通りは知らなかったようだった。地図を見て、「あなたは間違っていて、その道を右へいてもう一度右だ」と教えてくれた。だがそれはさっきの女性の教えてくれた方向とは正反対だ。礼を言って、フォーリー・インペリアの大通りに戻り、地図を見てもう一度考えたが、どちらも正しい案内かもしれないが、どこでどう曲がるかを考えるためには、先の女性の教えてくれた道の方がわかりやすく思えた。まさにコロッセオのところを左に曲がるのだ。言ってみれば坂道の階段を上がることになるが、この順路の方が確実に目的地に近づいている感じがある。果たして坂を上がった広場のまわりの道を一つずつ地図と合わせて確認してゆくと、ポルヴェリエラ通りはほどなく見つかった。そこもゆるい上り道になっているが、左手に8番地はすぐに見つかり、9、10と番号は上がっていって、終わりは18番、右側は30番、40番台だった。マルヴィーダの家は今や地番も明示されていない。とはいえ、数階建てのアパートの並ぶところなので、別に問題はないのだろう。そしてその6番地と思しきガレージの前に立つと、そこからはオクタビアヌス凱旋門が見え、そしてほんの二三メートル下がるだけでコロッセオが四五十メートル先に見える。これがマルヴィーダの家で、ここにニーチェも立ったことがあるのだ。後にニーチェはホラーチウスの言葉を借りて、ローマを動かす精神を「aere perennius」(青銅よりも永遠なる)ものを打ち立てるという精神として語るが、その出発点はこの1882年4月26日のマルヴィーダ宅訪問にあったと言えるだろう。わたしもこのニーチェのローマ精神の理解を、考察の基本にしておきたい。
 ちょっと疲れて、そしてひとに話を聞きたくて、ポルヴェリエラ広場で、店員の呼び込みに誘われるままに、あるバールに入った。たべものはよかったのでカフェラテを一杯たのんだ。飲みながら店員に少し尋ねる。ポルヴェリエラ通り6番はすぐそこにある、ということ。番地表示がなかったが、と尋ねると当惑していた。それで150年ほど前にマルヴィーダ・フォン。マイゼンブークという女性の家がそこにあったはずだが、何かわかるかと問うと、さっぱり知らないという話になった。それで勘定を受け持っていた女性はフランス語ができるということなので、その女性に「1882年にマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークという女性がそこに住んでいたが知っているか?」とフランス語で丁寧に尋ねると、その女性は「言っていることがわからない」と言った。
 ---これでは、話のつなぎようがない。そこでわたしは「フィリードリッヒ・ニーチェがこの辺りを通ったことがあるのを知っているか」と尋ねなおした。これにはさすがに「知らない」とも「わからない」とも言わなかった。彼女は、「フレデリック・ニーチェ、フレデリック・ニーチェ」と何度か繰り返した。他の店員もそれぞれ、どこかで聞いたことのある呪文のように、「フレデリック・ニーチェ」「フレデリック・ニーチェ」と称えはじめた。---このとき、彼らのだれも、その事実のことは知らなかっただろう。---しかし、おそらく一年もしないうちに、ここはニーチェが歩いた道だ、と、彼らは店の宣伝に利用してゆくようになるのではないだろうか? ニーチェが、ルー・ザロメに会いに、このマルヴィーダの家に来て、彼女が、パウル・レーと一緒にサン・ピエトロ寺院に行っているということを聞いて、そこへと急いだことは、決して小さな意味の事柄ではないと思う。いわばその大聖堂の存立の意味を秤にかける思想が、いわばこのポルヴェリエラ通りのマルヴィーダの家を経由して生まれていったのだ。キリストの12のステーションについて語るなら、アンチクリストの12のステーションについても語りえるだろう。マルヴィーダの家はそのひとつのステーションになるはずだ。
 
 今日は昨晩から強い風が続き、午後3時半ごろから、雷をともなう強い雨が降り、霰も降った。わたしはそれから歩いて、コロンボ通り(Colombo)に達し、そこで降られ、714番のバスでテルミニへ戻った。



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