《「貝の火」のホモイ大将の誘惑》

瀬谷こけし


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 「貝の火」に関しては草山万兎『宮沢賢治の心を読む(III)』の読み方にとどまりたくない。子供に対する寛容の必要性と善い心と悪い心の戦いというような読みのことだ。それはそれで少しも間違いではなく、作品のエッセンスもそこにあると思うのだが、それ以上に中身のない権力感情の問題提起としてわたしにはとても興味深い作品だ。兎の子ホモイは、自らの身のことも考えずに溺れかかっているひばりの子を助ける。後にそのために「私どもの王」から「貝の火という宝珠」を「贈物」としてもらう。「私どもの王」の「私どもの」がどの範囲を指しているかはっきりとは分からないが、「一生涯満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだ」と言われているところからするとおよそ動物界全体ぐらいの拡がりのようだ。そしてまた非常に失いやすいもののようだ。
 わたしが注目したいのは母から「お前はもう立派な人」になったのだと言われて、自分はもう大将になったような気分になって、母に「僕もう大将になったんですか」と尋ね「まあそうです」と言われて、すっかりその気になってしまうところだ。ホモイの愚行が始まるのはそこからだ。その愚行は、いろいろな動物の序列を、軍隊の位階にならって、自分で決めて任命すること(ができると信じてしまうこと)にあるのだが、この序列付与は、予想通り仲間びいきのものになってしまう。「自分は大将だ」と思うことからはじまるこの愚行はやむことがない。
 ここには賞罰を位階序列の上昇/降下によって行うディシプリン型権力の特徴があるとともに、弱いものの方が偉いとするキリスト教型の権力の性質ももっている。
 作品「貝の火」は、この愚行を子供時代の愚行として寛容に対応するのであるが、しかしあるべき権力についての思索もなく、強者と弱者を逆転させる(ホモイのふるまう)空疎な権力像に対する(ニーチェのような)明確な批判もない。それでありなが権力への欲望や権力をもつ愉悦感は克服されることなく放り出されているのである。「大将」の誘惑は世に止まない。(さらに言えば太宰治のようにそれを見下す津軽の誇り高い文化もそこにはない。)もっともホモイの父親は権力の魅惑に惑わされない賢明な目をもっているように見えるが。






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