《『ツァラトゥストラ』の国家論(2) 「国家論」》

瀬谷こけし


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   2.「国家」について

 ニーチェの『ツァラトゥストラ』の国家論は大層特異なものに見える。その特異さは、何よりも、国家の消滅したその先のところから国家を捉え直しているところにあるように見える。かつてニーチェは哲学者を性格づけて「国家以上の理想をもっているもの」と語っていた(『反時代的考察』)。『ツァラトゥストラ』においてわれわれは国家以上の理想をもった者のまなざしに映る国家を、しっかりと見て取ることができる。しかしわれわれはここですでに「国家以上の理想」と言うに加えて「宗教以上の理想」とつけ加えておくべきではないだろうか? 『ツァラトゥストラ』がここで提示してくる国家の消滅後に現れてくる世界像は「宗教」と呼ぶべきものでもないのではないだろうか? それは、少なくとも、終末論的世界観とはまったく異なったものである。---しかし急ぐのはやめよう。そしてまずは『ツァラトゥストラ』が語っているところを適切に理解するように努めよう。『ツァラトゥストラ』によっれば、国家は次のような性質をもっている。


1) 国家は最も冷ややかなものであり、冷ややかに嘘をつくものである。
 国家は民族を死滅させて登場してくるものであるが、それはその登場の出発から嘘をつきながら登場してくる。

> 「このわたし、国家は、すなわち民族である」、こんな嘘がかれの口から出てくる。(『ツァラトゥストラはこう言った』I-11「新しい偶像」、氷上英廣訳、岩波文庫。以下同じ)
> …und diese Lüge kriecht aus seinem Munde: "Ich, der Staat, bin das Volk." (『Also sprach Zarathustra (German Edition)』Kindle。以下同じ)

  「わたしは民族だ」と嘘を言いながら国家は登場してくるというのである。民族の破壊者である国家は。

> いま多数の人間に対しておとしあなを仕掛け、それを国家と呼んでいるのは、破壊者たちである。かれらはそのおとしあなの上に、一本の剣と百の欲望とを吊下げる。
> Vernichter sind es, die stellen Fallen auf für Viele und heissen sie Staat: sie hängen ein Schwert und hundert Begierden über sie hin.

 (民族の)破壊者たちこそが多数の人間にむけて落とし穴を仕掛け、ただ一つの覇権と多くの欲望を目指してやってくる人々を国家という落とし穴に落とし込むのである。この国家という落とし穴に群がり集まるとき人々は、それと気づくことなく、おのれの育ってきた民族の善悪を、風習と掟を、捨て去ってしまっているのである。

> 国家は、善と悪についてあらゆる言葉を駆使して、嘘をつく。---国家が何を語っても、それは嘘であり、---国家が何を持っていようと、それは盗んできたものだ。
> Aber der Staat lügt in allen Zungen des Guten und Bösen; und was er auch redet, er lügt - und was er auch hat, gestohlen hat er's.

 国家はあらゆる民族の舌(Zungen、ことば(複数))の善悪を語る。あらゆる民族の善悪が盗み取られ混雑雑然と通用せられる。

> 善悪に関することばの混乱。わたしはこの徴候を、国家の徴候としてあなたがたに教える。まことに、この徴候は死への意志を示す。まことに、この徴候は死の説教者たちに目くばせして、かれらを招く!
> Sprachverwirrung des Guten und Bösen: dieses Zeichen gebe ich euch als Zeichen des Staates. Wahrlich, den Willen zum Tode deutet dieses Zeichen! Wahrlich, es winkt den Predigern des Todes!


2) 余計な人間たちのために国家は発明された。
 国家がこのような一つの覇権とさまざまな欲望という落とし穴の罠の下に集められた出自の雑多な多数の人間の集合体だとすると、そのようなものはだれのために発明されたものだと言えるだろう? ここに『ツァラトゥストラ』の国家論のもっとも傑作なところがある。
 
> あまりにも多数の者が生まれてくる。余計な人間たちのために国家は発明されたのだ!
> Viel zu Viele werden geboren: für die Überflüssigen ward der Staat erfunden!

 「余計な人間たちのために」というのが国家の存在理由である。---民族においては、だれひとりとして余計な人間は存在しなかった、と言えるだろう。だが国家においては、万人が余計な者なのだ、というわけである。---ニーチェが「死の説教者」のにおいを嗅ぎつけるのは彼が国家の本質とみなすこの性質においてである。「余計な人間たち(die Überflüssige)」とは、「おのれの存在理由を自覚しない者たち」という意味ではなく、まさしく「存在理由をもたない者たち」の意味である。だからその誘惑の声はツァラトゥストラの弟子たちの心の中にも入ってくる。

> ああ、あなたがた大いなる魂よ、あなたがたの耳にも、国家はその暗鬱な嘘をささやく。ああ、国家は、惜しげなく自己をささげる豊かな心情の持主をすかさず見抜いているのだ!
 そうだ、またあなたがた、古い神を征服した者たちよ! 国家はあなたがたの心中をもすかさず見抜いている。あなたがたはその戦闘によって疲れている。そこでいまは、あなたがたのその疲労が、新しい偶像につかえることになる!
> Ach, auch in euch, ihr grossen Seelen, raunt er seine düsteren Lügen! Ach, er erräth die reichen Herzen, die gerne sich verschwenden!
Ja, auch euch erräth er, ihr Besieger des alten Gottes! Müde wurdet ihr im Kampfe, und nun dient eure Müdigkeit noch dem neuen Götzen!

 こうして国家が大いなる魂たちの耳にささやきかける「暗鬱な嘘」(seine düsteren Lügen)とは、「地上にはわたしより大いなるものはない。わたしは神が秩序を与える指である」("Auf der Erde ist nichts Grösseres als ich: der ordnende Finger bin ich Gottes")という嘘であり、この嘘の前に、大いなる魂の持主たちもひざまずきかねないのである。たとい彼らが「わたしが神の指だ」と言う国家の嘘を見抜いているにしても、である。それは彼らもおのれの存在理由のなさをおのれ自身によっては克服することができないからである。


3)国家とはすべての人間の緩慢な自殺が「生きがい」と呼ばれるところである。
 「人生」とは緩慢な自殺のことである、とはいかにもゆったりとした規定である。一方ではもちろん適度な人生の刺激もあり(「教養」など)、他方でだれにも王座(覇権)につこうとする狂気に取りつかれることがゆるされる場所である。---しかしそうしたことはまだ国家の記述にすぎないだろう。『ツァラトゥストラ』の国家の本質規定としてはやはり次の言葉に依拠しなければならないだろう。

> 善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。すべての人間の緩慢なる自殺---それが「生きがい」と呼ばれるところ、それが国家である。
> Staat nenne ich's, wo Alle Gifttrinker sind, Gute und Schlimme: Staat, wo Alle sich selber verlieren, Gute und Schlimme: Staat, wo der langsame Selbstmord Aller - "das Leben" heisst.

 われわれはこの規定を最大限重要視しなければならない。「民族」は民が毒を飲むところではなかった。そこでは生きることは緩慢な自殺ではなかった。しかし国家においては、すべての人間の緩慢な自殺が生であり、生きがいであり、それこそが生きることだと規定されるのである。
 2)で見たように、国家の成員は「余計な者たち」である。そしてその彼らに崇拝される偶像が国家である。

> かれらの偶像、この冷ややかな怪獣は悪臭を放つ。かれら、この偶像を崇拝する者ことごとく悪臭を放つ。
> Übel riecht mir ihr Götze, das kalte Unthier: übel riechen sie mir alle zusammen, diese Götzendiener.

 『ツァラトゥストラ』の国家理解はこのようなものである。しかしツァラトゥストラ自身は、弟子たちに対して、この悪臭立ちのぼる毒気に満ちた場所から外へ逃れることを勧めるだろう。次にはそこのところを見てみたい。




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