《黒びとの流れ 2011年12月11日》

瀬谷こけし


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 この前日夜品川のホテルでIWJ主催の「饗宴」が開かれていた。朝の7時まで徹夜で二次会三次会で話し込んでいた。一次会では矢ケ崎先生と、二次会では名大の小型水力発電の先生と、そして三次会ではIWJのスタッフの方たちと話したのをよく覚えている。他にもお名前を忘れてしまった方何人もと話していた。その夜は皆既日食の日で、朝の5時半ごろ二次会が解散になるとき、帰られる孫崎先生の袖を取ってあの月は皆既月食だった月だよとまだ一部暗くなっている月を指してお教えしたのが強く印象的に残っている。岩上さんをはじめほとんどの参加者が今日までこころざしを曲げることなく、原発のない安心のできる日本をこころの一部に懐いて仕事をしている。亡くなった方もいるが。
 そして翌日(11日)は渋谷に岡本太郎の壁画を見に行った。その右上の川のようなものに流れる人々、宮沢賢治の「青びとの流れ」に近いイメージを感じる。言ってみるなら「黒びとの流れ」か。熱火に焼かれて川に飛び込んで死んだ人々のイメージだろう。東京空襲以上にヒロシマ、ナガサキで焼かれた人々を描いているように見える。人類の恐ろしき未来を暗示するかのように。

◇   ◇   ◇

矢ケ崎先生には、その前の11月に沖縄に行った時、那覇空港の放射線量がかなり高く、空港から離れると数値が下がっていったことをお伝えして、それがなぜなのかということをお尋ねした。先生もそのことはご存じだったようで、被曝した人々が沖縄に多く避難してきていることを理由の一つとして推測されていた。データは多分手帖にメモしていると思うが、那覇空港はおもろまちの3倍近い数値だった。沖縄も放射能の安全地帯ではないことを確認した思いだった。


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