《ニーチェの新しい思想たちと安らぎ---シルス・マリーア》

瀬谷こけし

シールス・マリーアのニーチェの部屋
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滞在中にニーチェが使っていた部屋がシルス・マリーアの「ニーチェハウス」に保存されている。

 1881年8月14日付のケーゼリッツ(Köselitz)宛の手紙でニーチェはこんなことを言っている。発信場所はシルス・マリーアだ。

>それについて私は何も口外しないでおきたい。そして自分自身をゆるぎのない安らぎの中に保っておきたい。 (KSB Bd. 6 Nr. 136)

上記の中の「それ」は、「わたしの地平線に昇ってきた思想たち」であり、そのようなものは「私が見たこともないようなものだ」と語っている。新しい思想が一群となって現れてきているさまが適切に語られている。そしてニーチェは「(この新しい思想群のために)自分はまだ二三年は生きなくてはならないのだろう!」と語る。自分に訪れてきた新しい思想群、それをはっきりと語れる形にするために、自分はもう何年か生きなければならない、と語っているのである。ニーチェの身体の健康状態はじつはこの時非常に危険な状態であったのだ。それは「自分の感情/感覚(Gefühl)のさまざまに異なった強さ(Intensitäten)のせいで震えたり、笑ったりする」そういう状態であり、眼の炎症のせいで一日中部屋を離れられなかったりするが、その原因は、その前日にほっつき歩き(Wanderngen)の途上であまりにも泣きすぎてしまったからなのだ、とわかっているという。そしてその涙もセンチメンタルな涙ではなく、歓呼の涙なのだ。そこで自分は歌を歌ったり、わけのわからないことを語ったりするが、---ここまでは『ツァラトゥストラ』序文の森の聖者のようだが---その歌や語りは彼ニーチェが万人に先駆けてもったある新しい展望(Blick)にみたされてのことなのだ、と記す。この新しい展望は、彼のいう新しい思想群の意味の一つ一つとして見通されてくるものなのである。

 ニーチェの手紙をやや長く紹介しすぎたが、このシルス・マリーアの土地で彼は新しい思想の啓示を受け、その思想がもたらす見晴らしのせいで、泣いたりわけのわからぬことを語ったりしながら、このシルス・マリーアの近辺を日々ほっつき歩いていたのである。
 シルス・マリーアは『ツァラトゥストラ』の思想/詩想群の生誕地である。それは思想/詩想自体の生誕地であるが、それと同時に、この地でニーチェは、「ゆるぎのない安らぎ」の日々を保ちえて、その後の何年かの激しい生を安らげることができたのである。



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