《新年を迎える前に》

瀬谷こけし


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(in Leipzig-Plagwitz)


 2016年を回顧しておきたい。この年はわたしにとって近年でもっとも豊かな年だった。それは主に2月3月の四週間にわたるイタリア旅行、そして8月の三週間のドイツ旅行によってもたらされたものだ。このどちらの旅も、1882年のニーチェの生と思想の探究のために欠かすべからざるものとして行ったものだが、そこから得たものは実に大きなものだった。それはニーチェ研究の視野で言えば、ルー・フォン・ザロメとニーチェとの関係の細かな真実がほぼ掴めるようになったことだ。例えばこれまで日本の研究者で、1882年夏のタウテンブルクでの彼らの共同研究で、ルーの宿泊していた牧師館とニーチェの泊まっていたハーネマンの農場とがどのくらい離れていたかを知っている人がひとりでもいただろうか? ニーチェ/ルー関係について言及している研究者でそれを知って語っているひとの姿がわたしにはひとりも浮かんでこない。---そしてこのニーチェ/ルー関係こそ、ニーチェの主著と言うべき『ツアラトゥストラはこう語った』を生み出した坩堝なのである。あまりにもブッキッシュな知識でこれまでひとはニーチェを論じてきたとわたしは思う。

 ニーチェ研究の場を離れたところでもこれらの旅行がもたらしてくれたものは多い。シチリアについての多くの関心もこの旅行から生まれた。それまではヴィスコンティの『揺れる大地』や、バッハに擬せられるフルート曲の「シチリアーノ」ぐらいしか、それにあえて加えればギリシア世界の中でのシラクーサやエンペドクレスのエトナ山のほかには知ることがなかった。それが、カターニアでの経験がわたしにシチリアへの関心を大きく開いてくれた(マフィアをも含めて)。カラバッジョへの関心もメッシーナの美術館での経験から広がっていったと言える。

そしてローマをはじめとした各地でのマリア敬慕とフランチェスコ敬慕のありさまにはヨーロッパ世界のいわゆるキリスト教信仰のより深いところにあるほんとうの複合的な実体を推知させた。ローマ世界からドイツ文化を見るというこの視野は、とても多産的なものだと思う。わたしがゲーテに広い共感を持つようになったのも彼の「ローマ悲歌」に表れるローマ精神への共感を共有しているという思いからだった。ローマを経由してゲーテを発見した、と言うのが、わたしの場合正しいと言えるだろう。

 そしてゲーテによって、ドイツ精神をわたしは学び始めている。それは現代のベルリン問題にまでつながる。現代のロック歌手、ウド・リンデンベルクの再発見もいわばゲーテのおかげだ。

 そして夏のドイツ旅行は、ワイマール、ライプツィッヒ、ナウムブルク、タウテンブルク、ドルンブルク、イエーナ、そしてベルリンなどの旧東ドイツ(DDR)各地の独特な精神世界の深さや伝統を驚きをもって感じさせてくれるものだった。各地で話し相手になってくれた人すべてから多くのことを学ばせてもらった。

 来る2017年は、さらに追加的な勉強をした上で、しかるべき論文をいくつか纏めてゆきたい。




====== 補足2017.1.2 (写真説明を兼ねて)======

 ライプチヒ市内ではあるがプラークヴィッツは移民の多い町に見えた。そしてレイシズムこそが問題だと住民自らが訴える。旧市街で写真を撮っているときに話しかけてくれたおじさんの勧めに従って、プラークヴィッツに行ったおかげでドイツの、そしてライプチヒの別の面が見えてきた。ベルリンでも、そして弘前でもそうだが、私の足は導かれたように貧しい町に向かっている。



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