《『なめとこ山の熊』のし残した二年間の仕事》

瀬谷こけし


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 どうしても伝えなければならない。宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のなかの二年で片付く「し残した仕事」のことである。『宮沢賢治の心を読む(I)』の中で草山万兎は「やり残した仕事」とは何でしょう、と問い、それに次のように答えている。

>たぶんこの熊は雌熊で、お腹の中に赤ちゃんがいたのではないでしょうか。二年あれば、子熊が乳離れして独立して暮らすことができるから、それまで待ってくれということなのでしょう。

 この草山の答えにわたしは基本的に賛成である。この問題については前に述べたことがあるが、日本のツキノワグマは大体冬眠中の1月の末に子を二つ産み、それから二回(翌年と翌々年)母子で同じ穴で冬眠をし、そしてその次の五六月に「イチゴ別れ」と呼ばれる別れをして、母子が独立してゆくからである。わたしはそれを飛騨丹生川村出身の熊狩りを専門にする猟師橋本繁蔵氏から聞いている(1)。
 また、この問題については、すでに野本寛一が『近代文学とフォークロア』の中で草山と同じ見解を示している。実際、この民俗学的な解釈以上に、「熊のし残した二年間の仕事」を、合理的に説明する説はないであろう。わたしはそのようなものを見たことがない。多くの論者は、この「二年間の仕事」については何も触れずに、敬遠して逃げるというのが通例である。熊のし残した仕事としての子づくり、子育ては、狩猟民俗について多少とも関心のある人なら、津軽・暗門の滝の「ショウゾク伝承」として周知のことである。ショウゾク伝承では、雄熊がし残した仕事として、七つの山に七つづつ子を作るということがまだ未完の「し残した仕事で」、そのために猟師ショウゾクに対して、もう三年待ってくれと頼むのである。このことを『なめとこ山の熊』を論じる者がたいてい知らず、敬遠ばかりしているのは残念である。賢治が、こっそり目撃した「子育て中の親熊の子熊に対しての語り」以外では、熊の語りに性別の差を設けていないのは、子産み・子育てに関係する場面以外では(主人公小十郎にとって)熊との対応に性別の差を設ける必要がないからである。この「ある夏の熊」が雌熊ではないと主張する者があるのなら、その主張の根拠をはっきりと示してもらいたいところである。


(私事、目下出先であり正確な出典を調べられない。出典その他は後日明示する)



(1)
この熊との遭遇が「夏」と設定されていることは、交尾の後と考えるか、それとも生後半年の子が傍にいる状況なのか、という点で、またツキノワグマの子育て期間についての異説も絡んで、多少複雑になるのだが、ここではただ、今から二年で子育てが終わり、子たちを独立させられる、という母熊の出産育児にかかわる母熊の「仕事」として軽めに押さえておくにとどめたい。




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