《タウテンブルクへの旅が終わった》

瀬谷こけし

 朝10時57分の電車でドルンブルクの駅を発ったところで私のタウテンブルクへの旅は終わった。1882年といえば134年前ということになるが、その年の8月26日にルー・ザロメもまたドルンブルクの駅を去り、その翌日にはニーチェもここを発った。彼らにとっては、この先にまだつながっている共同研究の企画があった。それを台無しにしたのは嫉妬に駆られて手が付けられなくなったパウル・レーだった。そのころのレーの手紙は、幼稚で、どうしようもない。ああいう手紙を見れば、ルーの心もレーから決定的に離れるだろう。利用価値はなくはないにしても。それらのことについてはいずれ書いてもいい。大して値打ちのあることではないが。

 今回の旅ではっきりわかったことは、オルタ湖畔のモンテサクロの山への細道と、タウテンブルクの城山への細道が、彼ら、ニーチェとルーの中で、はっきりつながったことだ。道の片側の三、四センチの平石を重ねて作った擁壁の印象や、上り道を上がりやすくする道の工夫、そして片側に広がる草地など、印象は重なる。それだからこそニーチェはこのとき、
>monte sacro, --- den entzückendsten Traum meines Lebens danke ich Ihnen.
という言葉を漏らしたのだ(ルーからレーへの8月14日の手紙日記)。

 ルーは手紙日記の中で、レーに、自分がニーチェにどれほど心惹かれ、また同時にどのように求めることが異なっているか、全力で分析し、それをレーに伝えるべく書き留めている。このルー・ザロメの誠実さはまことに感嘆すべきものだと思う。だがどのように見てもレーは小物過ぎた。わたしにはそれ以外の言葉が浮かばない。もっとも本質的な戦いをしなければならないところで曖昧な既得権のようなものに縋りつくだけの男に、本質的な魅力はないだろう。

 ともあれ、彼ら(ニーチェとルー)にとっては実に楽しく、また実に厳しい20日間だっただろう。それがタウテンブルクの日々だった。

 わたしには4泊5日のタウテンブルクだったが、ニーチェが泊まっていた農家の家(今ニーチェ・ハウスと呼ばれているところ)とルーとエリザベトとが泊まっていた牧師館が、どんな道をたどってどのくらいで行き来できるものかということがはっきりわかったこと、そしてたくさんの森と森の道に囲まれたどんな楽しい散歩ができるか、どれほど自然が、光や風や緑やらが楽しめるかということ、それがわかったことでもう十分だった。山城の近くのベンチで、また牧草地の上に置かれたニーチェ・ベンチと呼ばれるベンチで、彼らのものを読みながら何度かうつらうつらしてしまったこと、それほどに快適さに満ちたタウテンブルクの村に、四日余りの日を過ごせたことは、なんという幸せだっただろう。この快適さは、ニーチェにも、ルーにも、残したことになっただろう。わたしにはしかし、ルーはこのとき、もう一歩深い成長の機会に向かわなかったように思う。そこにあった機会。この村の美化協会が立てている牧師館の説明記事の中に、ニーチェは時々夜中に濃いコーヒーを牧師の奥さんに注文して、ルーとの検討会に至誠を以て応じようとしたのに対して、ルーはちょっとアルコールをひっかけていた、と書いていたものがあった。ルー・ザロメについての新しいドイツの映画が今イエナで上映されているとトムから聞いた。すぐにワイマールでも上映されるだろうと言っていた。だが、ルーはタウテンブルクを次につなげなかったことで、もう終わっていたと思う。実際ベルリンで研究仲間に加わってみれば、レーが小物で、その存在にほとんど魅力がないことはすぐにわかったことだろう。アンドレアスに惹かれるところも実際あっただろう。だが何だというのだろう。彼女はもうニーチェのそばに輝くことはなかった。そののちリルケを見出したとしても、彼はルーとの関わりの中で、自分も自立しようと、ニーチェと必死で戦っていたのは『時祷集』を読めばほとんど明らかだろう。だが彼らの歴史は彼らの歴史でいい。ともあれタウテンブルクの旅は終わった。今はワイマールの町を見下ろすシェーネブルクという村のなかの宿にいる。こうして眼下にいっぱいに広がる野や畑を見ているとドイッチュ・ラントという言葉がなぜか浮かんでくる。それは何を意味する言葉なのだろう。ただ、ここの土地と関わり、ここの土地を耕して生活を組み立ててきた人々のこれらの土地への愛情のようなものが何となく伝わってくる。そして何の詩かは忘れたが、ヘルダーリンはドイッチュ・ラントという言葉を何度か使う。彼はドイッチュ・ラントの詩人たらんとした。それだからこそ聞きたいのだが、ドイッチュ・ラントとはいったい何なのだろう。何だったのだろう。

 ほとほとに疲れて、もう町や、近くの店にものを買いに行く気力もなく、二三日前に、宿で昼食用にともらったパンをひとつ齧って夕食としよう。その宿は「ガストハウス<ツア・タウテンブルク>」(Gasthaus “Zur Tautenburg“)という名前だ。素晴らしい日々を過ごさせてもらった。


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