《牛乳--稲造・昌介・賢治》

瀬谷こけし

 新渡戸稲造はボン大学に留学していたとき(1887年)40人ほどの子供たちにミルクを振舞ったことがあるという。草原克豪の『新渡戸稲造』(藤原書店)からそのところを引こう。

> ボンに着いて間もない頃、散歩の途中にミルク園でコーヒーを飲んでいたとき、四〇人ほどの孤児を見ているうちに、その日が母の命日だったことを思い出したのである。そこで稲造は、近くの牛乳屋のおばさんに頼んで、誰からとは言わないようにと念を押して、孤児たちにミルクをふるまってもらった。(p.126)

 このミルクを振舞うということから連想することがある。まずは宮沢賢治の(1924年の)「修学旅行復命書」にある北海道帝国大学で総長から、訓辞の後に生徒たちが受けた牛乳の饗応のことである。これもそこのところの記述を引こう(ちくま文庫全集10、p.500)。

> (訓辞を受けて)引率者(賢治)は立ちて答辞を述べそれより学生食堂に於て菓子牛乳の饗を受く。牛乳甘美にして新鮮且つや勧の切なるまゝに恐らくは各人一立を超ゆるまで総長の好意を辞せざりしが如し。終て各学部を参観す。……

 花巻農学校の二年の生徒たちはその牛乳の美味しさと新鮮さに、各々一リットル以上も飲ませてもらったというのである。この饗応に生徒たちはさぞ感激したことだろう。この時の北海道帝国大学の総長が佐藤昌介である。

 この佐藤昌介は新渡戸稲造と浅からぬ関係がある。まず岩手県の出身であり、またともに札幌農学校の出身である。佐藤はその第一期生、新渡戸は第二期生である。第一期生24名、第二期生20名の少数精鋭的な学校である。

 花巻出身の佐藤昌介が同郷の生徒たちに大いなる歓迎をしたかったことは、旅行出発を延期してまでの訓辞や歓待によって明らかだが、この牛乳による歓待の背景に、新渡戸がボン大学で母の命日に目にした孤児たちに牛乳をふるまったということの伝聞はあったのだろうか? 佐藤がその話を聞いていたとしても不思議ではないが、今はその証拠を調べる気はない。あったとすれば、母・乳・孤児・牛乳という命の源にかかわる連想が、新渡戸から宮沢賢治にまで伝わったと考えることができるかもしれない。『銀河鉄道の夜』で主人公ジョバンニが孤児にも近い状態にあること、そしてそれがまた配達されなかった牛乳と母とミルキーウェイ(天の川)に濃くかかわる物語であること、その発想の源は新渡戸のドイツでの行為にあったと見ることができるかもしれない。

 そんなことは新渡戸がいなくても思いつく話かもしれない。その通りである。だが多分賢治にとっては、北海道大学での限度を知らないほどの牛乳の饗応がきわめて強い印象を与え、そしてそれが『銀河鉄道の夜』の創作に大いに関係していたであろうことは、その初期形がその修学旅行引率と同じ年に書かれた(と思しき)ことから、十分に主張できることであると思えるのである。

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