《1883年2月13日---『ツァラトゥストラ』の誕生》

瀬谷こけし


画像

写真はジェノヴァから東の半島を遠望。この半島の東端がおそらくポルト・フィーノで、半島の東側付け根の湾がラパッロ)

 ニーチェとルー(フォン・ザロメ)がタウテンブルクに滞在していた1882年8月13日から6か月が経っていた。この日二ーチェは『ツアラトゥストラはこう語った』第一部を完成させた。書き始めたのは2月3日だったという。10日間で書き上げたのだ。書き上げたのはイタリアのラパッロ(Rapallo)だった。
 去年の8月、彼らがタウテンブルクに滞在していた時期に、わたしはタウテンブルクで4泊したのだったが、その日からニーチェがたどった凄まじい6か月の苦悩をわたしは十分たどれているわけではない。しかしわたしにも6か月は流れた。
 第一部の最終節「贈り与える徳」は多分この13日に書かれた。この日までニーチェにどれほど克服しなければならないものがあったかは、その間の手紙を読めばいくらかはつかめる。もっともその後のライプツィッヒでの出来事がどのようなものであったかはほとんどわからないのではあるが。ともあれ、「贈り与える徳」を書いたとき、ニーチェは何かを克服していた。「老いた女と若い女」も一見(ルーとの関係を)克服して書かれたもののように見えるが、実際は何も克服していないだろう。ただ、レーやエリザベトの語りから解釈していた虚偽に満ちたルーの像の、その虚偽の部分はすっきりとそぎ落とされて、軽蔑すべからざるルーの真の像は間違いなくはっきりと掴めるようになっていたのだ。紛らわしい情報の山の中からルーの首尾一貫性を読み取ろうとして、真のルーの像に達したニーチェの精神力には実に感心すべきものがある。
 その克服の後に書けるようになったのがこの『ツァラトゥストラ』だったのだ。



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